2016年10月 4日 (火)

Ju-Young Baek plays Penderecki and Szymanowski: Violin Concertos

Baek

Penderecki and Szymanowski: Violin Concertos
Ju-Young Baek, Violin
Royal Philharmonic Orchestra
Grzegorz Nowak, Conductor
2013年録音
RPO SP 047

PENDERECKI Violin Concerto No.2, ‘Metamorphosen’
01. Allegro ma non troppo - Allegro vivace 15:37
02. Allegretto - Allegro vivo 2:43
03. Molto meno mosso - Andante 4:48
04. Vivace 2:08
05. Scherzando - Vivacissimo 4:57
06. Andante con moto - Tempo primo 7:59

SZYMANOWSKI Violin Concerto No.1, Op.35 (1916)
07. Vivace assai 5:52
08. Tempo comodo - Andantino 5:31
09. Vivace scherzando 1:28
10. Poco meno - Allegretto 6:36
11. Vivace (Tempo I) 4:59

・・・

1-6.ペンデレツキ(1933-):ヴァイオリン協奏曲 第2番「メタモルフォーゼン」/7-11.シマノフスキ(1882-1937):ヴァイオリン協奏曲 第1番 Op.35

演奏:ペク・ジュヤン(ヴァイオリン)/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団/グルジェゴルス・ノヴァーク(指揮)

・・・

コノページ(ASIN: B00N83UA2O)で「コノアルバムを試聴」し、韓国人アーティストのテクニックと、ペク・ジュヤンの腕の太さに期待して、コレを購入したが、期待はずれだった。

(もし、Apple Music に、このアルバムが、全曲、ストリーミングされてたなら、私はこれを買わなかっただろう)

・・・

●ペンデレツキ:Vn 協奏曲第2番について
6つの部分がアタッカでつながる。単一楽章の作品。あるいは、6楽章か。
結論を言うと、この盤より、自作自演盤、すなわち「被献呈者ムター&ペンデレツキ(指揮)1997年録音」のほうが、うまい。
この盤の演奏は何を言いたいか分からない(文脈が見えない。というか、この作品、文脈あるの?)。
この演奏は、ヴァイオリンの技巧に聴き応えがあり、オケもソロも爆発的演奏。だが、散漫。そして、うるさい!(冒頭のドラの音が聞こえない)。第1部で、ペクは、左手をスライドさせる奏法(ポルタメント?)を生かしているつもりだろうが、それは特に美しくない。
『アインガング』『第1部終わりのフーガから第2部のオケとソロの掛け合い』『第5部カデンツァ』などでペク&ノヴァークは作品の起伏を表わそうとするが、それらは《恣意的》で美しくない。そして、ペクの演奏は《恣意的》であるのと同時に全体的になんとなく《模範的》に聞こえる。←いかにもガッコウのセンセーらしい(下記)。

「(ペク・ジュヤンは)名門ソウル大学音楽学部では20歳代で教授職に就任」(ASIN: B00N83UA2O より)

《ペンデレツキの Vn 協奏曲第2番》は、《新垣隆作曲 交響曲第1番 HIROSHIMA》に雰囲気が少し似てる。そして、《ペンデレツキの Vn 協奏曲第2番 / ペク・ジュヤン&グルジェゴルス・ノヴァーク》は、むしろ《HIROSHIMA / 大友直人(指揮)》より切迫感、緊迫感において劣るかも知れない。

●シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲 第1番について
うまいと思うが、私は、コノ作曲家は苦手なので、ノーコメント。

2016年3月25日 (金)

SOLI Works for Solo Violin by Bartók, Penderecki, Benjamin, Carter and Kurtág Tamsin Waley-Cohen

Soli

SOLI(←多分、Solo の複数形)
Works for Solo Violin by Bartók, Penderecki, Benjamin, Carter and Kurtág
Tamsin Waley-Cohen, violin
Recorded at the Menuhin Hall, Yehudi Menuhin School, Surrey, UK from 20th to 22nd September 2014.

www.signumrecords.com ←クリックすると「Signum Records」のオフィシャルホームページに飛びます。

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Béla Bartók (1881-1945)
Sonata for Solo Violin, Sz. 117 (1944)
01 I. Tempo di ciaccona [14.12]
02 II. Fuga. Risoluto, non troppo vivo [5.00]
03 III. Melodia. Adagio [8.36]
04 IV. Presto. [6.09]

George Benjamin (b.1960)
Three Miniatures for Solo Violin (2001)
05 I. A Lullaby for Lalit [3.52]
06 II. A Canon for Sally [2.29]
07 III. Lauer Lied [3.16]

Krzysztof Penderecki (b.1933)
08 Cadenza (1984) [10.05]

Elliott Carter (1908-2012)
From Four Lauds
09 I. Statement – Remembering Aaron (1999) [4.09]
10 III. Rhapsodic Musings (2000) [3.36]

György Kurtág (b.1926)
Six Miniatures
11 In Nomine all'ungherese (Damjanich emlékko) (2001) [5.45]
12 Anziksz Kellerannanak (Postcard to Anna Keller) (1993) [0.31]
13 Hommage a John Cage (1987, rev.1991) [1.53]
14 Thomas Blum in memoriam (1995) [2.38]
15 ...féerie d'automne... (2004) [2.26]
16 Hommage a JSB (2005) [1.53]

Total timings: [76.33]

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『ソリ〜無伴奏ヴァイオリン作品集』
● バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Sz.117
● ベンジャミン:無伴奏ヴァイオリンのための3つの小品
● ペンデレツキ:カデンツァ
● エリオット・カーター:無伴奏ヴァイオリンのための『4つの賛美』より第1番、第3番
● クルターグ:6つの小品

 タムシン・ウェーリー=コーエン(ヴァイオリン)

 録音時期:2014年9月20-22日
 録音場所:イギリス、メニューイン・ホール
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

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・このアルバムについて

このアルバムは、ユニークであり、消化するのが難しいので、以下、箇条書きで書く。


結論から書くと、私は、タムシン・ウェーリー=コーエンの各作品に対する適切な解釈と、彼女の弾く「1721年製のストラディヴァリウス『ex-Fenyves』という楽器」の美しさが、大いに気に入った。彼女は、2007年以来そのヴァイオリンを弾いていると、リーフレットに書いてある。


私は、このアルバムに嵌ってしまった。
私は、このアルバムを気に入った:ありきたりな言い方だが、このアルバムは、リスナーを引きつけ、納得させる不思議な説得力を持っていると思う。


このアルバムのメインは「バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Sz.117(以下「Sz.117」と略す)」である。その他の作品は、文字通り「ミニチュア(ベンジャミン、クルターグ)」であったり「抜粋(エリオット・カーター)」であったり「寄せ集め(クルターグ)」であったりする:「クルターグ:6つの小品」は、標題を持つ組曲様だが、作曲年を見てみると、作曲年がまちまち:古いものは「Hommage a John Cage (1987, rev.1991)」新しいものは「Hommage a JSB (2005) 」:その隔たりは18年もある:寄せ集めに見える。ただし、ペンデレツキの「カデンツァ」のみは「単一楽章、かつ、演奏時間約10分」という点で大作の部類に「聞こえる」。しかし、その他の作品は、概ね演奏時間が短い小品の集合体である。


「ベンジャミン:無伴奏ヴァイオリンのための3つの小品」の演奏時間は、合計約9分37秒。
「カーター:無伴奏ヴァイオリンのための『4つの賛美』より第1番、第3番」は合計約7分45秒。
「クルターグ:6つの小品」は、合計約15分であるが、中身は短い曲の集合体である。
「ペンデレツキ:カデンツァ」だけは、上にも書いた通り単一楽章なのに演奏時間約10分の力作。
それに対し、バルトークの「Sz.117」は、堂々たる4つの楽章を持ち、その全曲演奏時間は(コーエンの演奏で)14’12+5’00+8’36+6’09=合計約33分57秒:すなわち、バルトークの「Sz.117」は、このアルバムにおいて、他の作品に対する《作品の完成度・充実度》の差を見せつける大作。


