2017年8月28日 (月)

プラセボ効果

偽薬

偽薬(ぎやく)とは、本物の薬のように見える外見をしているが、薬として効く成分は入っていない、偽物の薬の事である。成分としては、少量ではヒトに対してほとんど薬理的影響のないブドウ糖や乳糖が使われることが多い。プラシーボ(英語: placebo 英音: [pləˈsiːbəʊ] 米音: [pləˈsiːboʊ] [plæˈsiːboʊ])、プラセボ(フランス語: placebo [plasebo])ともいい、いずれもラテン語: placēbō [plakeːboː] プラケーボー(「私は喜ばせる」の意)に由来する。医学・薬学では「プラセボ」を用いることが多い。

(後略)

(ウィキペディアより)

2017年8月15日 (火)

【心の健康】 意外と多い「寝るのが怖い」という人たち 「目を閉じると嫌な事ばかり考える」「意識を失うのが怖い」/「こうした状況への対策としては、『太陽を浴びよう』『ありきたりですが、運動とかはしてますか?』などのアドバイス」←これは無意味だと思う(当ブログ開設者より)(2017年08月15日)

意外と多い「寝るのが怖い」という人たち 「目を閉じると嫌な事ばかり考える」「意識を失うのが怖い」

「寝るのが怖い」という人は世の中に意外と多い。理由は様々あるだろうが、ネット上では以前からQ&Aサイトにも同様の悩みが寄せられており、「睡眠」=「意識不明」から「死」まで連想して入眠困難に陥る人は珍しくないようだ。(2017年08月15日 11時52分 @nifty ニュースより)

(下に続く)

続きを読む "【心の健康】 意外と多い「寝るのが怖い」という人たち 「目を閉じると嫌な事ばかり考える」「意識を失うのが怖い」/「こうした状況への対策としては、『太陽を浴びよう』『ありきたりですが、運動とかはしてますか?』などのアドバイス」←これは無意味だと思う(当ブログ開設者より)(2017年08月15日)" »

2017年2月13日 (月)

【泣き言】 便秘がこんなに苦しいとは思わなかった

私の家は、私の父と私、二人の男所帯(←みじめ)。父は87才。私は57才。

私は、私の父との同居によるストレスで常に体調悪いのですが、

いまにして、改めて思うに、便秘が苦しい:

吐き気、胃痛、目がかすむ・・・。

自分の顔を鏡で見ると、顔色がものすごく悪い。

記録によると、2012年の4月〜9月の6ヶ月間に、私は、便秘の薬ほか、市販の薬代に、141,281円も支出している。←それでも、私の便秘は治らなかった。←私の預金額が少なくなった原因はこれだ(泣;;

ガスがたまると苦しい。ガスコンやガスピタン飲んでます。

Medicine_1

Medicine_2

2014年9月撮影

2016年6月18日 (土)

ベゲタミン販売中止へ/私は、早めに切っててよかった! (2016年6月18日)

ベゲタミン販売中止へ

 6月9日、塩野義製薬株式会社は、ベゲタミン-A配合錠、ベゲタミンB配合錠の販売を中止すると発表した。同社は、ベゲタミンについて、公益社団法人日本精神神経学会から「薬物乱用防止の観点からの販売中止」の要請を受け、2016年12月31日をもって供給を停止するとのこと。以降は流通在庫品限りで販売中止とする。(2016年06月15日公開(2016年06月15日更新)PharmaTribune より抜粋)

【関連記事】

2014年6月10日 (火)
ベゲタミンを切る(やめる)

2016年4月 5日 (火)

【memo】 本当はうつや他の病気? 30〜40代が陥る“認知症恐怖”/うつと認知症が同時に発症したらどうなるのだろうか?/怖い

本当はうつや他の病気? 30〜40代が陥る“認知症恐怖”

 若年性認知症という言葉が広がり、30〜40代で「やばいっ、認知症かも!?」と恐れおののく人が少なくない。大事な仕事をうっかり失念したり、地名や人名がとっさに思い出せなかったりし、思わず自分のアタマを疑ってしまう。問題ないケースもあれば、受診したほうがいい場合もあるので要注意だ。

(中略)

 特に親やきょうだいに若年性認知症の人がいるなどの家族歴は、若年性認知症のリスクファクターになる。井関さんによると、そういう人は早めに外来を受診し、定期的に検査を受けたほうがよいそうだ。

