2011年9月16日 (金)

ルカ・フランチェスコーニ作曲「Let me Bleed (2001)」「呵責の地 Terre del Rimorso (2000)」

Let_me__bleed

Luca Francesconi
Let me Bleed (2001) per Coro misto [23' 34]
quasi un Requiem per Carlo Giuliani
a production of the Swedish Radio / Berwaldhallen
Terre del Rimorso (2000) per Soli Coro e Orchestra [41' 31]
a production of the Südwestrundfunk (2001)
live recording
Swedish Radio Choir
Andreas Hanson, conductor
Radio - Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
SWR Vokalensemble Stuttgart
Peter Eötvös, conductor
Hans Kalafusz, violino solo
Françoise Kubler, soprano
Luciano Roman, voce recitante
Recording: 2003 / 2001
stradivarius

これは、2曲目の「呵責の地 Terre del Rimorso (2000)」におけるペーテル・エトヴェシュの指揮が良い。

無伴奏合唱曲「Let me Bleed (2001)」について
カルロ・ジュリアーニ(Carlo Giuliani 1978 - 2001)は、2001 年 7 月、イタリア、ジェノヴァで行われた先進国首脳会議に反対するデモに参加していたとき、「国家治安警察隊(カラビニエリ)」によって撃ち殺された。「Let me Bleed」は、カルロ・ジュリアーニのために書かれたレクイエムである。題材は、Attilio Bertolucci の Lasciami sanguinare という詩である。しかし、この詩はもともと、ジュリアーニの死とは関係がない。したがってその詩にも曲にもプロステストの意味はない。Lasciami sanguinare という詩は難解であり私はその良さが分らない。同様に、フランチェスコーニの「Let me Bleed」にも哀しみや痛切さより難解さを感じる。確かにこの音楽は哀しく悲痛だ。だが、詩・音楽が難しすぎると思う。

「呵責の地(Terre del Rimorso)」は、タランチュラ伝説(タランティズム)とエウリピデスの悲劇《バッコスの信女》を題材にした作品。これは、狂乱、狂気(集団催眠およびそれによるカタルシス)を題材にした作品だと思う。タランチュラに刺されたときその毒を抜くために踊りつづけなければならないという「タランテラの狂乱の踊り」は日本人には連想しにくい現象だと思ったが、そういえば、幕末の「ええじゃないか」はタランテラに似たある種の狂乱の踊りだったのではないかと思った。《バッコスの信女》については、ウィキペディアのペンテウスアガウエーおよびマイナス (ギリシア神話)を参照のこと。

マイナスは「わめきたてる者」を語源とし、狂暴で理性を失った女性として知られる。彼女らの信奉するディオニューソスはギリシア神話のワインと泥酔の神である。ディオニューソスの神秘によって、恍惚とした熱狂状態に陥った女性が、暴力、流血、性交、中毒、身体の切断に及んだ。彼女らは通常、キヅタ(常春藤)でできた冠をかぶり、子鹿の皮をまとい、テュルソス(en:thyrsus)を持ち運んでいる姿で描かれる。そこで未開時代に見合った粗野で奔放な踊りを踊る。

エウリピデースの悲劇、《バッコスの信女》の中で、テーバイのマイナデスが自分を崇拝しないということで、ペンテウスがディオニューソス崇拝を禁じた所、マイナデスに殺されてしまった。ディオニューソスはペンテウスの従兄弟だったのだが、彼をマイナデスの待つ森に誘き寄せた。そこでマイナデスはペンテウスを切り裂き、バラバラにした。マイナデスの中には母親アガウエーもまじっており、彼女がわが子の首を切り落とす場面がクライマックスである(その首はライオンのものと信じられていた)。マイナス (ギリシア神話)より

「呵責の地」は、バッコスの信女の狂乱と、タランチュラに刺された時に踊る女の狂乱を重ねている。以下、私の英語学力の限界の範囲で、ブックレットに載っているフランチェスコーニ自身の解説より。

「呵責の地」はストーリーが並行している。ひとつは、南イタリアに伝承されるタランティズムに基づく。それは、偉大な人類学者 Ernesto de Martino の大著に記述されている。この作品「呵責の地」は彼に献呈された。もうひとつは、ディオニソスが関係する。ディオニソスは作品が進行するなかで、最初は背景に、そして次第に前面に出る。ここに登場する「ディオニソス」は、エウリピデスの悲劇《バッコスの信女》のテキストである。