とはいえ、このアルバムに収録された作品は(バルトークの「Sz.117」以外も)テンションが高い難曲ばかりであり、それらは充実している。私は、当初、この CD を聴く前、「ペンデレツキ、カーターあたりは《能天気》な作品だろう」と思いきや、そうではなかった。このアルバムのプログラムにおいて、ベンジャミンとベンジャミンよりあとの作品は、ある意味、暗くて、じめじめした(陰気?)、似たような曲が続く(?)。しかし、それらは充実している。そして、それらの「暗さ」から、私は「私たちが生きている時代の暗さ」を感じる・・・そして、それらに比べれば、バルトークの「Sz.117」は、むしろ、明るく、また、可愛いく思えた。


結局、このアルバムを聴いて思うことは、バルトークの偉大さである。
彼は、1943年の秋頃、メニューインから「無伴奏ヴァイオリンのための作品を書いてもらえないか」と依頼され、1944年3月14日には、それを完成している(作曲期間については「わずか数週間」と作曲者自身が述べている)(ウィキペディアより)。どんな形式・様式・ジャンルの作曲であっても、決して手抜きをせず、半端な作品を書かず、「Sz.117」のような大作を書くバルトークの偉大さ! しかも、短期間で書く! しかも、その作品は「メニューイン自身『初めて楽譜を見せてもらった時は冷や汗が流れた』と回想」するほどの超絶技巧曲!(ウィキペディアより)
しかも、突然変異的作品(後述)!

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・「バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Sz.117」(1944) について

私が所有する「Sz.117」は:

イザベル・ファウスト 1996年録音
バイバ・スクリデ 2004年録音
Elise Båtnes(←読み方不明) 2005年、または、2007年録音
ヴィルデ・フラング 2010年録音
・タムシン・ウェーリー=コーエン 2014年録音

【演奏時間(参考までに)】

メニューイン 9' 36 4' 28 6' 56 5' 02 ←Apple Music より引用
ファウスト 11' 40 5' 04 8'27 5' 51
スクリデ 10' 16 4' 49 7' 30 5' 12
Båtnes 10' 40 4' 57 7' 34 5' 32
フラング 9' 26 5' 01 7' 15 5' 28
コーエン 14' 12 5' 00 8' 36 6' 09

上記を改めて聴いてみると、私のこのブログにコメントを寄せて下さるNさんおすすめの Elise Båtnes の演奏が、淀みなく、流れが良く、悲痛さも表れている、一番良い演奏だと思う。若い時に録音されたスクリデ(23才頃録音)もまた、なかなか明快にして、ある意味ディープ(第3楽章)、かつ、鋭くてよろしいと思う。ヴィルデ・フラング(24才頃録音)は、基本的に外してないと思う。←ただし、スピード感があり技巧的だが少し軽くてつかみどころがないかも知れない(第1、2楽章)。←第3、4楽章は、より見通しが良く挽回していると思う。イザベル・ファウストの「Sz.117」は、良いのか悪いのかよく分からない・・・と言っても、私は、「Sz.117」という作品を消化できてないので、同曲演奏について、評価・感想を書く自信はあまりない。たとえば、バルトークのソナタ形式(第1楽章)は難しい・・・(汗;;

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バルトークの「無伴奏ヴァイオリン Sz.117」は初演者メニューインの委嘱によって書かれ、彼に献呈されている(この作品についての概要・詳細はウィキペディアの項が参考になる)。したがって、メニューインによるこの作品の演奏が、この世に残っているなら、それが参考になるはずだが・・・←ありました。Apple Music にて、bartok menuhin 117 で検索したら、アップロード(ストリーミング)されていました。

Menuhin
(C) Apple Music

私は(メニューインがグレン・グールドと共演したシェーンベルクは良かったという記憶はおぼろげにあるが)メニューインというヴァイオリニストを(名前しか)知らない。だが、メニューインの「Sz.117」を、Apple Music にて聴いてみると、やっぱり、彼の同曲演奏は、かなり上手い。メニューインの「Sz.117」にはスピード感がある(上記演奏時間参照のこと)。そして、当然のことだが、メニューインの同曲演奏は、同曲が《メニューインのために作曲された作品》であることを感じさせる。したがって、上記の5人の演奏者たちが、メニューインの同曲演奏と対峙しなければならなかったとすれば、彼女らが同曲を演奏するのは難しかっただろう。

・肝心のタムシン・ウェーリー=コーエンの「Sz.117」について

結論から言うと、コーエンの遅いテンポの演奏を、私は、気に入った。彼女の「Sz.117」を聴いて、何故かしら「この作品は、バッハの『無伴奏 Vn ソナタ BWV 1001』に似ているなあ」と私は《初めて》思った。コーエンは、バッハを真似ているのか。もしそうだとしたら、多分、それは成功しているのだろう。

ウィキペディアにあるように、バルトークはヨーロッパ時代に「若い頃の私にはバッハとモーツァルトは美の理想ではなく、むしろベートーヴェンがそうだった」と回想している。そのバルトークが何故はっきりとバッハへのオマージュを感じさせる作品として仕上げたのかは分かっていない。ベートーヴェンに傾倒していたバルトーク(たとえば弦楽四重奏曲において)がバッハにインスパイアされて書いた「Sz.117」は「突然変異」。←演奏者は、その《特異性》を表わすのは難しいだろうし、リスナーはそれを受け入れにくいと思う。←だから、私は、バルトークの作品は難しくて苦手。つまり、バルトークが、バッハをいかに受容したか・・・そういう謎解きは、私は苦手。たとえば、この本を読んでもそれは分からないんじゃないか・・・このアルバムにおいて、同じ無伴奏にしても、ジョージ・ベンジャミン、ペンデレツキ、エリオット・カーター、クルターグの無伴奏のほうが、私は受け入れやすい・・・そもそも、私は、バッハの無伴奏ヴァイオリンという6つの作品は嫌い・・・しかし、コーエンやその他の人たちが弾く「Sz.117」は、嫌いになれない私。(←面白くない話になってしまった(汗;;)。

コーエンの「Sz.117」の演奏時間を見れば分かるように(第1楽章:14分12秒)、彼女は(第1楽章のみならず)この「超絶技巧的な作品全曲」を丹念に弾いていると思う。←ただし、他方で、第1楽章は「引き締まってなくて退屈する」第2、4楽章は「粗い」という異論があるかも知れない。繰り返すが、Elise Båtnes の「Sz.117」の締まった解釈のほうが、(コーエンより)ベター、あるいは、ベストだろう。
ちなみに、コーエンの「Sz.117」第1楽章の8分23秒に、間が空く。←インターバル(?)。

「Sz.117」の」特長の一つは《民族性》だと思うが【注】、私の主観では、コーエンのアプローチは、民族性を殺している(あるいは、民族色を表わしきれてない)ような気がする・・・←あるいは、それは、コーエンの「Sz.117」に対する《正しい解釈》なのかも知れない・・・あるいは、それは、私がバルトークの民族性を理解していないからかも知れない。
第3楽章は、多分、弱音器を付けずに演奏しているようだが、彼女が弾く弱音とフラジオレットは、物悲しくも美しい。第4楽章は、荒いが上手い。
コーエンは、メニューインの速いテンポ(Sz.117)に対し、《遅いテンポ》で挑戦している・・・そして、彼女は健闘していると思う。

【注】 ピアニストであったバルトークだが、民謡採集活動の中でハンガリー農民やジプシーの奏でるヴァイオリンに触れ、更にヨゼフ・シゲティら多くのヴァイオリニストの知己がいたことからヴァイオリンの演奏テクニックにはかなり詳しかった。(ウィキペディアより)

・ベンジャミン:無伴奏ヴァイオリンのための3つの小品 (2001)