<30〜40代の物忘れ チェックポイント>
□ど忘れやモノの置き忘れ、固有名詞が出てこないのは問題なし
□仕事上で物忘れが続いたら、まずストレスの影響を疑う
□通勤の駅を乗り過ごすなどルーチンワークができないときはうつ症状の可能性大
□物忘れが頻繁に起きるなら、睡眠時間が少なくないかをチェック
□「年だから」と脳を使うことをサボると、記憶能力はどんどん落ちる
□本人に物忘れの自覚があればセーフ。周りから指摘があった場合は受診を
□家族に若年性認知症(※)の人がいるなら、物忘れドックなどの受診を
□会議や家族で話していた内容を、翌日には思い出せない場合は受診を
□物忘れやミスを上司や同僚、家族から指摘されるなら受診を
□同時に複数の作業ができず、仕事や家事の段取りが悪くなったら受診を
※64歳以下で発症した認知症

※週刊朝日 2016年4月8日号より抜粋(週刊朝日 2016年4月8日号掲載) 2016年4月4日(月)配信より

(下に続く)

続きを読む "【memo】 本当はうつや他の病気? 30〜40代が陥る“認知症恐怖”/うつと認知症が同時に発症したらどうなるのだろうか?/怖い" »

2016年3月27日 (日)

【私の病気】 強迫神経症/火事が怖い/窓から雨が降り込んで、オーディオが濡れるのが怖い

http://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-3d79.htmlの続き

==

きょうはくしんけいしょう【強迫神経症】
神経症の一。自分で不合理だと思う考えや行為につきまとわれ,それを抑制することが困難な症状。OCD。〔神経症という用語を避けて強迫性障害ともよばれる〕
(大辞林より)

--

私は、外出時に、下記のようなもので《チェック》しないと、外出できない。
←火事が怖い。窓から雨が降り込んで、オーディオが濡れるのが怖い。
←窓が開いているかどうか、は、見れば分かるが、何度見ても自分の目が信用できない。
←その際(外泊の場合)外出するまで、30分ぐらいかかる。
←それが、私のルーチン(儀式)になっている。

この手の病気は、自然に治癒することがあると思うが、なかなか、治らない・・・(苦;;

Check
外出時のチェックポイント.xlsx


2016年2月19日 (金)

目の健康/飛蚊症(ひぶんしょう)

【注意】 以下の記事について

※ 正しい情報を得るためには専門の医師にご相談下さい。
※ 私は、このページの内容に一切責任を負いません。
※ 自己責任でお願いします。

==========

Floater_1
(C) 九州大学大学院 石橋達朗教授のパンフレットの表紙

昨日(2/16)、夜11時頃、左眼に黒いゴミのようなものが浮かんでは落ちていくのが見える。翌日(2/17)、眼科に行くと、それは「飛蚊症(ひぶんしょう)」とのこと。
「飛蚊症(ひぶんしょう)」という症状は、必ずしも、病気ではありません。それは老化現象であることが多いそうです(【注意】したがって治らない)。
特に「強度近視の眼は(若い人でも)飛蚊症になりやすい」
ちなみに、私は、56才、強度近視です。

原因
目の内部を満たす硝子体内の混濁が網膜上に影を落とすことで発生する。混濁の原因には、
1. 生理的飛蚊症(病的ではないもので生来のもののことが多い)
2. 後部硝子体剥離(病的ではないもので加齢・強度近視・打撲などによるもの)
3. その他(網膜裂孔、網膜剥離、硝子体出血、ぶどう膜炎などの病的なもの)
などがある。強度近視の眼は飛蚊症になりやすいと言われている。

(ウィキペディアより)

「飛蚊症(ひぶんしょう)」の症状について
《浮遊物が見える》
その《浮遊物》は、視線を明るい光に向けると見えます。また、その《浮遊物》は、一点を凝視しているときには見えませんが、視線の向きを変えると見えます。

それにしても、

私の「飛蚊症(ひぶんしょう)」の原因は、網膜剥離などの怖い病気ではなくて、良かった。ホッとしました。ただし、私が、2月17日に、眼科でやってもらった検査は簡易検査だった。
本来なら、
眼底検査をやってもらうべし!
半年後頃に、同じ病院で、私の、
眼底検査をしてもらおう!

