2009年5月14日 (木)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(8)


Frank

"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK373(1961,62,64,67年)",Arthur Grumiaux,コリン・デイヴィス

"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK373、2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ ハ長調K190(1961-76年)",スターン,ジョージ・セルほか

"ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK269,373(1968年)",シュナイダーハン,Bpo

"ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、ロンドK373(1970-71年)",オイストラフ,Bpo

"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-7、アダージョK261、ロンドK269,373、2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ ハ長調K190(1972-73年)",スーク,プラハ室内

"ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK269,373(1982,85年)",パールマン,レヴァイン,Vpo

"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5(1983,84,87年)",クレーメル,Nikolaus Harnoncourt,Vpo

"ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK269,373(1997年)",Giuliano Carmignola,Carlo de Martini,Il Quartettone

"ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、From the Serenade K.250(1997,99年)",Pamela Frank,David Zinman,Tonhalle Orchestra Zurich

"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5(2000-05年)",Thomas Zehetmair,Frans Brüggen,Orchestra of the Eighteenth Century

"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5(2005年)",ムター,Lpo

"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5(2007年)",Giuliano Carmignola,Abbado,Orchestra Mozart

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(5)で私は、

「1番はスターン、スーク、クレーメル。2番はムター。3番はスターン、パールマン。4番はムター、スターン。5番はデュメイがよい。平均的にはグリュミオーがよい。したがって今回聴き比べた11種の中でお薦めは、無難なグリュミオー。新しい録音では、ムター盤を薦めることができる(ただし、第3番に違和感を感じなければ)」

という中途半端な結論しか出せなかったので、さらに、

Pamela Frank,David Zinman,Tonhalle Orchestra Zurich
Thomas Zehetmair,Frans Brüggen,Orchestra of the Eighteenth Century
Giuliano Carmignola,Abbado,Orchestra Mozart

の3種類を買い、聴き比べ、上記12種類のモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全曲集の BEST を見つけようとしたところ、

Pamela Frank,David Zinman & Tonhalle Orchestra Zurich

が一番良かった。

Pamela Frank,David Zinman のどこが良いかというと、それはもう「安いので買って聴いて下さい」としか言いようがない。かようなコメントはまったく無意味であり、読者に「こんなブログ、二度と読むか!」と叱られそう。だが私は、パメラの良さを、スコアを示しながら指摘しようとしたが、できなかったのだ。すなわち彼女の演奏は、これまで聴いたモーツァルトのなかで最も私の嗜好に合っているし、すべからく私の嗜好に合っているのに、それをうまく説明できないのだ。

この人は技巧は持たない。美音も持たない。HMV のレビューにあるとおり「線はやや細目ですが厚い化粧に頼らずさわやかな演奏」

パメラとジンマンの間には、ある種の緊張感があると思う。これは私の憶測(というより半ば創作)だが、二人の間に以下のような取引があったのではなかろうか。

パメラ・フランクというヴァイオリニストは、意外に個性的だ。ジンマンは、このじゃじゃ馬をうまく馴らしていると思う。すなわち二人の個性は違う方向を向いていると思う。この二人は互いに譲歩しあっていると思う。ジンマンは、自らのカデンツァを弾いてもらう代わりに、全面的に音楽的にパメラのモーツァルトの解釈を受け入れ、あるいはそれに合わせた。他方パメラは、ジンマンが書いたカデンツァを演奏することで、ジンマンのペースに、うまく乗せられているという気がする(モーツァルトのVn協奏曲において、カデンツァは極めて重要であり作品を支配する)。

パメラが、カデンツァを弾く間、オケが沈黙する。その沈黙は、単なる休止ではなく、パメラに「音楽の流れを壊すなよ」と、無言の圧力に思える。Tonhalle Orchestra にとっては、ジンマンとパメラの取引は、指揮者と独奏者の勝手な取引であり「我関せず」と、この二人の取引の結果が、うまく行こうが行くまいが責任ない。Tonhalle Orchestra の演奏は「そんな取引は勝手にやってくれ、おれたちも勝手にやる」という演奏に聞こえる。Tonhalle Orchestra の演奏に、ジンマンの個性が聴けない。ところが、Tonhalle Orchestra は、もしかしたら自主的に、主体的に、パメラに、合わせている。Tonhalle Orchestra は、ジンマンよりも、パメラに指揮(?)されている...とも思える。

パメラのカンタービレの美しさ、間の取り方、おかずの入れ方【注】は、Tonhalle の演奏と絶妙に調和している。それは「完璧である」とは断言できないが私には心地よい。

誰が誰を操っているのかわからない。指揮者、独奏者、オーケストラの隠された駆け引きが、この演奏の魅力だと思う。

それに対し、Giuliano Carmignola,Abbado,Orchestra Mozart の演奏には、上記の緊張感はまったくない。あろうはずがない。アバドが創設しカルミニョーラをコンサートマスターに置くユースオーケストラに、上記のような見えない駆け引きなど聴けようはずがない。すでに指摘したことだが、モーツァルトのVn協奏曲全5曲は(モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(1)で指摘したとおり)集中的に書かれた作品群であるにもかかわらず、それぞれの個性が際立ち、各曲のオーケストレーションに深化が見える。それなのに、カルミニョーラ&アバド盤では、オケの主体性は存在しない。オケの弱さは、モーツァルトのVn協奏曲を演奏する際、致命的だ。

【注】一箇所スコアを示し指摘する。第5番(K219)第1楽章、ヴァイオリンソロによる提示部の序奏(midi)終わりのパメラの弾き方に注意。

K219_1_2

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2008年10月23日 (木)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(7)

Manze


Mozart
3 Violin Concertos
Violin Concerto No. 3 in G major, K. 216
Violin Concerto No. 4 in D major, K. 218
Violin Concerto No. 5 in A major, K. 219
All cadenza by Andrew Manze
The English Concert
Andrew Manze, violin & director
2005年録音
harmonia mundi

Bunchou さんおすすめの「モーツァルト: ヴァイオリン協奏曲/アンドリュー・マンゼ/イングリッシュ・コンサート」を買ってみた。

これは音がいい。

本当は、値段がそんなに変わらない SACD 盤を注文したが、入手できなかった。残念。

演奏は、まず、

「The English Consert は、こんなに演奏がうまかったのか」と思うほど、The English Consert がいい。アンドリュー・マンゼは指揮者として優れているようだ。

The English Consert は、ピノック指揮の「ブランデンブルク協奏曲」を持っているが、それは、まあ...それなりというところだった。それに対して、このマンゼ指揮の「モーツァルト: Vn 協奏曲」の The English Consert は、ピノックの音より繊細で、3曲とも細かいニュアンスを出すことに成功していると思う。

マンゼのヴァイオリンは、

K. 216(No. 3) は、スターンの貫禄に負ける。

K. 218(No. 4) は、元気のよいムターの新旧盤の方が聴き応えがあるように思う。しかし、

K. 219(No. 5) は、上記の指揮のうまさと、マンゼの弾くピリオド楽器の演奏法のノン・ヴィブラートと弱めのヴィブラートの絶妙なブレンド。また、あまり高音に頼らない音色が美しい。また、この人は時々、フラジオレットみたいな奏法をしているが、それがわざとらしくなく、自然だ。ムターも弓を弦に弱くこすりつけるような変な奏法をやっているが、あれは下品だ。それに対して、マンゼのは、自然であり、あたかもそういう奏法が昔、存在したかのように思える(学術的根拠不明)。
それから(これは、全3曲に関していえるが)テンポの微妙な揺らし方、適切なデュナーミクが心地よい。第1楽章のアインガングへの入り方、その間の取り方が良いし、その微妙なニュアンスが、K. 219 の3つの楽章に生きている。第2楽章は美しく、第3楽章のトルコ風音楽のところで、バチンバチンなる音響効果(もしかして、バルトークピチカート?)も良かった。

K. 219 は、3つの楽章のバランス、ニュアンスが、私がこれまで聴いた中でベストであり、K. 219 の最良の演奏だと思う。

Bunchou さん、ありがとうございました。

 

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2008年7月29日 (火)

ヒラリー・ハーンを追っかける(3)

Hahn

WOLFGANG AMADEUS MOZART

Sonatas for Piano and Violin

Sonata in F major K. 376 (374d)
Sonata in G major K. 301 (293a)
Sonata in E minor K. 304 (300c)
Sonata in A major K. 526

HILARY HAHN, violin
NATALIE ZHU, piano
2004年録音
Deutsche Grammophon

ハーンのモーツァルト:Vnソナタは、ムターの嫌らしさがない代わりに、清潔すぎて面白みがない。若さ故の傷があってもよいと思えるほど聴きやすく傷のない演奏だ。K. 304 がよく、K. 526で盛り上げているが、全体的には平均点以上ではないように思う。

聴きやすさでは、シェリング&ヘブラーを上回るほどだが、面白さでは Mark Steinberg & 内田に遠く及ばない。

ナタリー・シュー Natalie Zhu はうまい。

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2008年5月 1日 (木)

モーツァルト:弦楽四重奏曲《ハイドン・セット》その9のつづき

モーツァルト:弦楽四重奏曲《ハイドン・セット》その9のつづき

いま、連休中で、久しぶりに、モーツァルト:弦楽四重奏曲《ハイドン・セット》を聴いているが、下記エマーソンのものが一番良い。お薦めです。

Mozart_emerson

モーツァルト:弦楽四重奏曲 第14番 ト長調 K.387
モーツァルト:弦楽四重奏曲 第15番 ニ短調 K.421(417b)
エマーソン弦楽四重奏団
1989年、1991年録音

Emerson2

モーツァルト:弦楽四重奏曲 第17番 変ロ長調 K.458《狩り》
モーツァルト:弦楽四重奏曲 第19番 ハ長調 K.465 《不協和音》
エマーソン弦楽四重奏団
1988録音

Emerson3

モーツァルト:弦楽四重奏曲 第16番 変ホ長調 K.428(421b)
モーツァルト:弦楽四重奏曲 第18番 イ長調 K.464
エマーソン弦楽四重奏団
1989年、1991年録音


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2008年4月18日 (金)

ムローヴァを追っかける(1)

Mozart

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K216
ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ長調 K218
ヴァイオリン協奏曲第1番 変ロ長調 K208
ヴィクトリア・ムローヴァ(ヴァイオリン、指揮)
Orchestra of the Age of Enlightenment
録音:2001年

・ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K216
 第1楽章 9'13 カデンツァ:オタヴィオ・ダントーネ
 第2楽章 6'56 カデンツァ:オタヴィオ・ダントーネ
 第3楽章 6'56 カデンツァ:ヴィクトリア・ムローヴァ

オケの音はあまり美しくない、弦の音はきれいでないし、その割にはうるさい、ストレスが強すぎる、ホルンの音が聞こえない...と第一印象は悪かったが、これは、正しいモーツァルトである。ピリオド奏法の飾りの無さが、うれしい。よく聴くと、ムローヴァはよく歌っている。

第1楽章、ヴァイオリン・ソロによる展開部の終わりで、ヴァイオリンがちょっとポーズを入れながらおどけるところは、《コシ》のアルフォンソ、デスピーナ二重唱の一節に似てると、私は以前から思っていたのだが、ムローヴァの演奏のするその箇所(展開部の終わり)を聴いて、また同じことを感じてしまった。これは「歌」というより「語り」だ。K216はギャラントであるだけでなくコミカルな作品ではなだろうか。その意味でも、ムローヴァの指揮、ソロともに上手さが光る。


・ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ長調 K218
 第1楽章 8'54 カデンツァ:オタヴィオ・ダントーネ
 第2楽章 6'13 カデンツァ:オタヴィオ・ダントーネ
 第3楽章 7'10 カデンツァ:オタヴィオ・ダントーネ

K218は私の好きな曲。

第1楽章
テンポの指示は、モデラートではないが、表現は極めてモデラートである。ヴァイオリン独奏の音符の数が多い楽章だが、歌い過ぎず語り過ぎず。
「ここで、力を入れすぎなければよいが」と思いつつ聴いていると、そこは、ちゃんと力を抜いている。それに対して、カデンツァは長すぎる。

第2楽章
Andante cantabileなのに、あまり歌ってなくて、あっさりしてるのがかえって良い。
カデンツァは、やっぱり長い。

第3楽章
特に良くない。


・ヴァイオリン協奏曲第1番 変ロ長調 K208
 第1楽章 7'54 カデンツァ:オタヴィオ・ダントーネ
 第2楽章 6'38 カデンツァ:オタヴィオ・ダントーネ
 第3楽章 6'37 カデンツァ:オタヴィオ・ダントーネ

これも私の好きな曲。

ちゃんとホルンの音が聞こえる。しかし、ムローヴァの指揮、演奏ともに少し考えすぎではないだろうか。元気なく重い。それは、作品の性格に反してる。ムターの方が良い。


まとめ
結局、第3番が一番良かった。第3番はカデンツァも良かったし...。ムローヴァのモーツァルトには、ベートーヴェンのVn協奏曲同様、節度と、ある種の知性が感じられる。
ベートーヴェンとモーツァルトのヴァイオリン協奏曲で、私のムローヴァに対する評価は決まった。追っかけることにする。

 


 


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2008年2月 6日 (水)

モーツァルト:協奏交響曲 K364 聴き比べ(4)

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ユリア・フィッシャー(Vn)/ゴルダン・ニコリッチ(Va)
ヤコフ・クライツベルク指揮/オランダ室内(06年)

1. Allegoro maestoso 12'32"
2. Andante 11'11"
3. Presto 6'13"

クライツベルクの第1楽章の指揮は「きびきび」という形容が一番適当だろう。

ロンドン交響楽団のコンサート・マスターとオランダ室内管弦楽団の音楽監督を兼任するというゴルダン・ニコリッチ(Gordan Nikolic)のヴィオラは、フィッシャーのヴァイオリンに、よくつけてはいるが特に魅力はない。この作品は、やはり、ヴィオラに魅力がないと演奏の魅力も半減する。

ヴァイオリン協奏曲の場合と違って、K364にはモーツァルト作曲のカデンツァが存在するので、勿論フィッシャーは自作カデンツァを演奏していない。その点、彼女らは第1楽章にセールスポイントを付加できなかった。

ただ、第2楽章は良い。ソロもオケもよく歌っていて、退屈させない。正攻法だが見通しのよいクライツベルクの指揮が成功してるということなのだろうか。よくわからない。

第3楽章は軽快な演奏だが特に面白くない。

ちなみに、この演奏では、ヴァイオリン&ヴィオラソロに、アロイジア&モーツァルトのイメージを重ね合わせることはできなかった。




05

・ヨゼフ・スーク/ヨゼフ・コドウセク/プラハ室内(72年)

1. Allegoro maestoso 13'36"
2. Andante 12'02"
3. Presto 6'35"

これまで紹介してきた演奏には、個性は勿論、何かしら癖、アク、自己主張の強さなどがあったが、スークの演奏にはそれがない。一音一音が「真摯さ」を伝えるような演奏。それが個性なのかも知れないが...。

ユリア・フィッシャー盤との演奏時間の違いに現れているように、遅めのテンポ。そして、まったくもってインテンポで演奏している。

K364を素直に聴くことができる人には、好ましい演奏だろうが、私のようにひねくれた精神分析家には魅力ない。退屈。

ついでに悪口を言うと、スークとプラハ室内の演奏はソロよりオケの方が魅力がある。


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モーツァルト:協奏交響曲 K364 聴き比べ(3)

13

ムター(Vn,指揮)/Yuri Bashmet(Va)/Lpo(05年)

1. Allegoro maestoso 12'37"
2. Andante 11'41"
3. Presto 6'11"

K364の第2楽章ハ短調は、マンハイム=パリ旅行(1777.9 - 1779.1)で就職活動に失敗し、失恋し、母を亡くしたモーツァルトの失意と喪失から生まれた悲しみの歌だということは、ときどき、ふれられる。モーツァルトは、マンハイム=パリ旅行で、人生において初めて「運命の一撃」といえるほどの危機を体験したのではなかろうか。その体験から、K364、特にその第2楽章が生まれたと考えるのは、不自然ではないであろう。

しかし、私はさらに踏み込んで「K364はアロイジア・ヴェーバーとの恋とその恋の終わりを音楽に表した作品」という推理を立ててみた。この作品の二つの独奏楽器はアロイジアとモーツァルト自身ではなかろうか。楽器と人物の対応を仮定するなら、それぞれの独奏楽器のうち、どっちがアロイジアで、どっちがモーツァルトかと問われれば、さしあたって、ヴァイオリンがアロイジアで、ヴィオラがモーツァルトとする。

第1楽章は、アロイジアとの恋の楽しい思い出。二人は仲睦まじく、語り合い、歌い、音楽を奏でる。
第2楽章は、破局。二人は、苦悩を分かち合う。
第3楽章は...これがよくわからん。

上の私の推理は「こじつけ、的外れ、外してる」と思われるかも知れないが、モーツァルトのファンとしてモーツァルトを聴くリスナーなら、ちょっとばかり自分勝手な解釈をして遊んでみるというのは、許される特権ということで..。

前置きが長くなったが、以上をもとにしてムターのヴァイオリンと指揮による演奏を聴いてみた。

ユーリ・バシュメット(Yuri Bashmet)という人は、どこかで聞いたことがある名前と思って、ネットで調べてみたら、アルゲリッチと共演している人だった。ヴィオラ奏者としても指揮者としてもなかなかの実力者とのこと。しかし、このムターとの共演のK364では、いまひとつ、ぴりっとしない感じがする。ただ、この演奏は、癖はあるがあっさりしていて聴きやすい。それと、この録音の指揮は、一応ムターということになっているが、ムターが指揮をするにあたって、バシュメットのサポートは、勿論あったと思う。

K364が、モーツァルトの生前にどのような機会に演奏されたか、その記録は存在しないようだが、もし、モーツァルト自身によって演奏されたなら、ヴァイオリンをレオポルト、ヴィオラをモーツァルト、指揮を二人でしたということが推測される。ムター、バシュメットの共演はそのシチュエーションを想像するための参考になる。

この二人の共演は、クレーメル&カシュカシャンの一体感に負けている。また、デュメイ&ハーゲンによる演奏の面白さにも、ほど遠く及ばず、下手な演奏である。しかし、(繰り返しになるが)あっさりした聴きやすい二人の共演は、この作品を、リスナーが自由に解釈する素材として適している。というわけで、上記の私の推理を検証してみた。

まず、女性がヴァイオリン、男性がヴィオラを担当しているのが、クレーメル&カシュカシャン、デュメイ&ハーゲンの場合と反対だが、私は、前者のほうが、この作品にはあってるように思う。今日、「性が演奏に反映する」という認識は古いとしても、独奏者がムター&バシュメットであることは、二人をアロイジア&モーツァルトに当てはめるのに都合がよい。

第1楽章
二人の演奏を、上記の通り、アロイジア&モーツァルトの愛の語り合いの音楽と捕らえて聴いてみると、これは良かった。

第2楽章
愛の破局の音楽...と思いながら聴いてみたら、まるでメロドラマのように聞こえてしまった。冒頭、ムターの弱音器をつけたような貧弱な弾き方は、この楽章のもつ切迫感や不安感にふさわしくない弾き方だと思う。バシュメットもそれにあわせるように呼応する。それが延々11分続く。三文芝居。

第3楽章
視点を変えるが、第3楽章において、なぜ、モーツァルトは、解決しない調性を展開させたのだろうか。聴きやすいムター&バシュメットの演奏にあっても、やはりこの第3楽章は後味悪い。聴き終えた後に、太田胃散を飲みたくなる...。

以上、中途半端な推論に終わったが、私の仮説は一つの仮説として成り立つと思う。皆さんはどう思われるだろうか。(つづく)


Aroisia_lange

Aroisia Lange




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2008年2月 4日 (月)

モーツァルト:協奏交響曲 K364 聴き比べ(2)

01

グリュミオー(Vn)/Arrigo Pellicia(Va)/コリン・デイヴィス/Lso(64年録音)

1. Allegoro maestoso 13'07"
2. Andante 11'14"
3. Presto 6'18"

第1楽章
肩の力を抜いた演奏。演奏者のリラックスが聴き手もリラックスさせるような演奏。デイヴィスもグリュミオーも、最も適度な力の入れ方を心得ているという感じで、(私がケチをつけた)この楽章のウィークポイントが目立たない。

第2楽章
第1楽章とは違い、ある程度、力がこもっている。第1,2楽章のこの落差は意外であった。ただ、この落差は意図したものではなかろう。デイヴィスとグリュミオーの演奏スタイルは古いスタイルであり、何か新しいことをやってやろうという意図は感じられない。

第3楽章
技巧的でないのが面白くない。つまり第3楽章は上記の「古いスタイル」が、この楽章の良さを引き出せていないように思える。しかし演奏スタイルが古いがゆえ、デイヴィスとグリュミオーの演奏は、例によって安心して聴ける。

この演奏の欠点をあげるとすれば、それはヴィオラ奏者が弱いこと。




02

スターン/ズーカーマン/バレンボイム/イギリス室内(71年)

1. Allegoro maestoso 13'45"
2. Andante 13'16"
3. Presto 6'27"

若きバレンボイムとズーカーマンがスターンをサポートしているという感じ。ズーカーマンのヴィオラはうまい。美しい。

バレンボイムの指揮は、第1楽章冒頭の「sfp-sfp-f」を意識して表現している。また彼の指揮におけるデュナーミクは、スコアに忠実で正確であるようだ。しかし、それはいささか表現過多であるように思える。この作品は、要するに独奏楽器をのぞけば、弦楽五重奏にオーボエ2、ホルン2がくっついてるだけなのだから、小編成の室内楽でも演奏できるのではないだろうか。バレンボイムのサウンドは私に、グールドのいう「芝居」「劇場」という言葉を思い出させる。とくに、第2楽章の熱演は聴いていて、疲れるというか、眠くなる。それは、まさに「芝居がかった」音楽になっている。コリン・デイヴィスとグリュミオーのストレートな演奏の方に好感が持てる。