この作品のテキストは、Ernesto de Martino、アイスキュロスのプロメテウス、Ignazio Buttitta、Garcia Lorca の断片およびエウリピデスの悲劇《バッコスの信女》からなる。それらが絡み合い、大音量によって激しい狂乱になる。そして、それは「ダンス」においてクライマックスに達する(28' 15)。この「ダンス」は短いが、ストラヴィンスキーの春の祭典のダンスミュージックの迫力を持つ。その後は、ナレーターによって、エウリピデスの《バッコスの信女》のテキストが早口で語られる。それは物語を終わらせるためだけに語られるのではないかと思われるような早口だ。

まとめ
「呵責の地」は、オペラ、オラトリオ、音楽劇、声楽付交響曲のいずれでもなく、そのため、形式的に雑然としていてまとまりがないと思う(型にはまらない良さもないと思う)。フランチェスコーニは、この作品を定義していない(つまり彼は「per Soli Coro e Orchestra」としか書いてない)。この作品は何なんだ? 私が思うに、上にも書いたように、狂乱、狂気、集団催眠およびそれによるカタルシスを、非常に激しい音楽と、すごい大音響によってリスナーに体験させる音楽なのだろう。ペーテル・エトヴェシュは、そういう大編成の大曲がうまい。エトヴェシュはこの作品の欠点をカバーしていると思う。また、シュトゥットガルト放送交響楽団はジンマン指揮でベートーヴェンおよびマーラー交響曲全集を録音した実績を持つ。この演奏は指揮とオケと合唱に魅力があると思う。

追加
「呵責の地」
Hans Kalafusz(ヴァイオリン・ソロ)
Françoise Kubler(ソプラノ)
Luciano Roman(語り)
はうまい。

2011年9月 2日 (金)

スザンナ・マルッキ指揮 ルカ・フランチェスコーニ作曲『エティモ』 ほか

Etymo

ルカ・フランチェスコーニ Luca Francesconi (*1956 )
エティモ Etymo (1994) For soprano, electronics and ensemble [25' 23]
ダ・カーポ Da Capo (1985-86) For 9 instruments [14' 20]
炎に、スタジオの思い出第4番 A fuoco, 4°studio sulla memoria (1995) For guitar and ensemble [14' 41]
アニムス Animus (1995) For trombone and electronics [14' 44]
Barbara Hannigan, soprano
Pablo Márquez, guitar
Benny Sluchin, trombone
IRCAM Ensemble intercontemporain
Susanna Mälkki, conductor
Recording: 2006 / 2007
Co - production IRCAM Ensemble intercontemporain KAIROS Production 2008

【HMV へのリンク】
ルカ・フランチェスコーニ:作品集 マルッキ&アンサンブル・アンテルコンタンポラン
これは、SACD ではない(少なくとも私が持っているのは、SACD ではない)。

最初に晒してしまうが、私は現代音楽が苦手である。

これは、フランチェスコーニの代表作集らしい。
このアルバムにおいて全体的に、マルッキの指揮は、マーラー歌曲集でも指摘したように、少し粗く、大味だと思う。
フランチェスコーニが、IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)にゆかりがある人ならば、このアルバムは、IRCAM との共同制作なので、作曲者のお墨付きの録音なのかも知れない。

1曲目、私はフランス語がわからないので、Barbara Hannigan の歌唱がうまいのかどうか分らない。3曲目、Pablo Márquez のフラメンコ・ギター (?) はうまいと思うが、なんと言っても、4曲目、Benny Sluchin のトロンボーンがすごい。このアルバムの中では、大音量で聴いて気持ちがいいのは、この第4曲目である。この曲は、ほとんど、トロンボーン独奏と電子音だけからなる曲なので、マルッキが指揮しているかどうかは疑問だ。しかしながら、このアルバムがスザンナ・マルッキの統率のもと制作されたアルバムであるとすれば、その意味で彼女は演奏家を仕切るのが得意な人だと思う。

