2016年3月25日 (金)

SOLI Works for Solo Violin by Bartók, Penderecki, Benjamin, Carter and Kurtág Tamsin Waley-Cohen

Soli

SOLI(←多分、Solo の複数形)
Works for Solo Violin by Bartók, Penderecki, Benjamin, Carter and Kurtág
Tamsin Waley-Cohen, violin
Recorded at the Menuhin Hall, Yehudi Menuhin School, Surrey, UK from 20th to 22nd September 2014.

www.signumrecords.com ←クリックすると「Signum Records」のオフィシャルホームページに飛びます。

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Béla Bartók (1881-1945)
Sonata for Solo Violin, Sz. 117 (1944)
01 I. Tempo di ciaccona [14.12]
02 II. Fuga. Risoluto, non troppo vivo [5.00]
03 III. Melodia. Adagio [8.36]
04 IV. Presto. [6.09]

George Benjamin (b.1960)
Three Miniatures for Solo Violin (2001)
05 I. A Lullaby for Lalit [3.52]
06 II. A Canon for Sally [2.29]
07 III. Lauer Lied [3.16]

Krzysztof Penderecki (b.1933)
08 Cadenza (1984) [10.05]

Elliott Carter (1908-2012)
From Four Lauds
09 I. Statement – Remembering Aaron (1999) [4.09]
10 III. Rhapsodic Musings (2000) [3.36]

György Kurtág (b.1926)
Six Miniatures
11 In Nomine all'ungherese (Damjanich emlékko) (2001) [5.45]
12 Anziksz Kellerannanak (Postcard to Anna Keller) (1993) [0.31]
13 Hommage a John Cage (1987, rev.1991) [1.53]
14 Thomas Blum in memoriam (1995) [2.38]
15 ...féerie d'automne... (2004) [2.26]
16 Hommage a JSB (2005) [1.53]

Total timings: [76.33]

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『ソリ〜無伴奏ヴァイオリン作品集』
● バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Sz.117
● ベンジャミン:無伴奏ヴァイオリンのための3つの小品
● ペンデレツキ:カデンツァ
● エリオット・カーター:無伴奏ヴァイオリンのための『4つの賛美』より第1番、第3番
● クルターグ:6つの小品

 タムシン・ウェーリー=コーエン(ヴァイオリン)

 録音時期:2014年9月20-22日
 録音場所:イギリス、メニューイン・ホール
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

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・このアルバムについて

このアルバムは、ユニークであり、消化するのが難しいので、以下、箇条書きで書く。


結論から書くと、私は、タムシン・ウェーリー=コーエンの各作品に対する適切な解釈と、彼女の弾く「1721年製のストラディヴァリウス『ex-Fenyves』という楽器」の美しさが、大いに気に入った。彼女は、2007年以来そのヴァイオリンを弾いていると、リーフレットに書いてある。


私は、このアルバムに嵌ってしまった。
私は、このアルバムを気に入った:ありきたりな言い方だが、このアルバムは、リスナーを引きつけ、納得させる不思議な説得力を持っていると思う。


このアルバムのメインは「バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Sz.117(以下「Sz.117」と略す)」である。その他の作品は、文字通り「ミニチュア(ベンジャミン、クルターグ)」であったり「抜粋(エリオット・カーター)」であったり「寄せ集め(クルターグ)」であったりする:「クルターグ:6つの小品」は、標題を持つ組曲様だが、作曲年を見てみると、作曲年がまちまち:古いものは「Hommage a John Cage (1987, rev.1991)」新しいものは「Hommage a JSB (2005) 」:その隔たりは18年もある:寄せ集めに見える。ただし、ペンデレツキの「カデンツァ」のみは「単一楽章、かつ、演奏時間約10分」という点で大作の部類に「聞こえる」。しかし、その他の作品は、概ね演奏時間が短い小品の集合体である。


「ベンジャミン:無伴奏ヴァイオリンのための3つの小品」の演奏時間は、合計約9分37秒。
「カーター:無伴奏ヴァイオリンのための『4つの賛美』より第1番、第3番」は合計約7分45秒。
「クルターグ:6つの小品」は、合計約15分であるが、中身は短い曲の集合体である。
「ペンデレツキ:カデンツァ」だけは、上にも書いた通り単一楽章なのに演奏時間約10分の力作。
それに対し、バルトークの「Sz.117」は、堂々たる4つの楽章を持ち、その全曲演奏時間は(コーエンの演奏で)14’12+5’00+8’36+6’09=合計約33分57秒:すなわち、バルトークの「Sz.117」は、このアルバムにおいて、他の作品に対する《作品の完成度・充実度》の差を見せつける大作。


とはいえ、このアルバムに収録された作品は(バルトークの「Sz.117」以外も)テンションが高い難曲ばかりであり、それらは充実している。私は、当初、この CD を聴く前、「ペンデレツキ、カーターあたりは《能天気》な作品だろう」と思いきや、そうではなかった。このアルバムのプログラムにおいて、ベンジャミンとベンジャミンよりあとの作品は、ある意味、暗くて、じめじめした(陰気?)、似たような曲が続く(?)。しかし、それらは充実している。そして、それらの「暗さ」から、私は「私たちが生きている時代の暗さ」を感じる・・・そして、それらに比べれば、バルトークの「Sz.117」は、むしろ、明るく、また、可愛いく思えた。


結局、このアルバムを聴いて思うことは、バルトークの偉大さである。
彼は、1943年の秋頃、メニューインから「無伴奏ヴァイオリンのための作品を書いてもらえないか」と依頼され、1944年3月14日には、それを完成している(作曲期間については「わずか数週間」と作曲者自身が述べている)(ウィキペディアより)。どんな形式・様式・ジャンルの作曲であっても、決して手抜きをせず、半端な作品を書かず、「Sz.117」のような大作を書くバルトークの偉大さ! しかも、短期間で書く! しかも、その作品は「メニューイン自身『初めて楽譜を見せてもらった時は冷や汗が流れた』と回想」するほどの超絶技巧曲!(ウィキペディアより)
しかも、突然変異的作品(後述)!

