ラグナ・シルマーのシュニトケ(その2)
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Alfred Schnittke (1934-1998)
Klaviersonaten Nr. 1, 2 & 3
Ragna Schirmer, Piano
Recording: Halle (Saale), Freylinghausensaal der Franckeschen Stiftungen, August 2000
Berlin Classics
Sonate für Klavier Nr. 1 (1987) (Vladimir Feltsman Gewidmet) (32:02)
1 Lento 7:08
2 Allegretto 6:40
3 Lento 8:11
4 Allegro 10:09
Sonate für Klavier Nr. 2 (1990) (Irina Schnittke Gewidmet) (18:55)
5 Moderato 6:52
6 Lento 4:57
7 Allegro Moderato 7:12
Sonate für Klavier Nr. 3 (1992) (Justus Frantz Gewidmet) (15:08)
8 Lento 4:45
9 Allegro 2:39
10 Lento 4:11
11 Allegro 3:31
Total Time 66:20
私の評価:と
の間。
【前置き】
私は、作曲家アルフレート・シュニトケについて、まったく無知である。
【本文】
(以下、取り留めのない文章、申し訳ありません)
ラグナ・シルマーのシュニトケを、私は、2009年12月の私の自宅火災の直前にアマゾンJPに注文し、火災の直後に「コンビニ受け取り」にてこれを受領した。よって、火災のどさくさに紛れて、私は、これをよく聴かないまま、今日(2017年2月)に至る。という訳で、私は、7年ぶりに、このアルバムを聴くと・・・あらら、これ、すなわち、シルマーのシュニトケは、恰好いいじゃないですか(!)。
なぜ、米国アマゾンのカスタマレビューにおいてシルマーのシュニトケへの評価が(大袈裟に言えば)圧倒的に低いのか、私にはそれが分からない。しかし、その低い評価をした米国アマゾンのレビューアー(villegem)さんの言うことは正しいと思う:すなわち、彼は「シルマーのシュニトケが、リスナーに、シュニトケという作曲家に対する間違ったイメージを与えてしまう」危険性(?)を述べているのではないかと思う。
大作、ピアノ・ソナタ第1番の第1楽章(1分40秒あたり〜)で、シルマーは、高音の鍵盤を打楽器を叩くように強く弾いている(同音反復)。一方、たとえば、バルトークのピアノ曲が打楽器的であると私は感じない(←その理由は、バルトークに対する私の無理解のためです)。それに対し、シルマーが弾くシュニトケの第1ソナタの第1楽章(1分40秒あたり〜)は、私の単純な受け止めではあるが、打楽器的(!)。そして、このアルバムにおいては、全曲にサディスティックな強烈さが聴ける。←それが私は好きだ(I love it !)。
確かに、シルマーの打鍵は強烈過ぎて乱暴かも知れない。つまり、上記米国レビューアー(villegem)さんが言うが如く「シュニトケの未亡人イリーナ・シュニトケ(Irina Schnittke)さんの弾く第2ソナタは強烈だが決して陰うつではない(it is strong but never gloomy)」←上記米国レビューアー(villegem)さんが、最も言いたかったのはこれじゃないかと、私は思うが・・・(下記参照)。
「Listen to Irina Schnittke, the composer's widow, playing the Second Piano Sonata (1994 Sony recording with Rostropovich and Lubotsky, with the composer present during the recording sessions): it is strong but never gloomy and Mrs Schnittke through her sensitive touch and intelligence makes this modern language appear so natural, never forced, in one word: classical. She also brings such a tender, playful joy to this music. 作曲者の未亡人イリーナ・シュニトケの第2ソナタ(1994年録音。ロストロポーヴィチと Lubotsky との共演。作曲者の立ち会いのもとセッション録音された)は強烈だが決して陰うつではない。シュニトケ夫人は、彼女の繊細なタッチと知性を通して、この現代的言語をして非常に自然に語らせる。それは決して強いられたものではなく、一言で言えば古典的である。彼女はまた、そのような優しく陽気な歓びを、この音楽にもたらしている。」
シルマーのシュニトケは、強烈、クール、冷たい、陰うつ・・・を通り越して、もしかしたら無機質なのかも知れない(←言い過ぎか)。しかし、私はそれが好きである。なぜなら、シルマーのシュニトケは、陰うつでサディスティックではあっても、それは「解釈の範囲内」ではないか(?)。そして、シルマーのシュニトケを聴くことは、私にはある種のストレス解消だ(ただし、少し怖い)。
要するに、このアルバムを好きか嫌いかは、例によって、リスナーの嗜好に依存する(要するに、シルマーが弾くシュニトケへの私の好意的評価は私のシルマーへのえこひいきです)。ただし、このアルバムを「シュニトケ入門」として聴いても良いかと言うと、その答えは、多分「No」だろう:シルマーのシュニトケにもロマンティシズムがまったくないという訳ではないが、それは希薄である、あるいは、外している(?)
以上、取り留めのない文章になってしまったが、最後に。米国レビューアー(villegem)さんは「This pianist lacks a solid technical arsenal required for the piece. このピアニスト(シルマー)は、第1ソナタに求められるしっかりした技術的集積に欠けている」と言ってるが、私はそうは思わない。シルマーは、ここでも、十分に技巧的じゃないかな〜。このアルバムにおける個々の楽曲に対するレビューは、私にはできない。なぜなら(繰り返すが)私が「作曲家アルフレート・シュニトケについて、まったく無知」だからである(汗;;
【追伸1】
この商品には、独語・英語合わせて22ページのブックレットがついている。上記レビューアー(villegem)さんは、そのブックレットを読んでレビューしている。しかし、私は、それを読んでいない。読むのがきついので(汗;;
【追伸2】
それにしても、私は、約7年間、このアルバム(シルマーのシュニトケ)を聴かず・・・このアルバムを埋もれさせていたとは・・・(汗;;
私は、他にも埋もれた音盤を沢山所有しているかも・・・(汗;;
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