私はフランス語は読めないが、ボードレールの「悪の華」は阿部良雄訳 ちくま文庫が一番いいと思う。以下に、同書から無断で訳を引用させてもらっているので、そのお礼として阿部良雄訳を大いに宣伝させて頂く。阿部良雄訳は、語順など原文に忠実である。そして、「悪の華」が比較的わかりやすいフランス語で書かれてあるらしいことについても阿部良雄訳は忠実であり、原文の明瞭さを損なっていないようだ。意味を読み取れない「悪の華」はだめだ。阿部良雄訳は意味を読み取れる。阿部良雄訳は、意味とニュアンスが頭の中にストンと、またはスーッと入って来る。そして、脚注が素晴らしい。






Luca Francesconi (*1956 )
Etymo (1994)

Dites, qu'avez-vous vu ?

Charles Baudelaire: Les Fleurs du Mal; Le Voyage III.

Souvent, pour s'amuser, les hommes d'équipage
Prennent des albatros, vastes oiseaux des mers,
Qui suivent, indolents compagnons de voyage,
Le navire glissant sur les gouffres amers.

Charles Baudelaire: Les Fleurs du Mal; L'Albatros

même dans nos sommeils
La Curiosité nous tourmente et nous roule,
Comme un Ange cruel qui fouette des soleils.

(Dont) le mirage rend le gouffre plus amer ?

Charles Baudelaire: Les Fleurs du Mal; Le Voyage II.

étonnants voyageurs !

Faites, pour égayer l'ennui de nos prisons,
Passer sur nos esprits, tendus comme une toile,
Vos souvenirs avec leurs cadres d'horizons.

Dites, qu'avez-vous vu ?

« Nous avons vu des astres
Et des flots ; nous avons vu des sables aussi ;

La gloire du soleil sur la mer violette,
La gloire des cités dans le soleil couchant,

Les plus riches cités, les plus grands paysages,
Jamais ne contenaient l'attrait mystérieux 、
De ceux que le hasard fait avec les nuages.

Charles Baudelaire: Les Fleurs du Mal; Le Voyage III.

Et puis, et puis encore ?

Charles Baudelaire: Les Fleurs du Mal; Le Voyage V.

Pour ne pas oublier la chose capitale,
Nous avons vu

La femme, esclave vile, orgueilleuse et stupide,
L'homme
Esclave de l'esclave

Le bourreau qui jouit, le martyr qui sanglote ;
La fête qu'assaisonne et parfume le sang ;
Le poison du pouvoir énervant le despote,
Et le peuple amoureux du fouet abrutissant ;

Et les moins sots, hardis amants de la Démence,
- Tel est du globe entier l'éternel bulletin. »

Charles Baudelaire: Les Fleurs du Mal; Le Voyage VI.

Il est temps !

Ce pays nous ennuie, ô Mort !

ce feu nous brûle le cerveau,
au fond du gouffre,
l'Inconnu nouveau !

Charles Baudelaire: Les Fleurs du Mal; Le Voyage VIII.

ルカ・フランチェスコーニ (*1956 )
エティモ (1994)

語れ、御身らは何を見たか?

悪の華 旅 III より

船乗りたちがしばしば、遊び半分、
生けどりにするあほう鳥は、巨大な海の鳥類、
旅の気ままな道づれとなって、
苦い淵の上をすべる船についてくるやつだ。

悪の華 あほう鳥 より

睡眠の間さえ
<好奇心>は私たちを責めさいなんで、ころがす、
恒星たちを鞭打つ、残酷な<天使>のように。

その蜃気楼のせいで深淵が一段と苦くなる男を?

悪の華 旅 II より

驚くべき旅人たちよ!

お願いだ、われらの牢獄の倦怠(アンニュイ)をまぎらすため、
画布(カンヴァス)のようにぴんと張られたわれらの精神の上に、
地平線を額縁にした御身らの思い出の数々を過(よぎ)らしめよ。

語れ、御身らは何を見たか?

「われわれは見た、星を、
波を。われわれはまた、砂をも見た。

紫いろの海の上の、太陽の光輝や、
沈みゆく陽を浴びた都市の光輝が、

この上もなく豪奢な都市、この上もなく壮大な風景も、
偶然が雲をもって作り上げる風景の、
あの不思議な魅力をふくむことは決してなく、

悪の華 旅 III より

そしてそれから、それからまた?