07

クレーメル/キム・カシュカシャン/アーノンクール/Vpo(83年)

1. Allegoro maestoso 13'59"
2. Andante 11'06"
3. Presto 6'29"

アーノンクールの指揮は、うまい。たとえば、下記譜例(第1楽章、第27小節、midi)の部分では、バスとホルンに荒々しい音を出させている(他の場所では、アーノンクールはホルンを美しく鳴らしている)。粗さと精密さの同居。それが、アーノンクールの持ち味であろう。その持ち味を好まないリスナーもいるだろうが..。

K364_13

うがったことを言えば、なんだかアーノンクールはわざと粗く演奏しているように思える。形式が充実した第1楽章を、あえて粗く演奏することで、むしろその「形式の充実」をリスナーに意識させないことを狙ったかのようだ。アーノンクールの少々粗い指揮と、独奏者二人の息のあったプレイで、第1楽章は流れが良い。私は、この第1楽章の成功のもとは、その流れの良さだと思う。クレーメルのヴァイオリンは控えめである。そして、クレーメルのヴァイオリンとキム・カシュカシャン(Kim Kashkashian)のヴィオラとの一体感は素晴らしい。第1楽章のカデンツァは、まるで一人の人間が演奏しているかのようだ。この盤の一番の功労者は、クレーメルとキム・カシュカシャンのコンビであろう。第2楽章も同じように流れがよいのだが、それは前半だけで、後半はやはり、眠くなる。第3楽章は第1楽章ほどは良くない。




091

デュメイ(Vn,指揮)/ヴェロニカ・ハーゲン(Va)
Camerata Academica Salzbug(2000年)

1. Allegoro maestoso 13'26"
2. Andante 11'37"
3. Presto 6'13"

これまで取り上げたもの中では、このデュメイの指揮が、第1楽章冒頭の「sfp-sfp-f」を最も忠実に表現しているように思う。私は、この作品は独奏者が指揮をするのは不可能に近いほど難しいと思っていたが、デュメイ盤は、それが間違いであることを証明した演奏といえるだろう。第1楽章再現部においても「sfp-sfp-f」が再現されている。

この盤は、これまで取り上げたどの盤よりも、ヴィオラの存在感がある。ズーカーマンは、ヴィオラ奏者としても多くの良い録音を残しているそうだが、やはり、ヴァイオリニストのイメージが強いので、ヴィオラを弾くときの彼の技巧を聴くとき、ヴァイオリニストとしてのズーカーマンのイメージをぬぐえなかった。カシュカシャンのヴィオラは、まるでヴァイオリンのように聞こえた。それらに対し、ヴェロニカ・ハーゲンのヴィオラだけが、何故かヴィオラ奏者によるヴィオラに聞こえる。ヴェロニカの演奏は決して目立つものではない。それに、二人の独奏者(デュメイ、ヴェロニカ・ハーゲン)の「一体感」は、クレーメル&カシュカシャンに劣る。それどころか、逆に、息があってないというか、あわせてないようにも聞こえる。そのことで、むしろ存在感が増すのか。

そもそも、ベートーヴェン、バッハ、そしてモーツァルトが愛したヴィオラという楽器は、縁の下の力持ちの脇役のはず。ヴェロニカの弾くヴィオラの不思議な存在感は何なのだろう。

彼女のヴィオラは何故か遠くから聞こえる。私の聴くオーディオ装置がヴィオラの音域を、ちゃんと響かせていないのではないかと疑いたくなる。そして、彼女のヴィオラに耳をそばだてたくなる。この作品は、オケもヴィオラは2部だ。

この作品の主役は、まさかヴィオラなのか?

第2楽章を退屈しないで最後まで聴けたのは、この盤が初めてだ。このアンダンテは、まるで迷宮のようだ。不安感をおぼえさせる。ここで、再び「名曲解説ライブラリー」から、大久保一氏の文章を以下に引用する。

「この楽章(第3楽章)は、アインシュタインが、『常に予期しなかったものが起こっている』と評したように、形式的にはきわめて変則的なロンド形式で書かれている。といっても複雑さを求めたものではない。その反対に、快活な旋律を次々に提出し、しかも何らの緊張も興奮も引き起こさないことがねらわれているかのようである。というのは、主題の対照以前に、この楽章では主調 - 属調という形式構成の基本的な緊張関係が徹底して避けられているからである。」

デュメイ盤で第2楽章を退屈せずにまともに聴いた後、第3楽章を聴くと、第3楽章もまた迷宮ではないかと思わせられた。デュメイはピリスと、まるで夫婦のように息のあった共演をするが、この盤における、デュメイとヴェロニカは、デュメイとピリスとの場合とは違った男女関係を思わせる。すなわちデュメイとヴェロニカの演奏は、私に、ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》を思い起こさせた。もしかしたら、モーツァルトは、叶うことのなかったアロイジア・ヴェーバーとの恋への墓碑としてこの作品を書いたのではないか...というフィクションさえ思いつく。そして、この第3楽章が、まるで、マーラー以降の作曲家が書く終章に通じるかに思えたりする。

この演奏は、間違いなく、これまで取り上げた盤の中ではベストだが、私はこれを聴いて、ますます、この作品が好きになれなくなった。(つづく)

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2008年2月 3日 (日)

モーツァルト:協奏交響曲 K364 聴き比べ(1)

「モーツァルト:協奏交響曲 変ホ長調 K364」という作品に対し、私は魅力を感じていなかった。そのことを説明するに、私はオットー・フリードリック著「グレン・グールドの生涯」から、長くなるが下記を引用しよう。

「こういった評価の中で最も奇妙だったのが、一生を通して表明した、モーツァルトに対する反感と不満である。インタヴューのときに、モーツァルトは『だめな作曲家』で、彼は『早死にしたのではない。死ぬのが遅すぎたのだ』と語るのをグールドは楽しみとしていた。このグールドらしからぬ無情な宣言の論法は --- モーツァルトの最良の作品は、二十代前半のものである。『嫌悪』するのは、交響曲第四十番ト短調や歌劇《魔笛》のような後期の名曲である。そして、もしモーツァルトが人間の寿命と言われる七十歳まで生きていたら、彼は『ヴェーバーやシュポーアの一種の混血に変わっていただろう』というものだった。こういった非難を行うにあたってモーツァルトの音楽は『快楽主義的(ヘドニスティック)』(グールドお得意の軽蔑語の一つ)であるとか、モーツァルトは、すべてのピアノ曲は対位法的でなければならない私の見解にそぐわないといった趣旨の、説得力に欠けた一連のこじつけをグールドは述べた。こうした言いがかりの中に、おとなをびっくりさせてやろうという子供じみた願望の残響や、音楽史上最も名高い神童への、軽い嫉妬とおぼしきものをみるのはそれほど難しいことではない」234ページより

「ジョナサン・コットとの対話でグールドは、いっそう非難がましく、いっそう逆説的でもある。グールドはモーツァルトのソナタの録音についてこう語る。『これまでで、あれほど楽しかった仕事もない。何しろ、作曲家としてのモーツァルトが本当に嫌いだからね。』自分のモーツァルト嫌いがレコードの中で完全に証明されていることに、そしてその感情ゆえに聴き手が演奏を楽しめないでいることに、グールドは気づいていなかったらしい。だいたい、大音楽家への嫌悪を演奏家が表現するさまを見たり聞いたりして、どこが楽しいというのか。
 だがもう謎はひとつである。あれほどまでに流暢で、しかも耳障りなモーツァルトを弾いたのは、グールドがもともとモーツァルト嫌いだったからなのか、それとも自分の内なる耳で聴いたものがモーツァルトの意図していたものだと誤解したためにモーツァルトを嫌っただけなのか。あるいはモーツァルトのソナタのプラトン的なイデアを聴いたのは、しみじみとしたモーツァルトの音楽にグールド自身が持ち込んだ無情な音色の中だけだったのか。グールドはこういった疑問から逃げた。彼は初期モーツァルトと後期モーツァルトに単純化した対比に議論をそらそうとばかりしていたし、モーツァルトの成長と円熟はひとつの長い衰退であるという考えを繰り返し主張するのだった。『初期のソナタは大好きだよ。初期のモーツァルトは大好きだ。以上、終わり。』グールドはコットにそう語っている。『ハイドンかカール・フィリップ・エマヌエル・バッハのどちらかを手本にとしていて、まだ自分自身を見つけていなかったあの時代のモーツァルトは大好きだね。十八か十九か二十歳のとき、モーツァルトが自分自身を発見したその瞬間(これは世間で言われるような言い方だけれど)、私は興味を失った。なぜかというと、彼が発見したのは、何より芝居がかった才能であって、その後ずっと、歌劇ばかりか器楽曲にまでそれを発揮したからだ。それに十八世紀の劇場のもっていたかなり軽薄な快楽主義を考えるとなると、そういったものに僕はまったく興味を感じない。』
 このくだりからグールドはただの毒舌家になってしまう。ハイドンのソナタが好きだと宣言し(ハイドンのソナタは、晩年にいくつか録音したが、それはモーツァルトよりはるかに素晴らしい録音となった)、次のようにコットに語っている。『ハイドンの場合、この二つのクッキーは同じ抜き型で作ったな、と思うことがまったくない。ところが、どうも、モーツァルトにはそう思えるときがある。モーツァルトは、自分の調子をつかんでからというもの、すべて同じ抜き型で音楽作りをしていたような気がする。』さらにモーツァルトの展開部については --- 『モーツァルトが展開部について学んだことは、決してなかった。だって、当たり前だが、展開するものがなければ、展開部を書かなくすむからね。』」242ページ

オットー・フリードリックは、非常なグールドのファンだったが、グールドに対し客観的でもあった。上記で、彼は、グールドの「モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集録音」について、「だいたい、大音楽家への嫌悪を演奏家が表現するさまを見たり聞いたりして、どこが楽しいというのか。」と述べ、グールド、またはグールドのモーツァルトに対するスタンスを非難している。フリードリックのこの記述は、厳しくとれば「演奏家は嫌悪する作曲家のピアノ・ソナタ全集を録音すべきではない」ともとれるし「ピアノ・ソナタ全集を録音した演奏家が、その作曲家を嫌悪していることを表明したり、その嫌悪について言及したりするのは愚かな行為だ」と言ってるともとれる。そして、フリードリックは「自分(グールド)のモーツァルト嫌いがレコードの中で完全に証明されていることに、そしてその感情ゆえに聴き手が演奏を楽しめないでいることに、グールドは気づいていなかったらしい。」と述べ「グールドのモーツァルト:ピアノ・ソナタ全集録音」を低く(あるいは悪く)評価している。

私自身は、グールドの「モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集」には重大な過失があると思う。また、グールドの「モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集」のみを聴いて、モーツァルトのピアノ・ソナタを理解できたと錯誤している人は不幸だと思う。

しかし、それでも、上記、グールドのモーツァルト批判には一理あると思う。すなわち、それは上の引用のなかの

『ハイドンの場合、この二つのクッキーは同じ抜き型で作ったな、と思うことがまったくない。ところが、どうも、モーツァルトにはそう思えるときがある。モーツァルトは、自分の調子をつかんでからというもの、すべて同じ抜き型で音楽作りをしていたような気がする。』

というグールドの指摘である。私は、K364(協奏交響曲)と、K207からK219(5つのヴァイオリン協奏曲)との比較において、それを感じなくもない。K207からK219にあった良いものが、K364には失われた気がする。また、K364には、グールドの言うところの「同じ抜き型」と言われても仕方ないような(私の言葉で言えば)「紋切り型の形式、およびそのひけらかし」があるように思える。

以下に、私の考えが誤解であることを願いつつ、K364のいくつかの録音を聴き比べ、この作品についての正しいイメージを得る試みをしてみることにする。

・ヴァイオリンとヴィオラと管弦楽のための協奏交響曲 変ホ長調 K.364(320d)
Sinfonia Concertante für Violine, Viola und Orchester Es-dur K.364(320d)
作曲:1779年の夏あるいは初秋。
初演:不詳
出版:1802年
編成:独奏ヴァイオリン、独奏ヴィオラ。
オーボエ2、ホルン2、ヴァイオリン2部、ヴィオラ2部、バス。

聴き比べたCDは以下の通り

・グリュミオー(Vn)/Arrigo Pellicia(Va)/コリン・デイヴィス/Lso(64年録音)
・スターン/ズーカーマン/バレンボイム/イギリス室内(71年)
・ヨゼフ・スーク/ヨゼフ・コドウセク/プラハ室内(72年)
・クレーメル/キム・カシュカシャン/アーノンクール/Vpo(83年))
・デュメイ(Vn,指揮)/ヴェロニカ・ハーゲン(Va)
 Camerata Academica Salzbug(2000年)

・ムター(Vn,指揮)/Yuri Bashmet(Va)/Lpo(05年)
・ユリア・フィッシャー(Vn)/ゴルダン・ニコリッチ(Va)/
 ヤコフ・クライツベルク指揮/オランダ室内(06年)


1.第1楽章、オケによる提示部、冒頭(midi

K364_1

2.第1楽章、オケによる提示部(上の続き)(midi

K364_7

3.第1楽章、オケによる提示部、第2主題(midi

K364_2

4.第1楽章、提示部、コーダ(midi

K364_3


譜例1, 2, 3, 4は、第1楽章のオケによる提示部である。

冒頭はなんの変哲もない和音とリズムのトゥッティ(譜例1)。型どおりの経過句(譜例2)を経過し、弦のピチカートを伴ってホルン、オーボエにより奏される第2主題(譜例3)。マンハイム風クレッシェンド(「作曲家別名曲解説ライブラリー/モーツァルト/大久保 一執筆」を参照)から、モーツァルトお得意のシンコペーションのリズムを持つコーダ(譜例4。この部分は展開部で再利用されている)で頂点に達するというありきたりな流れ。「ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5」には、こんな面白くも何ともない提示部は一つもなかった。それに対し、このK364の「オケによる提示部」のありきたりさは何だ? こんなもんでもって、「モーツァルトはいったい、何を言いたいのか?」...と疑問に思いつつ、ふとスコアの冒頭をよく見ていると、おもわず「やられた!」と叫んでしまった。第1小節と第2小節1拍目の「sfp(スフォルツァンド・ピアーノ、強く そして弱く)」と第2小節3拍目の付点四分音符の「f(フォルテ)」はいったい何なのだろう! これはどう演奏すればいいのだろう? 実際、指揮者はどう演奏するだろうか? この「スフォルツァンド・ピアーノ」と「フォルテ」で「モーツァルトはいったい、何を言いたいのか?」 なんで、第2小節3拍目の付点四分音符でフォルテなのか。このデュナーミクは、面白すぎる!!!

上で述べたこの作品に対する私の否定的見解は、第1楽章第1, 2小節で、いきなり揺らぐ(汗)。


5.第1楽章、ヴァイオリン、ヴィオラによるアンガング(midi

K364_4

ヴァイオリン、ヴィオラによるアンガングは、オクターヴのユニゾンで奏される。

イタリア語で書いてあるのでよく分からないが、スコアの冒頭に、独奏ヴィオラパートは半音高く調弦するようにとの指示らしきものが書いてある。そうすることで、ヴィオラの第2弦はEs、第1弦はBになるので響きが良くなる。よって、独奏ヴィオラパートは、半音低いニ長調で記譜されている。

6.第1楽章、ヴァイオリンソロによるハ短調の経過句(midi

K364_6

7.第1楽章、第2の提示部、ヴァイオリンソロによる新しい第2主題(midi

K364_5

譜例7の「第2の提示部」「新しい第2主題」という表現は上記「名曲解説ライブラリー」の執筆者大久保一氏にしたがった、譜例7は第1楽章においてもっとも親しみやすく魅力的な旋律だ。

この「第2の提示部」は、譜例6のハ短調の経過句が新たに出てくること、および、譜例3の第2主題が出てこない代わりに「新しい第2主題」(譜例7)が演奏されることをのぞいて特徴はない。ただ、譜例7の少し後に出てくる下記の旋律(midi)は可愛くて、私は好きだ。

K364_9

そして「第2の提示部」は、譜例4のコーダで締められる。ワンパターンだ。


8.第1楽章、展開部、冒頭のヴァイオリンソロ(midi

K364_8

展開部は譜例8の「独奏ヴァイオリンのレチタティーヴォ風の独白(大久保一)」に始まる(ト短調)。そのあとは、ヴァイオリンとヴィオラの掛け合い以外は特徴なし。このあたりで、グールドの言葉「モーツァルトが展開部について学んだことは、決してなかった。だって、当たり前だが、展開するものがなければ、展開部を書かなくすむからね」を私は連想する。


再現部は譜例1(第1主題)、譜例6(ハ短調の経過句)、譜例7(新しい第2主題)、譜例3(第2主題)の順に再現し、カデンツァ、コーダでおしまい。型どおりで魅力ない。


・第2楽章
 第2楽章は美しいが、私は感情移入できない。以上。


・第3楽章
 大久保一氏によると、このロンドの「全体の構造は次のように図式化しえよう。A(a-b-c-d-e)-B-A(a-b-c-d-e)-B-A(a-b-コーダ)。Aは、ロンドの主要主題a(譜例9)に始まり、そのあと主調を維持したまま次々と快活な旋律を提出する。aからcまでは管弦楽で、そしてdとeはソロで奏される。d(譜例10)は主題的な実質を備えており、ここでは協奏曲の二重呈示部の手法を暗示していると考えられる。このあとようやく属調のB(譜例11)となるが、旋律も規模も短い推移に過ぎず、すぐにA全体の反復となる。ここでは、主題をすべて独奏楽器が奏すること、dとeが変イ長調、つまり緊張のない下属調に移調されることで変化が計られる。Bも主調で独奏楽器に奏され、三たびロンド主題(譜例9)が戻り、独奏楽器がカデンツァ風に活躍するかなり長いコーダで華やかに閉じられる。」
 
(譜例9、midi
K364_10

(譜例10、midi
K364_11

(譜例11、midi
K364_12


上の大久保一氏の解説は、実に分かりやすい。

私はこのロンドは、あたかもある種の変奏ではないかと思える。このロンドはまさにロンドに他ならない。また和声の進行をみると各主題は変奏にはなっていない。しかし、ロンド全体の曲想の統一性がこのロンドに変奏的効果を与えていないだろうか。そして、このロンドこそ、モーツァルトが「5曲のヴァイオリン協奏曲」で聴かせた「醍醐味」以外のなにものでもないと思う。(つづく)



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2008年1月23日 (水)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲ディスコグラフィー

ここに私が購入した「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲」を再掲します。


01

協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5
アダージョK261、ロンドK373
グリュミオー/コリン・デイヴィス/Lso(61,62,64,67年録音)



02

協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5
アダージョK261、ロンドK373
2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ ハ長調K190
スターン/ズーカーマン、ジョージ・セル、バレンボイムほか(61-76年)



03

ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK269,373
シュナイダーハン(Vn,指揮)/Bpo(68年)



04

ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、ロンドK373
オイストラフ(Vn,指揮)/Bpo(70-71年)



05

協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-7
アダージョK261、ロンドK269,373
2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ ハ長調K190
スーク/プラハ室内(72-73年)



06

ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK269,373
パールマン/レヴァイン/Vpo(82,85年)



07

協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5
クレーメル/アーノンクール/Vpo(83,84,87年)



08345

ヴァイオリン協奏曲No.3,4 & 5(96年)
デュメイ(Vn,指揮)/Camerata Academica Salzbug



091

協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲No.2、アダージョK261
ロンドK373
デュメイ(Vn,指揮)/ヴェロニカ・ハーゲン(Va)
Camerata Academica Salzbug(2000年)



10

ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK269,373
カルミニョーラ/Carlo de Martini/Il Quartettone(97年)



13

協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5(05年)
ムター(Vn,指揮)/Lpo(05年)



1134

ヴァイオリン協奏曲No.3,4、アダージョK261、ロンドK269
フィッシャー/クライツベルク/Netherlands Chamber Orchestra(05年)



1215

ヴァイオリン協奏曲Nos.1,2 & 5
フィッシャー/クライツベルク/Netherlands Chamber Orchestra(06年)



051

モーツァルト:ヴァイオリンと管弦楽のための作品全集
ジャン=ジャック・カントロフ(ヴァイオリン)
レオポルト・ハーガー指揮
オランダ室内管弦楽団
1984年録音
DENON



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モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第1,2,4番
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団(第1番、1991年録音)
リカルド・ムーティ指揮フィルハーモニア管弦楽団(2,4番、1982年)



269

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第3,4 & 5番
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
アレキサンダー・ギブソン指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
録音:1966年(no.5)、69年(no.3)、70年(no.4)


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2008年1月22日 (火)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(6)

051


モーツァルト:ヴァイオリンと管弦楽のための作品全集
ジャン=ジャック・カントロフ(ヴァイオリン)
レオポルト・ハーガー指揮
オランダ室内管弦楽団
1984年録音
DENON

