2014年3月31日 (月)

新垣隆作曲 交響曲第1番《HIROSHIMA》

Hiroshima

新垣隆作曲 交響曲第1番《HIROSHIMA》

【収録情報】

新垣隆作曲
交響曲第1番《HIROSHIMA》[81:34]

1. 第1楽章 [19:58]
2. 第2楽章 [34:33]
3. 第3楽章 [26:53]

東京交響楽団
指揮 大友直人

録音:2011年4月11-12日 パルテノン多摩(大ホール)

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【譜例】

Hiroshima_1
譜例1 第1楽章 第1主題「ペザンテ(重厚に)」トラック1の2分57秒(midi。midi をクリックすると音が出ます)

Hiroshima_2
譜例2 第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ(生き生きと)」7分23秒(midi

Hiroshima_3
譜例3 第1楽章 第2主題 クラリネットとファゴットに「コラール」と題された「レリジョーソ」10分27秒(midi

Hiroshima_4
譜例4 第1楽章「アンダンテ・グラーヴェ(おごそかに)」12分58秒(midi

Hiroshima_5
譜例5 第2楽章(midi

Hiroshima_6
譜例6 第2楽章「アンダンテ・センプリーチェ(素朴なアンダンテ)トラック2の3分15秒(midi

Hiroshima_7
譜例7 第2楽章「パティメント(苦悩)」10分27秒(midi

Hiroshima_8
譜例8 第2楽章「アレグロ・フェローチェ(凶暴なアレグロ)12分53秒(midi

Hiroshima_9
譜例9 第2楽章 27分13秒(midi

以上の譜例は、交響曲第1番《HIROSHIMA》リーフレットより

--

新垣隆作曲 交響曲第1番《HIROSHIMA》は下記のとおり、「広島」とは何の関係もない。したがって、それを前提に、私はこの作品の感想文を書く。

「交響曲第1番《HIROSHIMA》」は、最初「現代典礼」というタイトルで作曲者(新垣隆)が書いたものを、数年後に佐村河内が「HIROSHIMA」と名づけた。(ウィキペディアより)

結論から言えば、新垣隆作曲 交響曲第1番《HIROSHIMA》は魅力ない作品だと思う。何度も聞いていると、吐き気がしてくる。

・第1楽章
このアルバムは、大音量で聴くと、オケも指揮も熱演しているので迫力ある・・・音もいい(セッション録音)。

序奏は「嬰ヘ」のオスティナートで重々しく開始される。序奏における低い弦の持続音は、R.シュトラウスの《ツァラトストラ》を思わせるかも知れない。それは、リスナーに期待を抱かせる。第1楽章の序奏は悪くない。
オケのクラスターっぽい音で序奏が終わり、第1主題へ。

この交響曲の欠陥は「耳に残る音型、動機、主題、旋律がないこと」と言っていいと思う。それを示すために私は上に譜例を示した。しかし、読者の皆さんの中には、上記の「音」が、「面白そう」に聞こえる人があるかも知れない(midi をクリックすると音が出ます)。そして、それらの音型、動機、主題、旋律から、素晴らしい交響曲を「連想」するかも知れない。また、このアルバムをすでに持っている皆さんは、この交響曲において、上記の譜例の音たちが、巧みに展開されていることに好感を持つかも知れない。この交響曲の特徴は、多数の、シンプルなモチーフたちがそつがなくまとめられていることであり、リスナーはそのことに好感を持つかも知れない(新垣氏の対位法に対して・・・)。だが、その好感は、あなたがこの作品を聴けば聴くほど「吐き気」へと変わっていくだろう。

この交響曲に限って言えば、新垣氏はメロディーメイカーとしての素質、資質に欠けると思う。

勿論、世の中にはメロディアスな交響曲もあれば(例えばマーラーで言えば歌曲・歌謡に基づく交響曲や第5番のアダージェット)、メロディアスでない交響曲もある(マーラー6、7番は比較的メロディアスじゃないと思う)。しかし、世に残る交響曲は必ず、私たちの耳に「像」を残す・・・それは例えば、世に残る「名画」が、私たちの目に焼き付くように、である。しかし、新垣隆作曲「交響曲第1番」には、そのような「像」がない。

新垣氏の交響曲第1番において、私の主観では、上記の譜例4は、ストラヴィンスキーの「火の鳥」を思わせる。しかし、この交響曲において、「譜例4」は「面白い旋律や新しいサウンド」に発展しない。さらに・・・例えば、R.シュトラウスの場合・・・彼のジャンルは交響曲ではなく主に交響詩だが・・・R.シュトラウスの交響詩の像は、耳に残ると同時に、詩的・物語的・文学的意味を持つ。

新垣氏の交響曲第1番は標題やライトモチーフを持たない。したがって、詩的・物語的・文学的意味や素材を持たない。彼は、詩的なものやストーリーを排し、音楽の構造や論理だけで勝負している(言葉は適切でないが「絶対音楽」の構造や論理)。ところが、彼の交響曲第1番は、論理的に稚拙である。

21世紀の交響曲というのはどうあるべきか?
特に長大な交響曲を書くのは、今日、難しいのか?