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・「バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Sz.117」(1944) について

私が所有する「Sz.117」は:

イザベル・ファウスト 1996年録音
バイバ・スクリデ 2004年録音
Elise Båtnes(←読み方不明) 2005年、または、2007年録音
ヴィルデ・フラング 2010年録音
・タムシン・ウェーリー=コーエン 2014年録音

【演奏時間(参考までに)】

メニューイン 9' 36 4' 28 6' 56 5' 02 ←Apple Music より引用
ファウスト 11' 40 5' 04 8'27 5' 51
スクリデ 10' 16 4' 49 7' 30 5' 12
Båtnes 10' 40 4' 57 7' 34 5' 32
フラング 9' 26 5' 01 7' 15 5' 28
コーエン 14' 12 5' 00 8' 36 6' 09

上記を改めて聴いてみると、私のこのブログにコメントを寄せて下さるNさんおすすめの Elise Båtnes の演奏が、淀みなく、流れが良く、悲痛さも表れている、一番良い演奏だと思う。若い時に録音されたスクリデ(23才頃録音)もまた、なかなか明快にして、ある意味ディープ(第3楽章)、かつ、鋭くてよろしいと思う。ヴィルデ・フラング(24才頃録音)は、基本的に外してないと思う。←ただし、スピード感があり技巧的だが少し軽くてつかみどころがないかも知れない(第1、2楽章)。←第3、4楽章は、より見通しが良く挽回していると思う。イザベル・ファウストの「Sz.117」は、良いのか悪いのかよく分からない・・・と言っても、私は、「Sz.117」という作品を消化できてないので、同曲演奏について、評価・感想を書く自信はあまりない。たとえば、バルトークのソナタ形式(第1楽章)は難しい・・・(汗;;

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バルトークの「無伴奏ヴァイオリン Sz.117」は初演者メニューインの委嘱によって書かれ、彼に献呈されている(この作品についての概要・詳細はウィキペディアの項が参考になる)。したがって、メニューインによるこの作品の演奏が、この世に残っているなら、それが参考になるはずだが・・・←ありました。Apple Music にて、bartok menuhin 117 で検索したら、アップロード(ストリーミング)されていました。

Menuhin
(C) Apple Music

私は(メニューインがグレン・グールドと共演したシェーンベルクは良かったという記憶はおぼろげにあるが)メニューインというヴァイオリニストを(名前しか)知らない。だが、メニューインの「Sz.117」を、Apple Music にて聴いてみると、やっぱり、彼の同曲演奏は、かなり上手い。メニューインの「Sz.117」にはスピード感がある(上記演奏時間参照のこと)。そして、当然のことだが、メニューインの同曲演奏は、同曲が《メニューインのために作曲された作品》であることを感じさせる。したがって、上記の5人の演奏者たちが、メニューインの同曲演奏と対峙しなければならなかったとすれば、彼女らが同曲を演奏するのは難しかっただろう。

・肝心のタムシン・ウェーリー=コーエンの「Sz.117」について

結論から言うと、コーエンの遅いテンポの演奏を、私は、気に入った。彼女の「Sz.117」を聴いて、何故かしら「この作品は、バッハの『無伴奏 Vn ソナタ BWV 1001』に似ているなあ」と私は《初めて》思った。コーエンは、バッハを真似ているのか。もしそうだとしたら、多分、それは成功しているのだろう。

ウィキペディアにあるように、バルトークはヨーロッパ時代に「若い頃の私にはバッハとモーツァルトは美の理想ではなく、むしろベートーヴェンがそうだった」と回想している。そのバルトークが何故はっきりとバッハへのオマージュを感じさせる作品として仕上げたのかは分かっていない。ベートーヴェンに傾倒していたバルトーク(たとえば弦楽四重奏曲において)がバッハにインスパイアされて書いた「Sz.117」は「突然変異」。←演奏者は、その《特異性》を表わすのは難しいだろうし、リスナーはそれを受け入れにくいと思う。←だから、私は、バルトークの作品は難しくて苦手。つまり、バルトークが、バッハをいかに受容したか・・・そういう謎解きは、私は苦手。たとえば、この本を読んでもそれは分からないんじゃないか・・・このアルバムにおいて、同じ無伴奏にしても、ジョージ・ベンジャミン、ペンデレツキ、エリオット・カーター、クルターグの無伴奏のほうが、私は受け入れやすい・・・そもそも、私は、バッハの無伴奏ヴァイオリンという6つの作品は嫌い・・・しかし、コーエンやその他の人たちが弾く「Sz.117」は、嫌いになれない私。(←面白くない話になってしまった(汗;;)。

コーエンの「Sz.117」の演奏時間を見れば分かるように(第1楽章:14分12秒)、彼女は(第1楽章のみならず)この「超絶技巧的な作品全曲」を丹念に弾いていると思う。←ただし、他方で、第1楽章は「引き締まってなくて退屈する」第2、4楽章は「粗い」という異論があるかも知れない。繰り返すが、Elise Båtnes の「Sz.117」の締まった解釈のほうが、(コーエンより)ベター、あるいは、ベストだろう。
ちなみに、コーエンの「Sz.117」第1楽章の8分23秒に、間が空く。←インターバル(?)。

「Sz.117」の」特長の一つは《民族性》だと思うが【注】、私の主観では、コーエンのアプローチは、民族性を殺している(あるいは、民族色を表わしきれてない)ような気がする・・・←あるいは、それは、コーエンの「Sz.117」に対する《正しい解釈》なのかも知れない・・・あるいは、それは、私がバルトークの民族性を理解していないからかも知れない。
第3楽章は、多分、弱音器を付けずに演奏しているようだが、彼女が弾く弱音とフラジオレットは、物悲しくも美しい。第4楽章は、荒いが上手い。
コーエンは、メニューインの速いテンポ(Sz.117)に対し、《遅いテンポ》で挑戦している・・・そして、彼女は健闘していると思う。

【注】 ピアニストであったバルトークだが、民謡採集活動の中でハンガリー農民やジプシーの奏でるヴァイオリンに触れ、更にヨゼフ・シゲティら多くのヴァイオリニストの知己がいたことからヴァイオリンの演奏テクニックにはかなり詳しかった。(ウィキペディアより)