クセのない、聴きやすい演奏だが没個性。この人の演奏に、エレガンス、ギャラント、フランスのエスプリを感じるのは難しい。「カントロフ! なにをやってるんだ!」と感じつつ聴いているうちに、最後は退屈する。なぜそう感じるのか。モーツァルトは、一つとして同じ性格を持たない5つの作品を下記(再掲)のように短期間に書き上げた。

第1番 変ロ長調 K207(1773年)17才の時
第2番 ニ長調 K211(1775年6月14日完成、ザルツブルク)19才
第3番 ト長調 K216(1775年9月12日完成、ザルツブルク)19才
第4番 ニ長調 K218(1775年10月完成、ザルツブルク)19才
第5番 イ長調 K219(1775年12月20日完成、ザルツブルク)19才

その青春のパワーというものは、個性なしには表現できないからではないだろうか。しかも、これら5曲はいずれも秀作なのであるのだから..。カントロフの演奏の魅力のなさは、どの曲も同じ演奏していることから来る。ただし、こういうクセのない聴きやすい演奏を好む人もあるだろう(しかもカントロフのモーツァルト全集は録音が良い)。詰まるところは嗜好の問題である。試しにお聴きになりたければ、カントロフの「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番、第5番」が安く出てるから聴いてみることができる。



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モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第1,2,4番
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団(第1番、1991年録音)
リカルド・ムーティ指揮フィルハーモニア管弦楽団(2,4番、1982年)

・第1番 K207
ネヴィル・マリナーのほうが、ハーガーより格が上という気がする。私は、いままで、マリナーの指揮を意識して聴いてなかったが、この人はうまかったということを初めて知った。ムターの演奏は元気がよく、ヴァイオリンを弾くことの喜びに満ち、リスナーに爽快感と、程良いカタルシスをもたらす。このK207は新盤(2005年録音)より良い。

・第2番 K211
第1楽章は、新盤よりテンポが遅い。ゆえに、こちらの方が"Allegro moderato"に従った演奏といえる。第2楽章はカンタービレの指示はないがよく歌い、第3楽章ロンドへの流れをよくする。これまた新盤より良い。

・第4番 K218
これも、第1楽章は新盤よりテンポが遅いようだ。リカルド・ムーティの指揮が特にうまいというわけではないが、どうも、ムターは指揮を指揮者に任せた方が、演奏に専念できるので、よいのではないかと思う。新盤における華やかさはないが、一音一音を大事にし、かつ歌い、K211の第1楽章同様、着実さを感じる。第2楽章のカンタービレも、よく歌いながらも節度あるように聞こえるのは、ムーティの抑制の効いた指揮のせいだろうか。第3楽章にも同様のことがいえる。ちなみに、2,4番のタイムは以下の通りである(前者が旧盤、後者が新盤)。このK218も私は旧盤の方が好きだ。

第2番 K211
1. Allegro moderato 8'52" 8'21"
2. Andante 7'40" 7'01"
3. Rondeau 4'15" 3'51"

第4番 K218
1. Allegro 9'27" 8'31"
2. Andante cantabile 7'34" 7'08"
3. Rondeau 7'20" 6'50"



269


モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第3,4,5番
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
アレキサンダー・ギブソン指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
録音:1966年(no.5)、69年(no.3)、70年(no.4)

期待したが、イッセルシュテット&LSOとのベートーヴェン(65年)のような圧倒的名演ではなかった。見通しの良い演奏だが、やはり、古いタイプの演奏に聞こえる。いいかえれば、いささか野暮ったい。それでも、シェリングのヴィブラートの美音や語り口を聴くと、彼こそムターにそれを伝授した師匠だったんだなぁと感じさせられ、大袈裟に言えばムターの秘密を知る思いがする。


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2007年9月21日 (金)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(5)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 K219

1.第1楽章、オケによる提示部(midi

K219_1

2.第1楽章、ヴァイオリンソロによる提示部の序奏(midi

K219_1_2

3.第1楽章、ヴァイオリンソロによる提示部の出だし(midi

K219_1_3

K219は「一連の作品(ヴァイオリン協奏曲)の最後のものにふさわしく、堂々とした規模をもった作品である」などと評されるが、私は、K218以前の作品の方が好きだし、面白いと思う。たしかに、このイ長調のヴァイオリン協奏曲は、第1楽章、オケによる提示部のあと、いきなりアダージョに減速して、ヴァイオリンソロによる序奏(譜例2)をもつのは斬新。また第1楽章、ヴァイオリンソロによる提示部は、オケによる提示部に乗っかって奏される「レオノーレ序曲第3番」を思わせる旋律(譜例3)も斬新。それらは、K218以前の作品にない新機軸だ。しかし私は、この作品に、それほど強いインパクトを感じない。モーツァルトは、K218以前で、すでにアイデアを出し尽くし、最後は、使い残しのアイデアを使ったと感じる。そういう私の印象を払拭する演奏はあるかどうかを期待しつつ...。

・アルテュール・グリュミオー/コリン・デイヴィス指揮/Lso
第5番 イ長調 K219(61年録音)
(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム、アルテュール・グリュミオー)
1. Allegro aperto 9'13"
2. Adagio 9'39"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'03"

海老澤敏氏によると「(K219は)先立つ4曲と同じ系列の属していることは、全体からなお感じとられるフランスの影響によって確かめることができるが、しかし、それとともに、ドイツ的色彩も、しだいに濃くなってきつつある点も注目される」と書いている。海老澤氏が指摘するドイツ的色彩とは、たとえば、第1楽章の展開部の簡潔さだと思う。その簡潔さはグリュミオーのエレガントだけでは対応できなかったかも知れない。それを、コリン・デイヴィスの指揮がカバーしているように思う。

・アイザック・スターン/ジョージ・セル指揮/コロンビア交響楽団
第5番 イ長調 K219(63年録音)
(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)
1. Allegro aperto 8'46"
2. Adagio 10'51"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'45"

セルの指揮は、K207ほどは良くない。第1楽章「ヴァイオリンソロによる序奏」は歌舞伎の見得(みえ)のようにカッコいい音楽だ。スターンの「見得」はたっぷりして素晴らしい。しかし、その後のスターンの音楽(第2,3楽章を含め)は「素晴らしい見得」と見合うのか、整合性はあるのかないのか分からない。

・ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン、指揮)Bpo
第5番 イ長調 K219(68年頃録音)
(カデンツァ:ヴォルフガング・シュナイダーハン)
1. Allegro aperto 9'08"
2. Adagio 10'20"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'40"

この人の演奏を聴いていて気づいたことがある。第2楽章第85小節再現部で主題がカノンで始まることだ(下記、midi)。

K219_2

・ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン、指揮)Bpo
第5番 イ長調 K219(70年録音)
(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)
1. Allegro aperto 9'39"
2. Adagio 11'11"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 9'38"

K218(第4番)ではオイストラフ本領発揮かと見えたが、K219で、またピンと来なくなった。

・ヨゼフ・スーク/プラハ室内管弦楽団
第5番 イ長調 K219(70年録音)
(Kadenzen nach Germann, Badura-Skoda von Josef Suk)
1. Allegro aperto 9'39"
2. Adagio 10'57"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 9'59"

私は主観だけで感想を書いているつもりはないし、その時の気分で音楽が良く聞こえたり聞こえなかったり、音楽に惹かれたり惹かれなかったりすることはないと思うのだけど、スークの演奏は、結果的に、良く聞こえたり、何も感じなかったりする。

私の身体は、スークのK219の真摯で、端正で、しかも力強い演奏をすんなり心地よく受け入れる。あるいは、この作品の性格が本来、虚飾を廃した、ある種の単純さを持ち、それがスークに合ってるのかも知れない。

・アンネ=ゾフィー・ムター/カラヤン指揮/Bpo
第5番 イ長調 K219(78年録音)
(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)
1. Allegro aperto 10'41"
2. Adagio 10'45"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 9'20"

ほかでもないカラヤンのモーツァルト。

・イツァーク・パールマン/ジェイムズ・レヴァイン指揮/Vpo
第5番 イ長調 K219(82年録音)
1. Allegro aperto(カデンツァ:イツァーク・パールマン)9'29"
2. Adagio(カデンツァ:イツァーク・パールマン)10'56"
3. Rondeau(Tempo di menuetto)(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)8'54"

第2楽章は、美音を生かしたソフトな耳触り。パールマンの音が古風に聞こえる。第1楽章の自作カデンツァは面白い。

パールマンの第1楽章を聴いていて目立った場所があったので譜例を書いてみた。パールマンは下記青線のフォルテを強調している。下記譜例(midi)は第1楽章再現部であるが提示部との違いを対比するために、あえて再現部の譜例を作った。緑線の旋律は「オケによる提示部」の第11-13小節の旋律である。

K219_1_4

・ギドン・クレーメル/アーノンクール指揮/Vpo
第5番 イ長調 K219(87年録音)
(カデンツァ:ロバート・D・レヴィン)
1. Allegro aperto 9'05"
2. Adagio 9'53"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'55"

アーノンクールの指揮、クレーメルの独奏、いずれも音楽の流れに対して反応がいい。ディテールに目が行き届いている。それでも作品の魅力を100%引き出す所までには至ってない気がする。音楽を、上手くまとめ上げようとする意図が目立ち、大胆さがないと思う。足りないものは色つや、コントラスト、陰影、作品全体を見通せる手掛かり..。

・オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン、指揮)
第5番 イ長調 K219(96年録音)
1. Allegro aperto 10'02"
2. Adagio(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)9'33"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'44"

デュメイの演奏は乱暴にも思えるように大胆でありながら知的端正さを持つ。その美音、壮麗は説得力を持つ。私の好みではないが、K219のベストであろう。

下記(第1楽章再現部第200小節のカデンツァの前、midi)は、提示部の同じ部分とは音程(調性?)が違う。ココはカデンツァへの導入部分である。すなわちデュメイの場合、技巧的カデンツァへと導く重要な部分であろう。

K219_1_6

・ジュリアーノ・カルミニョーラ/Carlo de Martini/Il Quartettone
第5番 イ長調 K219(97年録音)
1. Allegro aperto 9'36"
2. Adagio 10'01"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'51"

カルミニョーラのバロック風奏法は第3楽章の「トルコ行進曲」に合っている。彼の「歌と華」があるテンポ・ディ・メヌエットは、もしかしたら、この楽章に対する私のイメージに最も合う演奏である。

・アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン、指揮)Lpo
第5番 イ長調 K219(05年録音)
(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)
1. Allegro aperto 9'13"
2. Adagio 9'39"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'03"

第1楽章は「序奏アダージョ」におけるムター的ナルシズムが美しい。オケが室内楽的に響く(各パート1名で演奏させている)。32部音符のさざ波が美しい(私はムターの指揮は下手と書いたが、K219では面白いサウンドを聴かせてくれる)。第1楽章のヨアヒムによるカデンツァがよい。ただ、例の「ムター節」が「型にはまったように」聞こえてしまうのが傷(第1楽章)。第3楽章は、ストレートな演奏。しかも出だしの室内楽的にこざっぱりしたサウンドが、音楽に変化を持たせていてポイント高いと思う。

・ユリア・フィッシャー/ヤコフ・クライツベルク指揮/Netherlands Chamber Orchestra
第5番 イ長調 K219(06年録音)
(カデンツァ:ユリア・フィッシャー、ヤコフ・クライツベルク)
1. Allegro aperto 9'30"
2. Adagio 11'36"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'44"

ストレートで若々しく力強くゴージャスな演奏。若さ故の未熟も感じられるが、私の嗜好からすればこれがベストかな..と思ったが、やはり深みがないので満足できない。

・まとめ
1番はスターン、スーク、クレーメル。2番はムター。3番はスターン、パールマン。4番はムター、スターン。5番はデュメイがよい。平均的にはグリュミオーがよい。したがって今回聴き比べた11種の中でお薦めは、無難なグリュミオー。新しい録音では、ムター盤を薦めることができる(ただし、第3番に違和感を感じなければ)。

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2007年9月16日 (日)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(4)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番 二長調 K218

1.第1楽章、オケによる提示部(midi

K218_1_1

2.第1楽章、第2主題(再掲、midi

K218_1_9

3.第1楽章、ヴァイオリンソロによる提示部の出だし(midi

K218_1_2_1

4.第1楽章、ヴァイオリンソロによる提示部の一部(上の続き、midi

K218_1_2_3

(4の冒頭、下記青線のねじれが私は好きだ。midi

K218_qqq

5.第1楽章、コーダの音型(再掲、midi

K218_1_3

6.第1楽章、展開部と再現部(一部、midi

K218_1_8

7.第1楽章、再現部(上の続き、midi、再現部第2主題は主調で始まり、短調の陰りを聞かせる)

K218_1_10

この作品の第1楽章は、特異な形式をしているので理解するのに時間がかかった。上記は譜例というより「写譜」に近い。聴くだけでは、スッキリしないことが「写譜することで分かる」という経験を、私、初めて、してしまった。要するにこの形式は「レーレーレレレレファラファレファラファレファラファレ」という冒頭の第1主題が、展開部、再現部には現れないこと。第1主題の代わりに「4の最初の部分の主題」が再現部を開始(多分、6の第145小節からが再現部)させるので再現部の開始がどこか分かりづらい。5の「コーダの音型」も大事で、これは属調で展開部を導く。モーツァルトは、新しい主題で展開部を開始するということは、よくやることだが、この作品では、その「新しい主題」らしき(6の)第117小節の主題が目立たないので、展開部がどこから始まるかも分かりづらい。あとは、協奏曲風ソナタ形式の定石通りのようだ。

また、下記の第1楽章第8小節以下は、第1楽章のリズムを特徴づけると思う(再掲、midi)。

K218_1_13

これは譜例7の第1楽章再現部、第153小節とカデンツァ前に現れる(下記、midi)。

K218_1_11

この作品の特徴は、第1楽章で、オケの役割の度合いが小さくヴァイオリンソロが自由奔放に演奏しまくること。第2楽章もヴァイオリンソロの歌が終始歌われること。第3楽章のロンドも複雑であること。こういった特徴をもつK218は、ヴァイオリン独奏者にとって「魅力的かつ弾き甲斐のある作品」であると思う。

・アルテュール・グリュミオー/コリン・デイヴィス指揮/Lso
第4番 ニ長調 K218(62年録音)
1. Allegro 8'57"
2. Andante cantabile 6'55"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 6'51"

例によって瑕疵のない音楽。しかし、作品の面白さを伝えない。

・アイザック・スターン/アレキサンダー・シュナイダー指揮/イギリス室内管弦楽団
第4番 ニ長調 K218(76年録音)
(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)
1. Allegro 9'24"
2. Andante cantabile 8'54"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 7'44"

遅めのテンポ。貫禄ある演奏。スターンは、この演奏で特に何かをしているわけではないのだが、音楽がそぞろ身に染む。私はヨアヒムのカデンツァが好きだ。スターンのカデンツァ選択と演奏は気に入った。

・ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン、指揮)Bpo
(カデンツァ:ヴォルフガング・シュナイダーハン)
第4番 ニ長調 K218(68年頃録音)
1. Allegro 8'46"
2. Andante cantabile 6'42"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 6'55"

K218はシュナイダーハンに合ってると思うのだが、音色の美しさだけが耳に付く演奏。自作のカデンツァは、そろそろ鼻に付くようになった。

・ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン、指揮)Bpo
第4番 ニ長調 K218(70年録音)
(カデンツァ:ダヴィッド)
1. Allegro 9'20"
2. Andante cantabile 7'54"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 7'58"

オイストラフの第1-3番を聴いてきて、ピンと来なかったが、第4番は含蓄ある演奏(?)に思えた。彼のK218も音楽がそぞろ身に染む。

・ヨゼフ・スーク/プラハ室内管弦楽団
第4番 ニ長調 K218(70年録音)
(Kadenzen nach David, Marteau, Jachim von Josef Suk)
1. Allegro 9'33"
2. Andante cantabile 7'06"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 7'09"

何も感じなかった。

・イツァーク・パールマン/ジェイムズ・レヴァイン指揮/Vpo
第4番 ニ長調 K218(85年録音)
(カデンツァ:イツァーク・パールマン)
1. Allegro 8'38"
2. Andante cantabile 7'10"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 6'59"

音色、技巧ともに素晴らしく流麗な演奏。第2楽章はベートーヴェン:交響曲第2番の第2楽章(同じイ長調)を想い起こさせる。

・ギドン・クレーメル/アーノンクール指揮/Vpo
第4番 ニ長調 K218(87年録音)
(カデンツァ:ロバート・D・レヴィン)
1. Allegro 8'20"
2. Andante cantabile 6'07"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 7'41"

インパクトは強くないが、真摯な演奏。作品の特徴をよく伝える。

・オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン、指揮)
カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク
第4番 ニ長調 K218(96年録音)
1. Allegro(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)9'15"
2. Andante cantabile(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)6'45"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 7'16"

好みもあるだろうが、第1楽章、ヨアヒムのカデンツァが下品に聞こえる。第3楽章は対照的に上品すぎて面白い。この人は、美しい音色をもてあましているように聞こえる。

・ジュリアーノ・カルミニョーラ/Carlo de Martini/Il Quartettone
第4番 ニ長調 K218(97年録音)
1. Allegro 8'07"
2. Andante cantabile 6'13"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 7'21"

第1楽章でアグレッシヴな演奏も聴かせ、第2楽章のアンダンテ・カンタービレはきちんと歌っている。第3楽章は丁寧な演奏。全曲通してバランスあり。この人は癖のあるヴァイオリニストと聞いていたが、結構ストレートで手堅い。くろうと(?)に好まれるであろう。

・アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン、指揮)Lpo
第4番 ニ長調 K218(05年録音)
(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)
1. Allegro 8'31"
2. Andante cantabile 7'08"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 6'50"

11種類聴き比べた中で、私はこれが一番気に入った。音楽を楽しませながら、かつ、音楽を理解させてくれる演奏。自由に歌いながらも自然である。音に酔わされる。リスナーは、ついオーディオのヴォリュームを上げてしまうであろう。カデンツァはヨアヒムのを弾いているのも良い。この演奏に私は脱帽させられた。「さすがは14才でデビューした根っからのヴァイオリニストによる演奏だ」また「才女ムターの円熟はかくあるべし」と..。そして旧盤も聴いてみたくなった。

・ユリア・フィッシャー/ヤコフ・クライツベルク指揮/Netherlands Chamber Orchestra
第4番 ニ長調 K218(05年録音)
1. Allegro(カデンツァ:ユリア・フィッシャー)8'31"
2. Andante cantabile(カデンツァ:ユリア・フィッシャー)7'08"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo)(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)6'50"

全曲を通して、指揮者クライツベルクが独奏者フィッシャーをリードしている感じがする。したがって、フィッシャーに元気がない(第1,2楽章においてフィッシャーが書いた長いカデンツァが、それを補っているかも知れない)。「フィッシャーに元気がない」といっても、それは私の主観であり私の印象である。それは、フィッシャーが若さ、みずみずしさ、それ故の元気さを聴かせるK216(第3番)と比較したときの微妙な差異である。ただ、K218は、ムターの演奏のように独奏者がリードするというのが正しいと思う。

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2007年9月 9日 (日)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(3)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K216

この曲は有名曲だから譜例は必要ないかと思ったが、私自身の勉強のため作ってみた。第1楽章、オケによる提示部(midi

K216_1_1

下記は同提示部から第11-14小節(midi)総譜

K216_2

ヴァイオリンソロによる提示部から(midi

K216_3

繰り返しになるが第3番は有名曲なので、聴き慣れた人間には「驚くべきことはない」と思えるであろうが、私、第1,2番の音源を11種類も聴き比べたのち、改めてこの「第3番」を聴くと、第1,2番との比較において第3番第1楽章の出だしは「度肝を抜く出だし」に思える。また、この「第3番」において、第11-14小節は、ユリア・フィッシャー、クライツベルクがいうように第1,2番において見られなかった「ヴィオラとチェロパートの独立性」が見られ、海老澤敏氏がいうように「(第2番においては)ほとんど重要な役割を与えられていない管楽器パート」に重要な役割が与えられている例と私は思うが如何だろうか。


・アルテュール・グリュミオー/コリン・デイヴィス指揮/Lso
第3番 ト長調 K216(61年録音)
(カデンツァ:ウジェーヌ・イザイ)
1. Allegro 8'38"
2. Adagio 7'33"
3. Rondeau(Allegro) 5'33"

この人の演奏は、もう安心して聞ける。演奏はよいが、私が購入した廉価盤(PHILIPS)は編集が良くない。マスターテープ自体、出来が悪いのかも知れない。

・アイザック・スターン/ジョージ・セル指揮/Members of the Cleveland Orchestra
第3番 ト長調 K216(61年録音)
(カデンツァ:不明)
1. Allegro 9'23"
2. Adagio 9'26"
3. Rondeau(Allegro) 6'06"

第2楽章が絶品。スターンは語り口においてグリュミオーに勝る。第1楽章展開部、第2楽章は、緊張感において後者が勝る。そして、スターンの第2楽章は「語り口」「緊張感」を超えた風格。これには形容の言葉が見つからない。やっと、まともなスターンを聞けた気がする。さらにいえば、これはK216のベストだろう。

・ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン、指揮)Bpo(68年頃録音)
(カデンツァ:ヴォルフガング・シュナイダーハン)
第3番 ト長調 K216
1. Allegro 8'39"
2. Adagio 6'46"
3. Rondeau(Allegro) 6'10"