「静 - 動 - 静」の構成からなる。第1楽章:ララバイは静的で内向的。重音奏法が多い。技巧的。重音・フラジオレットが美しい。中間部に同じ旋律のリピートがある(1分56秒)。
第2楽章:カノンで爆発する。
第3楽章:ラウアー(人名?)のリート:は、再び静的で内向的。前半はピチカート。何が何だか分からない作品だが、コーエンのこの作品に対する解釈は、多分、的確。

・ペンデレツキ:カデンツァ (1984)

この作品は、実在する Vn 協奏曲の一部ではない。そして、ペンデレツキの能天気さがなく、暗くて、悲痛な慟哭の音楽。
この作品は、静かな「うめき」で始まる。そして、次第に盛り上がる。中間部は激しく技巧的で、ショスタコーヴィチの Vn 協奏曲第1番のカデンツァを思い起こさせる。また、この作品は、静と動の両端を持つが、それは「ポーランド・レクイエム(1984 年初演)」のそれを思い起こさせる。最後の部分のヴァイオリンの短い独白は美しい(フラジオレット)。

・エリオット・カーター:無伴奏ヴァイオリンのための『4つの賛美』より第1番、第3番 (1999 / 2000)

この作品は、カーター、91〜92才のときの作品であるが、彼は全然衰えていない。いかにもカーターらしく、激しく暴力的に、入り組んだ「曲集(抜粋)」だが、コーエンはそれを技巧で持ちこたえていると思う。この作品は、どことなく、ヨーロッパ的であり、このアルバムの他の作品にうまく溶け込んでいると思う。
「カーターは本当に演奏者を愛し、楽器の潜在能力に夢中な作曲家です(Carter is a composer who really likes performers and excited by the instrument's potential.)」と、アリサ・ワイラースタインが述べたごとく、この「曲集」においては、ストラディヴァリウス「ex-Fenyves」の高音が美しい。これは、私の好みの作品である。

・クルターグ:6つの小品

この「6つの小品」には、上にも書いた通り各曲に、標題らしきものがついている(第1曲:In Nomine all'ungherese は、すべてのハンガリー人の名において、という意味なのだろうか)。この小品集は、バラバラ、気まぐれ、まとまりのない固まりである。
第1曲:In Nomine all'ungherese は、クルターグの非西欧的な旋律が、イギリス人コーエンによって、朗々と吟じられるが、それは、まったく不自然ではない。
第2曲は、彼の「カフカ断章」に似ている。
第3曲は「ジョン・ケージへのオマージュ(Hommage a John Cage)」だが、どこが、ケージへのオマージュなのか分からない。
最後の曲「バッハへのオマージュ(Hommage a JSB)」は、唐突に終わる。
このクルターグの小品集は、このアルバムのオマケのようでもあるが、このアルバムを《解決》するのに、悪い作品ではないと思う。いや、それどころか、コーエンが、このクルターグの作品の特異性(=まとまりのない6曲の固まり)を、このアルバムを締めるために《利用》したのは、彼女の実力の現れか。

・まとめ

ハンガリーの作曲家、2人を、始めと終わりに持ってきて(イギリス、ポーランド、米国の作曲家を挿入し)、終わりは、21世紀ハンガリーの作曲家の作品で締めたプログラム・選曲がうまい。そして、何度も言うが、コーエンの弾くストラディヴァリウス「ex-Fenyves」の音が美しい。

【Apple Music】 検索キーワード:Tamsin Waley-Cohen

【2016−3−27 追加】 クルターグの「6つの小品」が、ある意味、能天気か。

【2016−5−24 追加】 クルターグの「6つの小品」これは、寄せ集めのオマケかと思ったが、ウェーリー=コーエンのストラディヴァリウスが、よく鳴っている。名演だ。オマケじゃなかった(汗;;

2015年3月24日 (火)

グバイドゥーリナとペンデレツキを聴くきっかけは、アンネ=ゾフィー・ムター!!!

Gubaidulina

Bach, J.S.: Violin Concertos BWV1041 & BWV1042; Gubaidulina: Violin Concerto In tempus praesens Anne-Sophie Mutter Valery Gergiev 2007/08年録音

Penderecki

Krzysztof Penderecki: Violin Concerto No.2; Bartok: Violin Sonata No.2 Anne-Sophie Mutter Conducted by Krzysztof Penderecki Lambert Orkis 1995年録音

考えてみれば、私に、グバイドゥーリナとペンデレツキを聴くきっかけを作ってくれたのは、アンネ=ゾフィー・ムターだった。

もしかしたら、ヴォルフガング・リームも?

Rihm

Alban Berg & Wolfgang Rihm: Violin Concertos Anne-Sphie Mutter Chicago Symphony Orchestra James Levine1992年録音

2011年2月 9日 (水)

ペンデレツキの「ポーランド・レクイエム」その3

Polish_requiem_3

ペンデレツキ
ポーランド・レクイエム
イングリット・ハウボルト(ソプラノ)
グラツィナ・ヴィノグロースカ(アルト)
ツァコス・テルツァキス(テノール)
マルコム・スミス(バス)
北ドイツ放送合唱団
バイエルン放送合唱団
北ドイツ放送交響楽団
指揮:クシシュトフ・ペンデレツキ
録音:1989 年 8 月、ルツェルン音楽祭(ライヴ)
TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION Vol. 3

Polish_requiem

Penderecki
A Polish Requiem
Royal Stockholm Philharmonic Orchestra
Conducted by Krzysztof Penderecki
Recorded: 1995
CHANDOS

Polish_requiem_2

Penderecki
A Polish Requiem
Warsaw National Philharmonic Orchestra
Antoni Wit
Recorded: 2003
NAXOS

ペンデレツキ作曲「ポーランド・レクイエム」の国内盤はない、と、思っていたら、ありました。

それは上記の一番上、TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION Vol. 3(ドイツ・グラモフォン録音、日本語解説、歌詞対訳付、1500 円)です。これは、上記の上から2番目の 1995 年録音盤と同じく作曲者自身の指揮ですが、1989 年のルツェルン音楽祭、北ドイツ放送交響楽団によるライヴ録音です。結論を言うと、私は、この北ドイツ放送交響楽団の演奏が一番気に入りました。

私が思うに「ポーランド・レクイエム」が持つ「重々しさ」「悲痛さ」を強く訴える演奏、つまり、この作品の性格を強く訴える演奏としては「北ドイツ放送交響楽団盤」よりも「ストックホルム盤」と「ヴィト盤」のほうが勝っているようだが、合唱とオケは「北ドイツ放送交響楽団盤」がよいと思う。特に合唱がうまい。

北ドイツ放送交響楽団盤は、ペンデレツキの指揮も冴えていると思う(この時、ペンデレツキ 55 才。演奏が若々しい)。録音も、北ドイツ盤はストックホルム盤より良いと思う。ではなぜ、DG はこれを廃盤にしたのか? やはり、未完成版だからか? つまり、1993 年に追加された「サンクトゥス」がないからか? それとも売れないからか? この北ドイツ盤は、デジタル録音(1989年録音)であり、録音はよいし、パーカッションの音がすごいし、オケ、合唱ともに、非常に迫力ある。廃盤にすべきではないと思う。

私は、北ドイツ盤の演奏は、重々しくないと書いたが、実は、北ドイツ盤は演奏のテンポが遅い。例によって、演奏時間を比較する:

I Introitus - choir [4' 02] [3' 43] [4' 10]
II Kyrie - soloists, choir [4' 52] [4' 16] [[4' 16]
Sequence Dies irae
III Dies irae - choir [1' 41] [1' 39] [1' 34]
IV Tuba mirum - tenor [2' 06] [2' 45] [1 '58]
V Mors stupedit - mezzo-soprano [6' 22] [6' 06] [6' 30]
VI Quid sum miser [5' 10] [4' 20] [4' 46]
VII Rex tremendae - bass, choir [1' 57] [1' 59] [2' 18]
VIII Recordare Jesu pie - music from Swiety Boze, all soloists [11' 00] [9' 51] [11' 24]
IX Ingemisco tanquam reus - soloists, choir [12' 21] [12' 11] [12' 07]
X Lacrimosa - soprano, female choir [4' 44] [4' 32] [4' 39]
XI Sanctus - mezzo-soprano, choir, Benedictus - tenor, choir [0' 00] [14' 18] [13' 44]
XII Ciaccona [0' 00] [0' 00] [7' 18]
XIII Agnus Dei - choir a cappella [8' 27] [6' 56] [7' 35]
XIV Communion Lux aeterna - choir [4' 42] [3' 40] [4' 43]
XV Libera me, Domine - soprano, soloists, choir [8' 59] [8' 30] [9' 44]
XVI Offertorium - Swiety Boze, swiety mocny [0' 00] [6' 20] [6' 33]
XVII Finale Libera animas - soloists, choir [11' 00][3' 20] [3' 26]
Total [87' 46] [93' 37] [99' 28]

左が北ドイツ盤、真ん中がストックホルム盤、右がヴィト盤(注:ヴィト盤合計時間 99' 28 はシャコンヌを含まない、[0' 00] は存在しない楽章。北ドイツ盤の「XVI. Offertorium(奉献唱)」の [0' 00] は存在しない楽章ではなく「XVII Finale」に含まれている)。スコアの違い(版の違い)などの理由で、単純に比較できないが、概ね、上記の演奏時間が、それぞれの演奏の特徴を表していると思う。

ペンデレツキの新旧録音を比較すれば、ほとんどの楽章で、旧録音のほうが演奏時間が長い(旧盤は、XI Sanctus [14' 18] が無いのに [87' 46] は長いと思う)。旧録音は、テンポの設定において速いテンポと遅いテンポの幅が大きいように聞こえる。私が聴いた印象では、旧録音のほうがメリハリがあり、歯切れがよく、生き生きとしている(ライヴだから生き生きしているのは当たり前だが)そして、迫力がある。ただし、旧盤は、何となく統一感がない。

旧盤は新盤に比べれば、ペンデレツキ独特の匂いが比較的匂わない。つまり、宗教の匂い、カトリックの匂い、民族の匂いが匂わない。よって、ある意味で旧盤は「純音楽」として聴きやすい、と、言っていいかも知れない(だから私は旧盤が気に入ったのかも)。

旧盤は、北ドイツ放送交響楽団であることから、インターナショナルな演奏かも知れない。北ドイツ放送交響楽団には、ドイツ以外の国籍のメンバーもいただろうし、日本人のメンバーもいたかも知れない。もちろん、ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニーにも同じことが言えるが、北ドイツ放送は、日本でも人気があるギュンター・ヴァントも指揮していたし(ギュンター・ヴァントは、ちょうどこの時、1982年 - 1991年このオケの首席指揮者だった)、海外での演奏の機会も多かったと思うし(現にこれもルツェルン音楽祭でのライヴ)、なんと言っても国際都市ハンブルクのオーケストラだから、なんとなく、音に都会的な馴染みやすさを感じる。あと、オケの技量も、ストックホルムやワルシャワ国立より上だと思うし、それから、なんといっても、

北ドイツ放送合唱団(合唱指揮:ヴェルナー・ハーゲン)
バイエルン放送合唱団(合唱指揮:ハンス=ペーター・ラウシャー)

これは、強いと思う。この人たちの合唱によって、この演奏は充実していると言っても過言ではないと思う。たとえば、第1曲「入祭唱」の第3、4行、

et lux perpetua luceat eis.
絶えざる光で彼らを照らしたまえ
Te decet hymnus Deus, in Sion,
神よ、シオンではあなたに賛歌が捧げられ

は、ストックホルム盤とヴィト盤では、よく聞こえなかったのだが、北ドイツ盤では、はっきり聞こえる(ポーランド・レクイエムはアニュス・デイがア・カペラ合唱で歌われるほか、全曲を通して合唱が重要である)。独唱者も北ドイツ盤は充実していると思う。独唱者は、テノールのツァコス・テルツァキス(Zachos Terzakis)のみ北ドイツ盤とストックホルム盤で共通する。

では、なぜ、北ドイツ盤には統一感に欠けるのか。

その理由は、やはり、この作品が、ナチスドイツの犠牲になった人(マキシミリアノ・コルベ神父、ワルシャワ蜂起)を悼む作品。そして、北ドイツ放送交響楽団はドイツの団体。ナチスドイツによる犠牲者を追悼する音楽をあえてドイツ人に演奏してもらうことによって、ペンデレツキは、まずは、この作品を旧西ドイツの団体によって、西側で演奏する意義を優先し、上記のように純音楽として西側の人に聴いてもらいと思いながら指揮をしたのかも知れない【注】。その意志が、この作品の焦点を少しぼやけさせたのかもしれない。

(ちなみに、ベルリンの壁崩壊は、1989 年 11 月 9 日だから、この北ドイツ盤の録音日 1989 年 8 月は微妙な日に当たる)

というわけで、ペンデレツキは、この作品成立の背景を前面に出さずに指揮をしたのじゃないか、と、私はうがった考えを抱いた。・・・この録音は、旧西ドイツのレコード会社が企画し、西側で発売するために制作されたものだし・・・。しかし、ペンデレツキは、この作品とその成立史の関係をが否定しいる:

I don't write political music. Political music is immediately obsolete. My Threnody to the Victims of Hiroshima remains important because it is abstract music. The Requiem is dedicated to certain people and events, but the music has a broader significance.

私は政治的な音楽は書かない。政治的な音楽は、すぐにすたれてしまう。私の「広島の犠牲者に捧げる哀歌」は、それが抽象音楽であるからこそ重要なのだ。このレクイエムは、特定の人物や出来事に捧げられているが、この作品は、より広い意味を持つ音楽である」

よって、この作品を演奏する際に、作品とその成立史の因縁を浅くして「純音楽」として演奏すると、この作品の統一感が薄れるというのは間違いだろうか? やはり、この作品は、1989 年において、ペンデレツキの頭の中では未完成であり、彼の頭の中では整理されていなかったのだろうか? 未完成であるがゆえに、統一感に欠けるのか?

・・・と、うだうだ書いたが、北ドイツ放送交響楽団の「ポーランド・レクイエム」は、統一性に欠けるかも知れないが、決して散漫な演奏ではない。北ドイツ盤が、ストックホルム盤に勝る点もある。またその逆もあると思う。たとえば、北ドイツ盤「ポーランド・レクイエム」を聴いて、私はペンデレツキの指揮者としての実力を初めて知ることができた。彼は指揮がかなりうまいと思う。

北ドイツ盤は、東西ドイツ統一前夜の、旧西ドイツの合唱団とオケによる演奏という意味では歴史的価値があると思う。ドイツ・グラモフォンはこれを日本以外において再発売すべきだ。

最後に、私は前の記事で「ポーランド・レクイエムの音楽的書法について、ルカ受難曲国内盤白石美雪氏の解説のように良い解説を望む」と書いた。このタワーレコード盤「ポーランド・レクイエム」には、ヨゼフ・ホイズラーとジム・サムソンという人の楽曲解説の日本語訳が付いている。が、白石美雪氏の解説ほど分かりやすくなかった。というより、それは私には難しくてさっぱり分からなかった。よって、ここにそれを転記しない。それに、リーフレットの文章をブログに転記しすぎると著作権の問題に触れるので今回はやめにする。

【注】しかし、ロストロポーヴィチもシュトゥットガルト放送交響楽団で初演しているなあ?!