※ なお、私が行った眼科の病院で言われたこと:「眼底検査」をしてもらった後は、自動車の運転をすることができない・・・つまり「眼底検査」をしてもらうときは、病院帰りに自動車の運転をしてはいけない。なぜなら、検査後、数時間、目がかすむから・・・だそうです。

【参考1】

Floater_2_9
↑参考までに。私に見える《浮遊物》は、およそ、こんな感じです。

【参考2】

下の動画は、参考までに。

「飛蚊症(ひぶんしょう)」の見え方を、動画ソフトを用いて表わそうとしましたが、私はソレを断念。
それで、Adobe Photoshop を使って原始的方法で表わして見ました(飽くまで、イメージ、あるいは、雰囲気です)。
「飛蚊症(ひぶんしょう)」の《浮遊物》は、私が、パソコンの明るい液晶を見る時、私の視線に合わせて、慌ただしく動き回ります。←コレに慣れるまでは、実際、かなり、うっとうしい(ため息!

動画削除(ココにあった動画を削除しました)

↑私の「飛蚊症(ひぶんしょう)」の症状は、およそ、こんな感じです。

--

【2016−2−19 追加】

飛蚊症のシミュレーション
https://youtu.be/z0olyZrcBx4

↑これがよく出来ている。

==========

【追伸】

私の「飛蚊症(ひぶんしょう)」の症状は、私が子どものときに、既に在ったような気がする(←ただし、その時、見えた浮遊物は、ほとんど透明に近い半透明の浮遊物だった・・・)。

2015年6月 6日 (土)

わたしの強迫観念 Obsession (スピーカが雨に濡れないか?)

Windows

←外出をするとき(一泊以上、家をあける時)、(わたしの部屋の)上記の窓が、ちゃんと閉まっているか確認するのに、30分ぐらいかかる。

←なぜなら、この窓が開いていて、雨が降り込んだら、私の大事なスピーカ(TANNOY Stirling/HW)が、雨に濡れるから・・・

←スピーカが、雨に濡れたら、また、買い直さなければならない。

←といっても「その窓が開いているかどうか」は、見れば判る。それでも、何度も確認しないと、わたしは心配なのだ!

←という訳で、外出をするとき(一泊以上、家をあける時)、わたしの部屋の火の元の安全を確認するのも含めて、上記の窓の状態を確認するのに30分もかかる。この強迫観念(強迫神経症)は、どうやったら消えるのだろうか?

2014年6月16日 (月)

上山和樹(うえやまかずき)著「ひきこもり」だった僕から を、どう読むか(2)同書後半部分「いま(いまから)」の索引を作る

【このエントリーは、http://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-f86a.html の続きです】

 私は自分の外部(他者・現実)との間にある葛藤を、必死に自分の内部の葛藤に転化させようとしたのではないか。外部との間にある葛藤を首尾よく内部の葛藤に解消し尽くしたとき、私は真の「自分の道」を歩みだせたことになるのではないか ----- 私はそう考えていたのではないか。
 むしろ、内部の葛藤を、外部世界との格闘に転化させ得たとき、はじめて私は十全な仕方で自分を外の世界と交わらせることができるようになるのではないか。そのときはじめて、私は、自分の内に経験した葛藤を、自分の〈必然〉として引き受けられるのではないか。自分の内においてのみ孤立して経験された葛藤は、必然的存在たり得ぬまま、無の中に流産されるのではないか。そのことに、我慢ならない思いを抱えているのが、「ひきこもり」ではないのか。
 誰にも受け取ってもらえない葛藤は、そのまま悶死するしかない。自分の身に引き入れてしまった葛藤が、「何ごともなかったかのような」昼の世界で舞台を得たとき、それまで思いもしなかったような別の生がはじまるのではないか。
 そういう生がはじまって、はじめて他の人間の内にある同じような葛藤に、切り結べるのではないか。
 もっと無数の舞台が用意されるべきだと思う。いや、舞台とはすなわち個人のことだし、個人が自らをそういう舞台として引き受けるためには、やはり喜ばしくイレギュラーな出会いを知らなければならない。
 個人の覚悟が、すべて抽象的な知の世界に吸収されているように思うのは私だけでしょうか? ----- そうした欺瞞的な取り繕いを暴きたてる鍵が、この「トラウマ」というよくわからない単語にひそんでいるとうに思うのです。この単語は、まださまざまな起爆力を秘めているように思います。
(上山和樹(うえやまかずき)著「ひきこもり」だった僕から 231ページより)