・ベンジャミン:無伴奏ヴァイオリンのための3つの小品 (2001)

「静 - 動 - 静」の構成からなる。第1楽章:ララバイは静的で内向的。重音奏法が多い。技巧的。重音・フラジオレットが美しい。中間部に同じ旋律のリピートがある(1分56秒)。
第2楽章:カノンで爆発する。
第3楽章:ラウアー(人名?)のリート:は、再び静的で内向的。前半はピチカート。何が何だか分からない作品だが、コーエンのこの作品に対する解釈は、多分、的確。

・ペンデレツキ:カデンツァ (1984)

この作品は、実在する Vn 協奏曲の一部ではない。そして、ペンデレツキの能天気さがなく、暗くて、悲痛な慟哭の音楽。
この作品は、静かな「うめき」で始まる。そして、次第に盛り上がる。中間部は激しく技巧的で、ショスタコーヴィチの Vn 協奏曲第1番のカデンツァを思い起こさせる。また、この作品は、静と動の両端を持つが、それは「ポーランド・レクイエム(1984 年初演)」のそれを思い起こさせる。最後の部分のヴァイオリンの短い独白は美しい(フラジオレット)。

・エリオット・カーター:無伴奏ヴァイオリンのための『4つの賛美』より第1番、第3番 (1999 / 2000)

この作品は、カーター、91〜92才のときの作品であるが、彼は全然衰えていない。いかにもカーターらしく、激しく暴力的に、入り組んだ「曲集(抜粋)」だが、コーエンはそれを技巧で持ちこたえていると思う。この作品は、どことなく、ヨーロッパ的であり、このアルバムの他の作品にうまく溶け込んでいると思う。
「カーターは本当に演奏者を愛し、楽器の潜在能力に夢中な作曲家です(Carter is a composer who really likes performers and excited by the instrument's potential.)」と、アリサ・ワイラースタインが述べたごとく、この「曲集」においては、ストラディヴァリウス「ex-Fenyves」の高音が美しい。これは、私の好みの作品である。

・クルターグ:6つの小品

この「6つの小品」には、上にも書いた通り各曲に、標題らしきものがついている(第1曲:In Nomine all'ungherese は、すべてのハンガリー人の名において、という意味なのだろうか)。この小品集は、バラバラ、気まぐれ、まとまりのない固まりである。
第1曲:In Nomine all'ungherese は、クルターグの非西欧的な旋律が、イギリス人コーエンによって、朗々と吟じられるが、それは、まったく不自然ではない。
第2曲は、彼の「カフカ断章」に似ている。
第3曲は「ジョン・ケージへのオマージュ(Hommage a John Cage)」だが、どこが、ケージへのオマージュなのか分からない。
最後の曲「バッハへのオマージュ(Hommage a JSB)」は、唐突に終わる。
このクルターグの小品集は、このアルバムのオマケのようでもあるが、このアルバムを《解決》するのに、悪い作品ではないと思う。いや、それどころか、コーエンが、このクルターグの作品の特異性(=まとまりのない6曲の固まり)を、このアルバムを締めるために《利用》したのは、彼女の実力の現れか。

・まとめ

ハンガリーの作曲家、2人を、始めと終わりに持ってきて(イギリス、ポーランド、米国の作曲家を挿入し)、終わりは、21世紀ハンガリーの作曲家の作品で締めたプログラム・選曲がうまい。そして、何度も言うが、コーエンの弾くストラディヴァリウス「ex-Fenyves」の音が美しい。

【Apple Music】 検索キーワード:Tamsin Waley-Cohen

【2016−3−27 追加】 クルターグの「6つの小品」が、ある意味、能天気か。

【2016−5−24 追加】 クルターグの「6つの小品」これは、寄せ集めのオマケかと思ったが、ウェーリー=コーエンのストラディヴァリウスが、よく鳴っている。名演だ。オマケじゃなかった(汗;;

2015年11月 1日 (日)

Kurtág, György: Kafka-Fragmente Caroline Melzer Nurit Stark 2012年録音

Kafka

Kurtág, György (b. 1926)
Kafka-Fragmente (Editio Musica Budapest)
for soprano and violin, Op. 24 (1985– 87)
Caroline Melzer, soprano
Nurit Stark, violin
2012年録音
BIS Records

Kafka-Fragmente for soprano and violin, Op.24, 1. Teil
1. 1. Die Guten gehn im gleichen Schritt… 1'04
2. 2. Wie ein Weg im Herbst 0'36
3. 3. Verstecke 0'26
4. 4. Ruhelos 0'22
5. 5. Berceuse I 1'01
6. 6. Nimmermehr (Excommunicatio) 1'18
7. 7. „Wenn er mich immer frägt“ 0'23
8. 8. Es zupfte mich jemand am Kleid 0'13
9. 9. Die Weißnäherinnen 0'21
10. 10. Szene am Bahnhof 0'17
11. 11. Sonntag, den 19. Juli 1910 (Berceuse II) (Hommage à Jeney) 1'10
12. 12. Meine Ohrmuschel… 0'15
13. 13. Einmal brach ich mir das Bein (Chassidischer Tanz) 0'37
14. 14. Umpanzert 0'23
15. 15. Zwei Spazierstöcke (Authentisch-plagal) 0'46
16. 16. Keine Rückkehr 1'04
17. 17. Stolz (1910/15. November, Zehn Uhr) 0'43
18. 18. Träumend hing die Blume (Hommage à Schumann) 2'21
19. 19. Nichts dergleichen 1'10

Kafka-Fragmente for soprano and violin, Op.24, 2. Teil
20. 1. Der wahre Weg (Hommage-message à Pierre Boulez) 7'22