「長大な交響曲を書くためには、3つの主題を持つ(第1〜3主題を持つ)ソナタ形式を用いてもいいんじゃないか」

と、私が言えば、あなたは、

「それは古い」

と、言うだろう。しかし、それなら、私は、あなたに、

「3つの主題を持つソナタ形式に取って代わる形式と美が欲しい」

と、言うだろう。

今日の交響曲の像と理論と形式と美と・・・それらについて、考える時、新垣氏の交響曲第1番は役に立たない。私は「アイヴズの交響曲のほうが良い。聴きたい!」と、この交響曲を聴きながら思った。

ただし、私は、池辺晋一郎の交響曲やその他の日本の作曲家の交響曲を聴いたことないので、私の考えと主張は、的を射てないかも知れない。

第1楽章、再現部前の15分50秒あたりにてオケがクラスターっぽい音を出す。そのあと、盛り上がる。そこは悪くない。17分10秒あたりで、再現部に行く。再現部は悪くない。
「再現部前〜再現部〜第1楽章の終わり」は、悪くない。最後は、持続音「ハ音」で閉められる(詳しくは下記リーフレットをご参照ください)。

・第2楽章
第2楽章は演奏時間34分もある長大な楽章。ホルンの短い導入のあと、譜例5が奏される。それは、ショスタコーヴィチ第7交響曲の第2楽章を思わせる(それもまたリスナーに期待を抱かせるのだが・・・)。
この交響曲は、第1楽章が、第2、3楽章の「序」ではないかと思われるぐらい、第1楽章において、ほとんどの素材が提示され、それが他の楽章にて再現される。
この長い第2楽章は、音楽、または、楽想が《だらだらして、弛緩して、リスナーを退屈させそうになると、「どこかで聞いたことあるような親しみやすい楽想」が始まり、ある種のノスタルジー(ワーグナーや19世紀末から20世紀の交響曲)に「逃げている」》ような気がする。または、《現代の作曲家ペンデレツキの「調性音楽」と「強烈で効果的響き」が借用され挿入される》。そうして、新垣氏は、自らの不完全、稚拙、未熟、非論理性を包み隠そうとしている。新垣氏の努力は虚しい。この長大な楽章に、ブルックナー第8番の第3楽章の美しさは見当たらない・・・というか・・・そもそも新垣氏のこの交響曲とブルックナーの8番を比べることに意味がない。
第2楽章において、23分00秒に出てくるコラール(譜例8)のあとは、なくても良い(削除しても良い)。
ついでに言えば、この交響曲には、「レリジョーソ」(譜例3)、そして、その他にも、宗教音楽のケーデンス(宗教曲の終止形。例えば、モンテヴェルディ、グレゴリオ聖歌の和声を思わせる)がある。一方、この交響曲は「調性のあやふやさ(ある種の無調性)」を持つ。しかし、両者は、「両立していない」と思える。つまり、新垣氏が、両者を用いたのは不自然に思える。上記の宗教的和声は「神聖にして犯すべからざるもの」を「顕示」しているだけに聞こえる。

・第3楽章
「欽ちゃんのどこまでやるの!?」を好きな人でも、このどんちゃん騒ぎは好きになれないだろう。
冒頭は激しく始まる。いまさら、そんなことしても無駄。
言うのが遅れたが、この交響曲の第1、2楽章は地味だ。第3楽章だけ派手に盛り上げても、つながらない(私の主観では、この交響曲には3つの楽章に起承転結がない。悪い意味で恣意的。不自然。不必然)。
そして、またも繰り返しばっかり・・・それは過去における巨匠たちの交響曲の「屍」に聞こえる。
環境にやさしいリサイクルの楽章。すなわち、この楽章もまた、使い回しの手法で書かれている。最終楽章で、かくも無意味に、前の楽章の旋律や主題を繰り返す作品を、私は初めて聴いた。
12分25秒あたりで、センチメンタルな、親しみやすい旋律が鳴るが、それもノスタルジーにしか聞こえない。