第1楽章はまともではない。第2,3楽章は聴けないことはない。この人の正体は見えてきたような気がする。

・ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン、指揮)Bpo
第3番 ト長調 K216(71年録音)
(カデンツァ:オイストラフ)
1. Allegro 9'03"
2. Adagio 9'22"
3. Rondeau(Allegro) 6'45"

ヴァイオリンを演奏しているのは、たしかにオイストラフだということ以外に何もない。

・ヨゼフ・スーク/プラハ室内管弦楽団
第3番 ト長調 K216(71年録音)
(カデンツァ:Marteau)
1. Allegro 8'35"
2. Adagio 8'35"
3. Rondeau(Allegro) 6'15"

DENONが制作したアナログ時代の名盤なのだろう。音がいい。録音の良さにオケのうまさが映える。スークの演奏はオケほどではないような気がする。

・アンネ=ゾフィー・ムター/カラヤン指揮/Bpo(78年録音)
第3番 ト長調 K216
(カデンツァ:サム・フランコ)
1. Allegro 10'42"
2. Adagio 9'47"
3. Rondeau(Allegro) 6'38"

「弱冠14歳時のDGデビュー盤」という宣伝文句がピッタリ。演奏は恩師シェリング的だと思う。

・イツァーク・パールマン/ジェイムズ・レヴァイン指揮/Vpo
第3番 ト長調 K216(82年録音)
1. Allegro(カデンツァ:サム・フランコ)9'12"
2. Adagio(カデンツァ:イツァーク・パールマン)8'49"
3. Rondeau(Allegro)(カデンツァ:イツァーク・パールマン)6'18"

第1楽章オケによる提示部は、サビのはいってないニギリのように聞こえたが、パールマンのソロから音楽がよくなる。パールマンの音色、技巧は、K216と相性が良いのだろうか。

これだからクラシック音楽のCDは、2〜3度聴いただけでは分からない。もしかしたら、パールマンのK207,211への私の評価も過小評価かも知れない。

カデンツァは、第1楽章はムターが好むサム・フランコのを使用し、第2,3楽章は自作。このカデンツァの選択も良い。それから第3楽章が良い。私は第3楽章、アンダンテ、アレグレットのあとテンポ・プリモ(下記、midi)の第25小節目に弦が一瞬短調を聞かせるところが好きなのだが「パールマンはどう弾いているだろうか」と聴き入ってしまった。聴いてみた結果、特に何もしてないが、パールマンの第3楽章は楽章全体のテンポ、意気、および「アンダンテ>アレグレット>テンポ・プリモの流れ」が良い。

K216_3_2

・ギドン・クレーメル/アーノンクール指揮/Vpo
第3番 ト長調 K216(84年録音)
1. Allegro(カデンツァ:ロバート・D・レヴィン)9'23"
2. Adagio(カデンツァ:ロバート・D・レヴィン)7'59"
3. Rondeau(Allegro)(カデンツァ:ギドン・クレーメル)6'38"

アーノンクール指揮による第1楽章オケ提示部は素晴らしい。「なんでこんな野暮ったいアンサンブルがいいの?」と言われそうだが、「(音が)よくきこえる」から、としか言いようがない。クレーメルのソロは第1楽章提示部、再現部は情感がこもっていていいが、展開部は重く、カデンツァは弱い。全楽章において、アーノンクールのうまさに対し、クレーメルのソロはK211と同様弱く、彼はアーノンクールに合わせているように感じる。K211に比べるとクレーメルは、かろうじて自発性を保つも、もっと自己主張すべきだったと思う。

第3楽章、最後のアインガングのあとの最後のヴァイオリンソロによるテーマ(下記、midi)の「レ」の音を、クレーメルはピチカートで弾いている。ここはNEUE MOZART-AUSGABE / DIGITAL MOZART EDITION(新モーツァルト全集)のスコアでは「この記譜は自筆譜に合致している。レの音はできればピチカート(左手)で演奏されるべきである」とある。

K216_3_3

・オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン、指揮)
第3番 ト長調 K216(96年録音)
1. Allegro(カデンツァ:ウジェーヌ・イザイ)9'19"
2. Adagio(カデンツァ:アルテュール・グリュミオー)7'33"
3. Rondeau(Allegro)(カデンツァ:アルテュール・グリュミオー)6'21"

硬軟両様の構え。K211と違い不自然ではない。グリュミオー盤で使用されたイザイのカデンツァ(第1楽章)がいい。

・ジュリアーノ・カルミニョーラ/Carlo de Martini/Il Quartettone(97年録音)
第3番 ト長調 K216
1. Allegro 8'42"
2. Adagio 7'23"
3. Rondeau(Allegro) 6'14"

カルミニョーラのモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集は、HMV.co.jpのユーザーレビューで賛否要論だが、ああいうレビューも、これがピリオドアプローチによるモーツァルトという前提なしでは意味がない。私的にはこの盤は演奏より録音が面白い。演奏については、同じピリオドアプローチのモーツァルトと比較してみないと確信的なことはいえないが、このK216については、悪くないと思う。それからこの人のモーツァルトは、アインガングがいい。

・アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン、指揮)Lpo(05年録音)
第3番 ト長調 K216
(カデンツァ:サム・フランコ)
1. Allegro 9'54"
2. Adagio 9'34"
3. Rondeau(Allegro) 6'20"

第1楽章ヴァイオリンソロによる第2主題前(下記、midi)で音楽が停滞するのは「間」といえばいいのか「ため」といえばいいのか分からないが、この「ムター節」を好む人と好まない人いずれの立場にも立たない客観的な意見として、Amazon.co.jpのベートーヴェン:VNソナタ全集 [Limited Edition]における「でかだん」さんのレビューは的を射ていると思う。

K216_1_2

・ユリア・フィッシャー/ヤコフ・クライツベルク指揮/Netherlands Chamber Orchestra
第3番 ト長調 K216(05年録音)
1. Allegro(カデンツァ:ユリア・フィッシャー)9'05"
2. Adagio(カデンツァ:ヤコフ・クライツベルク)8'21"
3. Rondeau(Allegro)(カデンツァ:サム・フランコ、ユリア・フィッシャー)6'11"

ムターとの比較において、やっとこの人たちの意図が分かってきた。細かいことに捕らわれず、適切なデュナーミクによる文字通りダイナミックな演奏。ストレートでアグレッシヴ、挑戦的、ゴージャスといってもいい。しかもクール。このヴァイオリニストには、やはり注目していいいようだ。今後、ベートーヴェン、ショスタコーヴィチが楽しみだ。ただし、以上はあくまで私の主観、嗜好だ。なお、フィッシャーもクレーメルと同じく「第3楽章最後のヴァイオリンソロによるテーマ」をピチカートで演奏している(こちらは控えめ)。

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2007年9月 5日 (水)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(2)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第2番 ニ長調 K211

K211はK207より洗練された作品であり「単純な構造」をもつが「モーツァルトの先輩作曲家の様式とモーツァルトの様式との折衷(K207)」ではなく「第1楽章の行進曲、第2,3楽章の優美、ギャラント」といったモーツァルトのオリジナリティが魅力の作品..と私は捕らえている。いろいろ譜例を作った。あまり意味なさそうなものもあるが、せっかく作ったのでアップロードする。

第1楽章 オケによる提示部(midi)。私は青で示した旋律が好きだ。これは、モーツァルトのオペラアリアに出てきそうなフレーズ。「作曲家別名曲解説ライブラリー」にはK211について「第1作(K207)とは、性格の上でだいぶ異なったものをもっており、フランス的な、優美な、ギャラント・スタイルをつよく示している。しかし、たとえばソロとトゥッティの図式的な交替、あるいはほとんど重要な役割を与えられていない管楽器パートなどにみられるように、第1作にくらべても、なおいっそう単純な構造をもち、したがって、その後も、「第3番」からしだいに複雑さを加えていくこのジャンルにあっては、最も問題の少ない作品だといえよう。」とある。その「優美な、ギャラント・スタイル」のひとつが青で示した旋律かも知れない。上の文章は海老澤敏氏のものだが、K211の性格を的確に表していると思う。それから私は、この第1楽章は8拍子の行進曲のように聞こえる。

K211_1

下記はヴァイオリンソロによる提示部の一部(midi)。3オクターブの下降がある。

K211_1_3

そのあと、下記(midi)もまた「優美な、ギャラント・スタイル」に始まり、三連符の華麗な挿入句、第2主題に乗っかったヴァイオリンソロの持続音。

K211_2

展開部冒頭 ヴァイオリンソロ(midi

K211_1_2

再現部前(midi)。デュナーミクが細かく指定されている。海老澤敏氏によると「(第1主題のはじめに)みられるような強弱の図式的な対比は、またこの楽章全体を通じる特徴である。」とあるが、下記もその一例であろう。

K211_1_5

カデンツァまえの速いフレーズ(midi)。これを聴くと私は何故か、むかしテレビでやってた漫画「ポパイ」のテーマソングを思い出す。

K211_1_4

以下、演奏の聴き比べ。

・ジュリアーノ・カルミニョーラ/Carlo de Martini/Il Quartettone(97年録音)
第2番 ニ長調 K211
1. Allegro moderato 8'25"
2. Andante 6'44"
3. Rondeau(Allegro) 4'14"

この盤は、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが、対向配置になっているが、その二つが左右のチャンネルからはっきり分かれて聞こえる。それがサウンド的には面白い(特に第1Vnと第2Vnの掛け合い)。カルミニョーラのK211はK207同様、小編成による軽いノリと小振りなピリオド奏法が、作品の性格をうまく表している。秀演。

・アイザック・スターン/アレキサンダー・シュナイダー指揮/イギリス室内管弦楽団
第2番 ニ長調 K211(76年録音)
(カデンツァ:Ferdinand Küchler)
1. Allegro moderato 8'25"
2. Andante 8'07"
3. Rondeau(Allegro) 4'31"

指揮者がジョージ・セルじゃなく、アレキサンダー・シュナイダー。録音年はK207(1961年)の15年後の1976年。スターンの特徴である適度なアクの強さ(?)が何故か面白くない。第2楽章は退屈する。第3楽章も特に面白くなく、凡演といっていいだろう。

・ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン、指揮)Bpo(68年頃録音)
(カデンツァ:ヴォルフガング・シュナイダーハン)
第2番 ニ長調 K211
1. Allegro moderato 7'53"
2. Andante 5'59"
3. Rondeau(Allegro) 4'13"

全楽章テンポが速い。第1楽章は、きびきびした演奏。そういう演奏にあっても、ヴィブラートの効いた美音を聞かせるのは、ウィーン風ということか。K207と同様、カデンツァは派手。私は、K211の第2楽章には、優美さだけでなく、ベートーヴェンの「ロマンス」のように雄大さというかスケールの大きさを期待したりする。シュナイダーハンにそれを期待したが、それはなかった。

・イツァーク・パールマン/ジェイムズ・レヴァイン指揮/Vpo
第2番 ニ長調 K211(85年録音)
(カデンツァ:イツァーク・パールマン)
1. Allegro moderato 8'09"
2. Andante 7'26"
3. Rondeau(Allegro) 4'04"

模範的演奏であるが私の嗜好にあわない。

・アルテュール・グリュミオー/コリン・デイヴィス指揮/Lso
第2番 ニ長調 K211(64年録音)
(カデンツァ:アルテュール・グリュミオー)
1. Allegro moderato 8'13"
2. Andante 6'29"
3. Rondeau(Allegro) 3'54"

グリュミオーの「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲」の良さは、一度聴いただけでは分からなかった。しかし、数回聴くと、この録音が高く評価されている理由が分かる。その理由とは、ツボを押さえた演奏。すなわち(たとえば上記譜例に示したような)ソロヴァイオリンの特徴的フレーズを、他の演奏者の演奏では意識して聞かないと聞き逃してしまうことがあるのに対し、グリュミオーの演奏においては、意識せずとも、それが耳に入ってくる感じ。彼の演奏には過度な表現なし。フレーズに対する独特なバランス感覚あり。「バランス感覚」とは、抽象的表現になるが、あえていえば、モーツァルトの音楽の演奏において、重心の置き方が上手い。どこに重心を置いたらいいか分かっているということになると思う。それから、指揮者コリン・デイヴィスのサポートはグリュミオーの好演に大いに貢献している。

・ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン、指揮)Bpo
第2番 ニ長調 K211(71年録音)
(カデンツァ:オイストラフ)
1. Allegro moderato 8'12"
2. Andante 7'48"
3. Rondeau(Allegro) 4'50"

オイストラフのK211は、グリュミオー/デイヴィス盤に比べれば随分粗い。しかし彼のK211はK207に比べれば、ストレートな表現が生きており、各楽章のバランス、流れが良く、K207に比較して安定している。特に第2楽章はよく歌っており、古臭い音色ながら味がある。

・ヨゼフ・スーク/プラハ室内管弦楽団(71年録音)
(カデンツァ:Marteau)
1. Allegro moderato 8'15"
2. Andante 7'35"
3. Rondeau(Allegro) 4'30"

第1楽章のゆっくりしたステップ(行進曲の)。第2楽章はこれまたゆったりしたテンポに、どっぷり浸れる。アンダンテをこんなに遅く演奏するのはベームぐらいでしょうね。第3楽章は輪郭をはっきりさせた、こざっぱりしたロンド。スークの演奏は古臭いが明晰。

・アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン、指揮)Lpo(05年録音)
第2番 ニ長調 K211
(カデンツァ:Zino Francescatti)
1. Allegro moderato 8'21"
2. Andante 7'01"
3. Rondeau(Allegro) 3'51"

「K211の第1楽章は行進曲じゃないのか?」と私が思ったのはムターの演奏を聴いたときだった。彼女の演奏(第1楽章)は、実際に人間が行進するには速すぎるテンポ(つまり速いテンポ)で演奏されているが、かえってそれが「行進曲」を感じさせる。それに急に早弾きしたり遅く弾いたりするリズム感は心地よい(第1楽章)。第3楽章ロンドのリズム感も同様に心地よい。全楽章において、いかにもムターらしく、スコアにある音を、より際だたせようとするスタンスが聴かれる。たとえば第1楽章、第2主題前の三連符(上記上から三番目の譜例)は和音2+1で弾いているように聞こえる。また、下記、第2楽章第2主題にあたると思われる部分は、なまめかしさが良い(midi)。

K211_2_1

その他、ムター的なポルタメント、ノンヴィブラート、ルバート的じゃないルバート、気まぐれなデュナーミク、変な節回しが、この作品では生きていると思う。

・ユリア・フィッシャー/ヤコフ・クライツベルク指揮/Netherlands Chamber Orchestra
第2番 ニ長調 K211(06年録音)
(カデンツァ:ユリア・フィッシャー、ヤコフ・クライツベルク)
1. Allegro moderato 7'57"
2. Andante 7'23"
3. Rondeau(Allegro) 3'57"
Pieter-Jan Belder(チェンバロ)

ムター盤を聴いて思ったが、K211は、女性的性格をもつ作品が多いモーツァルトの作品にあっては男性的性格をもつ作品ではなかろうか。フィッシャー/クライツベルクの解釈もまた男性的端正さを感じさせる。第1楽章はスコアのデュナーミクに(おそらく)忠実、アーティキュレーションもスコアに忠実、かつテンポの速い軽快な演奏。しかし第2,3楽章は、ベテラン、ムターの色気が、若いフィッシャーより一枚か二枚上をいくだろう。フィッシャーの演奏ではモーツァルトに酔えない。正確な奏法と美しい音だけでは「モーツァルトに酔えない」というのは不思議。

・ギドン・クレーメル/アーノンクール指揮/Vpo
第2番 ニ長調 K211(84年録音)
1. Allegro moderato(カデンツァ:ロバート・D・レヴィン)8'04"
2. Andante(カデンツァ:ロバート・D・レヴィン)7'05"
3. Rondeau(Allegro)(カデンツァ:ギドン・クレーメル)4'30"

ギドン・クレーメル/アーノンクールのK207は素晴らしいが、K211は良くない。クレーメルのヴァイオリンが大人しい...というか音量が小さく聞こえるのは、クレーメルが、終始アーノンクールのあとをつけているからなのか、同じことだが、クレーメルが終始アーノンクールをつけているからクレーメルのヴァイオリンが大人しく聞こえるのか。いずれにしても、少なくとも彼らの第1,2楽章の演奏を聴く限り、あたかも二人はK211を「オケが主、ソロヴァイオリンが従」と捕らえたかに聞こえる。実際は、そんな「共通理解」は二人のあいだに存在しなかったであろうが、もしそうだとしても、この演奏においては二人の個性が触発しあっていない。不完全燃焼。その結果、作品が語られていない。

・オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン、指揮)
カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク
第2番 ニ長調 K211(2000年録音)
(カデンツァ:不明)
1. Allegro moderato 8'16"
2. Andante 6'58"
3. Rondeau(Allegro) 4'35"

私は、ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ全集を数多く聴いたが、気に入ってるのは、オイストラフ盤とデュメイ/ピリス盤だけだ。したがって、デュメイは好きなヴァイオリニストの一人だ。しかし、この録音は変だ。グリュミオーに比べ芸が細かすぎ、ムター比べ身振り手振りが大きすぎる。そのため下品に聞こえる。第2楽章のピアニッシモは音量が小さすぎてコンサートホールでは実現不可能な演奏、第1,3楽章がリズミックじゃないのは致命的..と貶そうと思ったが、この演奏には、K207からK216へと向かうモーツァルトのプロセスがよく表れていると思う。K207第1楽章は基本的に「シラソファミレドシ」の下降音階で始まる。K211第1楽章は「レラファレ」すなわちハ調でいえば「ドミソド」を逆に下降する「ドソミド」の旋律で始まる。これら単純な旋律はK216以降ためのモーツァルトの肩慣らしだったのかも知れない。したがって、K211をモーツァルトの大作前の「前触れ」として捕らえるなら、デュメイの節度のない、そしていささかトリッキーな表現が合うのかも知れない。

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2007年8月28日 (火)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(1)

・アルテュール・グリュミオー/コリン・デイヴィス指揮/Lso
第1番 変ロ長調 K207(62年録音)
(カデンツァ:アルテュール・グリュミオー)
1. Allegro moderato 6'31"
2. Adagio 6'55"
3. Presto 5'08"

・ギドン・クレーメル/アーノンクール指揮/Vpo
第1番 変ロ長調 K207(83年録音)
(カデンツァ:ロバート・D・レヴィン)
1. Allegro moderato 7'09"
2. Adagio 9'54"
3. Presto 6'18"

クレーメル盤は、音楽が「物語」になっている。上記タイムの比較から分かる通り、クレーメル盤のテンポは遅い。そのテンポの遅さが、整然たる形式を、いっそう分かりやすくしている。第1楽章は遅いテンポの中でデュナーミクとテンポ・ルバートが生きている。アーノンクールが遅めのテンポ、過度のデュナーミク、ルバートで演奏すると変なモーツァルトになることがあるが、この演奏は違う。

このブログの8月23日付「ユリア・フィッシャー(2)」で私が引用した文章においてフィッシャーとクライツベルクの指摘「ヴィオラとチェロパートの独立性の欠如(K207,211)」は、クレーメル、グリュミオー盤を聴く限りにおいては、補われなくていいように思える。クレーメル、グリュミオー盤いずれも第1楽章の低音リズムは、何の不満も感じさせない。必要かつ十分である。

技巧派クレーメル/アーノンクールとエレガントなグリュミオー。いずれも良いが、私は、第1番(K207)は、クレーメル盤がベストだと思う。

K207_2

上記は、K207第1楽章のオケによる提示部である。わずか24小節からなる簡潔な提示部である(音を聴きたい人はココをクリックして下さい)。青で示した躍動的で印象的な音型(第2主題前後の音型)は、この箇所(つまり第1楽章のオケによる提示部)にしか現れない。私はこの音型が好きである。この音型は私に強い印象を与え、残像となり、この作品全体の性格や形式を回顧するのに役立つ。そのような音型を「オケによる提示部」にしか現さない技法は、モーツァルトの協奏曲風ソナタ形式に、しばしば見られる特徴なのだろうか。

ヴァイオリンソロは、オケによる提示部の冒頭の後、下記(音を聴きたい人はココをクリックして下さい)のような経過句に引き継がれる。当ブログ8月23日付「ユリア・フィッシャー(2)」でフィッシャーとクライツベルクが言っている「イタリアバロック・ヴィルトゥオージティの顕著な影響」「ヴィルトゥオーゾ的8分音符16分音符のパッセージ」とは、このようなフレーズのことなのだろう。この華麗なヴィルトゥオージティはモーツァルトの父レオポルト、すなわちヴァイオリンのエキスパートだったレオポルト・モーツァルトを偲ばせる。モーツァルトはレオポルトから卓越したヴァイオリン奏法を学んだからこそ、このような華麗な旋律を書くことが出来たのだと私は思う(なおレオポルト・モーツァルトの「バイオリン奏法」は優れた著書であり、その日本語訳は今日でも入手可能)。ここはシンコペーションがカッコいい。

K207_1_2

この作品(K207)を聴くと、17才のモーツァルトが、すでにヨーロッパ中を旅し、多くを吸収した自信を感じさせる。それは他の4曲にも共通する。自信と野心。自己のスタイルの確立。それらが「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲(全5曲)」を形容する言葉であろうが、私は、この作品群には、のちのモーツァルトの円熟した作品の「大胆と美しさの両立と融合」は、まだ見られないと思う。それでも、この5曲のシリーズが、短期間に作曲されたにもかかわらず、それぞれが個性を持ち、面白いのは、まだ人生において本当の挫折を知らないモーツァルトの明るさと作曲技術の充実が、うまく溶けあい、それに、ヨーロッパ中を旅し多くを吸収した青年の自信、創作意欲、モチベーションが、これまた、うまくマッチしたからだろう。