悪の華 旅 V より

肝心要(かなめ)の事柄を、忘れずにいっておくが、
われわれは、いたる所で見た、

高慢で愚鈍な、卑しい奴隷である女は、
男といえば、
奴隷のそのまた奴隷、

楽しんでいる刑吏、嗚咽(おえつ)する殉教者。
流れる血が風味と香りをそそる祝宴。
権力の毒がまわって惰弱になった専制君主、
そして、おのれを阿呆にする鞭に惚れこんだ民衆。

愚かさの度の最も低い者たちは、大胆にも<錯乱>の恋人となり、
- こんなところが、地球全体の、変わりばえせぬ報告書だ。」

悪の華 旅 VI より

時は来た!

この国はわれらを退屈させる、おお<死>よ!

さほどこの火が激しく脳髄を焼くがゆえ、
深淵の底へ跳びこむこと、
<未知なるもの>の奥底深く、新しきものを探ること!

悪の華 旅 VIII より
(阿部良雄訳 悪の華 ちくま文庫より)







« Au moral comme au physique, J'ai toujours eu la sensation du gouffre, non seulement du gouffre du sommeil, mais du gouffre de l'action, du rêve, du souvenir, du désir, du regret du remords, du beau, du nombre, etc. J.ai cultivé mon hystérie avec jouissance et terreur. Maintenant J'ai toujours le vertige et aujourd'hui, [23 janvier 1862]*, J'ai subi un singulier avertissement, J'ai senti passer sur moi le vent de l'aile l'imbécillité. »

* Remplacé par la date du concert. *

Charles Baudelaire: Carnets intimes

心身ともに、私はいつも深淵を感じていた。それは、眠りに落ちる深淵だけでなく、行為、夢、記憶、欲望、後悔、悔恨、美、その他、数々のものへの深淵であった。私は私の狂気を楽しみと驚きとともに栽培した。私はいま、めまいがして、今日[1862年1月23日*]私は奇異な警告を得た。すなわち、私は発狂の前触れを感じたのである

* ここを、コンサートの日付に変える

シャルル・ボードレール「手記」より


大野和士指揮 ルカ・フランチェスコーニ作曲 歌劇『バッラータ』(2)

http://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-fb9c.html の続き】

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Ballata

Luca Francesconi (*1956 )
Ballata (1996 - 1999)
Opera in due atti
Libretto di Umberto Fiori
dalla Rime of the Ancient Mariner di S. T. Coleridge
Ancient Mariner: Marco Beasley
Young Mariner: Anders Larsson
Life in Death: Ildiko Komlosi
Death: Eberhard Francesco Lorenz
Steerman: Woo - Kyung Kim
Page / Third wedding guest: Laure Delcampe
First wedding guest: Donal J. Byrne
Second wedding guest: Stephan Loges
Moon: Susanne Schimmack
First Siren: Silvia Weiss
Orchestre Symphonique et Choeurs de La Monnaie
Conductor: Kazushi Ono
Computer misic: IRCAM - Centre Pompidou, Paris
A co-production with Oper Leipzig
Première 29 Octobre 2002
La Monnaie, Bruxelles
Live recording
STRADIVARIUS

ルカ・フランチェスコーニ作曲
歌劇『バッラータ』
大野和士指揮
ベルギー王立歌劇場(モネ劇場)

このオペラは、第1幕は劇的効果に乏しく面白くない。

第1幕はストーリーの進行が遅く、漫然としていて、だらだらしている(出港、北半球から南半球への航海、南極海で船が氷に捕まる。アホウドリの出現により危機を脱する。老水夫がアホウドリを殺す。船が無風によって動かなくなる)。第1幕は何を歌っているのか分りにくい(もっとも、正確な日本語歌詞対訳がないので、そう聞こえるのかも知れない。ブックレットに載っている英語歌詞対訳は丁寧ではないと思う)。ウンベルト・フィオーリの台本を正確かつ丁寧に日本語に訳したものがあればいいのだが・・・

(どなたか、イタリア語に強い方、私の歌詞対訳の間違いを修正して頂けませんか?)