Kafka-Fragmente for soprano and violin, Op.24, 3. Teil
21. 1. Haben? Sein? 0'43
22. 2. Der Coitus als Bestrafung (Canticulum Mariae Magdalenae) 0'29
23. 3. Meine Festung 0'52
24. 4. Schmutzig bin ich, Milena… 1'50
25. 5. Elendes Leben (Double) 0'17
26. 6. Der begrenzte Kreis 0'33
27. 7. Ziel, Weg, Zögern 0'43
28. 8. So fest 0'52
29. 9. Verstecke (Double) 1'26
30. 10. Penetrant jüdisch 0'20
31. 11. Staunend sahen wir das grosse Pferd 1'59
32. 12. Szene in der Elektrischen (1910: „Ich bat im Traum die Tänzerin Eduardowa, sie möchte doch den Csárdás noch einmal tanzen…“) 3'56

Kafka-Fragmente for soprano and violin, Op.24, 4. Teil
33. 1. Zu spät (22. Oktober 1913) 3'44
34. 2. Eine lange Geschichte 1'03
35. 3. In memoriam Robert Klein 0'41
36. 4. Aus einem alten Notizbuch 1'19
37. 5. Leoparden 2'13
38. 6. In memoriam Joannis Pilinszky 2'46
39. 7. Wiederum, wiederum 1'42
40. 8. Es blendete uns die Mondnacht … (...a porban kúszó kígyó-páros: Márta, meg én) 6'11

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クルターグ・ジェルジュ:カフカ断章〜ソプラノとヴァイオリンのための Op.24 (1985-87)
カロリーネ・メルツァー(ソプラノ)
ヌリット・スターク(ヴァイオリン)
2012年録音

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私の評価:星4つ

コレは、全然期待していなかったけど、良かった。

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私は、以下、3種類の「カフカ断章」を持っていた。

Kurtag: Kafka-Fragments, Op. 24 Adrienne Csengery Andras Keller 1990年録音
Kurtag: Kafka-Fragments, Op. 24 Anu Komsi Sakari Oramo 1995年
Kurtag: Kafka-Fragments, Op. 24 Juliane Banse, Andras Keller 2005年

私は、Anu Komsi, soprano Sakari Oramo, violin の演奏が気に入っていた。


ユリアーネ・バンゼのクルターグ・ジェルジュ:「カフカ断章」作品24(2005年録音)は、聞きやすい演奏であった。が、あまり、面白い演奏ではなかったと思う。よって、今回、クルターグ:「カフカ断章」の《新しい録音》が発売されて良かったと思う。


このアルバムの魅力の一つは、音の良さである。つまり、SACD であること。このアルバムを大音量で聴くと、聴き応え満点(!)
カロリーネ・メルツァーの美声&わめき声、ヌリット・スタークのヴァイオリンを痛めつけるように擦る音(11曲目「Geschlafen, aufgewacht」のボーイング)、34曲目「長い物語」の強烈なピチカートなどが、オデオ的美音を聞かせ、リスナーの耳を爆音でつんざく。

【注】 メルツァーは、この作品で意外にも美声を聴かせている。コノ作品は美声で歌うと、効果的であることに、初めて私は気づいた。


しかも、コレは、二人の美人が演奏している(HMV.co.jp 参照)


このアルバムは、クルターグの「カフカ断章」を初めて聴く人に、向いている。


コノ「カフカ断章」は、ヴァイオリン演奏が良い。ヴァイオリニストが上手い。ヴァイオリニストのヌリット・スタークが、コノ「カフカ断章」の作品全体の流れをリードしていると思う。


コノ作品は、ヴォーカルとヴァイオリンの旋律の「交じり合い」が面白いと思うのだが、メルツァーとスタークのそれは、うまいと思う。


ヌリット・スタークが弾くヴァイオリンの長い後奏に聴き応えがあり、それは魅力的である(18、20、22、32、33曲目など)。32曲目の「路面電車の中の光景」の後奏は「チャールダーシュ」だろうか?!


40曲目の「目もあやな月夜」において、東洋的なメリスマが聴ける。←メルツァーの歌唱を聴いて、初めて気づいた。

10
しかし、コノ名演も、正直言って、第4部の第1曲あたりで退屈する。

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【追加】

・Kurtag: Kafka-Fragments, Op. 24 Anu Komsi Sakari Oramo 盤について

解釈がクールである。
一つ一つの曲の特長がとらえられている。
Anu Komsi の解釈は細かい。彼女の歌唱は多様(小声でつぶやいたり、声音を変えたり)・・・だが、同時に、Anu Komsi の歌唱には、一貫性(あるいは統一感?)があると思う。したがって、全体の流れが良い。ただし、コノ名演も少し退屈する。
その理由は、この作品にて取り上げられたカフカのテキストが、ワンパターンだからだと思う。カフカの文章は、ある程度の長さ、コンテキスト、出典がないと、何が何だか分からない・・・。

Kafka

György Kurtág
Kafka fragments
Anu Komsi, soprano
Sakari Oramo, violin
Recorded: 1995
ONDINE

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【Apple Music にて】

Adrienne Csengery 盤、Anu Komsi 盤を試聴できます。

検索のためのキーワード:Kafka-Fragments

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【クルターグ:カフカ断章 Op.24 歌詞対訳】

http://koshiro56.la.coocan.jp/ubersetzung/Kafka-Fragmente_20151123.pdf

文字化け消えたかも知れません。(2015−11−23)

2011年5月 6日 (金)

クルターグの「カフカ断章」改訳

「カフカ断章」ユリアーネ・バンゼ ECM 国内盤に付いている佐藤みどり氏の訳が手に入ったので、以下に改訳します(赤の部分が佐藤みどり氏訳を参考にした改訳)。

第1部
1 よいことは足並みが揃う

よいことは足並みが揃う。それに気付かずに、他の人々はそのまわりを踊る。時の踊りである。

2 秋の道のように
秋の道のように、掃いたとたんに枯葉が覆ってしまう。

3 隠れ家
隠れ家は数えきれないほどあるが、救いは一つしかない。しかし、救われる見込みは隠れ家と同数だ。

4 不安だ

5 子守歌 I
あなたの外套で子どもを包んでください。高貴な夢よ。

6 もう二度と(放逐)
もう二度と、もう二度と、お前は街に戻らない。もう二度とあの大きな鐘はお前の上に鳴ることはない。

7 「しかし彼は私に問うのをやめないだろう」
「しかし彼は私に問うのをやめないだろう」
という文章から「ああ」という語が分離してボールのように飛んで行った。牧場の上を。