話が前後するが、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲全5曲は下記の年に書かれている。

第1番 変ロ長調 K207(1773年)17才の時
第2番 ニ長調 K211(1775年6月14日完成、ザルツブルク)19才
第3番 ト長調 K216(1775年9月12日完成、ザルツブルク)19才
第4番 ニ長調 K218(1775年10月完成、ザルツブルク)19才
第5番 イ長調 K219(1775年12月20日完成、ザルツブルク)19才

この時期、モーツァルトは父親と一緒に、ミラノ、ウィーン、ミュンヘンを旅し、ミラノでは歌劇《ルーチョ・シッラ》の成功にもかかわらず就職活動に失敗。ウィーンではハイドンに触発され弦楽四重奏曲6曲を作曲。ミュンヘンでは《偽の女庭師》を成功させている。この時期の有名曲は、1773年の《エクスルターテ・ユビラーテ》と交響曲第25番ト短調。1775年のピアノソナタ第1-6番がある。

話を「聴き比べ」に戻すと、グリュミオーの演奏における第1楽章のカデンツァは陳腐であるのに対し、クレーメル盤は、ロバート・D・レヴィン作曲のカデンツァであり、これがいい。ロバート・D・レヴィンは、ミサ曲ハ短調 K427を校訂し完全版を作ったあのレヴィンである(これはリリングの最新録音で聴けますね)。

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲には、モーツァルトによるカデンツァが一つも残されていないので、各演奏者によるカデンツァ演奏の聴き比べもまた、面白い。

・ヨゼフ・スーク/プラハ室内管弦楽団
第1番 変ロ長調 K207(72年録音)
(Kadenzen nach Allard, Rondinov, Mostras von Josef Suk)
1. Allegro moderato 7'27"
2. Adagio 8'05"
3. Presto 5'30"

ス−クの演奏は、端正できまじめな印象、古い臭い印象を受けるが、これがなかなか聴き応えがある。この盤の指揮者は明記されていない。ただ「プラハ室内管弦楽団(リーダー:リボル・フラヴァーチェク)」とある。しかし、この盤の管弦楽は充実していると思う。

K207は第3楽章がソナタ形式であることに特徴がある(他の4曲の第3楽章はロンドである)。しかも、プレスト。しかし、このプレストは速く演奏すれば、その特徴が際だつわけでは勿論ない。端正で手堅い演奏でも、スリリングな演奏が聴かれる。スークの演奏は、その一つであろう。何故、スークの演奏がそうなのか。下記(音はココ)は第3楽章のオケによる提示部

K207_3

下記がヴァイオリンソロの出だし(音はココ)。上記、下記の青のトゥッティは、この楽章の要である。

K207_3_2

そして、下記(音はココ)の経過句も印象的である

K207_3_3_2

展開部の転調は、第1楽章の展開部を思わせる(それは、第3楽章はやはりソナタ形式なのだということを思い出させる)。スークは、これらの音楽的素材を「生意気なモーツァルトの荒技」と捕らえずに、隙のない傑作として捕らえ「堂々」と演奏しているのが良いのではないだろうか。スークの演奏は、全楽章に堂々たる力強さを感じさせる。カデンツァ(他の作者によるカデンツァにスークが手を加えたものと思われる)もまた逸品である。

・アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン、指揮)Lpo(05年録音)
第1番 変ロ長調 K207
(カデンツァ:Hans Sitt)
1. Allegro moderato 6'48"
2. Adagio 7'58"
3. Presto 5'43"

ムターのモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲は、ただ聴き比べのためだけに購入した。つまり、この盤は人気商品であるようなので、この盤を外すと「聴き比べ」を期待した読者から「何故、ムター盤はないのか?」と思われるのではないかという危惧から購入した。そんな理由で購入するというのは、お金がもったいし、本来、欲しくないCDを購入するというのは愚行に思えた。しかし、買って良かった。期待はずれではなかった。品のないムターが「怪我の功名」で名演している。彼女自身による指揮について言えば、たしかに下手ではあるが、他の盤では聞けない解釈と音が聞ける。そして彼女のヴァイオリン演奏は、例のなまめかしい品のなさが、モーツァルトの若々しさにマッチしている。

ムターについて「怪我の功名」とか「品がない」とか書くとファンは怒るだろうが、彼女の個性に対する評価は、リスナーの嗜好に大きく依存すると思う。「美しい音色と秀でた技巧」「品格のかけらもない」という賛否が存在すると思う。

私が感じる「ムターのモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集」の良いところは、作品の性格の違いを、よく捕らえていること。その解釈の面白さが成功している。であれば「怪我の功名」ではなく、アンドレ・プレヴィンとの結婚が、彼女の音楽性を向上させたのかも知れない。

ムターの演奏は、第2番が素晴らしいと思う。第1番も悪くないが、第1番は、彼女の持ち前である饒舌な表現があまり生きない作品だと思う。

・ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン、指揮)Bpo
第1番 変ロ長調 K207(71年録音)
(カデンツァ:モストラス)
1. Allegro moderato 8'00"
2. Adagio 8'34"
3. Presto 5'56"

私が20世紀最大のヴァイオリニストと思うオイストラフのモーツァルトには、大いに期待したが、第1番に関しては期待はずれ。クレーメルの演奏が良かったので、師匠オイストラフの演奏はもっと良いのかと思ったら、そうではなかった。私が好きなオイストラフの演奏はショスタコーヴィチ1番における圧倒的演奏(56年)、ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタの風格(62年)。しかしオイストラフのモーツァルトには、それらのいずれもない。凡演である。技巧の衰えではなく、気力、感性の衰えを感じさせる。

・イツァーク・パールマン/ジェイムズ・レヴァイン指揮/Vpo
第1番 変ロ長調 K207(85年録音)
(カデンツァ:イツァーク・パールマン)
1. Allegro moderato 6'52"
2. Adagio 8'16"
3. Presto 5'32"

正直いって私はイツァーク・パールマンというヴァイオリニストは初めて聴くので期待半分不安半分だった。結論を言うと、評判通りの美しい音色と優れた技巧。しかし、あまり面白くない。指揮者レヴァインは確かにうまいが、パールマンのヴァイオリンにつけるだけの指揮をしているように思う。ソリストと指揮者の良い意味での個性の衝突というものがない。それが、クレーメル/アーノンクールとの違い。音色と技巧だけのモーツァルトに聞こえる。「モーツァルトは、こんなに面白いんだよ」という主張を感じられなかった。妙なる演奏ではあるが、スリリングの妙がない。第3楽章はテンポが速く超絶技巧なのだが...。ただ一つ面白かったのは、第3楽章、オケによる提示部冒頭をうまく使った自作のカデンツァ。それだけは面白かった。

・ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン、指揮)Bpo(68年頃録音)
(カデンツァ:ヴォルフガング・シュナイダーハン)
第1番 変ロ長調 K207
1. Allegro moderato 7'09"
2. Adagio 6'51"
3. Presto 5'26"

シュナイダーハンは、ウィーンの人なので、このモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲はウィーン風という先入観を持ってはいけなんだろうけど、なんとなく、田舎都市ザルツブルクより、大都市の雰囲気はある。ヴァイオリンソロ、指揮ともに悪くないのだが、シュナイダーハンの色に染まったモーツァルトという感じがするから、賛否ある演奏かも知れない。シュナイダーハンは、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全曲に自らカデンツァを書いているが、これがド派手、何でもありという感じ。最初、K207第1楽章のカデンツァを聴いたときは、ビックリしてしまった。

・アイザック・スターン/ジョージ・セル指揮/コロンビア交響楽団
第1番 変ロ長調 K207(61年録音)
(カデンツァ:不明)
1. Allegro moderato 6'42"
2. Adagio 8'28"
3. Presto 5'34"

まず、ジョージ・セルの指揮がうまい。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を論ずるとき、私が何故、最初に指揮のことに言及するかというと、その理由は、勿論、モーツァルトの協奏曲は最初にオケによる提示部があるからではあるが、それだけではない。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を聴き比べをしていると、この作品群は(モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は特に!)あたかも指揮者の上手下手が「ヴァイオリンソロのできばえ」を左右するかのように感じる。ヴァイオリンソロに対して指揮が如何につけるか、オケが如何にサポートするか、ソロとオケの掛け合いの妙、コラボ、サウンドの絡み合い、どういう言い方をして良いか分からないが、このセルの指揮は心地よい。

私が、聴き比べたモーツァルトのヴァイオリン協奏曲の音源の指揮者たちをあげると、ソリスト自らの指揮を除くと以下。

コリン・デイヴィス、ジョージ・セル、ジェイムズ・レヴァイン、アーノンクール、Carlo de Martini、クライツベルク

この中で、K207におけるセルの指揮は、出色である。私は、最初、スターンのK207は、あまり気に入らなかった。しかし、これは隠れた名盤だろう。そう思えるようになったのはセルの指揮のうまさに私の耳が引きつけられたからだ。スターンには悪いが、ジョージ・セルの指揮なくして「スターンの演奏はココまで魅力的に聞こえたか?」と感じる。

・ジュリアーノ・カルミニョーラ/Carlo de Martini/Il Quartettone(97年録音)
第1番 変ロ長調 K207
1. Allegro moderato 7'00"
2. Adagio 7'35"
3. Presto 5'27"

HMV.co.jpの25%割引キャンペーンで976円と安かったので買ってみた。HMVのレビューでは賛否両論だが、私はソロ、オケともに好きな演奏だ。廉価盤なのでデータは録音年と使用楽器が「ピエトロ・グァルネリ・ディ・ヴェネツィア、1733」ということしか書いていないが、要するにソロ、オケともにピリオド楽器、ピリオド奏法によるモーツァルト。であれば、少々の瑕疵はあるだろう。HMVの宣伝文によるとオケ「イル・クァルテットーネは、バロック・ヴァイオリン奏者カルロ・デ・マルティーニによって1987年にミラノで創設された、古楽器による20数名の室内オーケストラです」とある。ということはこの音源は、オケの結成後10年経って録音された演奏だが、その割には、まだオケのアンサンブルは粗い。

K207は、もともと独奏ヴァイオリン、オーボエ2、ホルン2、バイオリン2部、ヴィオラ、バスの編成となっているのであるから、独奏者1、オーボエ2、ホルン2、ヴィオリン2、ヴィオラ1、チェロ1、コントラバス1、合計10人で演奏可能。おそらく、ザルツブルクの小さいオケの編成で演奏されたとき、10人ちょっとの人数で演奏されたであろう。このイル・クァルテットーネの録音も、そのぐらいの人数で演奏されているようだ。したがって、この音源には、この作品が演奏された当時の音に近い音を聞けるという良さがある。カルミニョーラの奏法は、勿論ピリオド奏法だが第2楽章において、ほどよくヴィブラートをかけている。上述レオポルト・モーツァルトの「バイオリン奏法」を読んでみないと分からないが、モーツァルト当時の独奏ヴァイオリン奏法は、まったくのノンヴィブラートということはなかったんじゃないかと思う。カルミニョーラの奏法は、本当にモーツァルトが演奏した奏法を再現しているかも知れない。第2楽章のノンヴィブラート気味のヴィブラートを聴いて私はそう思う。

カルミニョーラの演奏を恣意的ととるか否かは主観によるだろう。ただ、K207に関しては、彼の演奏は作品の性格に合致した演奏と私は見る。スコアを見ながらこの演奏を聴くと、スコアが読みやすい。ということは、スコアの音がよく見えるサウンドなのだろう。

まとめ
以上、長い割には雑駁な文章になってしまった。K207は、のちの作品に比べ、まだ、モーツァルトの個性が、目を見張るほどのものではないように思う。なので、どの演奏も、ひどく聞き苦しいというものはないと思う。K207という作品は、形式明快で無駄がない。音楽的には質において(これまた、のちの作品に比べ)若干未熟で物足りない印象を受けるが「音楽の流れ」に淀みはない。そして、この作品は、そんなに難しい作品とは思えない。

私は、モーツァルトが、この作品において、先人のどのような遺産を取り入れて、それを如何に自己のものとしたか、その巧みを知らない。けれども、なんとなくこの作品は折衷的という印象を受けなくもない。したがって、上でも書いたとおり、この作品の音源のベストとしては「聴いて分かりやすい」クレーメル/アーノンクール盤をとる。あと、スーク盤が良い。前の記事では貶したけれどもユリア・フィッシャー盤も悪くない。そして、カルミニョーラのピリオド奏法は、この作品にあっていると思う。

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2007年8月24日 (金)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ:予告編

私が購入したCDとそのデータ(カデンツァ作曲者、演奏時間など)

・協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5
 アダージョK261、ロンドK373
 グリュミオー/コリン・デイヴィス/Lso(61,62,64,67年録音)

・協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5
 アダージョK261、ロンドK373
 2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ ハ長調K190
 スターン/ジョージ・セルほか(61-76年)

・ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK269,373
 シュナイダーハン(Vn,指揮)/Bpo(68年)

・ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、ロンドK373
 オイストラフ(Vn,指揮)/Bpo(70-71年)

・協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-7
 アダージョK261、ロンドK269,373
 2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ ハ長調K190
 スーク/プラハ室内(72-73年)

・ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK269,373
 パールマン/レヴァイン/Vpo(82,85年)

・協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5
 クレーメル/アーノンクール/Vpo(83,84,87年)

・ヴァイオリン協奏曲No.3,4,5(96年)
 デュメイ(Vn,指揮)/Camerata Academica Salzbug

・協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲No.2、アダージョK261
 ロンドK373
 デュメイ(Vn,指揮)/ヴェロニカ・ハーゲン(Va)
 Camerata Academica Salzbug(2000年)

・ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK269,373
 カルミニョーラ/Carlo de Martini/Il Quartettone(97年)

・協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5(05年)
 ムター(Vn,指揮)/Lpo(05年)

・ヴァイオリン協奏曲No.3,4、アダージョK261、ロンドK269
 フィッシャー/クライツベルク/Netherlands Chamber Orchestra(05年)

・ヴァイオリン協奏曲No.1,2,5
 フィッシャー/クライツベルク/Netherlands Chamber Orchestra(06年)


・アルテュール・グリュミオー/コリン・デイヴィス指揮/Lso
第1番 変ロ長調 K207(62年録音)
(カデンツァ:アルテュール・グリュミオー)
1. Allegro moderato 6'31"
2. Adagio 6'55"
3. Presto 5'08"

第2番 ニ長調 K211(64年録音)
(カデンツァ:アルテュール・グリュミオー)
1. Allegro moderato 8'13"
2. Andante 6'29"
3. Rondeau(Allegro) 3'54"

第3番 ト長調 K216(61年録音)
(カデンツァ:ウジェーヌ・イザイ)
1. Allegro 8'38"
2. Adagio 7'33"
3. Rondeau(Allegro) 5'33"

第4番 ニ長調 K218(62年録音)
1. Allegro 8'57"
2. Andante cantabile 6'55"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 6'51"

第5番 イ長調 K219(61年録音)
(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム、アルテュール・グリュミオー)
1. Allegro aperto 9'13"
2. Adagio 9'39"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'03"


・アイザック・スターン/ジョージ・セル指揮/コロンビア交響楽団
第1番 変ロ長調 K207(61年録音)
(カデンツァ:不明)
1. Allegro moderato 6'42"
2. Adagio 8'28"
3. Presto 5'34"

・アイザック・スターン/アレキサンダー・シュナイダー指揮/イギリス室内管弦楽団
第2番 ニ長調 K211(76年録音)
(カデンツァ:Ferdinand Küchler)
1. Allegro moderato 8'25"
2. Andante 8'07"
3. Rondeau(Allegro) 4'31"

・アイザック・スターン/ジョージ・セル指揮/Members of the Cleveland Orchestra
第3番 ト長調 K216(61年録音)
(カデンツァ:不明)
1. Allegro 9'23"
2. Adagio 9'26"
3. Rondeau(Allegro) 6'06"

・アイザック・スターン/アレキサンダー・シュナイダー指揮/イギリス室内管弦楽団
第4番 ニ長調 K218(76年録音)
(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)
1. Allegro 9'24"
2. Andante cantabile 8'54"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 7'44"

・アイザック・スターン/ジョージ・セル指揮/コロンビア交響楽団
第5番 イ長調 K219(63年録音)
(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)
1. Allegro aperto 8'46"
2. Adagio 10'51"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'45"


・ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン、指揮)Bpo(68年頃録音)
(カデンツァは全曲ヴォルフガング・シュナイダーハンによるもの)
第1番 変ロ長調 K207
1. Allegro moderato 7'09"
2. Adagio 6'51"
3. Presto 5'26"

第2番 ニ長調 K211
1. Allegro moderato 7'53"
2. Andante 5'59"
3. Rondeau(Allegro) 4'13"

第3番 ト長調 K216
1. Allegro 8'39"
2. Adagio 6'46"
3. Rondeau(Allegro) 6'10"

第4番 ニ長調 K218
1. Allegro 8'46"
2. Andante cantabile 6'42"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 6'55"

第5番 イ長調 K219
1. Allegro aperto 9'08"
2. Adagio 10'20"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'40"


・ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン、指揮)Bpo
第1番 変ロ長調 K207(71年録音)
(カデンツァ:モストラス)
1. Allegro moderato 8'00"
2. Adagio 8'34"
3. Presto 5'56"

第2番 ニ長調 K211(71年録音)
(カデンツァ:オイストラフ)
1. Allegro moderato 8'12"
2. Andante 7'48"
3. Rondeau(Allegro) 4'50"

第3番 ト長調 K216(71年録音)
(カデンツァ:オイストラフ)
1. Allegro 9'03"
2. Adagio 9'22"
3. Rondeau(Allegro) 6'45"

第4番 ニ長調 K218(70年録音)
(カデンツァ:ダヴィッド)
1. Allegro 9'20"
2. Andante cantabile 7'54"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 7'58"

第5番 イ長調 K219(70年録音)
(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)
1. Allegro aperto 9'39"
2. Adagio 11'11"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 9'38"


・ヨゼフ・スーク/プラハ室内管弦楽団
第1番 変ロ長調 K207(72年録音)
(Kadenzen nach Allard, Rondinov, Mostras von Josef Suk)
1. Allegro moderato 7'27"
2. Adagio 8'05"
3. Presto 5'30"

第2番 ニ長調 K211(71年録音)
(カデンツァ:Marteau)
1. Allegro moderato 8'15"
2. Andante 7'35"
3. Rondeau(Allegro) 4'30"

第3番 ト長調 K216(71年録音)
(カデンツァ:Marteau)
1. Allegro 8'35"
2. Adagio 8'35"
3. Rondeau(Allegro) 6'15"

第4番 ニ長調 K218(70年録音)
(Kadenzen nach David, Marteau, Joachim von Josef Suk)
1. Allegro 9'33"
2. Andante cantabile 7'06"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 7'09"

第5番 イ長調 K219(70年録音)
(Kadenzen nach Germann, Badura-Skoda von Josef Suk)
1. Allegro aperto 9'39"
2. Adagio 10'57"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 9'59"


・アンネ=ゾフィー・ムター/カラヤン指揮/Bpo(78年録音)これはアナログ盤です。
以前から持ってました。
第3番 ト長調 K216
(カデンツァ:サム・フランコ)
1. Allegro 10'42"
2. Adagio 9'47"
3. Rondeau(Allegro) 6'38"

第5番 イ長調 K219
(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)
1. Allegro aperto 10'41"
2. Adagio 10'45"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 9'20"


・イツァーク・パールマン/ジェイムズ・レヴァイン指揮/Vpo
第1番 変ロ長調 K207(85年録音)
(カデンツァ:イツァーク・パールマン)
1. Allegro moderato 6'52"
2. Adagio 8'16"
3. Presto 5'32"

第2番 ニ長調 K211(85年録音)
(カデンツァ:イツァーク・パールマン)
1. Allegro moderato 8'09"
2. Andante 7'26"
3. Rondeau(Allegro) 4'04"

第3番 ト長調 K216(82年録音)
1. Allegro(カデンツァ:サム・フランコ)9'12"
2. Adagio(カデンツァ:イツァーク・パールマン)8'49"
3. Rondeau(Allegro)(カデンツァ:イツァーク・パールマン)6'18"

第4番 ニ長調 K218(85年録音)
(カデンツァ:イツァーク・パールマン)
1. Allegro 8'38"
2. Andante cantabile 7'10"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 6'59"

第5番 イ長調 K219(82年録音)
1. Allegro aperto(カデンツァ:イツァーク・パールマン)9'29"
2. Adagio(カデンツァ:イツァーク・パールマン)10'56"
3. Rondeau(Tempo di menuetto)(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)8'54"


・ギドン・クレーメル/アーノンクール指揮/Vpo
第1番 変ロ長調 K207(83年録音)
(カデンツァ:ロバート・D・レヴィン)
1. Allegro moderato 7'09"
2. Adagio 9'54"
3. Presto 6'18"

第2番 ニ長調 K211(84年録音)
1. Allegro moderato(カデンツァ:ロバート・D・レヴィン)8'04"
2. Andante(カデンツァ:ロバート・D・レヴィン)7'05"
3. Rondeau(Allegro)(カデンツァ:ギドン・クレーメル)4'30"

第3番 ト長調 K216(84年録音)
1. Allegro(カデンツァ:ロバート・D・レヴィン)9'23"
2. Adagio(カデンツァ:ロバート・D・レヴィン)7'59"
3. Rondeau(Allegro)(カデンツァ:ギドン・クレーメル)6'38"