しかし第1幕の音響は素晴らしい。第1幕への前奏曲は弦のトレモロに乗った高周波数の音で始まる。それはヴァイオリンのフラジオレット、または、木管に聞こえるが、よく聞くと電子音のようである。次いで低い弦のような音が入るがこれも電子音で加工されているようだ。その後、トランペット同音連発がからむ強烈な打楽器がすごい。前奏曲は迫力ある金管で終わる(この前奏曲は高音から低音に移行するという意味でラインの黄金の前奏曲の逆のパターンのようにも聞こえる)。そして、音楽は一旦静かになり、その後、リュートのような弦の音(多分電子音)から、第1場の小姓の歌に入る。

第1場冒頭、小姓を歌う Laure Delcampe は、もっとまともな英語で歌って欲しかった。Laure Delcampe は、ベルギー人のようだが、この人の英語は下手だ。

第1楽章前奏曲開始の高周波音のきらめきは、海の精、青、緑、ビロードの黒い光を放つ海の生き物たち(スライム)、海蛇、月のきらめきなどを表すモチーフなのか、あるいは、海の神秘そのものを表すのか・・・大航海時代の海は神秘的で不気味であるだけでなく、非常に危険な世界だった。その危険な世界を、この前奏曲は表しているのだろうか・・・。このオペラのストーリーの背景には、北半球と南半球、南極海と赤道直下、氷の中の凍えと太陽の中の渇きなど極端な対比が多いが、その広大な世界を、ルカ・フランチェスコーニは、大オーケストラと電子音のミックスによってうまく表していると思う。

歌手の中で私が気に入ったのは、Ildiko Komlosi(死の中の生, Life in Death 役)と Marco Beasley(老水夫役)。あと、Anders Larsson(若い水夫役)、Eberhard Francesco Lorenz(死神役)が気に入った。

老水夫役(語りと歌)の Marco Beasley はオペラ歌手ではないが歌がうまい。ちなみに老水夫と若い水夫は脚本の上で同一人物である。この二つの役は、オペラ全体を概ね交互に、または同時に語り歌う。老水夫は狂言回しの役である。「若い水夫」は老水夫が物語る若い頃の自分である。この二つの人格にはギャップがあり面白い。

このオペラは、第2幕第3場「死(死神)」と「死の中の生」の登場から面白くなる。

正確に言えば、第2幕第3場、「死」が歌うアリア「È ora. Il mio lavoro non può aspettare」から、このオペラはオペラらしくなる。そこから大野の指揮もさらに冴えて来る。そこから音楽もさらによくなると思う。退屈な第1幕からこの第2幕第3場までの緊張感を切らせなかった大野はオペラ指揮がうまいと思う。「死」が歌うこのアリアは約5分のアリアであり、このオペラにおいて唯一のオペラ・アリアらしいアリアである(この悪魔的アリアは、アルバン・ベルクのヴォツェックを思わせる)。このオペラは、基本的に伝統的オペラの形式を持っていると思う。第1幕の終わりは、全員が歌うグランド・コンチェルタート様式をとってるらしい(それは、残念ながらあまりぱっとしない)。第2幕の終わりも全員が歌うフィナーレの形式をとっていると思う。

(話は脱線するが「死(死神)」と「死の中の生」は、サイコロの賭け事をやっているのに、トランプのクイーンとかジャックとかが出てくるのはどういうわけだろうか)

しかし、このオペラの最高の聞き所は第2幕第4場である。そこは「死の中の生」が若い水夫をいたぶる場面であるが、その演奏時間は 25 分に及ぶ。結局、台本作者ウンベルト・フィオーリ及び作曲者ルカ・フランチェスコーニが言いたかったことは、この場面ではないかと思う(この場面は台本作者ウンベルト・フィオーリの創作であり、原作にはない)。YouTube で見ると、その場面の「死の中の生」に性的ニュアンス、エロティックな表現がある。この「死の中の生」は老水夫を死から生へと向かわしめる救済者である。死神がタナトスであるとすれば「死の中の生」はエロスである。