第3楽章の冒頭の「ターン・ターン・タタタ」はベートーヴェンの運命の動機を逆にしたもの?
1分58秒のトランペットは、最後の審判のラッパか?
「ターン・タタタ」と「最後の審判」は、適切というより、私には、やっぱり「わざとらしい」。

【まとめ】

この作品は、桐朋学園出身の新垣氏が卒業制作に作った交響曲を転用したか、書き直したのではなかろうか。
それは、新しくもなければ、昔の巨匠たちへのオマージュでもない・・・それは新垣氏の習作をリサイクルしたものだ。

【2014−3−31 追加】

大事なこと書き忘れてました。
この交響曲には、ブルックナーやマーラーなどの巨匠たちが書いた長大な交響曲が持つエクスタシーがない。

【参考】

Samuragochi_hiroshima_0_3

「佐村河内守:交響曲第1番《HIROSHIMA》」のリーフレットより(著作権者:長木誠司、2011 NIPPON COLUMBIA CO., LTD. )

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2014年2月11日 (火)

【じぇじぇじぇ〜あっと驚く】佐村河内守作曲「鎮魂のソナタ」(2)

Samuragochi

佐村河内守作曲「鎮魂のソナタ」 ソン・ヨルム(2CD)

【収録情報】
Disc1
佐村河内 守:
・ドレンテ〜子どものために〜
・ピアノ・ソナタ第1番

Disc2
・ピアノ・ソナタ第2番

ソン・ヨルム(ピアノ)

録音時期:2013年7月15-18日
録音場所:富山県、新川文化ホール
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

==

私は、クラシック音楽は高尚な音楽だとは思っていない。
すべての音楽は、平等だ。
音楽は慰めであり、人に安らぎや喜びを与える。
音楽は、趣味であり、人の楽しみである。そして、私にとって、音楽は「生きる糧」と言ってもいい。
佐村河内守氏は、音楽を冒涜した。そして罪を犯した。
彼がやったことは、
日本全国の障害者が、不正をしているのではないかと、疑われることにつながる
許せない罪だ。
彼は、死ぬまでその罪を負い償わなければならない!

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2014年2月10日 (月)

【じぇじぇじぇ〜あっと驚く】佐村河内守作曲「鎮魂のソナタ」(1)

Samuragochi

佐村河内守作曲「鎮魂のソナタ」 ソン・ヨルム(2CD)

【収録情報】
Disc1
佐村河内守:
・ドレンテ〜子どものために〜
・ピアノ・ソナタ第1番

Disc2
・ピアノ・ソナタ第2番

ソン・ヨルム(ピアノ)

録音時期:2013年7月15-18日
録音場所:富山県、新川文化ホール
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

このアルバムは、本当に、ソン・ヨルムが熱演していると思う。ソン・ヨルムは作曲者の意図を読み取るのがうまいと感じさせる。

1曲目の佐村河内守作曲「ドレンテ」は、親しみやすく美しい主題を持つ3部形式。5分足らずの小曲であるが、中間部、静から動(アルペジオで始まる)への鮮やかさ!(DENON の録音技術は優秀)

2曲目の佐村河内守作曲「ピアノ・ソナタ第1番」は(超絶)技巧的であり、作曲技法に優れ、無調性と調性をうまくミックスした作品だと思う。この作品は、論理的な構造を持ち、リーフレットの楽曲解説によると全曲を通して統一した主題(?)を持つ(下記画像参照)。技法と音色はフランツ・リストを思わせる。正直言って、この作品は私の好みに合う。
佐村河内守作曲「ピアノ・ソナタ第1番」は、複雑で難解だが、聴いていて気持ち良いし、大音量で聴くと良きフラストレーション解消になる。そういう意味でリスナーの期待を裏切らない作品だと思う。
佐村河内守作曲「ピアノ・ソナタ第1番」は、細かいところにこだわれば「傷」がない訳ではないし、若干「受け」を狙っている・・・と言ってもいいかも知れん・・・が、佐村河内守作曲「ピアノ・ソナタ第1番」はピアノの技巧が生かされている・・・その意味で、佐村河内守作曲「ピアノ・ソナタ第1番」は「名曲」かも知れない。

第1楽章
ソナタ形式。11分30秒。いかめしい開始はニ短調で「ラ」の音がオクターブユニゾンを2度鳴らす。
難解できわめて激しい部分と、静かな部分、親しみやすく美しい叙情性が、華麗な技巧(装飾的パッセージ、スケールなど)によってうまくミックスされている。そして、それらは心地よく、また形式的に美しく展開される・・・と言っていいと思う。