2011年1月22日 (土)

ペンデレツキの「ポーランド・レクイエム」その2

Polish_requiem

Penderecki
A Polish Requiem
Royal Stockholm Philharmonic Orchestra
Conducted by Krzysztof Penderecki
Recorded: 1995
CHANDOS

Polish_requiem_2

Penderecki
A Polish Requiem
Warsaw National Philharmonic Orchestra
Antoni Wit
Recorded: 2003
NAXOS

ペンデレツキの「ポーランド・レクイエム」その1では、重いことばかり書いたが、本当は、そんなに重いことを書く気はなかった。しかし、私自身、一昨年(2009 年)12 月に火事に遭い、防災のことを、以前より考えるようになった。阪神・淡路大震災が 1995 年 1 月 17 日、火曜日であったことも思い出した。

「死者の 80 %相当、約 5000 人は木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになって即死した。(中略)また、死亡に至る時間も短かった。遺体を検案した監察医のまとめでは、神戸市内の死者約 2456 人のうち、建物倒壊から約 15 分後までに亡くなった人が 2221 人と 92 %にものぼり、圧死・窒息死で「即死」した人が大半を占めた(ウィキペディアより)」

阪神・淡路大震災の教訓は現在、木造建築の建築基準の見直しに生かされている。しかし、私の被災体験から思うに、日本人の災害に対する危機管理能力は今でも低い、と私は考える(その根拠は書きたくても書けない。その根拠を書けないことがまさにその根拠である。つまり残念ながら書いても無駄な内容である)。東京都心を震源地とする大地震が起きたら、どうするのか。国や自治体だけでなく、企業や個人も積極的に考えなければ、大変なことになると思う。阪神・淡路大震災の犠牲を無駄にしてはいけない。

話を戻そう。

ペンデレツキの「ポーランド・レクイエム」は、純音楽として聴いても楽しめる(ただし、やはり娯楽作品として聴くことはできない。他の作曲者が書いたレクイエムと比較するのは面白いと思う)。上記二つの演奏時間を比べる。前者がペンデレツキの指揮。後者がアントニ・ヴィットの指揮である。

I Introitus - choir [3' 43] [4' 10]
II Kyrie - soloists, choir [4' 16] [[4' 16]
Sequence Dies irae
III Dies irae - choir [1' 39] [1' 34]
IV Tuba mirum - tenor [2' 45] [1 '58]
V Mors stupedit - mezzo-soprano [6' 06] [6' 30]
VI Quid sum miser [4' 20] [4' 46]
VII Rex tremendae - bass, choir [1' 59] [2' 18]
VIII Recordare Jesu pie - music from Swiety Boze, all soloists [9' 51] [11' 24]
IX Ingemisco tanquam reus - soloists, choir [12' 11] [12' 07]
X Lacrimosa - soprano, female choir [4' 32] [4' 39]
XI Sanctus - mezzo-soprano, choir, Benedictus - tenor, choir [14' 18] [13' 44]
XII Ciaccona [7' 18]
XIII Agnus Dei - choir a cappella [6' 56] [7' 35]
XIV Communion Lux aeterna - choir [3' 40] [4' 43]
XV Libera me, Domine - soprano, soloists, choir [8' 30] [9' 44]
XVI Offertorium - Swiety Boze, swiety mocny [6' 20] [6' 33]
XVII Finale Libera animas - soloists, choir [3' 20] [3' 26]
Total [93' 37] [99' 28]

XII Ciaccona [7' 18]は、アントニ・ヴィトが、2005 年に録音した Te Deum に収められているもので、上記合計時間アントニ・ヴィト指揮の[99' 28]はこれを含まない。ペンデレツキ指揮に「XII Ciaccona」はない。

結論を言えば、私はペンデレツキ盤をとる。

上記のように、演奏時間は、アントニ・ヴィト盤のほうが長い。逆に、ペンデレツキ指揮盤は、演奏時間が短いうえに、音楽の運び方も、うまい。ペンデレツキの指揮は演奏が締まっていて非常に分かりやすい。たとえば、IV Tuba mirum(ラッパは不思議な音を)の前奏に金管が使われるが、ヴィト盤では最初聴いたとき私はそれに気づかなかった(ペンデレツキ盤でははっきり聞こえる)。ヴィト盤の長い演奏は、作品全体を消化するには肥大であるという感じがする。

(ペンデレツキ指揮ポーランド・レクイエムは、国内では手に入らないかも知れない。私は、日本アマゾンのマーケットプレイスにて中古盤を買った)。

ただ、録音が新しいヴィト盤は、オケ、独唱、合唱とも充実しており、しかもオケと合唱がポーランド人による演奏である点に意義があると思う。さらに録音が新しいので、音が良い。特に、最後の XVII Finale において、この作品の主要なモチーフが再現するのだが、その迫力はヴィト盤のほうが勝っている。私が最初にこの曲を聴いたのはヴィト盤であったが、ヴィト盤の XVII Finale フィナーレに私は圧倒され非常に感動した。私が好きなモチーフは、VI. Quid sum miser(そのとき哀れな私は)の旋律であるが、これがフィナーレに登場するのは感動的だ。

話が前後するが、この作品のモチーフや音形の統一性については、私は音痴なので分からない(半音階の上昇旋律が有効に用いられているような気がする)。この作品も、ルカ受難曲のように音楽的書法について良い解説を望むところだが、それは CD のリーフレットにも書いてないし、ネット上でも見つけることができなかった。

「XII Ciaccona」は、感傷的過ぎる。このレクイエムの一部としてふさわしいとは言えないと思う(私はちゃんと、ヴィト盤で「XII Ciaccona」を、XI Sanctus と XIII Agnus Dei の間に挿入して聴いたのだが・・・)。このシャコンヌは、2005 年に、ローマ教皇ヨハネ・パウロ 2 世を追悼して書かれた弦楽合奏曲である。

ペンデレツキの「ポーランド・レクイエム」その1

Polish_requiem

Penderecki
A Polish Requiem
Royal Stockholm Philharmonic Orchestra
Conducted by Krzysztof Penderecki
Recorded: 1995
CHANDOS

Polish_requiem_2

Penderecki
A Polish Requiem
Warsaw National Philharmonic Orchestra
Antoni Wit
Recorded: 2003
NAXOS

英文ウィキペディア「Polish Requiem」によると、この作品は、当初、1980 年にポーランドの独立自主管理労働組合「連帯」の依頼により、ポーランド反政府暴動(1970 年)「Polish 1970 protests」の犠牲者を追悼するモニュメントの除幕式の伴奏として作曲された。その時に書かれたのが「Lacrimosa(涙の日)」であり、それは、レフ・ヴァウェンサ(ワレサ)氏に捧げられた。次に 1981 年、「アニュス・デイ」が、ペンデレツキの友人であった枢機卿ステファン・ヴィシンスキ(Stefan Wyszynski)を追悼して書かれた。そして、1982 年には「Recordare(思い出してください)」が、マキシミリアノ・コルベ神父(Maximilian Kolbe)の列福式(beatification)のために書かれ、「Dies irae(怒りの日)」は、1944 年 8 月 1 日に起こったワルシャワ蜂起を記念して書かれた。さらに「Libera me, Domine(主よ、お救いください)が、カティンの森事件(Katyn massacre)の犠牲者を追悼して書かれた。以上が最初の版である。この最初の版は、1984 年 9 月 28、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団によって初演された。その後、1993 年に「サンクトゥス」が書き加えられ「サンクトゥス」を含む改訂版が、ペンデレツキ自身の指揮で、同年 11 月 11 日にストックホルムにて演奏された。

以上、私は、この作品の成立史をひも解くために、そして、この作品が書かれた経緯を調べるために、上記、ウィキペディアの記事を閲覧した。私は、それらの記事に、目をおおいたくなるような残酷さを見てショックを受ける。ポーランド民族のとてつもない悲劇。私はその悲劇の「悲惨さ、残酷さ」を見て、何とも言えない絶望感を覚える。そして、その絶望感を私に認識させ、その絶望感を増幅させるのが「ポーランド・レクイエム」である。

ペンデレツキは、この「ポーランド・レクイエム」の意味について、以下のように述べたそうだ(ウィキペディアより)。

I don't write political music. Political music is immediately obsolete. My Threnody to the Victims of Hiroshima remains important because it is abstract music. The Requiem is dedicated to certain people and events, but the music has a broader significance.