Ueyama

上山和樹(うえやまかずき)著
「ひきこもり」だった僕から

--

上山和樹(うえやまかずき)著
「ひきこもり」だった僕から
後半部分「いま(いまから)」の索引を作りました。

『「ひきこもり」だった僕から/後半部分「いま(いまから)」の索引』を作るプロセスで、私は、むしろ、ある意味で「索引を作る」という「行為・作業そのもの」が有用である(上山本を読み解くために)ということがわかりました。つまり、その索引は、「私以外の読者が上山本を読むとき」よりも「索引作成者である私自身が上山本を読むとき」に有用・・・であること、
「索引を作る人(私)」が「索引を作る人(私)」のために「索引」を作るということ(わたしがわたしのために作る)。それが分かった。

上山本のキーワードを拾うという行為は、おのずと、上山本の(ページ上の)展開を「追うこと」、さらには上山本の展開を「追いながら学習する」ことにつながると思います。
また、索引にピックアップする語として、どの語が重要な語か、ということを、自分の中で定義することによって・・・あるいは、索引にピックアップする「キーワード」の「重要度の」基準を設けることによって、「上山本読書」において、いままで、読み過ごしていた言葉に、ひっかかったりします。

「どの語が重要なキーワードか」は、「索引作成者」である私の主観に依存します。

--

最初は、「索引」だけでなく「用語解説」を作ろうとしたのですが、私には無理でした。なぜなら、上山本、および、私のうえやまさんへの理解力が足りないからです。
それに、「用語解説」作りは物理的にも難しい(たとえ「用語解説」らしきものができるとしても、それを作るにはあまりに長時間・長期間を要すると思ったからです)。

(2014−6−16)

==

【「ひきこもり」だった僕から後半部分「いま(いまから)」の索引の前書き。重要なキーセンテンスをピックアップ】

経済的貧困とは、要するに「価値観を犠牲にして生活努力に没頭する」ことでしかなく、そこには人間として豊かな生活をどうするか、といった問いかけが欠落している。
(135ページ)

 私自身も、「お金を稼いでいる」「世間の人たちと、ふつうにつきあっている」時点で、「世界」の住人と見なされてしまうかもしれません。「お金」というのは、もう〈私〉と〈公〉をつなぐ唯一の接点であって、これを首尾よく扱えている時点で、これはもう〈世界〉の側の住人なわけです。あとで詳しく申しますが、ひきこもりの当事者の猜疑心の核心は、実にこの〈公私混同〉にあって、「お金をもらって生活を成り立たせている」時点で、最終的には「公私混同」だ、ということになるんだと思います。
 実際に生きていて生活をつくりだしていくにはお金を稼がなければならないわけで、こんなこと言われてもどうしようもないわけですが、こじれてしまったメンタリティの核心部分にそういうものが居座っているので、これはこれとして無視できません。

 私が訪問活動をしていて親御さんからお金を受け取る話に最後まで抵抗を感じたのも ----- そしてそれはいまだにこの活動の核心的ジレンマとなっていますが ----- 結局はここです。私は親からお金をもらった時点で、「親」の側についてしまう。「世界」の側、ということは「親」の側、「ニンゲン」の側についてしまう。これで、当事者サイドからのコミュニケーションへの欲望は著しくそがれてしまう。「親が連れてきた」という時点で、もう会ってくれないわけです。
 いまのところ、本人に会えるときには、「あなたと話した内容については、絶対にご両親には言わない」約束をして、これを実行し、そのことを親御さんにも理科いいただいています。そういう形で、なんとか「親サイド」と切れていることを具体的に示す必要がある。(142、143ページ)