第2楽章+ブリッジ
14分あまり。
野本由起夫の楽曲解説によると、第2楽章は「特定の形式を当てはめて考えることはできない」とあるが、大まかにいうと3部形式だと思う。第1楽章とは対照的に静かな開始。中間部にて爆発(同音反復がキース・エマーソンを思わせる)。楽章の後半は静けさのあと、また激しくなり、わずか3小節の「ブリッジ」が第3楽章への「つなぎの部分」であり、それは《HIROSHIMA》の「運命の動機」から引用されている。

第3楽章
10分あまりの楽章。
激しいトッカータのフガートで開始、しかも、そのフガートは、しばし継続される。同音反復、厚い和音、強烈な下降音型などの激しい楽想を経て、4分30秒あたりで冒頭のフガートが再現される。第3楽章の最後の部分は、調性を取り戻しつつ、美しさと平安と不安が入り交じった静けさのうちに作品全体を閉めている。

ソナタ第1番は、総じてソン・ヨルムの超絶技巧が冴えている。しかも、彼女の作品に対する解釈はほぼ完璧に聞こえる。
この作品は、クラシック音楽の「現代曲入門」に適していると思えるのだが・・・。

3曲目の佐村河内守作曲「ピアノ・ソナタ第2番」は、調性を持つ普通の作品。テーマが「鎮魂」なので難解さを避けたのだろう。

第1楽章
ソナタ形式。多分、イ短調。
マエストーソ〜アンダンテ〜アレグロ・アパッショナートで始まる、17分あまりの楽章。
いかめしい開始(マエストーソ)〜アンダンテの「レクイエム」の主題は美しいアルマンド。その旋律から、次第に曲が盛り上がる。展開部「レクイエム」の主題を再現、展開。音楽が頂点に行ったところで再現部開始「レクイエム」の主題拡大形。「レクイエム」の主題の変奏。第1楽章は、終始、「レクイエム」の主題が用いられている。コーダも、その再現で終わる。

第2楽章
110小節の比較的短い楽章(8分足らず)。レチタチーヴォ風。これもバッハ風。激しい楽想と美しい旋律の対比。「レクイエム」の主題も用いられている。アタッカで、激しい第3楽章へ。

第3楽章
ソナタ形式。約17分。激しく技巧的な開始。ショパン風。次第に音楽が静まり「レクイエム」主題が現れる。「レクイエム」の主題の回想(ぱっとしない3声フーガ)が多い点は第1楽章に似ていて、作品全体を閉めるには弱い。

この作品は、バッハやショパン、その後のロマン派を取り入れた・・・というより真似した・・・というよりごちゃまぜにした寄せ鍋のようだ。あくまで「レクイエム」の主題を生かすための作品であり、それを多用しすぎているし、仰仰しい。受けを狙ってる。
作曲技法に走った冗漫で安易な作品に聞こえる。

【参考】

Samuragochi_0

「佐村河内守:鎮魂のソナタ」のリーフレットより(著作権者:野本由起夫、2013 NIPPON COLUMBIA CO., LTD. )

2014年2月 8日 (土)

【じぇじぇじぇ〜あっと驚く】佐村河内守作曲「鎮魂のソナタ」(前書き)

Samuragochi

佐村河内守作曲「鎮魂のソナタ」 ソン・ヨルム(2CD)

【収録情報】
Disc1
佐村河内 守:
・ドレンテ〜子どものために〜
・ピアノ・ソナタ第1番

Disc2
・ピアノ・ソナタ第2番

ソン・ヨルム(ピアノ)

録音時期:2013年7月15-18日
録音場所:富山県、新川文化ホール
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

私は、去年(2013年)の12月に上記アルバムを購入。購入の理由は、第一にこのアルバムに収められている「ピアノ・ソナタ第2番」が「東日本大震災の犠牲者への鎮魂」であること(私は、そういう作品をクラシック音楽の作曲家に書いてもらいたいと、過去に思っていた。2011年10月 8日 スティーヴ・ライヒの「WTC 9/11」の記事を参照して下さい)。
第二に、佐村河内守氏が耳の不自由な作曲家であること、このアルバムに収められた作品は彼が彼の障害を乗り越えて書いた作品であること。しかも、それらの作品が優秀な作品であると評価されていること。

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購入後、2回ほど、上記アルバムを聴いたが、作品としては私の嗜好に合わないものの、決して悪い作品ではなかったので(特に、ソン・ヨルムの演奏は良いと思ったので)、いずれ、同アルバムを聴き込んで、その感想文をこのブログに書こうと思っていた。

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佐村河内スキャンダルが、2014年2月5日に発覚したいま、私は、その意味について考えたい。なぜなら、佐村河内氏のやったことは私たちへの裏切りだからである。
私は三度の飯よりクラシック音楽を聴くのが好きなクラシック音楽愛好者・・・そして、世の多くのクラシック音楽を愛する者たち・・・すべてのクラシック音楽愛好者への裏切り!