8 誰かがわたしの服を引っ張った
誰かがわたしの服を引っ張った。しかし、わたしはそれを振り払った。

9 お針子さんたち
土砂降りの雨の中のお針子さんたち。

10 駅の風景
列車が通過するとき、それを見る人々はこわばる。

11 1910 年 7 月 19 日 日曜日(子守歌 II )
眠って、起きて、眠って、起きて、みじめな生活。

12 わたしの耳
私の耳は触るとみずみずしく、異様に大きく、冷たく、湿っぽく、木の葉のようだ。

13 かつてわたしは脚を骨折した
かつてわたしは脚を骨折した。それはわたしの人生で一番素晴らしい経験だった。

14 鎧をまとう
一瞬、わたしは自分が、鎧をまとったと感じた。

15 二つの散歩用ステッキ
バルザックのステッキを握ると、わたしはすべての障害を打ち砕いた。
わたしのステッキを握ると、すべての障害がわたしを打ち砕く。
「すべて」である点は共通している。

16 後戻りできない
或る地点からは、もはや後戻りできない。
その地点は到達されなければならない。

17 プライド(1910年11月15日、10時)
私は自分を疲れさせないようにしよう。私は私の小説の中に跳び込もう。たとえ、そのために、私の顔が切り裂かれても。(たとえそれが私の威信を傷つけようとも)

18 花は夢見るようにうなだれていた
花はその丈高い茎の上で夢見るようにうなだれていた。
たそがれがそれを包んでいた。

19 なんでもないことだ
なんでもないことだ。なんでもないことだよ。

第2部
20 真実の道

真実の道は、高いところに張られている綱の上ではなく、地上すれすれの綱の上を進む。その道は、歩かれるためにあるのではなく、むしろ人をつまずかせるためにある。それが定めのようだ。

第3部
21 持つ? 在る?

持てるものはない。ただ在るだけだ。窒息死を希う(こいねがう)存在が在るだけだ。

22 罰としてのコイトス(性交)
一つになることの幸福の罰としてのコイトス。

23 わたしの要塞
わたしの監獄の独房 --- わたしの要塞。

24 私は汚れている、ミレーナ・・・
私は汚れている。ミレーナ。とてつもなく汚れている。だから、私は純潔について、こんなにうるさく言うのだ。地獄の底にいる人々ほど純潔な歌を歌う人はいない。彼らの歌こそ天使の歌なのだ。
【注】ミレーナは、カフカの恋人。

25 みじめな生活(ドゥーブル、くりかえしまたは変奏)
眠って、起きて、眠って、起きて、みじめな生活。

26 閉鎖的集団
閉鎖的集団は純粋である。

27 目的、道、ためらい
目的地は在る。しかし道がない。仮に道があるとしても、それはためらい以外の何ものでもない。

28 とても固く
とても固く手が石を握る。だが手が石を固く握るのは、その石をより遠くへ投げ飛ばすためだ。しかし、どれほど遠くに石を投げ飛ばしても、そこへと道は続いている。

29 不快にユダヤ的な
お前と世界の闘争にあって、お前は世界に加勢しなさい。

30 隠れ家(ドゥーブル)
隠れ家は数えきれないほどあるが、救いは一つしかない。しかし、救われる見込みは隠れ家と同数だ。

31 驚嘆して私たちはその大きな馬を見た
驚嘆して私たちはその大きな馬を見た。その馬は、私たちの部屋の屋根を破った。その巨大なシルエットをたどって曇った空は、弱々しく流れ、馬のたてがみはサラサラと風になびいた。

32 路面電車の中の光景
踊子エドゥアルドヴァは音楽愛好家でもある。彼女は、よく路面電車に乗る。二人のヴァイオリニストと同伴だ。彼女は、その二人にしばしば伴奏させる。なぜなら電車の中でダンスは禁じられてはいない。ただし演技が良くて乗客を喜ばせ無料ならばという条件付きだ。つまり、あとで寄付金が集められなければという条件付きである。もっとも、ダンスが始まる際に、乗客は皆、少しびっくりする。そして、しばらくの間、それは場所柄をわきまえない行為だとみなされる。しかし、静かな路地をフルスピードで電車が走るとき、強い風が流れるとき、彼女の踊るダンスはすてきだ。

第4部
33 遅過ぎる(1913年10月22日)

遅過ぎる。甘美な悲しみと甘美な愛。小舟の中で彼女は微笑む。それは、あまりにも美しい。愛とは、いつもただ死を待ちこがれて生きることだ。

34 長い物語
私は少女の目をまっすぐに見る。それはキスの嵐を伴う長い恋の物語であった。私は放埒に生きている。

35 ロベルト・クラインを悼んで
猟犬はまだ庭にいる。獲物は逃げられないだろう。どんなに森を駆け巡ろうとも。

36 一冊の古いノートブックから
いまや夕暮れだ。私は朝の6時から勉学に励んだ。気がつけば、しばらく前から、私の左手は右手に同情して、指を絡ませて右手を握っていた。

37 レパード(豹)たち
レパード(豹)たちが、寺院に侵入し、聖水を飲み干す。それは、何度も繰り返されるので、結局、人々は、それを予測することができ、そして、それは儀式の一部となるだろう。

38 ヨアニス・ピリンツキーを悼んで
わたしは本来、物語ることができない。いや、話すことさえできない。わたしが物語るとき、わたしはたいてい、小さい子どもが最初に歩く時のような気持ちになる。

39 ふたたび、ふたたび
ふたたび、ふたたび、遠くへ追放された、遠くへ追放された。山々、砂漠、広大な土地をさすらわなければならない。

40 目もあやな月夜
目もあやな月夜、鳥たちは、木から木へと、高い声で鳴いていた。野原を風が吹き渡る。わたしたちは、ちりの中を這った。わたしたち、2匹の蛇は。

なお、「カフカ断章」ユリアーネ・バンゼ ECM 国内盤のリーフレットには、ヴァイオリンの演奏の仕方について以下のような面白い記述がある。

〈第24曲 私はけがれている、ミレーナ〉と〈第32曲 路面電車の光景〉では、低く調弦された第2のヴァイオリンが用いられ、さらに〈第34曲 路面電車の光景〉でも別の調弦で用いられる。楽譜では、それを歌手に対して普通とは逆の位置にある専用の台に置くように指示している。ヴァイオリン奏者が曲間や曲の最中に、ひとつのヴァイオリンから別のものに移るのを明らかに、ときには劇的にするためである。たとえば〈第32曲 路面電車の光景〉の場合、ヴァイオリン奏者は第2のヴァイオリンを弾き始め、カデンツァ風の締めくくり部分で第1の楽器の方に移動する。(ポール・グリフィス 訳:佐藤みどり)