 私自身は、ひとまず、こう申しあげています。「まず仕事」ではなくて、「まず、お金のからまない人間関係を」と。これは私自身の経過から出てきた後知恵でもあるんですが、ひきこもりが深刻化した事例において、信頼できる「人間関係」を経験しないままいきなり「仕事」というのは、はっきり〈無理〉だと思います。「気合いで乗りきれ」とか、精神論を持ちだしてきても何の意味もない。むしろ悪化させるだけです。
 これは実は、前に述べた「正義感」を、なんらかの形で共有できる人間関係を体験することだ、と言ってもいいかもしれません。ふつうの「稼ぎをつくるための職場」には、そういう「正義感の共有」という経験は、潜んでいない、どころか隠蔽され、お互いに見えないようにしてつきあわねばならないわけですね。
 ものすごく切実な正義感を内に抱え、そのために繰り返し傷つけられてきた人間にとって、「価値観を共有できないかもしれない人間関係」というのは、非常に恐ろしく見えます。正義感を共有できる人間関係をある程度経験し、自分の価値軸を社会の中に根づかせる努力を体験できるようになると、ケンカもできるようになるし、それほどいちいち価値観が合ってなくても乗りきるコツもわかってくるのですが、そういう経験がまったく持てないままにいままで来ている人間にとっては、自分が孤立してしまうか否かの生命線なわけです、これは。「価値観を共有できないままの人間関係」これへの恐怖が決定的なわけです。
 私はとにかく、「まず人間関係を」ということを強調しておきたい。これは鉄則だと思います。
(150ページ)

「価値観の問題を置き去りにしないで経済生活を生み出していくにはどうしたらいいか」
(156ページ)

〈公〉、つまり「外の世界」につながっていく納得できる希望の創出、というのが喫緊の課題
(160ページ)

 幼児期の虐待などが引き金になって生じているひきこもりについては、このようなことは直接はあたらないように見えるのですが、ちょっと抽象的に考えると、そうでもないように思います。
 つまり、親と子が相互に「縛りつけあう」状態というのは、実はお互いに、自分の中にある前提的な〈公〉の感覚を、本来は〈個〉として生きているはずの相手に、無条件に暴力的に強引に当てはめようとして、その当てはめの中で相手を押しつぶそうとしている、あるいは自由を奪おうとしている、ということではないか。
 母親による子どもへの支配においては、むしろ〈私〉の充満が支配を生んでいる、ということなのかもしれませんね。
 むずかしいのは、こうした状況があるとして、「じゃあ、お互いに無理の出ない〈公〉はどうやって導入すれば良いのか」。
 矛盾するようですが、「各人の個人性が最大限尊重されることをめざす〈公〉性の導入を」という、少々抽象的ですが理念としてはこれしかないようなことだと思います。そして、それには無条件に前提となるような〈公〉などないということを受け止める必要があると思うのです。「右寄り」の人も「左寄り」の人も、どうもこの〈公〉性を安易に措定して安心して、それでアクチュアリティを失っている気がします。
(178ページ)

 ひきこもり当事者で私の活動を悪く言う人は、たいてい、「溜まり場には出てこられる」人たちです。こうした人が、「親からお金をもらって訪問活動している」という私の活動について、「金を取っているのか」とか「親が連れてきた人間と会うわけない」とか言う。
 このアレルギー自体は、私自身もひどく共有していることで、気持ちはわかるんですが、せめて私がこういう活動をしようとするときに抱えるジレンマを理解してほしいし、そもそも、こうした悪口を言う人は、自分以上に深刻化して、家から一歩も出られなくなっている人についての認識がありません。
 出て来られるならいいけど、出て来られない人はどうするのか。あるいは訪問活動という形態そのものに難があるとしても、そもそも「ひきこもり」がすでに社会問題化していて、個人の努力ではどうしようもない状態になっている、ということについて、一緒に考えようという姿勢を持ってくれていません。この問題に取り組むスタッフにも生活があるし、社会事業として考えるならば、行政の協力は不可欠です。これは実は、当事者として「公私混同」してしまっているわけですね。
 でも、繰り返しになりますが、そもそも当事者たちの硬直した反応は、このひきこもりの問題をあまりにもないがしろにしてきたことから来ていると思いますし、私自身、そうしたことを考え直す作業を抜きに「治れ」とか言われても、拒絶反応を示すだけでした。そういう状況では、たしかに「親が連れてきた」人間になど会うわけがない。「また、おまえも説教しにきたのか」としか映らない。
 私のしている活動は、一歩間違えば、出向いていって、尻を叩いて「さあ、仕事しろ」と言いつのる、というような、最悪の形になってしまいます。私は、そんなことがしたいわけではじゃない。それは、精神的なパターナリズム(父権主義)の復活でしかない。それは最低です。
 じゃあ、どうするか。価値の問題を最大限尊重する形でいて、それでいて「生活」もつくっていける、そういう状況を、どうやって生みだすか。ここにすべてがかかっているわけです。私が「具体案」と言っているのは、そういう話です。
(181ページ)