この「死の中の生」は、ワーグナーの「オランダ人」や「タンホイザー」の救済者とは違う。この救済者は女性的なものではあっても自らは死なない。ワーグナーの「オランダ人」や「タンホイザー」においては救済者も救済される者も死んでしまうが、歌劇「バッラータ」においては救済者も救済される者も死なないという点でワーグナーとは違う。その点で、このオペラは現代的であると思う。現代人は自ら命を絶たない限り、なかなか死ねない。現代人は救済者も救済される者も生きなければならない。現代において自己犠牲は自殺に過ぎない。その意味でこのオペラは、ワーグナーに対するアンチテーゼではないかと思う。

このオペラにおいて、救済は明確に示されていない。

原作では、アホウドリが老水夫の首から取れる:






Within the shadow of the ship
I watched their rich attire:,
Blue, glossy green, and velvet black
They coiled and swam; and every track
Was a flash of golden fire.

O happy living things! no tongue
Their beauty might declare:
A spring of love gushed from my heart,
And I blessed them unaware:
Sure my kind saint took pity on me,
And I blessed them unaware.

The self-same moment I could pray;
And from my neck so free
The Albatross fell off, and sank
Like lead into the sea.

小暗い船の影に入ると
海蛇たちは豪華な衣装を見せた。
青に、つややかな緑に、ビロードの黒に、
とぐろを巻いたり泳いだりして通った跡は
どこも金色の光がひらめいて消えた。

ああ幸せな生きものたちよ。どんな言葉も
その美しさを言いつくせはしない。
愛の泉が心から溢れ出し
思わずわしは彼らを讃えた。
情け深い守護聖者の思いやりのなか、
わしは思わず知らず彼らを讃えた。

まさにその時わしは祈ることができた。
すると首からアホウドリが
すらりと落ちて、鉛のように
海のなかへと沈んで行った。
第4部 277 行目 上島建吉訳




このオペラでは、海蛇、ぬるぬるした生き物スライムなど気持ち悪い生き物のきらめきと、夜の象徴である月の光を、老水夫が見ている場面で終わる。しかし、はっきりした救済のしるしはない。最後にささやかれるのは、相変わらず、海の精たちの「Vieni, vieni(おいで)」であり、それはあの世ともこの世とも知れない世界への誘(いざな)いである。サディスティックな「死の中の生」が与えてくれたマゾヒスティックな「Gioia crudele 残酷な喜び」が、老水夫を生に向かわしめる。

そもそも、コールリッジの「老水夫行」においても、このオペラにおいても、なぜ老水夫が吉兆のアホウドリを殺したかは、まったく語られていない。老水夫がアホウドリを殺した行為は、あたかもただの気まぐれのように書かれている(描かれている)。アホウドリを殺めるという老水夫の行為は「さまよえるオランダ人」の神に逆う行為のような明確な意味はないようだ。その点においてこの詩の寓意は不明確だ。老水夫がアホウドリを殺したのが気まぐれであるように、救済もまた気まぐれであるように思える。

【最後に】
この作品もまた、大音量で聴くと非常に気持ちがよい。
そして、この作品は、映像で見てみたい。
ミカエル・ジャレルとルカ・フランチェスコーニが、オペラに向かった理由は、やはりオペラがクラシック音楽の得意とするジャンルであるからだろう。他の現代作曲家も劇音楽に向かうのではないだろうか。

【歌詞対訳】
ルカ・フランチェスコーニ作曲 歌劇『バッラータ』第1幕 歌詞対訳
ルカ・フランチェスコーニ作曲 歌劇『バッラータ』第2幕 歌詞対訳

2011年9月 1日 (木)

大野和士指揮 ルカ・フランチェスコーニ作曲 歌劇『バッラータ』(1)

Ballata

Luca Francesconi (*1956 )
Ballata (1996 - 1999)
Opera in due atti
Libretto di Umberto Fiori
dalla Rime of the Ancient Mariner di S. T. Coleridge
Ancient Mariner: Marco Beasley
Young Mariner: Anders Larsson
Life in Death: Ildiko Komlosi
Death: Eberhard Francesco Lorenz
Steerman: Woo - Kyung Kim
Page / Third wedding guest: Laure Delcampe
First wedding guest: Donal J. Byrne
Second wedding guest: Stephan Loges
Moon: Susanne Schimmack
First Siren: Silvia Weiss
Orchestre Symphonique et Choeurs de La Monnaie
Conductor: Kazushi Ono
Computer misic: IRCAM - Centre Pompidou, Paris
A co-production with Oper Leipzig
Première 29 Octobre 2002
La Monnaie, Bruxelles
Live recording
STRADIVARIUS