>ヴァイオリン奏者が曲間や曲の最中に、ひとつのヴァイオリンから別のものに移るのを明らかに、ときには劇的にするためである。

2挺のヴァイオリンを持ち替えるだけではなく、それらを持ち替えたことが分かるように、わざと、2つめのヴァイオリンを遠くに置くということですね。

さて、このクルターグ作曲「カフカ断章」については、私は、ユリアーネ・バンゼ盤(2005 年録音)アドリアンヌ・チェンゲリ盤より、下記の Anu Komsi & Sakari Oramo 盤が気に入っている。この作品の〈第20曲 真実の道〉では、かなり高度なヴァイオリン演奏技法が求められるが、Sakari Oramo はうまい。また、Anu Komsi も微妙なニュアンスをうまく歌っている。Anu Komsi は、ノリントン指揮「マーラー4番」を歌っている。

Kafka

György Kurtág
Kafka fragments
Anu Komsi, soprano
Sakari Oramo, violin
Recorded: 1995
ONDINE

2011年1月16日 (日)

アドリアンヌ・チェンゲリのクルターグ声楽曲集

Csengery

György Kurtág
Works for Soprano
Adrienne Csengery, soprano
1986(I.) 1994(II.) 1985(V.) 1982(III.) 1984(IV.)
Recording supervision: György Kurtág
HUNGAROTON

I. Attila József - Fragments Op. 20 [14' 51]
Poems by Attila József

II. S. K. - Remembrance Noise Op. 12 [7' 23]
7 Poems by Dezsö Tandori
András Keller, violin

III. Messages of the Late R. V. Trussova Op. 17 [26' 55]
21 Poems by Rimma Dalos
Márta Fábián, cimbalom
Budapest Chamber Ensemble
Conducted by András Mihály

IV. Scenes from a Novel Op. 19 [18' 47]
15 Poems by Rimma Dalos
András Keller, violin
Ferenc Csontos, double bass
Márta Fábián, cimbalom

V. Farewell [2' 21]
Poems by Rimma Dalos
György Kurtág, piano

最近、CD を買い過ぎているので整理するために、備忘録としてこれを書く。

これは、ジャチント・シェルシの『やぎ座のうた』と同じ日に届いた商品。よって、シェルシの『やぎ座のうた』とこのクルターグ声楽曲集を比較する。といっても、比較の理由は同じ日に届いたからということ以外にないし、クルターグの声楽曲とジャチント・シェルシの『やぎ座のうた』を比較することに意味があるのかどうかは分からない。

このクルターグの声楽曲集は、4つの作品からなる。第5曲の「Farewell」はボーナストラックである(ピアノ伴奏が作曲者自身である)。

第1曲は、ソプラノ独唱のみ。曲目は、計20曲。
第2曲は、「カフカ断章」と同じ形式。独奏ヴァイオリンの伴奏による。計7曲。
第3曲は、指揮者によって指揮される比較的大きなアンサンブルの伴奏による。計21曲。
第4曲は、ヴァイオリン、バス、ツィンバロムの伴奏による。計15曲。
歌詞は、第1、2曲はハンガリー語。第3、4、5曲はロシア語である。

第5曲まで含めれば、計64曲。演奏時間は総計70分48秒なので、1曲の演奏時間が短いことが分かると思う。

第2曲は「カフカ断章」に似ている。第2曲と同様に、その他の曲もいわゆる「断章」に音楽が付けられている。しかし「カフカ断章」と異なる点は、第3曲に、かなり大音響の伴奏が付くこと。

第1、2曲が、ソプラノ独唱および独奏ヴァイオリン伴奏による作品なので、私はその比較的静かな「音」を聴くためにオーディオの音量を大きめの音量に設定して、第2曲までを聴いた・・・すると第3曲にて、爆発のような大音響がして、スピーカがぶっ壊れるかと思うほど私は驚いた。

第3曲以降で歌われるロシア語は語感がすごい。ロシア語って暴力言語だったのか。ロシア人がこれを聴くときっと怒るだろう。

第3曲におけるアドリアンヌ・チェンゲリ(Adrienne Csengery)の歌唱は、ユリアーネ・バンゼの「カフカ断章」のよりも激しいので、私は度肝を抜かれた。

そして、第3曲の絶叫の中で、シェルシの『やぎ座のうた』に似た歌唱法が聴かれる。

「ソプラノがすごい絶叫で歌うと、どれも似たように聞こえるのかも知れない」と思って、もう一度聴いてみた。すると、クルターグは、シェルシよりさらに激しいことに気づいた。

クルターグの歌は、民族的で野性的な単純化された歌唱と高度な技法による歌唱、それらの両立がある。そして、シェルシにはないモダンがある。しかし、それをシェルシの延長線上の音楽として聴いても面白いかも知れない。

しかし、歌唱法、作曲技法、方法論、書法、コンセプトなどで両者はまったく異なる(というより「両者は音楽が異なる」)。

クルターグの声楽曲集は歌詞が付いていて、しかも、その詩が「カフカ断章」と同様に刺激的であるし、さらに歌手に演劇的表現を要求している(そして、これらの歌曲集は演劇的要素を持つと思う。歌手は歌いながら演じなければならないのではないだろうか。それが、クルターグにあってシェルシにない最大の特徴であろう)。

したがって、シェルシの『やぎ座のうた』とクルターグ声楽曲は大きな違いがある。しかし、平山美智子が作曲家シェルシの「ミューズ」だとしたら、このアドリアンヌ・チェンゲリは、クルターグの「ミューズ」なのかも知れない。その点は、よく似ていると私は思った。そもそも、リスナーを驚かすという点において、両者(クルターグとシェルシ)は似ている・・・。