 今回の執筆作業は、難渋を極めました。最初に申しあげましたが、「ひきこもり」というのは、そもそもが「コミュニケーションの困難」という問題であり、書いている作業そのものがその同じ困難に直面してしまうのです。文体から、用いる単語、語尾の調子、書いている内容まで、細かい選択の一つ一つがその文章の宛先を決めてしまい、逆に言うと他の人にはまったく伝わらない、あるいは拒絶の原因になってしまう。
 具体的に言うと、「本人向け」と「親向け」と「一般向け」でまったく変わってしまうし、それを意識しないでダラダラと書いても、誰にも伝わらない気がするのです。「言葉を発信し、それを受け取ってもらうということ」を、これほど強く意識させられたこともなかった。
 これは、実は活動していてもつねに直面している苦しさです。
 たとえばここでは、自分のことを「私」と呼んでいるわけですが、これも「僕」と言うべきかもしれない。それだけでもう価値の選択があるし、自分の話している位置を決めてしまう。「私」と呼ぶことで、自分と語りかける相手の関係のイメージを決めてしまうし、いつの間にか自分の意識しない枠組みまで規定している気がする。そういう一個一個の選択に、すごく悩みました。
 これだけで、実はもう「ひきこもり」というフィールドについてまわる困難を、実演する形で提示していると思うのです。つまり、ひきこもりは最初からコミュニケーションの困難を問題としている。だから、それを意識しないで、「客観的に」当たり前のように語っている言葉は、最初から何もわかってないことになる。
 「ひきこもりはコミュニケーションの問題である」という事実認識は、自己言及的に、いま語っている自分自身の言葉に疑問符を投げてしまうのです。「事柄に忠実に、わかりやすく語ろう」 ----- ひとまずは、それだけをモットーに、見切り発車で語りだしていくほかありません。
(192、193ページ)

 まとめますと、どうも、ひきこもりに関連してもっとも重大なテーマの一つは、「世界を意味で縛りつけることなしに、どうやって自分なりの正しさを生きるか」というふうにまとめられると思います。そしてここからさらに、「それを経済生活と両立させながら」という項目が加わる。
 お気づきかもしれませんが、「倫理と経済活動の両立」というだけなら、ひと昔前の世代の「共産主義」というのが、これを求めていたわけです。私が付加したいのは、「世界を意味で縛りつけることなしに」です(「計画経済」というのは、世界を意味でガンジがらめにする)。
 教義やイデオロギーに縛られることなしに自分なりに「正しい」と思えることを実行していて、それでいて経済生活を成り立たせること ----- たびたび申しますが、ここに最大のネックがあるように思います。
(201ページ)

 いま、〈公〉が失われている、と言います。それがいろんな弊害を生んでいるとされていて、だから〈公〉を復活させようといろんな試みがなされている。ひきこもり状態からの改善についても、「就職」など、〈私〉の世界に閉じこもってしまった当事者の心の中に少しでも〈公〉の領域がインストールされるように、ということで努力と課題設定がなされているように思います。
 しかし、たとえば「会社のために尽くす」ことは、〈公〉でしょうか? 自分の属している組織のために頑張ることは、ワンランク上の〈私〉にこだわっていることでしかないと思います。それは〈国〉とかいうレベルでも同断でしょう。〈国〉だって、個別特殊的な「組織」なわけです。
(209ページ)

 私は先ほど「正義感」と言いましたが、ひきこもりの問題は、実は〈公〉と〈経済生活〉をどうごまかさずにリンクさせるか、そこでどうやって実際に生きていける形をつくっていくのか、という問いと切り離すことができないと思うんです。
「とにかく就職しろ」というのは、ひきこもりにおいて本当に問題になっている〈公私〉の切り結びの問題を無視しており、それゆえ結局は本質的な呼びかけになり得ない。私は、そこでこそ本質的に考えたい。