私は政治的な音楽は書かない。政治的な音楽は、すぐにすたれてしまう。私の「広島の犠牲者に捧げる哀歌」は、それが抽象音楽であるからこそ重要なのだ。このレクイエムは、特定の人物や出来事に捧げられているが、この作品は、より広い意味を持つ音楽である」

ペンデレツキは上記のように述べているが、私は例によってこの作品の歌詞対訳を作成し(レクイエムの歌詞対訳はレクイエムの CD のリーフレットなどに載ってあるのであえて歌詞対訳を作らなくてもよかったが勉強のために作った)、この作品を、何度か聴いてみると、私は、この作品には「政治的情景」が当てはまると思う・・・というより、このレクイエムはポーランドの悲劇を当てはめて聴くほうが分かりやすいのではないかと私は思う。

レクイエムといえば、モーツァルトの作品が、余りにも素晴らしいので(あれは、バッハやベートーヴェンにも書けないほどすぐれた作品だと私は思う。実際、バッハとベートーヴェンはレクイエムを書いていない)恥ずかしながら私はモーツァルトのレクイエムしか知らない(ヴェルディとフォーレのレクイエムは少しだけ聴いたことある)。レクイエムは、鎮魂曲と訳されるように、言うまでもなく、死者の魂の平安を祈る歌であり、生きている者には死者の追悼の歌であり、死者を偲んで歌われる歌であるはずだ。そして、レクイエムにおいては音楽が、最後には精神的な平安に至るはずであるが、ペンデレツキの「ポーランド・レクイエム」を聴くと、私は、平安、安息、つまりは世界の平和が、多くの犠牲を代償にしなければ得られないもの、もっとひどい言い方をすれば「世界の平和は、人類が、いかに多くの犠牲を代償にしても得られないものではないか」と思わせられた。

具体的に書こう。

1. この作品の第16曲は「奉献唱」であるが、このなかで詩編 6 編 5, 6 節が、歌われる。

「死の国へ行けば、だれもあなたの名を唱えず、陰府に入れば、誰があなたに感謝をささげるでしょうか?」

これは、レクイエムの典礼文にはない。これは「あの世に行けばもはや神への平和の希求もできなくなる」ということを歌っているのでないだろうか。つまり、生きているからこそ平安を求められるのであって、死んでしまったらオシマイということである。これは鎮魂曲の意義に反する。つまり、この部分は、死が、苦しみであり、すべての終わりであり、絶望以外の何ものでもないことを歌っていると私には思える。戦争などの犠牲者の死はあまりにも重い。人間は、誰しも生きていればこそ、生きる希望を持てる。しかし、死は救済を不可能にするのではないだろうか。

2. この作品全曲において、ポーランドの古い讃美歌「Swiety Boze(聖なる神よ)」は、重要な旋律である。この讃美歌は「supplication sung in Poland in moments of danger(ポーランドが危機に瀕してる時に歌われる嘆願)」と、ウィキペディアに書かれてある。この讃美歌にペンデレツキは深い共感を覚え、第8曲「Recordare, Jesu pie(思い出してください)」において、彼は、それを効果的に使っている。その中で、ペンデレツキは、ポーランド民族が危機にあるときこそ、ポーランド民族は神の恩寵と救済を求めることができることを示そうとしたのではないか、と私は思った。つまり私は「Swiety Boze(聖なる神よ)」は「ポーランド・レクイエム」の中心的モチーフであると思った。

3. ところがである。次の第9曲「Ingemisco(私は罪人のように嘆き)」は、救済への願いが、騒乱にかき消される。第9曲「Ingemisco」は、ワルシャワ蜂起を思い浮かべないと理解しにくい。第9曲の最後から2節目「Confutatis maledictis, Flammis acribus addictis:(呪われた者たちが退けられ、激しい炎に飲みこまれるとき)」には、モーツァルトも彼のレクイエムにおいて、激しい音楽を付けている。しかし、その前の部分、つまり、

(マグダラの)マリアを許し
盗賊の願いをもお聞き入れになった主は
私にも希望を与えられました。

私の祈りは価値のないものですが、
優しく寛大にしてください、
私が永遠の炎に焼かれないように。

私を羊たちの中に置き、
牡山羊から遠ざけ
あなたの右側においてください。

の部分に、モーツァルトは穏やかな音楽を付けた。それに対し、ペンデレツキは、なぜ、その部分に悲痛で激しい音楽を付けなければならなかったのだろうか(せっかく、第8曲で救いを求め嘆願したのに、第9曲ではまた混乱と絶望が聞こえるような気がする)。私見では(「Ingemisco」を含め)「Dies irae(怒りの日)」は、やはりワルシャワ蜂起の描写音楽ではないかと思う。

ちなみに、ポーランド・レクイエム前半の山場は第8、9曲であろう。なぜなら、その二つは演奏時間が長い。

4. 「Dies irae(怒りの日)」がワルシャワ蜂起の描写音楽に聞こえるのと同様に「Libera me, Domine(Responsorium、応答聖歌)」はカティンの森事件の描写音楽に聞こえる。
(つづく)

ペンデレツキ作曲「ポーランド・レクイエム」歌詞対訳

2011年1月 6日 (木)

ペンデレツキの交響曲第8番「はかなさの歌」

Penderecki

Penderecki
Symphony No. 8 'Lieder der Vergänglichkeit' (2005)
Dies irea (1967)
Aus den Psalmen Davids (1958)
Warsaw National Philharmonic Orchestra
Antoni Wit
Recorded: 2006

ナクソス盤の帯には、交響曲第8番「はかなさの歌」と訳されているが、私は「無常の歌」と訳したい。
結論を言えば、この作品は、ペンデレツキの失敗作だと思う。とにかく題材が古い。私のようにドイツ文学を勉強した者には、それなりに面白い作品だが、いまどき、こんなに古い詩人たちの詩に音楽を付けても面白くないと思う・・・私はそう思いつつ、期待せずに聴いてみたら、やっぱり面白くなかった。それに、私は、現代の作曲家は、今日、インターネットの普及により「世界共通語」となった「英語」の詩、または英語に訳された詩を題材に選ぶべきだと思う。私は断然そう思う。なぜなら「クラシック音楽は相変わらずドイツ語か」とうんざりされる・・・そのことが、私は嫌だからだ。

さて、中身について
アイヒェンドルフ、ヘッセは、リヒャルト・シュトラウスが取り上げた詩人であり、リルケはシェーンベルクなどが取り上げている。ペンデレツキが新しい題材に取り組まなかったのは不思議である。なぜなら、マーラーは「大地の歌」において、シェーンベルクは「グレの歌」において新しい題材を取り上げているからだ。

「はかなさの歌」で取り上げられている6人の詩人による10の詩(リルケの "Ende des Herbstes" は3分割されているので、それをそれぞれを1曲と数えると12)は、確かに、よく選ばれた詩であり、うまく並べられている。テーマは、やはり「はかなさ」であろう。

アントニ・ヴィト盤では全曲演奏時間は、36分余りであり、そのうち最後のアルニムの "O grüner Baum des Lebens (緑なる命の木)" の演奏時間が一番長い(約8分)。そして、その詩がこの交響曲のメインであろう。なぜなら、この交響曲全曲を締めくくる最後の言葉は「道に終わりはありません!(Unendlich ist die Bahn!)」であり、この交響曲が、マーラーの「大地の歌」のように、終わりのない旅のプロセスであることをうかがわせるからだ。また、おそらく旧約聖書からとったであろう「命の木(Baum des Lebens)」という言葉が、この交響曲の第2のキーワードであろう。この「命の木」という言葉は、ヘッセの "Vergänglichkeit (第9曲:はかなさ)" とアルニムの "O grüner Baum des Lebens(第 12 曲:緑なる命の木)" に出てくるが、その2曲において「命の木」という言葉は、前者では否定的に「無常観(♪命の木から一枚また一枚と葉が落ちる)」を表し、後者では肯定的に「信仰告白(♪わたしはあなたを見出しました)」として使われている。第 12 曲:緑なる命の木は、音楽的に迫力があり充実しておりポジティヴである。結局、ペンデレツキは、宗教や霊的なものに救済を求めたのであろうか。この交響曲のテーマははっきりしない。「はかなさ」を歌うのであれば「大地の歌」のように徹底的にはかなさをテーマにするほうが、すっきりしているし、そのほうが、私は、芸術作品として、作品の統一性において完成度が高いとして評価できると思う。要するに、この交響曲の内容は曖昧なのだ。