【参考】

佐村河内守プロフィール

さむらごうち まもる。1963年9月21日、被爆二世として広島に生まれる。幼少より、ピアノ、ヴァイオリン、尺八、マリンバなどの英才教育を受けて育ち、十歳の頃より作曲家を志すも、破綻的なまでの完璧主義とロマン派的クラシック音楽志向から、音大に進まず独学による作曲法の完全習得を決意。高校時代より凄まじい偏頭痛を患うようになり、生活に支障をきたしながらも東京へと居を移して研鑽を重ねる。ある経緯から一時ロック歌手としてデビューすることが決まるが、直前に弟・亨が交通事故に巻き込まれて死去。悲報を聞き『頭に、身も心も引き裂くような不協和音が響いた』というその衝撃を契機に偏頭痛の発作が悪化し、ついには聴力にまで影響を及ぼし始める。その頃より不協和音を使った現代音楽的要素が作品に入る。耳の不自由な作曲家という話題性が作品の評価に影響することを嫌い、補聴器の使用を隠すため長髪にするなど、しばらくは聴力の低下を隠した困難な生活が続く中、映画『秋桜』、ゲーム『バイオハザード』等の音楽を手掛ける。しかしながら聴力障害は悪化の一途を辿り、1998年、35歳の時、ゲーム『鬼武者』の音楽に着手する直前に完全に聴力を失い全聾となった。
 音楽家にとって致命的な障害を負うのみならず、以降慢性的な極度の頭鳴症に悩まされることとなるも、絶対音感による記譜のみで作曲を続けることを決意。1999年に『鬼武者』交響曲《ライジング・サン》を完成する。邦楽器を取り入れた奏者200人の大編成オーケストラ曲は国内外に高く評価され、米TIME誌に『現代のベートーヴェン』の見出しとともに紹介される等、その存在が一躍注目を集める。その頃より、障害児施設に通い子供たちとの交流を持つようになった。しかし、その時期から更に激化した頭鳴症が心身を蝕み、血反吐と尿にまみれた生活を送るようになる。2001年、それまで20年近くかけて書き上げてきた12番まであった交響曲を全て破棄し、全聾以降あえて一から新たに交響曲第一番『HIROSHIMA』の作曲を開始、2003年ついに完成させた。
 その後、精神障害の緩和治療を受けながら、発作を誘発する日光を避けて暗い作曲部屋での隠遁者的な創作活動に邁進。2008年9月1日、完成後5年以上日の目をみなかった大曲『交響曲第一番』が広島でのG8議長サミット記念コンサートにて遂に初演。調性と無調性が融合した同曲は驚嘆を呼び、初演の模様が『筑紫哲也のNEWS23』において取り上げられたことを機に佐村河内の存在と楽曲は再度衆目を集めることに。2008年11月、広島市民賞を受賞。
 著書に自伝『交響曲第一番』(講談社)があり、作家の五木寛之氏が『もし、現代に天才と呼べる芸術家がいるとすれば、その一人はまちがいなく佐村河内守さんだろう。命をすりへらしながら創るその音楽は、私の乾いた心を打たずにはおかない』との言葉を寄せている。孤高を旨とし、私生活では日本の各地で障害児や難病の子供たちとの深い交流を続ける。自作を聴く事ができない宿命を『作曲とは完全に他社の為の行為』と表し『苦しむ者への救い=光は、苦しみ=闇からこそ産まれる』という信念から、自身の音楽を『闇の音』と表現している。
2013年12月27日 HMV.co.jp より

『ライジング・サン』完成後、自らの「聴覚障害」(ボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が 常に頭に鳴り響くという)を初めて「公表」。長らく聴覚障害を隠していた理由については「耳の不自由な作曲家の作品には、同情票がつくであろうこと。それだけはどうしても避けたかったのです」「『聴覚障害を売り物にした』という誤解も避けられないだろう」[3]と説明した。ウィキペディアより

私は、上の文章を読んだ上で、彼の作品を購入したのだった。(つづく)

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