 別の角度から申します。
 私はいま、お金をいただいて訪問活動をしていますよね。「お金」というのは、私が個人的な、つまり、〈私的な〉利益として受け取るものです。当事者たちは、ここに最悪の欺瞞を読み取る。「おまえ、俺のために努力していると言いながら、結局世間様と同じように、〈公私混同〉したまま自分の利益のためにやっているだけじゃないか」
 ここには、現代生活における「労働」というものが、どこまで行っても「私的利益」をつくりだすものでしかない、という問題提起がなされていると思うのです。
 先ほど「組織」と申しましたが、別に組織である必要はありませんね。私は個人でやっています。でも、「お金」をいただくという話になった瞬間に、これは「滅私奉公」ではなくて、「自分の利益を生みながらしている活動」になる。
 私はひきこもりの問題にとって、「個人としての真正な出会い」が何よりも重要だと申しました。ところが、「お金」がからんだ瞬間に、これは相互対称的な同等の関係ではなくて、「一方が他方から利益を受け取るための交換行為」になってしまう。「お金をもらったから、仕方なくおまえとつきあっている」これでは、ちっとも「真正な出会い」ではありません。
 もっとほかに、具体的に出ている問題を申しあげてみましょう。
 私は今回、自分の個人的いきさつについて、かなり詳しく書きました。これについてですが、私がしている「実名のカミングアウトを通じてのひきこもり関連活動」を、「自分の不幸をネタにしての売名行為」と吐き捨てるように言った高校教師がいます。もう本当にひどい思いをしたんですが、これは実は「おまえなんか、要するに公私混同しているだけじゃないか」と言っているわけです。
 この発言自体は言語道断というか、「カミングアウト」という社会的行為全般を侮辱する発言なわけで、ひきこもりなどについて実名を出すことにどれほどの切実な勇気がいるか、全然わかっていないのですが、問題提起としては、やはり〈公私〉のケジメが問題になっている。
 実は、私が「ひきこもり」というテーマに最大の優先順位をつけて取り組みだしたことによって、自分の中にある種の〈公〉がインストールされたように思うんです。私は、他の問題の一切を、この「ひきこもり」という光に照らしながら考えている。
 「全国ひきこもりKHJ親の会」代表の奥山さんは、非常に身近な知人から、「家族の問題を社会問題にすりかえやがって」と言われたそうです。ひどい話ですが、これも「公私混同しやがって」という非難ですね。
(209〜211ページ)

現在は、〈公〉ということがよく見えなくなっていますよね。どうも、「全員が共有できる〈公〉」というのが、あるように見えない。各人が自分の私的利害だけに執着していて、それ以外の問題設定がみんなに共有されているようには見えない。
(211ページ)

(2014−6−26)

(下に続く)

続きを読む "上山和樹(うえやまかずき)著「ひきこもり」だった僕から を、どう読むか(2)同書後半部分「いま(いまから)」の索引を作る" »

2014年6月10日 (火)

ベゲタミンを切る(やめる)

2014年1月に、精神科の院長(私の主治医)と喧嘩して、2月7日から、新しい病院に転院。その新しい病院は、ベゲタミンを処方しない。すなわち、ベゲタミンを禁止している病院だった。

しかし、すぐには、ベゲタミンを切れなかった私。

--

【2014/4/12 携帯電話に書いたメモ(医師に見せるため)】

ベゲタミンを切るのが、こんなにきついとは思わなかった。不眠、便秘、吐き気、息苦しい、目がかすむ、身体がふらつく、身体が言うこと聞かない。死んだように眠りたい。

--

午後6時頃になると、溜めていた「ベゲタミンB」を飲むことがあった。 < 吐き気止め。食欲を増すため。 < ベゲBはよく効く。だから私は、ベゲタミンのことを「シ○○」と呼んでいた。

--

ベゲタミンは、いろんな意味で良くない薬だと思う。

--

【2014/5/18 携帯電話に書いたメモ(医師に見せるため)】

この4週間、ベゲタミンBを飲んでない。

--

5月18日の4週間前、すなわち、2014年4月20日頃から、今日(2014年6月10日)まで、ベゲBを1度も飲んでない。

私は、やっと、ベゲタミンを切った(やめた)。

(追伸)

代わりの薬が何であるかは、教えられません。責任とれませんので。

--

Vegetamin

--

【2017−4−7 追加】

最近、夜中に、胸を圧迫されるような、ひどい苦痛に襲われる。その苦しみの余り、救急車を呼びたくなる。ベゲタミンを飲んでいた頃はそんなことはなかった・・・やっぱり、ベゲタミンは、よく効く薬だったと思う・・・