第4番 ニ長調 K218(87年録音)
(カデンツァ:ロバート・D・レヴィン)
1. Allegro 8'20"
2. Andante cantabile 6'07"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 7'41"

第5番 イ長調 K219(87年録音)
(カデンツァ:ロバート・D・レヴィン)
1. Allegro aperto 9'05"
2. Adagio 9'53"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'55"


・オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン、指揮)
カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク
第2番 ニ長調 K211(2000年録音)
(カデンツァ:不明)
1. Allegro moderato 8'16"
2. Andante 6'58"
3. Rondeau(Allegro) 4'35"

第3番 ト長調 K216(96年録音)
1. Allegro(カデンツァ:ウジェーヌ・イザイ)9'19"
2. Adagio(カデンツァ:アルテュール・グリュミオー)7'33"
3. Rondeau(Allegro)(カデンツァ:アルテュール・グリュミオー)6'21"

第4番 ニ長調 K218(96年録音)
1. Allegro(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)9'15"
2. Andante cantabile(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)6'45"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 7'16"

第5番 イ長調 K219(96年録音)
1. Allegro aperto 10'02"
2. Adagio(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)9'33"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'44"


・ジュリアーノ・カルミニョーラ/Carlo de Martini/Il Quartettone(97年録音)
第1番 変ロ長調 K207
1. Allegro moderato 7'00"
2. Adagio 7'35"
3. Presto 5'27"

第2番 ニ長調 K211
1. Allegro moderato 8'25"
2. Andante 6'44"
3. Rondeau(Allegro) 4'14"

第3番 ト長調 K216
1. Allegro 8'42"
2. Adagio 7'23"
3. Rondeau(Allegro) 6'14"

第4番 ニ長調 K218
1. Allegro 8'07"
2. Andante cantabile 6'13"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 7'21"

第5番 イ長調 K219
1. Allegro aperto 9'36"
2. Adagio 10'01"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'51"


・アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン、指揮)Lpo(05年録音)
第1番 変ロ長調 K207
(カデンツァ:Hans Sitt)
1. Allegro moderato 6'48"
2. Adagio 7'58"
3. Presto 5'43"

第2番 ニ長調 K211
(カデンツァ:Zino Francescatti)
1. Allegro moderato 8'21"
2. Andante 7'01"
3. Rondeau(Allegro) 3'51"

第3番 ト長調 K216
(カデンツァ:サム・フランコ)
1. Allegro 9'54"
2. Adagio 9'34"
3. Rondeau(Allegro) 6'20"

第4番 ニ長調 K218
1. Allegro 8'31"
2. Andante cantabile 7'08"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo) 6'50"

第5番 イ長調 K219
(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)
1. Allegro aperto 9'13"
2. Adagio 9'39"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'03"


・ユリア・フィッシャー/ヤコフ・クライツベルク指揮/Netherlands Chamber Orchestra
第1番 変ロ長調 K207(06年録音)
(カデンツァ:ユリア・フィッシャー、ヤコフ・クライツベルク)
1. Allegro moderato 6'51"
2. Adagio 7'54"
3. Presto 5'31"

第2番 ニ長調 K211(06年録音)
(カデンツァ:ユリア・フィッシャー、ヤコフ・クライツベルク)
1. Allegro moderato 7'57"
2. Andante 7'23"
3. Rondeau(Allegro) 3'57"

第3番 ト長調 K216(05年録音)
1. Allegro(カデンツァ:ユリア・フィッシャー)9'05"
2. Adagio(カデンツァ:ヤコフ・クライツベルク)8'21"
3. Rondeau(Allegro)(カデンツァ:サム・フランコ、ユリア・フィッシャー)6'11"

第4番 ニ長調 K218(05年録音)
1. Allegro(カデンツァ:ユリア・フィッシャー)8'31"
2. Andante cantabile(カデンツァ:ユリア・フィッシャー)7'08"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo)(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)6'50"

第5番 イ長調 K219(06年録音)
(カデンツァ:ユリア・フィッシャー、ヤコフ・クライツベルク)
1. Allegro aperto 9'30"
2. Adagio 11'36"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'44"

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2007年8月23日 (木)

ユリア・フィッシャー(2)

Mozart_34_fischer

・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
ヴィオリン協奏曲 第3番 ト長調 K216
ヴィオリン協奏曲 第4番 ニ長調 K218
ヴァイオリンとオーケストラのためのアダージョ K261
ヴァイオリンとオーケストラのためのロンド K269
アムステルダム、2005年4月録音

Mozart_125_fischer

・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
ヴィオリン協奏曲 第1番 変ロ長調 K207
ヴィオリン協奏曲 第2番 ニ長調 K211
ヴィオリン協奏曲 第5番 イ長調 K219
Haarlem, The Netherlands、2006年6月録音

ユリア・フィッシャー(ヴァイオリン)
Pieter-Jan Belder(チェンバロ、K207,211のみ)
ヤコフ・クライツベルク指揮
Netherlands Chamber Orchestra

以下、各曲の詳細なデータ

第1番 変ロ長調 K207(06年録音)
(カデンツァ:ユリア・フィッシャー、ヤコフ・クライツベルク)
1. Allegro moderato 6'51"
2. Adagio 7'54"
3. Presto 5'31"

第2番 ニ長調 K211(06年録音)
(カデンツァ:ユリア・フィッシャー、ヤコフ・クライツベルク)
1. Allegro moderato 7'57"
2. Andante 7'23"
3. Rondeau(Allegro) 3'57"

第3番 ト長調 K216(05年録音)
1. Allegro(カデンツァ:ユリア・フィッシャー)9'05"
2. Adagio(カデンツァ:ヤコフ・クライツベルク)8'21"
3. Rondeau(Allegro)(カデンツァ:サム・フランコ、ユリア・フィッシャー)6'11"

第4番 ニ長調 K218(05年録音)
1. Allegro(カデンツァ:ユリア・フィッシャー)8'31"
2. Andante cantabile(カデンツァ:ユリア・フィッシャー)7'08"
3. Rondeau(Andante grazioso - Allegro ma non troppo)(カデンツァ:ヨーゼフ・ヨアヒム)6'50"

第5番 イ長調 K219(06年録音)
(カデンツァ:ユリア・フィッシャー、ヤコフ・クライツベルク)
1. Allegro aperto 9'30"
2. Adagio 11'36"
3. Rondeau(Tempo di menuetto) 8'44"

ヴァイオリンとオーケストラのためのアダージョ K261(05年録音)7'55"
(カデンツァ:ユリア・フィッシャー)

ヴァイオリンとオーケストラのためのロンド K269(05年録音)6'23"
(カデンツァ:ユリア・フィッシャー)

結論を言えば、フィッシャーとクライツベルクは健闘をしているが作品の本質に迫りきっていない。理由は、二人が、この作品群の、個々の性格の違いを表しきっていないからだと思います。

第1,2番が入っているCDのブックレットに、演奏者すなわちフィッシャーとクライツベルク自身が書いた短い解説が載ってます。そのドイツ語の解説を大まかに引用すれば以下になります。

「第1番と第2番は、第3-5番に比べれば小品といわれている。それは、曲の長さの違いからではなく、前者にはイタリアバロック・ヴィルトゥオージティの顕著な影響が見られるからである。前2曲のヴァイオリンパートは、第3-5番には完全に欠けているヴィルトゥオーゾ的8分音符16分音符のパッセージを持ち、第1楽章アレグロ・モデラートは、バロック的テンポを性格づける。
 ヴィオラとチェロパートは、後の協奏曲に比べ独立性の度合いがかなり小さい。たしかに、ヴィオラとチェロパートの独立性は、古典音楽の作曲技法発展の一つの結果であり、それは第3-5番において現れている。このような性格の違いから、私たちは第1,2番にチェンバロ伴奏を加えた。」
 
以上をふまえて、第1番(K207)第1楽章を聴くと、彼らの軽快かつ明確なテンポ設定は、ヴァイオリンソロ、オケの元気の良さもあいまって心地よい。またチェンバロ伴奏は、弦の低音パート(チェロ、バス)の力不足とリズムを補い、良い効果をもたらしていると思う。

しかし、第2楽章アダージョは、素っ気なさを感じる。ただし、カデンツァだけは美しい。

第3楽章プレスト(K207のみ終楽章がソナタ形式で書かれている。その他の曲の終楽章はロンド)を、フィッシャーとクライツベルクは、どのように解釈しているのだろうか。海老澤敏氏はK207の第3楽章を「ハイドン風の音調を持つ」と指摘している。この楽章のハイドン的躍動を、フィッシャーとクライツベルクは、もっと野心的に演奏して欲しかった。ただし、ここでもカデンツァは美しい。

「(オリジナルの)カデンツァばかり目立つモーツァルトのヴァイオリン協奏曲」「ヴァイオリンソロを伴う協奏曲」という印象は、第3番K216を聴いたときの私の第一印象だった。何故そのように思えるのか。

後日、一つ一つの作品を詳しく見ながら書きたいと思います。

実は私は、このユリア・フィッシャーの「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲」を決定盤だと期待して買ったんですが、その期待は外れ、例によって、あれこれ買い足してしまいました。その結果、「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集」は、合計11種類も購入。

近いうちに、その11人のヴァイオリニストたちの演奏の聴き比べを書きます。お楽しみに。

【予告編】
いまのところ、クレーメル/アーノンクール盤が決定盤じゃないかと思っています。

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2007年6月12日 (火)

ベームのフィガロ56年盤

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歌劇《フィガロの結婚》
カール・ベーム指揮
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン交響楽団
パウル・シェフラー(伯爵)
セーナ・ユリナッチ(伯爵夫人)
ヴァルター・ベリー(フィガロ)
リタ・シュトライヒ(スザンナ)
クリスタ・ルートヴィヒ(ケルビーノ)
録音:1956年4月、ウィーン、モノラル


昨年、モーツァルト生誕250年とあって世の中モーツァルトで大騒ぎしていたときは、わたくし、天の邪鬼なので、モーツァルトは、わざと聴きませんでした。その反動か、今年は聴きまくってます。ベームのフィガロ1956年スタジオ録音盤を聴いてみましたが、これは、久々に、面白いフィガロでした。オケはウィーン・フィルではなくウィーン交響楽団ですが、ウィーンの香りがプンプン匂うような音楽。どういうところにそれを感じるかというと、たとえば第1幕冒頭の第1,2曲、腫れ物に触るかのように旋律をなぞるみたいな遅いテンポの演奏です。

ベームという人はルバートしない人と思われているかも知れませんが勿論します。それは、ベートーヴェンの交響曲全集など聴くと分かります。ただ、彼のルバートは理にかなっているので目立たないだけです。この盤では、テンポルバートというより全曲が大きなテンポの変化で形成されているような感じで、聴いていて全然飽きませんし、一気に聴きたくなるし、ある種の高揚感を感じさせます。

あとシュトライヒとユリナッチのウィーン風がなんともいえずイイカンジ。

私は国内盤を買ったのですが、これはレーベルがPHILIPSで、Copyright 1957 Decca Music Group Limitedとありますのでデッカ音源なのでしょう。ということは、この録音は一連のデッカによるモーツァルト:オペラ全曲録音の一部だったと思われます。序曲を聴いたとき「低音が聞こえない」と思いましたが、CD2、第2幕の後半第8景あたりから何故か突然、音が変わってデッカサウンドになるような気がします。すなわち第2幕の後半第8景あたりから、E.クライバーの歌劇《ばらの騎士》に近いレンジの広さが聞こえるような気がします。

演奏について、ベーム68年録音DG盤との比較で言いますと、まず歌手陣は

パウル・シェフラーの伯爵はいまいち。68年盤のディースカウは、その卓越した表現力で伯爵の個性を聴覚的に伝えますね。

セーナ・ユリナッチの伯爵夫人が素晴らしい。第2幕冒頭のカヴァティーナ"Porgi, amor"には圧倒されました。音楽が止まりそうな遅いテンポで歌われる彼女の貫禄ある歌唱。「いよいよ真打ち登場」という感じです。第3幕のアリア"Dove sono"は色気ムンムン。これには、ヤノヴィッツも適わないと思わせられました。

27才のベリー歌うフィガロは物足りないととるか、善戦しているととるかは聴き手次第でしょう。私は好きですね。

リタ・シュトライヒのスザンナは期待したのですが、チャーミングでありかつ大役であるスザンナの役作においいて、シュトライヒの役作りはいまいち面白くなかったです。ただ、第4幕のアリア"Deh vieni"は完璧です。

私はマティス、ヤノヴィッツのコンビより、シュトライヒ、ユリナッチのコンビの方が好きですね。前者は歌唱の安定感において現代的で、後者は貫禄において古き良きウィーン風という感じです。第3幕の二重唱は後者の方が美しい。

クリスタ・ルートヴィヒのケルビーノは、すごいですが役にあってないかも。

ベームの指揮は上記のように、大きな音楽の流れにおいて、面白さを感じさせるという点で、私は68年盤よりこの56年盤をとります。

第4幕の幕切れは美しかったです。



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2007年5月31日 (木)

モーツァルト:弦楽四重奏曲《ハイドン・セット》その9

結局、私のコレクションは下記のようになりました。アルバンベルクのボックスセット/旧盤/TELDECは安いので買おうかと思いましたが、第16,17番(78年)/TELDECを聴いて、それほどピンと来なかったので、やめました。もうこれ以上モーツァルト:弦楽四重奏曲は買わないでしょう。

それにしても、私は、こだわるタイプなので、聴き比べのため、また満足できるものを得るため、同じ曲を多数買った経験は多いのですが、過去の経験からして、同じ曲をこれだけ多く買って、決定盤が見つからなかったケースは初めてです。

弦楽四重奏曲No.14,15,17,18,21,23(51,52年録音)ヴェーグ
弦楽四重奏曲No.14-19(62年)ジュリアード
弦楽四重奏曲No.14-19(77年)ジュリアード
弦楽四重奏曲全集(64-69年)アマデウス
弦楽四重奏曲全集(66-73年)イタリア
弦楽四重奏曲No.14-19(71-75年)グァルネリ
弦楽四重奏曲No.8-23(74-78年ズスケ
弦楽四重奏曲No.14-23(75-90年)ウィーン
弦楽四重奏曲No.17,18(76,77年)メロス
弦楽四重奏曲No.16,17(78年)アルバンベルク/TELDEC
弦楽四重奏曲No.14,15(87年)アルバンベルク/EMI
弦楽四重奏曲No.16,17(87年)アルバンベルク/EMI
弦楽四重奏曲全集(88-04年)ハーゲン
弦楽四重奏曲No.14,15(89,91年)エマーソン
弦楽四重奏曲No.16,18(89,91年)エマーソン
弦楽四重奏曲No.17,19(89,91年)エマーソン
弦楽四重奏曲No.14,17(91年)クイケン
弦楽四重奏曲No.14-23(91-01年)モザイク
弦楽四重奏曲No.14,15(04年)クレンケ

私は、モーツァルトの弦楽四重奏曲は、イタリア四重奏団の全集(66-73年)とアルバンベルクの3枚は、もともと持っていました。そして、ハーゲン四重奏団の全集が出た時、「これぞ決定盤に違いない」とばかり購入したのですが、それが期待が外れ。その後、続々と買い増し、とうとう、こういうことになったのでした。そして繰り返しになりますが結局、決定盤が見つからないという、おそろしい結果(?)に終わったのでした。ジュリアード新旧盤も、私を十分に満足させることはできませんでした。

Mozart_emerson

5月1日の記事で、エマーソン弦楽四重奏団はモーツァルトが下手と書きましたが、その後購入した第14番K387(上記)はよかったです。いかにもエマーソンらしい的を射た演奏です。モーツァルトの全スコアが得られるサイトNEUE MOZART-AUSGABE / DIGITAL MOZART EDITION(新モーツァルト全集)で、K387のスコアをダウンロードし、スコアを見ながら、エマーソンの演奏を聴いてみたのですが、当然のこと、彼らはスコアに記してあるデュナーミクを守ってますね。他の団体も守ってますが、エマーソンの演奏は、より忠実であろうとする姿勢を感じました。たとえば、第1楽章の第104章節展開部の終わり再現部の手前(下記)はフォルテからカランドに行くところで、ジュリアードは、ここに、ここぞとばかり第1楽章のクライマックスを持ってきて、ハイな演奏してますが、エマーソンは、ジュリアードより遠慮気味であり、スコアに則す感じが適度で好感持てます(音を聴きたい人はココをクリックして下さい)。

K387_104

ただ、以下を指摘しておきます。ジュリアードほか多くの団体は、第1楽章展開部をば、テンポを速めて演奏しています。スコアを見ると「ここでテンポを速めなさい」とは書いてありません。エマーソンも第1楽章展開部にてテンポ速めてますね。ここをあまりテンポを速めずに演奏していたのは、たしかズスケ四重奏団だったと思います。ズスケの演奏は、どの曲も概ねインテンポで演奏していて好感持てたような気がします。

エマーソンのK387は、第3楽章アンダンテ・カンタービレだけじゃなく第1,2楽章もよく歌っており、もしかしたら、私にとって、一番イイカンジのK387かも知れません。

【Amazon.co.jpへのリンク】
エマーソン弦楽四重奏団のモーツァルト:弦楽四重奏曲第14番&第15番

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2007年5月18日 (金)

モーツァルト:弦楽四重奏曲《ハイドン・セット》その8

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ジュリアード弦楽四重奏団のハイドンセット/1962年録音/アナログ盤を入手しました(上図)。下記は演奏時間の比較です。前者が1962年、後者が1977年録音です。演奏時間の単純な比較では、14番ト長調の第2楽章と15番ニ短調の第2,3楽章以外は旧盤の方が演奏時間が短いです。私が5月1日に書いた記事で、17番《狩》19番《不協和音》は旧盤が元気いいというのは演奏時間に表れていると申せましょう。なおリピートについては各作品同じだと思います(少なくともソナタ形式の楽章は同じ)。

14番 K387 ト長調
第1楽章 7'15" 7'28"
第2楽章 8'57" 8'51"
第3楽章 7'29" 7'33"
第4楽章 5'07" 5'35"

15番 K421 ニ短調
第1楽章 6'53" 10'45"
第2楽章 8'01" 6'24"
第3楽章 4'11" 4'05"
第4楽章 6'39" 9'42"

16番 K428 変ホ長調
第1楽章 6'25" 6'49"
第2楽章 6'23" 8'32"
第3楽章 5'55" 6'05"
第4楽章 4'54" 5'13"

17番 K458 変ロ長調《狩》
第1楽章 7'49" 8'25"
第2楽章 4'20" 4'23"
第3楽章 7'11" 7'19"
第4楽章 5'40" 6'13"

18番 K464 イ長調
第1楽章 6'59" 7'24"
第2楽章 6'00" 6'02"
第3楽章 10'26" 12'33"
第4楽章 5'36" 5'58"

19番 K465 ハ長調《不協和音》
第1楽章 10'14" 10'54"
第2楽章 7'53" 7'59"
第3楽章 4'57" 5'15"
第4楽章 5'06" 7'16"

時間の違いだけで演奏を比較できませんが、大きな時間差がある15番ニ短調は、解釈を変えてしまったようです。しかし、新盤のニ短調第1.4楽章が冗漫かというとそうではなく、より丁寧な演奏といえるでしょう。これはそれぞれの良さがありますね。その他の曲も同様、それぞれの良さがあると見ました。私見では、あえて62年録音旧盤を入手する価値はないと考えます。

メンバーは62年盤が

ロバート・マン(Robert Mann)第1ヴァイオリン
イシドア・コーエン(Isidore Cohen)第2ヴァイオリン
ラファエル・ヒリヤー(Raphael Hillyer)ヴィオラ
ラウス・アダム(Claus Adam)チェロ

77年盤が
ロバート・マン(Robert Mann)第1ヴァイオリン
アール・カーリス(Earl Carlyss)第2ヴァイオリン
サミュエル・ローズ(Samuel Rhodes)ヴィオラ
ジョエル・クロスニック(Joel Krosnick)チェロ


【追記】
「ジュリアード弦楽四重奏団のハイドンセット/1962年録音/3CD」が2007年11月に再発売されました。

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2007年5月 9日 (水)

エディット・マティスのエクスルターテ・ユビラーテ

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モーツァルト
《戴冠式ミサ》《雀のミサ》
エクスルターテ・ユビラーテ/アヴェ・ヴェルム・コルプス
エディット・マティス、トロヤノス他
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団
ベルンハルト・クレー指揮 ドレスデン国立管弦楽団


私は数ある《エクスルターテ・ユビラーテ》のなかで、エディット・マティスのがベストだと思ってました。そしてこれは廃盤になっていると思ってました。ところが、上記のCD盤に入ってました。


私が秘蔵盤と思って持っていた、マティスの《エクスルターテ・ユビラーテ》LPレコードは下記です。

Exsultate_small

【収録曲】
エクスルターテ・ユビラーテ K165
聖墓の音楽 K42から第2曲
第一戒律の責務 K35から第2曲
主日のための晩課 K321から第5曲
第一戒律の責務 K35から第4曲
解放されたベトゥーリア K188から第11曲
証聖者の盛儀晩課 K339から第5曲

指揮:ベルンハルト・クレー
ドレスデン国立管弦楽団
録音:1977年10月、1978年6月 ドレスデン、聖ルカ教会


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2007年5月 8日 (火)

モーツァルト:弦楽四重奏曲《ハイドン・セット》その7

Mozart_vienna_5cd

モーツァルト:後期10大弦楽四重奏曲集
ウィーン弦楽四重奏団
5枚組/カメラータ・トウキョウ/24Bit 96KHz Remastering


ウィーン弦楽四重奏団の「モーツァルト:後期10大弦楽四重奏曲集」が届いたのでリポートします。まず、このボックスは、1975年から90年に録音された寄せ集めだったんですね。データは以下の通り、

・1975年/テルデック・スタジオ(ウィーン)
 15番 ニ短調 K421
 16番 変ホ長調 K428
 17番 変ロ長調 K458《狩》

・1976年/入間市市民会館
 18番 イ長調 K464
 
 メンバーは、
 ウェルナー・ヒンク(第1ヴァイオリン)
 ヘルムート・プッフラー(第2ヴァイオリン)
 クラウス・パイシュタイナー(ヴィオラ)
 ラインハルト・レップ(チェロ)

・1989年、1990年/スタジオ・バウムガルテン(ウィーン)
 14番 ト長調 K387
 19番 ハ長調 K465《不協和音》
 20番 ニ長調 K499《ホフマイスター》
 21盤 ニ長調 K575
 22番 変ロ長調 K589
 23番 ヘ長調 K590
 
 ウェルナー・ヒンク(第1ヴァイオリン)
 フーベルト・クロイザマー(第2ヴァイオリン)
 クラウス・パイシュタイナー(ヴィオラ)
 フリッツ・ドレシャル(チェロ)
 
 プロデューサーはいずれも井坂紘(いさかひろし)という人です。
 
まぁ、期待はずれといっていいでしょう。単品で購入したK428(16番)とK464(18番)が良かったので期待したのですが、《14番 ト長調 K387》は第1,2楽章が躍動感なく良くなく《15番 ニ短調 K421》は賛否あるかも知れないが、私の印象では弛緩して私の好みではないです。

(ニ短調 K421は、なんだか、今まで聴いたものの中に「これはいい」という名演を見つけていない気がします。この作品は大好きなんですが..)