ルカ・フランチェスコーニ作曲
歌劇『バッラータ』
大野和士指揮
ベルギー王立歌劇場(モネ劇場)

これは非常に素晴らしいプロダクションだと思う。
録音は、ライヴの割にはよいと思う。

大野和士の指揮がうまい。
歌手は「死の中の生(Life in Death)」を歌う Ildiko Komlosi が私は気に入った。

歌劇『バッラータ』は、サミュエル・テイラー・コールリッジ(1772 - 1834)の叙情詩「老水夫行(Rime of the Ancient Mariner)」をもとにした2幕のオペラである。演奏時間は全2幕で約 140 分である。

サミュエル・テイラー・コールリッジの「老水夫行」は全7部、625 行からなる叙情詩であり、初版は、1798 年、ワーズワースとの合作詩集『抒情詩集(Lyrical Ballads)』に収められた。「老水夫行」は、19 世紀ロマン主義の先駆けと言われるコールリッジの神秘的で怪奇な詩であるが、文体が rime(rhyme, 押韻詩)であり、内容も表向きはキリスト教をテーマにした擬古的な詩である。ベートーヴェンとほぼ同時代の人であるサミュエル・テイラー・コールリッジは、この叙情詩の出版年 1798 年がまだロマン主義全盛時代の前であったことから、この怪奇で神秘的な叙情詩を、擬古主義と宗教のベールでおおったのだと思う。しかし、そのことは、むしろ、この叙情詩に「読者による作品の解釈の自由」を与え、現代作曲家が取り上げたくなる性格を与えたと思う。つまり、この叙情詩の魅力の一つは、この詩のテーマをつかみにくいことと、何を言いたいのか分らないことにあると私は思う。






To walk together to the kirk,
And all together pray,
While each to his great Father bends,
Old men, and babes, and loving friends
And youths and maidens gay!
教会に一緒に行って
みんな一緒にお祈りをする、
それぞれが父なる神に頭を垂れるのじゃ、
年寄りも、赤児も、心温かい友も、
若者たちも、陽気な乙女たちも。
第7部 605 行目 上島建吉訳







He prayeth best, who loveth best
All things both great and small;
For the dear God who loveth us,
He made and loveth all.
大きなもの、小さなもの、すべてのものを
最もよく愛する者が最もよく祈るのじゃ。
わしらを愛して下さるやさしい神が、
すべてを造って愛したまうのだから。
第7部 614 行目 上島建吉訳


上は、「老水夫行」全 625 行中 605, 614 行目、つまり最終第7部の終わり近く。そこで、この詩はキリスト教的信仰に、すなわち宗教にこの詩自身を完結させている。

さらに、

そして以後一生の間、時おり苦悩が彼を襲っては、国から国へとめどない旅に彼を駆り立てる。(582 行目。コールリッジ自身による欄外解説より)

上を読むと、結局、この老水夫の行為は、自らの不思議な経験を語り伝えることによって神の恩寵を伝える「旅」の途中であったことが、わかる。

【老水夫行のあらすじ】
ある老人が、婚礼に赴く客を無理矢理呼び止め、自分の不思議な体験を語って聞かせる。その老人は昔、水夫であった。かつてこの老水夫は、(多分英国の)港を出て、赤道から南半球に至る航海中、南極沖で、船が氷山に捕まり動けなくなった。そのとき、吉兆のしるしである一羽のアホウドリが現れ、氷を開き、船を危機から救ってくれた。しかし、老水夫はそのアホウドリを殺してしまった。アホウドリの恩寵がなくなったせいで、船は、赤道で凪ぎの中、航行不能になった上、雨も降らず、二百人の船員たちは渇きに苦しむ。船員たちは、アホウドリを殺した老水夫を呪い、彼の首にかかった十字架を引きちぎり、十字架の代わりにアホウドリを彼の首に吊り下げる(第1部、第2部)