その他のカテゴリー

100万アクセスを超える | 21世紀の資本 | Apple Music | disc of the year | index | おすすめブログへのリンク | その他の作曲家 | アイヴズ, チャールズ | アナログ・レコード購入記 | ウォルフ(または、ウルフ), クリスチャン | ウストヴォーリスカヤ, ガリーナ | エッセー、戯言(たわごと) | エトヴェシュ | エルガー, エドワード | オーディオ | カーター, エリオット | ガーシュイン | ガーランド, ピーター | クセナキス, ヤニス | クルターグ | クーシスト, ヤーッコ | クープラン | グバイドゥーリナ | グラス, フィリップ | グラズノフ | グリゼー, ジェラール | グリーグ | グールド, グレン | ケージ, ジョン | ゲーム | コダーイ, ゾルターン | コリリアーノ, ジョン | コルンゴルト | コンスタンティネスク, パウル | サロネン, エサ=ペッカ | シェルシ, ジャチント | シェーンベルク | シベリウス | シマノフスキ, カロル | シャリーノ, サルヴァトーレ | シュトックハウゼン | シュトラウス, リヒャルト | シュニトケ | シュヴィッタース, クルト | シューベルト | シューマン, クラーラ | シューマン, ローベルト | ショスタコーヴィチ | ショパン | ジャズ | ジャレル, ミカエル | ジョドロフスキ, ピエール | スカルラッティ, ドメニコ | スキャンダル | スクリャービン | ステーンハンマル, ヴィルヘルム | ストラヴィンスキー | スポーツ | ゾーン, ジョン | タヴナー, ジョン | チャイコフスキー | チン, ウンスク(陳銀淑) | デュティユー | トーマス, オーガスタ・リード | ドビュッシー | ニールセン | ハイドン, フランツ・ヨーゼフ | ハチャトリアン | ハルトマン, カール・アマデウス | バッハ, カール・フィリップ・エマヌエル | バッハ, ヨーハン・ゼバスティアン | バルトーク | バーバー | パソコン・インターネット | ヒグドン | ヒンデミット | フェルドマン, モートン | フランク, セザール | フランチェスコーニ, ルカ | ブクステフーデ | ブラームス | ブリテン | ブルックナー | プロコフィエフ | ヘンデル | ベッファ, カロル | ベリオ, ルチアーノ | ベルク | ベンジャミン, ジョージ | ベートーヴェン | ペンデレツキ | マヌリ, フィリップ | マルタン, フランク | マンケル, ヘニング | マントヴァーニ, ブルーノ | マーラー | ミュライユ, トリスタン | ミュレンバッハ, アレクサンダー | ムソルグスキー | メシアン | メトネル | メンデルスゾーン | モンテヴェルディ | モーツァルト | ヤナーチェク | ユン, イサン(尹伊桑) | ライヒ, スティーヴ | ラフマニノフ | ラモー | ラヴェル | リゲティ, ジェルジュ | リスト | リーム, ヴォルフガング | ロスラヴェッツ, ニコライ | ロック、ポップス | ワーグナー | 上山和樹 | 介護 | 伊福部昭 | 住まい・インテリア | 住宅瑕疵担保履行法 | 原子力発電 | 岡林信康 | 心と体 | 教育 | 文化・芸術 | 新垣隆 | 日本の農業と漁業 | 日記・コラム・つぶやき | 映画・テレビ | 書籍・雑誌 | 東日本大震災(2009/12/27に発生した私の家の火災による被災体験の教訓から) | 東日本大震災(2009/12/27に発生した私の家の火災による被災体験の教訓から)というカテゴリーについて | 災害 | 犯罪 | 環境 | 相対性理論 | 社会 | 科学 | 経済・政治・国際 | 衝撃的な報告をしなければなりません(新たに買いたい CD など) | 衝撃的な報告をしなければなりません(買い戻したい CD など) | 被災(2009/12/27 私と私の家族が火災で焼けだされてしまいました) | 親知らず | 訃報 | 近況報告 | 量子力学 | 防災 | 電磁気学 | 音楽

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

カテゴリー

無料ブログはココログ