2010年12月26日 (日)

クルターグの「カフカ断章」試訳

第1部
1 善良な人々が規則正しい歩調で歩む

善良な人々が規則正しい歩調で歩む。善良な人々を知らない人々は、善良な人々の周りで踊る。時の踊りを。

2 秋の道のように
秋の道のように、掃いたとたんに乾いた葉が覆ってしまう。

3 隠れ家
隠れ家は数えきれないほどあるが、救いは一つしかない。しかし、救われる見込みは隠れ家と同数だ。

4 眠れない

5 子守歌 I
あなたの外套で子どもを包んでください。高貴な夢よ。

6 もう二度と(放逐)
もう二度と、もう二度と、お前は街に戻らない。もう二度とあの大きな鐘はお前の上に鳴ることはない。

7 「彼がわたしに、いつも問うとき」
「彼がわたしに、いつも問うとき」という文章から「問」という語が分離してボールのように飛んで行った。牧場の上を。

8 誰かがわたしの服を引っ張った
誰かがわたしの服を引っ張った。しかし、わたしはそれを振り払った。

9 お針子さんたち
大雨の中のお針子さんたち。

10 駅の風景
列車が通過するとき、それを見る人々はこわばる。

11 1910 年 7 月 19 日 日曜日(子守歌 II )
眠って、起きて、眠って、起きた、みじめな生活。

12 わたしの耳
わたしの耳は、新鮮で、でこぼこで、冷たく、ジューシーだ。一葉の葉のように。

13 かつてわたしは脚を骨折した
かつてわたしは脚を骨折した。それはわたしの人生で一番素晴らしい経験だった。

14 甲羅に被われる
一瞬、わたしは自分が、甲羅に被われたと感じた。

15 二つの散歩用ステッキ
バルザックのステッキを握ると、わたしはすべての障害を屈服させる。
わたしのステッキを握ると、すべての障害がわたしを屈服させる。
「すべて」である点は共通している。

16 後戻りできない
或る地点からは、もはや後戻りできない。
その地点は到達されなければならない。

17 プライド(1910年11月15日、10時)
私は自分を疲れさせないようにしよう。私は私の小説の中に跳び込もう。たとえ、そのために、私の顔が切り裂かれても。

18 夢を見ながらその花はぶら下がっていた
夢を見ながらその花はぶら下がっていた。高い茎に。
黄昏がそれを包んだ。

19 そんなことはない
そんなことはない。そんなことはない。

第2部
20 真実の道

真実の道は、高いところに張られている綱の上ではなく、地上すれすれの綱の上を進む。その道は、歩かれるためにあるのではなく、むしろ人をつまずかせるためにある。それが定めのようだ。

第3部
21 持つ? 在る?

持てるものはない。ただ在るだけだ。最期の息、窒息死を希う(こいねがう)存在が在るだけだ。

22 処罰としてのコイトス
人と共に在ることの幸福を罰する処罰としてのコイトス。

23 わたしの要塞
わたしの監獄の独房 --- わたしの要塞。

24 私は汚れている、ミレーナ・・・
私は汚れている。ミレーナ。とてつもなく汚れている。だから、私は純潔について、こんな大騒ぎをするんだ。とても深い地獄の中にいる人々ほど純潔な歌を歌える人はいない。彼らの歌こそ天使の歌なのだ。
【注】ミレーナは、カフカの恋人。

25 みじめな生活(変奏曲)
眠って、起きて、眠って、起きた、みじめな生活。

26 閉じた円
閉じた円は純粋だ。

27 目的、道、ためらい
目的地は在る。しかし道がない。わたしたちが道と呼ぶもの。それはためらいだ。

28 とても固く
とても固く手が石を握る。だが手が石を固く握るのは、その石をより遠くへ投げ飛ばすためだ。しかし、どれほど遠くに石を投げ飛ばしても、そこへと道は続いている。

29 ユダヤ人気質を貫く
あなたは世界と戦いながら、世界の介添えをしなさい。

30 隠れ家(変奏曲)
隠れ家は数えきれないほどあるが、救いは一つしかない。しかし、救われる見込みは隠れ家と同数だ。

31 驚嘆して私たちはその大きな馬を見た
驚嘆して私たちはその大きな馬を見た。その馬は、私たちの部屋の屋根を破った。曇った空は、その巨大なシルエットをたどって弱々しく流れ、馬のたてがみはサラサラと風になびいた。

32 電車の中の風景
踊子エドゥアルドヴァは音楽愛好家である。彼女は、どこに行く時も、電車で旅をするときは、二人のヴァイオリニストと同伴だ。彼女は、その二人にしばしば演奏させる。なぜなら電車の中で演奏することは禁じられてはいない。というのも彼らの演奏はうまいし、そして乗客を喜ばせるし、無料だからだ。つまり、あとで寄付金を集められることはないからだ。もっとも、演奏が始まる際に、乗客は皆、少しびっくりする。そして、しばらくの間、その演奏は場所柄をわきまえない行為だとみなされる。しかし、フルスピード、強い風の流れ、静かな街路、そんな中で演奏される音楽は、すてきに響く。

第4部
33 遅過ぎる(1913年10月22日)

遅過ぎる。甘美な悲しみと愛。小舟の中で彼女は微笑んだ。それは、あまりにも美しかった。途絶えることのない希死念慮。我が身を支えるのは愛のみだ。

34 長い物語
私は一人の少女の目を見つめている。そして、かつて、とても長い愛の物語があった。その物語は、雷、口づけ、稲妻と共にあった。私は大急ぎで生きている。

35 ロベルト・クラインを悼んで
まだ猟犬たちは中庭を駆け回っている。しかし、獲物は猟犬たちから逃げ去ろうとしない。いま森の中は狩りが行われているというのに。

36 一冊の古いノートブックから
いまや夕暮れだ。私は朝の6時から勉学に励んだ。気がつけば、しばらく前から、私の左手は右手に同情して、指を絡ませて右手を握っていた。