ズズケ四重奏団が、カール・ズスケ(Karl Suske)を中心とする団体なら、ウィーン弦楽四重奏団はウェルナー・ヒンク(Werner Hink)を中心としたサウンドどいっていいでしょう。

第17番 変ロ長調 K458《狩》では、遅いテンポ、レガートで歌いまくっておおらかすぎるという気がします。よって、(その他の曲を含め全曲を通して)おおらかでないほうがいい楽章は、そのおおらかさが、マイナスです。

上記傾向例外は《不協和音》です。第1楽章は速いテンポが心地よく非常にノリがよく、その他の楽章もアグレッシヴにさえ聞こえます。この団体はどうもつかみどころない。その意味でちょっと苦手です。

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モーツァルト, 音楽 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月 1日 (火)

モーツァルト:弦楽四重奏曲《ハイドン・セット》その6

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弦楽四重奏曲第14番〜第19番『ハイドン・セット』 グァルネリ四重奏団

これまた、HMV.co.jpの25%オフキャンペーンで、1,370円と安かったので、買ってみました。このような新しくないスタイルの演奏の方が、私には意外に面白く感じられます。いや、意外に面白く感じられるどころか、むしろこういう癖のない聴きやすい演奏が、モーツァルトの弦楽四重奏曲の深い味わいを私たちに十分教えることができると思いました。グァルネリのモーツァルトはそういう演奏です。

それに対し、新しい録音であるモザイク四重奏団のモーツァルトは私にとってはNG。クレンケ四重奏団の13,14番も、ふところが深くなく面白くなく、エマーソン弦楽四重奏団の16,18番も面白くありませんでした。

エマーソン弦楽四重奏団は、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲集もピンと来なかったんですが、この人たちは、モーツァルトとベートーヴェンは下手なんじゃないでしょうか。バルトークはすごくいいのですが..。

ウィーン弦楽四重奏団の16,18番(特に18番)は非常に気に入りました。よって同弦楽四重奏団の「モーツァルト:後期10大弦楽四重奏曲集」を買うことにしました。非常に楽しみです。

それから、私は、たまたま、ジュリアードの《狩》《不協和音》の1962年録音アナログ盤を持っていたので、聴いてみたんですが、77年録音より、当然若々しく元気がよくて、77年盤を越えるように思えました。この《ハイドンセット》ジュリアード/62年録音盤は、現在廃盤になっているようですが、何とか手に入れたいです。

このように、新旧様々な盤を聴きくらべれば、いずれ、総括的にこの作品群(モーツァルト:弦楽四重奏曲)と、各団体のその演奏について語れるでしょう。

K387について、音楽之友社の「作曲家別 名曲解説 ライブラリー」を見てたら、下図の青線で示した4度音程は、この作品の「ウア・モティーフ」なんですね(作品全体の統一性については4月20日のハイドンセットその2にも書いてます)。私はいずれバルトークの弦楽四重奏曲について書こうと思ってますが、バルトークがやったことの意味を理解する上で、モーツァルト、バッハ、そして勿論ベートーヴェンを聴くことは有意義です。

K387_2


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2007年4月26日 (木)

モザイク四重奏団のモーツァルト

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弦楽四重奏曲第14番〜第23番 モザイク四重奏団

HMV.co.jpの25%オフキャンペーンで4,087円と安かったので買ってみました。

モザイク四重奏団(Quatuor Mosaïques)は、1985年、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのメンバーがウィーンで結成した団体。

ピリオド楽器を使用してますが演奏はモダンです。ピリオド楽器の特性を生かしたモダン奏法で、いわばピリオド奏法とモダン奏法の折衷という感じです。したがって奏法と表現に若干くせが聴かれます。

クイケン四重奏団の、もろピリオドサウンドとは違います。むしろ、ハーゲン四重奏団の好敵手といっていいかも知れません。

サウンドは新鮮で美しいです。テンポの設定、デュナーミクは適切。演奏は、上記のくせはありますが、品があります。聴き心地がよいです。(その意味ではいわゆる癒し系です)

特に、第16番 K428(421b) 変ホ長調はよかったです。その他は、まあまあ。

《第18番 K464 イ長調》と《第19番 K465 ハ長調 不協和音》は、楽器の並びが左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンのようです。これは、弦楽四重奏におけるヴァイオリンの対向配置というべきものでしょうか。こういうのは、私は初めて聴きました。このK464、K465の演奏も気に入りました。

モザイク四重奏団のモーツァルト:弦楽四重奏曲第14番-第23番は、ピリオド楽器を用いて新たなサウンドを実現し、それでもってモーツァルト:弦楽四重奏曲の音楽的卓越と品の良さの両方を聴かせるという点では成功している思います。

以上、褒めましたが、私は、この商品はすすめません。

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2007年4月25日 (水)

モーツァルト:弦楽四重奏曲《ハイドン・セット》その5

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《第14番 K387 ト長調》つづき

たったいま届いたジュリアード弦楽四重奏団の《第14番 ト長調 K387》を聴いているが、テンポ、デュナーミク、アンサンブル、音楽の流れ、いずれも私のイメージ通り自然でエキサイティング。なんで他の団体はこういう演奏をできないのか不思議です。

ジュリアード弦楽四重奏団という団体は、バルトーク弦楽四重奏曲全集/新旧盤と《フーガの技法》を持ってましたが「上手いのか下手なのか、よく分からない団体だ」と思ってました。今回、このモーツァルトを聴いて、やっと、その正体が分かりました。

今回、5組の盤を購入した結果、私は結局以下の盤を所有しました。

1.弦楽四重奏曲 No.14-19 ジュリアード 77年録音
2.弦楽四重奏曲 No.16,17 アルバンベルク 78年 TELDEC
3.弦楽四重奏曲 No.14,15 アルバンベルク 87年 EMI
4.弦楽四重奏曲 No.16,17 アルバンベルク 87年 EMI
5.弦楽四重奏曲 No.8-23 ズスケ 74-78年
6.弦楽四重奏曲 No.14-19 グァルネリ 71-75年(?)
7.弦楽四重奏曲 No.16,18 ウィーン 75,76年
8.弦楽四重奏曲 No.16,18 エマーソン 89,91年
9.弦楽四重奏曲 No.14-23 モザイク 91-01年
10.弦楽四重奏曲 No.14,15 クレンケ 04年
11.弦楽四重奏曲全集 アマデウス 64-69年
12.弦楽四重奏曲全集 イタリア 66-73年
13.弦楽四重奏曲全集 ハーゲン 88-04年

まとめると、下記のようになります。

《第14番 K387 ト長調》については
1は気に入りました。
3,5,10,11,12,13はだめ。
あとは未聴。

やっとまともなK387をゲットできてホッとしてます。
[つづく]

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2007年4月22日 (日)

モーツァルト:弦楽四重奏曲《ハイドン・セット》その4

ハーゲン四重奏団の《第14番 K387 ト長調》つづき

音量を低くすると弱い音が聞こえないし、音量を上げるとうるさい。録音の問題もあるかも知れないが、バランス悪い感じです。スコアの通りに演奏すると、上記のようになるのでしょうね。

第3楽章がいいいので、第3楽章と対照的な第4楽章の、テンポが速くきびきびした演奏は、よく聴いてみるといいです。でも何か足りない気もします。

K421は、やっぱり良くありません。

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2007年4月20日 (金)

モーツァルト:弦楽四重奏曲《ハイドン・セット》その3

「ハーゲン四重奏団やアマデウス四重奏団の《ハイドン・セット》が気に入らない」という話題を書くなら「どこが気に入らないか」を書かないと有意義な内容にならないので書きます。

まず、ハーゲン四重奏団の《第14番 K387 ト長調》

この作品は、第1、4楽章において、デュナーミクが魅力です。と同時にこの作品は、その作曲技法がハイドンを仰天させたのが目に見えるほど素晴らしい。ご承知の通り《ハイドン・セット》は、モーツァルトがハイドンの作品33《ロシア四重奏曲》に触発されて書いた作品。私は、K387を聴いてハイドンの作品33を是非聴きたくなった。そう思わせる演奏であってほしいというのが、私のK387への要求です。

ハーゲン四重奏団のK387第3楽章のカンタービレはうまいと思います。この団体は、カンタービレがうまいし美しい。その点は、私がハーゲン四重奏団を好む理由のひとつです。では、彼らの演奏において、全楽章をとおしての風格はどうでしょうか。ハイドンをぎょっと言わせた作品なら、ハイドン並みの風格とか圧倒的驚愕の連続とかが私は欲しいのです。

ハーゲン四重奏団は第1、2、4楽章においてデュナーミクに頼りすぎていると思います。「頼りすぎる」というのは、デュナーミクの表現が、品格や様式美をダメにしてしまっている。すなわち、ハーゲン四重奏団の演奏において第1、2楽章を支配するデュナーミクは、うるさく、何度も聴いていると飽きます。

この団体は、ベートーヴェンは巧いのですから、どっしりした演奏ができたはずなのに、そうではないのが期待はずれです。第4楽章では、軽やかさと爽快感を求めたいです。第4楽章で「曲が終わった」と思ったら、第1主題の回想が出てくるところはいいとして、そこに至るまでのハーゲン四重奏団の演奏は、やはりうるさく聞こえます。

ハーゲン四重奏団のデュナーミクは聴いてて疲れます。そしてモーツァルトは本当にこのように演奏してもらいたかったのか?と思います。

と、いろいろ文句いいましたがハーゲン四重奏曲のK387は、デュナーミクの表現において、ひとつのモデルであり、レベルの高い演奏といえるでしょう。大胆さと美を兼ね備えた演奏は、モーツァルトにおいては特に難しいと思います。

ハーゲン四重奏団の第15番 K421(417b)ニ短調は、本当にうるさいだけで問題外。

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モーツァルト:弦楽四重奏曲《ハイドン・セット》その2

イ長調の傑作
モーツァルト:弦楽四重奏曲第18番 K464

この作品は、第1,2,4楽章に統一性があるという意味で、ベートーヴェンを触発した作品であり、その統一性は、さらにベートーヴェンからバルトークに継承されたといっていいと思います。「作曲家別名曲解説ライブラリー」によると以下のことが書いてあります。「ベートーヴェンはとりわけこお四重奏曲を愛しており、弦楽四重奏曲作品18の作曲に先立って研究のために筆写したフィナーレの手稿楽譜が遺されている」

K464_1_1

第1楽章の冒頭のaとbが、第3楽章を除く3つの楽章のテーマの基本になっているらしいです。そのことは、分かる人には分かると思いますが、私は指摘されなければ分かりませんでした。
第1楽章のbはaから導かれているとのこと。
第2楽章メヌエットも第1楽章bから派生し、トリオの部分も第1楽章と関連しているとのこと。
第3楽章は充実した変奏曲ですが、この楽章は全曲の統一的素材の関連から離れている。
第4楽章は時代を先取りした前衛性さえ感じさせる楽章。冒頭主題の第1ヴァイオリンは、第1楽章から派生していることが、一見して分かる(らしい)。この楽章はソナタ形式とあるが、私には第2主題がないように思える。展開部に登場するコラール風の楽想(下記)も主要主題の変奏形にほかならないとのこと。

K464_4

私は《第14番 K387 ト長調》とともに、この第18番 K464 イ長調の演奏で、その演奏団体のモーツァルトへの思い入れや深い理解の有無を判断します。グレン・グールドはモーツァルトを好まなかったにもかかわらず、ピアノソナタ全曲録音など、録音が少なくなく、その演奏には賛否ありますが、彼のモーツァルトに対する姿勢が感じられ面白いです。そういう演奏を私は求めます。


それからあともう一つ。
この《第18番 K464 イ長調》は第1楽章イ長調に続き、第2楽章メヌエットもイ長調。それは、《ピアノソナタ イ長調 K331 トルコ行進曲付き》と同じやり方かなと思いました。しかし違いますね。K331はリピートすればかなり長い変奏曲である第1楽章(イ長調)がやっと終わったと思ったら、また似たようなメロディーの第2楽章(イ長調)が始まりしつこい(勿論その点がK331の面白さなのですが)。それに対してK464は自然です。
[つづく]

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2007年4月19日 (木)

モーツァルト:弦楽四重奏曲《ハイドン・セット》その1

Mozart_amadeus

ハイドン四重奏曲(ハイドン・セット6曲)
14番 K387 ト長調 1782年
15番 K421(417b) ニ短調 1783年
16番 K428(421b) 変ホ長調 1783年
17番 K458 変ロ長調 1784年《狩》
18番 K464 イ長調 1785年
19番 K465 ハ長調 1785年《不協和音》

ハーゲン四重奏団のモーツァルト:弦楽四重奏曲全集が、ピンと来なかったので、アマデウス四重奏団の全集(上図)を買いました。結果は、やはりピンと来ません。アマデウス四重奏団のモーツァルトは、アナログ盤(LPレコード)で、「第14番ト長調 K387」を聴いて、良い演奏だと思ってたんですが、CD盤で聴いてみるといまいちでした。これは、ベーム:モーツァルト交響曲全集の場合(3/10の記事)と違いリマスタリングの問題じゃありません。よく聴いてみると、アナログ盤とCD盤に相違はありません。つまり、変なリマスターはなされていません。にもかかわらず、違和感を覚えたのは、まず「第14番ト長調 K387って、名曲だけど、本来こんな、アクセントがあったかなぁ?」と、奇異に思ったこと..。音楽之友社の「作曲家別名曲解説ライブラリー」の「モーツァルト2」でこの作品を見てみると、この曲は、けっこう強弱記号が多いみたいですね。第2楽章のメヌエットは、もともと下の譜例のように、指定してあったんですね。全然知りませんでした。

K387


アマデウス四重奏団はその通りに演奏しています。それを気づかさせてくれた点で、アマデウス四重奏団は私にとって有り難い演奏です。そして、私は、アマデウス四重奏団の《第14番 K387 ト長調》はモーツァルトが指示したフォルテとピアノを強調した演奏である点で、さらに、モーツァルトが指示してないであろう強弱をつけたメリハリのある演奏である点で、いい線いってると思うが...。

1785年、モーツァルトは、ハイドンを自宅に招き、ハイドンセットを演奏したという。その時、父レオポルトが第1ヴァイオリンを、ハイドンが第2ヴァイオリンを、モーツァルトがヴィオラを演奏したという。このようなトンデモナイひとたちが《ハイドンセット》を演奏したなら、それがどんな演奏であったか想像するのは楽しい。しかし、アマデウス四重奏団の《ハイドンセット》は、私の想像力をかき立てない。何かが足りないと感じます。
[つづく]

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2007年4月 5日 (木)

《コシ・ファン・トゥッテ》の魅力

「コシ・ファン・トゥッテの魅力とは..」という書き出しを見ただけで読者は「またどこかで読んだことあるような文章を読まされるのか。いやだなぁ。読みたくない。読まないでおこう」ということになるのは目に見えてます。だから私はこれについて書きたくありません。しかし、筆者(つまり私)がこの作品の魅力を知らずに「コシ・ファン・トゥッテ聴きくらべ」を書いていると思われるのも困りますので、簡潔に書くと..。

モーツァルトの歌劇《コシ・ファン・トゥッテ》の魅力は「美しさ」です。どこが美しいかは聴けば分かります。すなわち、その「美しさ」を知ることができるかどうかは、リスナーの主観、嗜好、もっといえば「感性」にゆだねられます。私はこの作品が、モーツァルトが書いたオペラの中で最も美しいものであることを疑わないし、モーツァルト嫌いであるかのグレン・グールドに対しても、この作品の美しさを主張し反論する自信があります。

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2007年4月 4日 (水)

《コシ・ファン・トゥッテ》聴きくらべ(3)

Cosi_levine

[つづき]

7.レヴァイン指揮/VPO/キリ・テ・カナワ(フィオルディリージ)アン・マレー(ドラベルラ)マリー・マクローリン(デスピーナ)ハンス・ペーター・ブロッホヴィッツ(フェランド)トーマス・ハンプトン(グリエルモ)フェルッチョ・フルラネット(ドン・アルフォンソ)1988年録音/DG(上図)

9.ラトル指揮/エイジ・オブ・エンライトメント/Hillevi Martinpelto(Fiordiligi), Alison Hagley(Dorabella), Ann Murray(Despina), Kurt Streit(Ferrando), Gerald Finley(Guglielmo, Thomas Allen(Don Alfonso)1995年録音/EMI

結論から先に書きます。この二つの《コシ》を聴き比べたとき、前者は面白い《コシ》であり、後者は面白くない《コシ》です。この二人の指揮者は世代が一回り違います。レヴァイン1943年生まれ。ラトル1955年生まれ。もう一つの違いは、オペラ指揮者としての経歴・経験です。これについては説明は要らないと思いますが、一応説明しますと、前者はザルツブルク、バイロイトからメトロポリタンまで長く豊富な経験を持つ。後者は最近ザルツブルク音楽祭に進出してますが、レヴァインに比べれば、これからでしょう。

ラトルの《コシ》はピリオド楽器によるピリオド奏法。1st Vn, 2nd Vnを左右に配置した対向配置。《コシ》は登場人物のシンメトリーだけではなく、オケのシンメトリーも栄えますのでますのでヴァイオリンの対向配置は効果的です。ラトル盤のサウンドは、ある意味、モーツァルトのサウンドを理想的に再現しているかも知れません。

しかし、オペラの芝居としての面白さは、サウンドだけじゃ駄目なんです。たとえば、レヴァイン盤の第1幕第11場で歌われるグリエルモのアリアNo.15a《Rivolgete a lui lo sguardo 彼に目を向けて下さい》からフェランドのアリアNo.17《Un'aura amorosa いとしい女の愛の吐息が》への流れと歌唱は上手いです。アリアNo.15aは普通、短いアリアNo.15《Non siate ritrosi おずおずしないで、麗しい瞳よ》が歌われるところです(作品初演の直前にNo.15aがNo.15に差し替えられた)。No.15aはNo.15より長いアリアですが退屈させません。さらにNo.17も長いアリアです。長いアリアを連発しても退屈させない巧さと技が、レヴァインにはありますが、ラトルにはありません。もっといえば、ラトルはこの作品の面白さが分かっていなっかったんじゃないかと思います。

私もラトルの《コシ》には期待してました。Hillevi Martinpeltoのフィオルディリージにも期待してました。しかし、ラトルの《コシ》には芝居としての面白さがない。最後まで聴き終えても何も残らない演奏だったと記憶しています(もう手放してしまいました)。ラトル盤は演奏会形式ライヴでしたが、スタジオ録音でもライヴ録音でもない中途半端な印象を受けました。ラトル盤《コシ》は演奏技術や歌手の歌唱が秀でていても、オペラとしての出来は悪いという典型だと思います。

話が飛躍しますが、思うに、レヴァイン以降の世代にオペラ指揮者が不足しているという感があります。2006年のバイロイト《指輪》におけるティーレマン以外は、パッとしません。若手のハーディング(1975年生まれ)が頑張ってますが、あまりピンと来ません。あと、ウェルザー=メスト(1960年生まれ)は上手いんでしょうかね。その他に、この世代でオペラを指揮できる指揮者としてどんな人がいるか、私は知りませんが、レヴァインのようにザルツブルクで《魔笛》を指揮し、バイロイトでワーグナーを、メトロポリタンでリヒャルト・シュトラウスを指揮する、そういう大物になる人材が待望されます。