私は、リルケの "Herbsttag(秋の日)" が詩的に気に入った。やはり、リルケという詩人は、意味はよくわからないが良い詩を書く。最後から2曲目のリルケ「♪そわそわとさすらうだろう、木の葉が舞うとき」を受けるのは、アルニムではなく、ヘッセの「はかなさの歌」ではなかろうか。あるいは、リルケで終わりにすればよかったと思う(アルニムは要らない)。

リルケ、ヘッセ、ゲーテの詩はシンプルなものもあるが、意味が難しく、またドイツ語が難しくて、訳するのが難しいものが多い。訳するのが難しくても、良い詩なら許せるが、アイヒェンドルフは良い詩ではないのに訳するのが難しい。そんな詩は、訳し甲斐がない(下記に私が訳した「はかなさの歌」歌詞対訳へのリンクがある。この交響曲の良さを完璧に知るにはやはり専門家による歌詞対訳が欲しい。私の訳は誤訳も多かろうし、ニュアンスを間違って捉えているものもあろう。私の語学力では、これらの詩を訳すのは無理だ)。

面白いのは、ゲーテの "Sag' ich's euch, geliebte Bäume? (君たちに教えなければならないのか)" のなかで「umtanzet(周囲を踊る)」という語に、高音の奇声のような旋律が付けられている。それは、クルターグの「カフカ断章」の第1曲目 "Die Guten gehn im gleichen Schritt...(善良な人々が規則正しい歩調で歩む)"の「tanzen(踊る)」に付けられた旋律(これもまたおどけた奇声に聞こえる)を私に思い出させた。ドイツ語圏以外の人(つまり、ハンガリー人やポーランド人など)には「tanzen(踊る)」という単語は、特殊に響くのだろうか。

いずれにしても、この作品は、きわめて大編成のオーケストラと合唱と独唱を要する大曲ではあるが、内容は、大曲ではないと思う。やはり、詩が、題材が弱い。演奏時間も短いし・・・。この作品は、再演される機会があるのだろうか、と余計な心配をしたくなる。

最後に、NAXOS という会社は、このような作品を廉価盤で提供してくれるのはありがたい。そのことに敬意を表したい。


ペンデレツキ:交響曲第8番「はかなさの歌」歌詞対訳

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Penderecki: Symphony 8, Dies Irae, Aus Den Psalmen Davids

2011年1月 4日 (火)

ペンデレツキの交響曲第7番「エルサレムの7つの門」

Seven_gates

Penderecki
Symphony No. 7 'Seven Gates of Jerusalem'
Warsaw National Philharmonic Orchestra
Antoni Wit
Recorded: 2003

ペンデレツキという人は、難解な技法を用いる一方、聴衆を楽しませるエンターテインメント的要素を作品に盛り込んだ人ではないかと思う。たとえば「ウトレンニャ(1970 - 71)」という曲も、難解な歌唱の中に、まったく普通の讃美歌のような歌が何度も歌われていて退屈しなかった。この交響曲第7番「エルサレムの7つの門(1996)」も、第6楽章の歌詞と音楽が面白く効果的であり、それに続く第7楽章のクライマックスは、過去の大作曲家の傑作と同様、祝典的であり楽しめる(第1楽章の主題がその楽章の終わりに再現するところはベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の「グロリア」「クレド」に似ており、第1楽章の主題が最終楽章に再現するところは、マーラーの第8番に似ている)。この作品は、カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」に似てるかも知れないし(【注】その点については私は「カルミナ・ブラーナ」を恥ずかしながらよく知らないので不明)、ショスタコーヴィチの声楽付き交響曲よりは、間違いなく娯楽的だと思う。

・作品の内容について
「題材も7に絡めば、楽章の数も7、7音の動機も登場する(ナクソス盤の帯より)」
エルサレムには実際に7つの門が存在し、ユダヤ教の伝説では、8つ目の黄金の門はメシアの到来を待望し閉ざされているという。
ペンデレツキはこの作品をエルサレム建設3000年記念のために作曲。この作品は当初、オラトリオとして作曲されたらしいが、形式的にはちゃんとした交響曲の体裁を持っている。第1楽章のあと、第2、3、4楽章は緩やかで静かな楽章であり、第5楽章は「拡張されたスケルツォ」であり、ユニークな第6楽章に続く第7楽章は全曲を締めくくるにふさわしいポリフォニックで祝典的ムードを持つフィナーレである。この第7楽章は大音量で聴くと、とても迫力あるが、なんといっても、その前の第6楽章(ナレーション)の歌詞が良い。

ペンデレツキ:交響曲第7番「エルサレムの7つの門」歌詞対訳

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Penderecki - Symphony No. 7 "Seven Gates of Jerusalem"

2011年1月 3日 (月)

ペンデレツキの「ルカ受難曲」

Wit_1

ペンデレツキ:ウトレンニャ、ポーランド・レクィエム、ルカ受難曲、テ・デウム、他 ヴィト&ワルシャワ・フィル(5CD)

Wit_2

Penderecki
St Luke Passion
Warsaw National Philharmonic Chior and Orchestra
Antoni Wit
Recorded: 2002

Penderecki

ペンデレツキ:ルカ受難曲
クシシュトフ・ペンデレツキ指揮
ワルシャワ国立フィルハーモニー合唱団
ポーランド国立放送交響楽団
録音:1989 年、ポーランド カトヴィッツ大聖堂
TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION Vol. 4

私は、宗教曲を聴くのが好きである。若い時に、モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」モーツァルトの「ミサ曲ハ短調 K.427」「レクイエム」の美しさに触れ、宗教曲が好きになった。その後、バッハの「教会カンタータ」「マタイ受難曲」ヘンデルの「メサイア」ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」などを繰り返し聴いた。したがって、ペンデレツキの5枚組ボックス「ペンデレツキ:ウトレンニャ、ポーランド・レクィエム、ルカ受難曲、テ・デウム、他 ヴィト&ワルシャワ・フィル」(これは宗教曲集と言ってもいいだろう)を購入しても、その5枚を1回聴いただけで、比較的、楽にそれらを消化できた。

上記5枚組のうち、まずは、1965 年にペンデレツキが作曲した「ルカ受難曲」を、じっくり何度も聴きたくなって、歌詞対訳を試みた(私は、ラテン語は専門じゃない、というか1年間しか習ってないからラテン語はダメだ。したがって、この訳は正確でもなければ、原文に忠実な訳でもない)。上記、タワーレコードの「ペンデレツキ指揮ルカ受難曲」国内盤(1,000 円)のリーフレットには、白石美雪氏による解説と歌詞対訳がついている。これがあれば、わざわざ、私は労力と時間を費やしてペンデレツキの「ルカ受難曲」を訳しなくてもよかったのだが、私は自分が訳した歌詞対訳をパソコンで見ながら音楽を聴くのが好きだし、それにリーフレットの小さい文字は老眼の私には読むのがつらいし、それに自分で歌詞対訳すると作品理解の役にも立つので、あえて、自分のために、ペンデレツキ作曲「ルカ受難曲」の訳を実行した。

タワーレコードの白石美雪氏の解説には以下のように書いてある。

ペンデレツキは 20 世紀という時代に、キリストの受難物語をテーマにした理由を、こう説明している。「受難曲はもちろん、キリストの受難と死を扱っていますが、20 世紀半ばに生きる私たちにとって、それはまた人類の悲劇であるアウシュヴィッツでの受難と死の体験とも関わっています。ですから私はこの受難曲を、《広島の犠牲者に捧げる哀歌》と同じように、普遍的でヒューマニスティックな性格を持った作品にしようと思いましたし、実際にそうなったと感じています」