幽霊船が現れる。その船には「死(死神)」と「死の中の生」が乗っていた。船員たちの運命は「死」と「死の中の生」に委ねられ、その結果、船員たちは全員死ぬ。しかし老水夫だけは「死の中の生」によって死を免れる。老水夫は死んだ船員たちの死体からも呪われる。老水夫は死の恐怖を味わう。そのとき、彼は月に照らされた海蛇の群をみて、思わず、その美しさを賛美する。すると、彼の首からアホウドリが落ちる。呪縛が解け始める(第3部、第4部)

雨が降り、雨水が老水夫の喉を潤す。また、船員たちの死体に生気(霊気)が吹き込まれ、船員たちは船を動かす。船は、風もないのに進んでいった(船員たちを動かしたのは、霊魂でも地霊でもなく天使であった)。さて、南極を守る地霊が老水夫を追ってきて、老水夫になおも復讐しようとする。しかし、地霊たちは「この男は罪を償った」と言って南に帰る。船は、波も風もないのに、老水夫の故郷へ疾走する。老水夫は新たな苦行として、死んだ船員たちの呪いを認識するが、その呪いも、ついには償われる。そして、老水夫は生まれ故郷を見る。死んだ船員たちに取り憑いていた天使たちは、本来の姿に戻って、老水夫に別れを告げる(第5部、第6部)

故郷に辿り着いた老水夫は、聖者に懺悔を聞いてもらう。そして、彼は罪滅ぼしのために、自分の経験と神の恩寵を語り伝えることを決心する。「婚礼の宴よりもっと楽しいこと、わしにとってはるかに快いことは、大勢で、連れ立って、教会に行くことじゃ」「最もよく愛する者が最もよく祈るのじゃ。わしらを愛して下さるやさしい神が、すべてを造って愛したまうのだから」そう言って、老水夫は、ついにその場を立ち去った。「そしていま婚礼の客も花嫁の戸口に背を向けた。大きな驚きに打たれた人のように呆然として帰って行った彼は、前よりまじめな、賢い人となって、あくる日の朝、床から立ち上がった」(第7部)

フランチェスコーニの歌劇『バッラータ』は、コールリッジの「老水夫行」の第4部までを取り上げていると言ってよかろう。

【大野和士さんが書いた歌劇『バッラータ』のあらすじ】
ある若者が結婚式に招かれ、その宴の席に着こうとする途中、不思議な老水夫に出会い、その話に惹きつけられます。この水夫は、かつて航海中に嵐に遭い、南極近くの氷海をさまよったことがありました。その際に吉兆をもたらすというアホウドリが現れ、船員たちはやっと救われると喜びます。ところが、この老水夫は、そんな神頼みはしないと、アホウドリを撃ち殺してしまうのです。この瞬間に呪いがかけられ、船は今度は赤道直下で、ピタリと停止してしまいます。そこに鬼火や骸骨などが、おどろおどろしく現れ、老水夫を一人残して、仲間の水夫は皆、熱と渇きで死んでしまいます。乾いてしまった海の上で、老いた水夫は孤独にさいなまれ、自分の愚かな行為を悔やみます。長い長い年月がたったある晩、水夫は月光に輝く美しい海蛇を見、その神々しさに、思わず神を賛美し、神の創造物を祝福します。その瞬間に、呪いがとけて恵みの雨が降り注ぎ、船は再び海をすべり、水夫は故郷に戻ります。神の創造した自然の偉大さと、人間の傲慢さを説くために、この水夫は、自分の経験を語り部として人に話して聞かせているのでした。(大野和士氏のオペラ解説より)

【歌詞対訳】
私は、例によって、私自身が歌劇『バッラータ』を鑑賞することを目的として歌詞対訳を試みた(下記)。しかし、この私の『バッラータ』歌詞対訳は、メチャクチャでデタラメだ(なぜなら、上記 CD のブックレットにはイタリア語原文と英語対訳しか載ってなかった。私はイタリア語も英語も苦手)。

ルカ・フランチェスコーニ作曲 歌劇『バッラータ』第1幕 歌詞対訳
ルカ・フランチェスコーニ作曲 歌劇『バッラータ』第2幕 歌詞対訳

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http://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-18e2.html に続く】

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