最後に《コシ》レヴァイン盤についてもう少し書いておきます。このスタジオ録音もヴァイオリン対向配置です。オケはウィーン・フィル。歌手は手堅いキャストで固めてます。テ・カナワの歌唱はまったく問題なし。ドン・アルフォンソを歌っているフェルッチョ・フルラネット(Ferruccio Furlanetto)は、アーノンクール指揮/ポネル演出/1988年ビデオ盤で、グリエルモを歌っていますが、それは適役で歌唱も芝居も充実してます。レヴァイン盤《コシ》では、アルフォンソを歌ってますが、まるで別人のように歌唱を変えて、こちらでも好演しています。よく見ると、アーノンクール指揮ビデオ盤とレヴァイン盤は、同じ1988年に録音されてますね。フルラネットはグリエルモとアルフォンソを歌い分ける器用な歌手だと思いました。

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2007年4月 3日 (火)

《コシ・ファン・トゥッテ》聴きくらべ(2)

[つづき]
まず、1から4(つまりベーム盤)について書きます。

ベームは《コシ・ファン・トゥッテ》を余程気に入っていたし思い入れもあったのでしょう。1から4の録音以外にも「1954 Salzburg」「Sro ('49)」というのがあります。公式盤は1,2,4でしょうね。「Sro ('49)」はスイス・ロマンドのことでしょうが、こういう珍しい盤が存在するということは、リスナーもベームの《コシ・ファン・トゥッテ》が好きということになりましょうね。

ムーティ/アナログ盤のリーフレットによると、ザルツブルク音楽祭における《コシ》の上演記録は「指揮者を年度別に見ると、1922年のリヒャルト・シュトラウス(1)、ブルーノ・ワルター(1)、ヨーゼフ・クリップ(1)、フェリックス・ワインガルトナー(2)、小澤征爾(2)、クレメンス・クラウス(4)に対してカール・ベームが18シーズンにわたって指揮している。しかも、1953-65、1972-77年(1955年欠)の長期連続であった。」とあります。ひとつの音楽祭で同じ演目を同じ指揮者が18シーズンもやるというのはギネスもんかも知れませんネ。

さて、私が持ってる《コシ・ファン・トゥッテ》ベーム盤、4つについて書きます。1については、ステレオ初期DECCAの名録音のひとつであるから、お持ちの方も多いと思います。DECCAの初期ステレオ録音では、E.クライバーの《フィガロ》55年録音盤が有名です。同じ55年録音のベーム《コシ》はクライバーの《フィガロ》ほどの聴き応えはありません。クライバーのほうが冴えてると思います。DECCAも、あまり過激な《コシ》を望まなかったということがあるかも知れません。この盤の魅力は美声、アンサンブルと品の良さです。

2は、シュワルツコップを起用したことにより(それだけではないでしょうが)、1より、ずっと表現が強く思えます。デラ・カーザは《元帥夫人》カラヤン指揮/1960年/ザルツブルクライヴではシュワルツコップと、いい勝負だと思いますが、フィオルディリージでは負けていると思います。というか、シュワルツコップのフィオルディリージは「役になりきる」という意味で理想的で、おそらく後の演奏の手本になったでしょう。ドンナ・エルヴィーラを思わせるアリア第14番《Come scoglio 岩が動かないように》は、デラ・カーザも面白く歌っていますが、葛藤のロンド第25番《Per pieta お願い許して恋人よ》陥落の二重唱第29番《Fra gli amplessi in pochi istanti すぐにも参りましょう》は、シュワルツコップの方が表現者として優れていると思います。ベームの指揮も、DECCA盤よりEMI盤の方が緻密で力強いように思いますが、いかがでしょうか。

3は正規盤ではありません。72年ザルツブルク・ライヴです。これはステレオなのかモノーラルなのかわからない悪い録音で、演奏も良くないです。さすがのベームもザルツブルク音楽祭における《コシ・ファン・トゥッテ》シーズン初年度は調子が出なかったのでしょうね。74年正規盤が完璧なのに比べ初年度72年は悪いです(たとえ前者がおそらく編集されているであろう正規盤で、後者は半ば海賊盤だとしても...)。ということは、オペラが初年度からうまくいくのは難しいという例を見るようです。そういう意味でオペラは怖いです。

配役はディースカウのドン・アルフォンソを期待したのですがだめでした。パネライの方がいいです。第一幕の冒頭から、シュライアー、プライ、ディースカウが出てくるというのは迫力あるんですが、なんだか、名人が集まりすぎて、うるさいという気がします。それにしても、この盤(72年)のメンバーはすごいですね(グンドラ・ヤノヴィッツ/ブリギッテ・ファスベンダー/シュライアー/プライ/ディースカウ)。バッハのオラトリオも歌えそうです。第九交響曲なら一人余ります。実際、74年ザルツブルクライヴ盤の第1幕第11場のフェランド(シュライアー)、グリエルモ(プライ)の求愛のレチタティーヴォ"Amor.."はちょっとオラトリオっぽく聞こえます。

4の74年ザルツブルクライヴは「ヤノヴィッツがフィオルディリージの役柄をつかんだ」という気がします。ベームは、フィオルディリージ役には、常に、かなり強い要求をしたと思うのですが、ヤノヴィッツは74年になって、やっとその要求に応えたという気がします。繰り返しになりますが、72年盤は、レリ・グリスト以外は、歌手が浮き足立っている感じがします。ディースカウ、プライ、ヤノヴィッツは《フィガロ》68年スタジオ録音、シュライアーは《ドン・ジョヴァンニ》67年スタジオ録音で、ベーム指揮のもと歌ってます。しかし72年ザルツブルク《コシ・ファン・トゥッテ》は、それらと演目が違ううえに生演奏です。さらに、プライ、ヤノヴィッツ、シュライアー、ディースカウにとってベームとのザルツブルク共演は、もしかしたらこれが初体験だったかも知れません。それに対し、レリ・グリストは、ザルツブルクでベーム指揮のスザンナを歌っているので経験ありというところでしょうか。

74年のヤノヴィッツは、第14番《Come scoglio 岩が動かないように》第25番ロンド《Per pieta お願い許して恋人よ》は名唱なんですが、第29番フェランドとの二重唱《Fra gli amplessi in pochi istanti すぐにも参りましょう》で、シュワルツコップのように「ここぞとばかり」芝居してくれてたらよかったのにというのは私の主観です。勿論、第29番ヤノヴィッツの歌唱は決して悪くはありません。満足すべき歌唱かも知れませんね。

【結論】
1.ベーム指揮/VPO/リーザ・デラ・カーザ(フィオルディリージ)クリスタ・ルートヴィヒ(ドラベルラ)エミー・ローゼ(デスピーナ)アントン・デルモータ(フェランド)エーリヒ・クンツ(グリエルモ)パウル・シェフラー(ドン・アルフォンソ)1955年スタジオ録音/DECCA

2.ベーム指揮/PO/シュワルツコップ(フィオルディリージ)ルートヴィヒ(ドラベルラ)ハンニー・シュテフェック(デスピーナ)アルフレード・クラウス(フェランド)ジュゼッペ・タディ(グリエルモ)ワルター・ベリー(ドン・アルフォンソ)1962年スタジオ録音/EMI

4.ベーム指揮/VPO/グンドラ・ヤノヴィッツ(フィオルディリージ)ブリギッテ・ファスベンダー(ドラベルラ)レリ・グリスト(デスピーナ)シュライアー(フェランド)プライ(グリエルモ)ローランド・パネライ(ドン・アルフォンソ)1974年ザルツブルクライヴ録音/DG

《コシ・ファン・トゥッテ》をお好きな方なら、三つとも買っても損はないと思います。


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2007年4月 2日 (月)

《コシ・ファン・トゥッテ》聴きくらべ(1)

ルネ・ヤーコプス指揮の《コシ・ファン・トゥッテ》を買ったので、このオペラを好きな私が聴き比べをして感想を述べたいと思います。しかし、今日の今日は無理。このオペラは、味わい深すぎて、簡単には感想を書けないのです。そこで、今日は、まず私が所有する、また所有したことがある《コシ・ファン・トゥッテ》のリストだけ作ってお終いにします。あまり多すぎて、忘れてしまいそうなので..。
これは私自身の備忘録なのです。

1.ベーム指揮/VPO/リーザ・デラ・カーザ(フィオルディリージ)クリスタ・ルートヴィヒ(ドラベルラ)エミー・ローゼ(デスピーナ)アントン・デルモータ(フェランド)エーリヒ・クンツ(グリエルモ)パウル・シェフラー(ドン・アルフォンソ)1955年録音/DECCA

2.ベーム指揮/PO/シュワルツコップ(フィオルディリージ)ルートヴィヒ(ドラベルラ)ハンニー・シュテフェック(デスピーナ)アルフレード・クラウス(フェランド)ジュゼッペ・タディ(グリエルモ)ワルター・ベリー(ドン・アルフォンソ)1962年スタジオ録音/EMI

3.ベーム指揮/VPO/グンドラ・ヤノヴィッツ(フィオルディリージ)ブリギッテ・ファスベンダー(ドラベルラ)レリ・グリスト(デスピーナ)シュライアー(フェランド)プライ(グリエルモ)ディースカウ(ドン・アルフォンソ)1972年/OPERA D'ORO

4.ベーム指揮/VPO/グンドラ・ヤノヴィッツ(フィオルディリージ)ブリギッテ・ファスベンダー(ドラベルラ)レリ・グリスト(デスピーナ)シュライアー(フェランド)プライ(グリエルモ)ローランド・パネライ(ドン・アルフォンソ)1974年ザルツブルクライヴ録音/DG

5,クレンペラー指揮/NPO/マーガレット・プライス/イヴォンヌ・ミントン/ルチア・ポップ/ルイジ・アルヴァ/ジェレイント・エヴァンス/ハンス・ゾーティン/1971年/EMI

6.ムーティ指揮/VPO/マーガレット・マーシャル/アグネス・バルツァ/カスリーン・バトル/フランシスコ・アライサ/ジェイムズ・モリス/ホセ・ファン・ダム/1982年/EMI

7.レヴァイン指揮/VPO/キリ・テ・カナワ(フィオルディリージ)アン・マレー(ドラベルラ)マリー・マクローリン(デスピーナ)ハンス・ペーター・ブロッホヴィッツ(フェランド)トーマス・ハンプトン(グリエルモ)フェルッチョ・フルラネット(ドン・アルフォンソ)1988年/DG

8.ジギスヴァルト・クイケン指揮/ラ・プティット・バンド/Soile Isokoski, Monica Groop, Nancy Argenta, Markus Schäfer, Per Vollestad, Huub Claessens/1992年/BRILLIANT

9.ラトル指揮/エイジ・オブ・エンライトメント/Hillevi Martinpelto(Fiordiligi), Alison Hagley(Dorabella), Ann Murray(Despina), Kurt Streit(Ferrando), Gerald Finley(Guglielmo, Thomas Allen(Don Alfonso)1995年/EMI

10.ルネ・ヤーコプス指揮/コンチェルト・ケルン/ヴェロニク・ジャンス/ベルナルダ・フィンク/グラシエラ・オッドーネ/ヴェルナー・ギューラ/マルセル・ボーネ/ピエトロ・スパニョーリ/1998年/harmonia mundi FRANCE

以上CDまたはLP盤

以下はビデオソフト

11.ジョン・プリチャード指揮/ロンドンフィル/ヘレナ・ドーセ/シルヴィア・リンデンストランド/ダニエル・ペリエ/アンソン・オースティン/トーマス・アレン/フランツ・ペトリ/エイドリアン・スラック演出/グラインドボーン音楽祭/1975年/東芝EMI

12.アーノンクール指揮/VPO/エディタ・グルベローヴァ/デローレス・ジーグラー/テレサ・ストラータス/ルイス・リマ/フェルッチョ・フルラネット/パオロ・モンタルソロ/ジャン=ピエール・ポネル演出/1988年/DECCA

13.アーノンクール指揮/チューリヒ歌劇場/チェチーリア・バルトリ/リリアナ・ニキテアヌ/アグネス・バルツァ/ベルト・サッカ/オリヴァー・ウィドマー/カルロス・ショーソン/ユルゲン・フリム演出/2000年

14.ムーティ指揮/ミラノ・スカラ座/ダニエラ・デッシー/デロレス・ジーグラー/アデリーナ・スカラベッリ/アレッサンドロ・コルベッリ/ヨゼフ・クンドラーク/クラウディオ・デズデーリ/ミヒャエル・ハンペ演出/1989年

15.クレイグ・スミス指揮/ウィーン交響楽団/スーザン・ラーソン/ジャニス・フェルティ/スー・エレン・クズマ/フランク・ケリー/ジェイムズ・マッダレーナ/サンフォード・シルヴァン/ピーター・セラーズ演出/1990年/DECCA

16.ガーディナー指揮および演出/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ/アマンダ・ロークロフト/アイリアン・ジェイムズ/ローザ・マニオン/ライナー・トロスト/ロドニー・ギルフリー/クラウディオ・ニコライ/1992年/ARCHIV

17.バレンボイム指揮/ベルリン国立歌劇場/ドロテア・レシュマン/カタリーナ・カンマーローアー/ダニエラ・ブルエラ/ヴェルナー・ギューラ/ハンス=ミュラー・ブラッハマン/ローマン・トレーケル/ドリス・デーリエ演出/2002年/TDK

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2007年3月17日 (土)

ハーゲン四重奏団のモーツァルト:弦楽四重奏曲全集

Mozart_hagen

 まず、忘れないうちに書いておきたいが、このBOXは、デジタルな音ではあるが録音はいいと思う。ヘッドフォンを左右逆にして、私のいい方の右耳で聴くと、ルーカス・ハーゲン(第1ヴァイオリン)の音は心地よい。

私は、ハーゲン四重奏団によるモーツァルト:弦楽四重奏曲全集には、大いに期待していた。なぜなら、彼らによるハイドンの《太陽四重奏曲 作品20》が、あまりに素晴らしすぎる演奏だったからだ。しかし、このモーツァルト:弦楽四重奏曲全集では、ハーゲン四重奏団は、ちょっと難しい演奏をしてしまっているきらいがある。

まず、モーツァルト:弦楽四重奏曲のおさらいをしておく。

[作品リスト]
1番 K80(73f) ト長調 1770年《ローディ》

ミラノ四重奏曲(6曲)
2番 K155(134a) ニ長調 1772年
3番 K156(134b) ト長調 1772年
4番 K157 ハ長調 1773年
5番 K158 ヘ長調 1773年
6番 K159 変ロ長調 1773年
7番 K160(159a) 変ホ長調 1773年

ウィーン四重奏曲(6曲)
8番 K168 ヘ長調 1773年
9番 K169 イ長調 1773年
10番 K170 ハ長調 1773年
11番 K171 変ホ長調 1773年
12番 K172 変ロ長調 1773年
13番 K173 ニ短調 1773年

ハイドン四重奏曲(6曲)
14番 K387 ト長調 1782年
15番 K421(417b) ニ短調 1783年
16番 K428(421b) 変ホ長調 1783年
17番 K458 変ロ長調 1784年《狩》
18番 K464 イ長調 1785年
19番 K465 ハ長調 1785年《不協和音》

20番 K499 ニ長調 1786年《ホフマイスター》

プロシア王四重奏曲
21番 K575 ニ長調 1789年
22番 K589 変ロ長調 1790年
23番 K590 ヘ長調 1790年

弦楽四重奏曲というジャンルを、ライフワークにした作曲家はハイドン以外には、少ないと思う。上記のように、モーツァルトの場合、最初の作品《ローディ》以降は、1772年から1773年にかけて、12曲を作曲している。その後、10年近く経てから、偉大な《ハイドン四重奏曲(ハイドン・セット)》を書いている。その後は、1786年の《ホフマイスター》と晩年の《プロシア王四重奏曲》の4曲のみ。これを見ると、断続的な創作に思える。したがって、弦楽四重奏曲はモーツァルトのワイフワークだとはいえないだろう。

ベートーヴェンにしても同様である。すなわち、皆さんよくご存じの通りベートーヴェンは

6つの弦楽四重奏曲(作品18)1778-1780年
3曲の《ラズモフスキー》1805-1806年
《ハープ》1809年
《セリオーソ》1810年
そして晩年に、12番から16番までの5曲

合計16曲を書いたのだが、これを彼のライフワークといえるだろうか? 私見では、晩年、彼がこのジャンルを手がけた理由は「ピアノ・ソナタで言いたいことは全部言ってしまった」ので、最後の創作意欲の表現手段を、たまたまこのジャンルに見いだしたからだと思う。ベートーヴェンのライフワークはピアノ・ソナタだ。

バルトークは、弦楽四重奏曲を彼のライフワークとした。ショスタコーヴィチはどうか。私は、それはよくわからない。ただ、ショスタコーヴィチは、このジャンルに対して、バルトークに近い情念を抱いたと思う。

横道にそれたが、上記をご覧になれば分かるとおり、モーツァルトの弦楽四重奏曲は、数にしてその約半分の13曲は、青年期の作品である。これらの作品に対する評価は、はっきりいって低い。《ウィーン四重奏曲》についてアーベルトは「われわれは、モーツァルトが偉大な模範(ハイドン)に対して、とまどいを感じ、注意深い仕事で、確信が欠けたものを補おうとしている印象を受ける」と述べ、アインシュタインは「非常にすっきりしない楽曲」「父親の命令のおかげで成立したのだと仮定したい」とも述べている。《ウィーン四重奏曲》は、たしかに充実した楽章を持つ作品はあるし労作と思える作品もなくはない。しかし名曲はない。最も重要な作品である「13番 K173 ニ短調」も、私にはぎこちなく思える。《ミラノ四重奏曲》もいまいちピンと来ない。むしろ、私は、モーツァルト14才の時の《ローディ》が、最初の13曲の中で一番好きだ。

さて、私が、ハーゲンに期待したことは、これらの冴えない作品群《ミラノ四重奏曲》《ウィーン四重奏曲》の12曲を、彼らが、いかに魅力的に面白く弾いているか、そして私をピンと来させてくれるか、だった。しかし、その期待は裏切られた。はっきり言って、退屈する演奏。私は、これらの、いまいちパッとしない作品群こそ、ハーゲンが得意とするところではないかと期待していたのだが..。

《ハイドン・セット》も面白くない。ハーゲンの完璧主義が裏目に出ているように思える。表現についていえば、たとえば、彼らが《太陽》で聴かせたノンビブラートや絶妙な「間」が生きていない。もともと、《太陽》で聴かせたようなノンビブラートや絶妙な「間」は《ハイドン・セット》には合わないのか? そんなことはなかろう。《太陽》で成功した表現が《ハイドン・セット》で成功しないということはなかろう。《ハイドン・セット》における、ハーゲンの解釈は、《太陽》の場合とは違うように思える。うまくいえないが解釈に失敗があるようだ。従来の解釈とは違う解釈を聴かせてやろうという狙いが、的を外しているのではなかろうか。つまり、普通に安定感のある表現をすればよかったと思う。

たしかに、ハーゲン四重奏団のモーツァルトBOXは、全体的に上手に演奏されていることは認めよう。しかし《ハイドンセット》に味がなく、《ミラノ四重奏曲》《ウィーン四重奏曲》も面白くない、という意味で、この全集は魅力に欠け、名盤とは言い難い。ハーゲン四重奏団は、がっぷり四つの相撲で勝負しても、完璧な演奏をできる団体だけに、このモーツァルトにおいては「ボタンの掛け違い」をしてしまったのではないだろうか?
私が、こう思うのは、新しいものについて行けない私の保守主義なのだろうか?
「保守主義」というのは、すわなち、ハーゲンのモーツァルトを聴いて、満足できなかった私は、そく、アマデウス弦楽四重奏曲団のモーツァルト:全集を無性に聴きたくなり、早速注文してしまったからだ。

【情報】
このBOX(ハーゲン四重奏団:モーツァルト全集)には、おまけとして、ディベルティメント(K136, 137,138)、アイネ・クライネ・ナハトムジーク、バッハの平均律第2巻から5つのフーガの編曲(K405)と、アダージョとフーガ(K546)が付いている。

この全集の録音年は、1988-2001年、および2004年(K589)である。

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2007年3月10日 (土)

モーツァルト:交響曲全集/ベーム/BPO(OIBPの問題)

Mozart_bohm_4

 昨年、DGから一連のモーツァルトBOXが出ました。国内盤ではなく、EU盤の方です

ベーム、ハーゲン四重奏団、ピリス、ゼルキン

このうちの

1.交響曲全集/ベーム指揮/BPO/10枚組
2.弦楽四重奏曲全集/ハーゲン四重奏団/7枚組

の二組買ったんですが、1の方は最悪でした。OIBP(Original Image Bit Processing)が、ベームの音を、だめにしています。アナログ盤の音とは、非常に違います。まるで別の音になってます。本来こういうトピックの場合、リマスターによって音がどう変わったか、具体的に、説明しなければ意味ないんでしょうが、私に言わせれば、これは問題外です。それ以前の問題です。はっきり言って、このCD盤は「ベームの指揮ではない」と言えます。私は、1980年にベームの日本公演を聴きに行ったし、この指揮者とのつきあいは長いので、このことは自信もって言えます。ここまで、音を変えてしまうと、音楽も変わってしまいます。私は、いままで、アナログ音源のリマスターを、それほど気にしてませんでしたが、この商品で、初めて、リマスターの問題を認識しました。本当に最悪です。一通り聴いたら、記念に、粗悪品の標本として保存します。

【参考】
なお、各レコード会社のデジタル・リマスタリング技術については、下記 Yamagisi さんのサイトに詳しく説明してあります。
http://classic.music.coocan.jp/etc/remastering.htm

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