(中略)

作品について

(中略)

「『ルカ福音書』を選んだのは、バッハの使ったマタイとヨハネを避けたから」と述べていることから、彼(ペンデレツキ)がどれほどバッハの受難曲を意識していたかが判る。

(中略)

さて、音楽へ目を転じてみると、ペンデレツキはここで、20 世紀に開発された新しい書法ばかりでなく、伝統的な書法も自在に組み合わせて、各曲を構成している。とりわけ重要なのは、いくつかの音型をライト・モティーフのように循環して用いていることだろう。代表的なものをいくつか紹介すると、(1)BACH のモティーフ(2)「ため息」のモティーフ(短2度下がる音型)、(3)ポーランドの讃美歌《聖なる神》によるモティーフ(Cis - D - F - E の4音モティーフ、(4)「主よ(ドミネ)」のモティーフ(協和音に終始する3つの和音の連結)など。TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION Vol. 4 のリーフレットより

ペンデレツキの「ルカ受難曲」は、バッハの「マタイ受難曲」に似ているところもあれば、似ていないところもある。

似ているところは、先ず、ペンデレツキが「ルカ受難曲」において、バッハの「マタイ受難曲」における合唱・オーケストラのシンメトリックな配置によるステレオ効果に倣って、合唱・オーケストラの編成を大編成にしたこと(ただし、オーケストラは二つのグループに分かれてはいないようだ。合唱は、女声だけでも4部に分かれて聞こえるところがある)。

次に、バッハが、ピカンダーの極めて充実した台本に基づいて彼の作曲技術と手法を最大限に駆使していることと、上記タワーレコードのリーフレットに書いてあるペンデレツキの「書法」。それらは、共通しているといってだろう。つまり彼らが、それぞれ彼らの受難曲を盛り上げるために彼らのアイデアを最大限に作品に盛り込んだこと。

似ていないところは、バッハの「マタイ」には、ア・カペラの合唱がないが「ルカ受難曲」にはある(ルカ受難曲は独唱の伴奏もまた意図的に控えめな箇所が目立つ)。

「ルカ受難曲」は福音史家が、ナレーションであること。

「(マタイ受難曲では)イエスが発言する際には常に弦楽器の長い和音の伴奏が伴われるが、これはキリスト教美術によく見られる後光を音楽的に表現したもの(ウィキペディアより)」それは「ルカ受難曲」には無い。つまり「ルカ受難曲」ではキリストに後光が差してない。

「マタイ」では、キリストはアリアを歌わないが「ルカ受難曲」では第3曲「合唱を伴うキリストのアリア」でキリストがアリアを歌う(ついでに第9曲ペトロのアリアもある)。

したがって、聴衆は「ルカ受難曲」において「アリアを歌うキリスト」「後光が差してないキリスト」に、「マタイ」のキリストより親近感を抱くだろう。それは、上記リーフレットに記載してあること、つまり、ペンデレツキが「ルカ受難曲」を「普遍的でヒューマニスティックな性格を持った作品」にしようとしたことに符合する。ペンデレツキの「ルカ受難曲」は、たしかに、20 世紀における戦争の犠牲者、および、戦争の犠牲者ではないが不条理な死に至らしめられた死者へのレクイエムにも聞こえる。それが後のペンデレツキの「ポーランド・レクイエム(1980-84)」につながるのではないかと私は思う。

さて、ペンデレツキの「ルカ受難曲」に対する私の感想を率直に書かせてもらえば、私がこの作品を数回聴いた後の私の印象、それは(不謹慎ながら)「ルカ受難曲」は悲劇的であるよりも美しいということだった。バッハの「マタイ受難曲」が、リスナーに、時折、耳を被いたくなるほど痛々しい感情移入を強いるのに対し「ルカ受難曲」は「激情」より「美しさ」が、その魅力ではないかと思う。すなわち、「ルカ受難曲」の台本に、キリストの受難とは直接関係がない「詩編」が多く用いられていること、「ルカ受難曲」で歌われる「エレミアの哀歌(ローマ祈祷書)」「スターバト・マーテル」が音楽的素材として感傷的であること・・・特に大詰めの第 24 曲に「スターバト・マーテル」が使われていることは、ペンデレツキの「ルカ受難曲」の特徴であり限界であると思う。

「限界」とは、キリストの死という最も痛ましく不条理で悲劇的場面の直前に、受難曲にふさわしくない「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」が出て来るのは、いかにもカトリック的であり、プロテスタントでは考えられない。それは教義の問題である。しかし、ここで私は宗教論を論じる気はない。ただ、私は、第 24 曲「スターバト・マーテル」の第4節で「わたしの心を燃やしてください」と歌われるのを聴いて、宮沢賢治原作のアニメ映画「銀河鉄道の夜」のラストシーンで、主人公ジョヴァンニが、彼の友カンパネルラ、すなわち他人のために犠牲になったカンパネルラを思い、またジョヴァンニが自己の志を独白する場面で「サソリの火のように私の身体を燃やしてください」と言うのを思い出して感傷的になった。そしてペンデレツキの「ルカ受難曲」は「銀河鉄道の夜」のカンパネルラのような人のためにも書かれたのではないかと思った。

ついでに書いておくが、第 22 曲「十字架上の罪人との問答」で、敬虔な盗人の言葉「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」という願いに対し、キリストが「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と答える場面は「マタイ受難曲」には無い。「マタイ受難曲」には無いこの感動的場面を、ペンデレツキには、もっと感動的に作曲して欲しかった、と私は思う。これは私見であるが、ペンデレツキは、激しい場面でも、感動的場面でも、感傷的場面でも、いたずらに「感情的」にならず、むしろ「美」を重んじたのではないだろうか。

HMV.co.jp のヴィト指揮「ルカ受難曲」の商品レビューでは「オーディオのボリュームに注意してプレイしてください。冒頭の一撃から、突然に現れる長調の和音で全曲を閉じるまで、正に衝撃の連続の音楽が、聴き手の耳に突き刺さります。」とある。確かにこの作品は、激しい場面が多い。たとえば第1部の最後の曲である第 13 曲「ピラトの審問」における「Crucifige(十字架につけろ)」は耳をつんざくように激しい。しかし「ルカ受難曲」は静かな部分も多いし、激しい部分は、この作品の「美」を際立たせる演出かも知れない。これも私見である。

蛇足だが、「ルカ受難曲」の曲目を表す時に、私は「第何曲」と書いたが、白石美雪氏は「第何楽章」と記している。

【ペンデレツキ指揮「ルカ受難曲」とアントニ・ヴィト指揮「ルカ受難曲」について】
ペンデレツキ指揮は、作曲者自身の指揮なので解りやすい。つまり、ペンデレツキは難しくて高度な指揮よりむしろ解りやすい指揮をしていると思う。したがって聴きやすい。しかし、ペンデレツキの指揮は若干冗漫かも知れない。なお、この自作自演盤は「カトヴィッツ大聖堂」で録音されているが、その残響音は残響時間が長い。

アントニ・ヴィト指揮は、録音が良いので音響効果は抜群である。そして、より精緻な演奏だ。インテンポで淡々と音楽を進めている。しかし、そのために途中で退屈しないでもない。

前者と後者の演奏時間は 76 分 22 秒と 76 分 21 秒である。これは意外であった。ヴィトのほうが遅いテンポで演奏されているように思えるが・・・。

アントニ・ヴィト指揮「ルカ受難曲」輸入盤は、各曲ごとにトラックが仕切ってあるが、ペンデレツキ指揮国内盤は、それがない。

ペンデレツキ作曲「ルカ受難曲」歌詞対訳

【Amazon.co.jp へのリンク】
The Choral Works of Krzysztof Penderecki

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