37 レパード(豹)たち
レパード(豹)たちが、寺院に侵入し、聖水盤の聖水を飲み干す。それは、何度も繰り返されるので、結局、人々は、それを予測することができ、そして、それは儀式の一部となるだろう。

38 ヨアニス・ピリンツキーを悼んで
私は本来、物語ることができない。いや、話すことさえできない。わたしが物語るとき、わたしはたいてい、小さい子どもが最初に歩く時のような気持ちになる。

39 ふたたび、ふたたび
ふたたび、ふたたび、遠くへ追放された、遠くへ追放された。山々、砂漠、広大な国をさすらわなければならない。

40 月夜がまぶしかった
月夜がまぶしかった。鳥たちは、木から木へと、甲高い声で鳴いていた。野原はざわめいていた。わたしたちは、ちりの中を這った。わたしたち、2匹の蛇は。

【2011年1月10日 追記】
Amazon.co.jpのクルターク: カフカ断章に、各曲の題名(日本語)が載っていて、それを見ると私の訳にいくつか誤訳、またはニュアンスの違いが見つかった。

「1 善良な人々が規則正しい歩調で歩む」
Die Guten gehn im gleichen Schritt. Ohne von ihnen zu wissen, tanzen die andern um sie die Tänze der Zeit.
アマゾンでは「よいことは足並みが揃う…」だが、これは「よいこと」と訳すと後が続かないような気がする。あえて訳せば「よいことは足並みが揃う。それについて知ることなく、その他のことは、そのまわりで、時の踊りを踊る」

「4 眠れない」"Ruhelos" は、私がたまたま不眠症なので「眠れない」と訳したが、"ruhelos" は直訳すると「落ち着きのない」「不安だ」という意味。

「19 そんなことはない」"Nichts dergleichen" は、アマゾンでは「なんでもないことだ」と訳されてある。これは、後者のほうがよい。

「26 閉じた円」は「閉鎖的集団」のほうがよいかも知れない(円というのは、そもそも閉じているので「閉じた円」というのは不自然)。Der begrenzte Kreis ist rein. 閉鎖的集団は清い(罪がない)。

「29 ユダヤ人気質を貫く」"Penetrant jüdisch" は、直訳すると「不快にユダヤ的な」。

「32 電車の中の風景」"Szene in der Elektrischen" は「路面電車内の光景」のほうがしっくり来る。

以上、題名だけでも、私の訳にニュアンスの間違いが多くあるのだから、それに続く本文には誤訳やニュアンスの間違いはもっと多くあると思う。

【2011年1月25日 追記】
「1 善良な人々が規則正しい歩調で歩む」
Die Guten gehn im gleichen Schritt. Ohne von ihnen zu wissen, tanzen die andern um sie die Tänze der Zeit.

「よいことは足並みが揃う。よくないことは、よいことなんぞ知ることなく、なかなか進展しない。まるで時の踊りのように」

という訳でいいかも。

【クルターグの「カフカ断章」改訳に続く】

クルターグの「カフカ断章」前書き

Kurtag

György Kurtág
Kafka - Fragmente op. 24
Juliane Banse, soprano
András Keller, violin
Recorded September 2005
Produced by Manfred Eicher

私は大学で、2年間、カフカを研究した。よって、カフカを題材にしたクルターグの「カフカ断章」をもっと早く購入すべきだった。しかし、シノーポリの新ウィーン楽派録音集成におけるユリアーネ・バンゼ(Juliane Banse)によるアルバン・ベルク(7つの初期の歌)・・・これは、私はあまりうまいと思わなかったので、バンゼが歌う「カフカ断章」を買うのを躊躇していた。

ところが、クラウディオ・アバド指揮の「Grabstein für Stephan, Stelle」でクルターグの作品を聴いて、クルターグが気に入った私は、それをきっかけに、クルターグの「カフカ断章」を購入した。その結果は以下のとおりだ。このアルバムにおけるユリアーネ・バンゼは、まったく期待していなかったにもかかわらず、とてつもなく見事である。ユリアーネ・バンゼ&アンドラーシュ・ケラー(András Keller)による「カフカ断章」に、私は、100 %満足だ。出来が良過ぎると言ってもいい。このアルバムはカフカの作品の愛読者であった私、しかも、カフカを原文で読んだことがある私にとって美味し過ぎる(それ以外の人、つまりカフカを知らない人は、これを、如何に評価するのだろうか)。

カフカについては、何も書かないことにする。書き始めたらきりがないからだ(ウィキペディアのカフカの記事を読めば、私の下手な解説よりもずっと正確で詳細な情報が得られる)。ただ、一言だけ。クルターグの「カフカ断章」は箴言集とか格言集ではない。すなわち「カフカ断章」は、カフカが残した日記や手紙からアトランダムにピックアップされた短い文の集まりに過ぎない。それは文学的・哲学的意味を持たない。また、カフカの日記や手紙における前後の文脈無しに、それらの断章を読んでも無意味だと私は思う。ところが、クルターグという人は、カフカの膨大なテキストから、上手に断章を抜き出し、そして、それを音楽と同化し、カフカの魅力を引き出すことに完璧に成功している。クルターグのカフカに対する理解は相当なもんである。クルターグのセンスは、カフカの言語明瞭・意味不明(正確には「カフカの言語明瞭・意味明瞭しかし理解不能」というべきか)と完全にマッチしているのかも知れない。

私は、バンゼが「Ruhelos(眠れない)」と歌うのを聴くと「あ、これは自分のことだ」と思ってうれしくなるし、「Nichts dergleichen(そんなことはない、または、そんなものはない、または、そんなはずはない)」でバンゼが「Nein! Nein!」と小野洋子のようにわめき散らすのを聴くと元気になる・・・というか、クルターグの「カフカ断章」は私にとって、とても懐かしい作品に思える。これは、憂鬱な気分に落ち込んだ私にとって、よきクリスマス・プレゼントだ。

【HMV.co.jp へのリンク】
クルターグ:カフカ断章 バンゼ、ケラー

以下に、歌詞を試訳してみたので、良かったら参照下さい。誤訳もあると思いますが。

クルターグの「カフカ断章」試訳

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