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2016年8月 1日 (月)

クイケンの「モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り(1610)」(その2)

このエントリーは、http://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/1610-857d.htmlの続きです。

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【聖母マリアの夕べの祈り:聴き比べ】

Vespro_01

モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り
ティチネッリ=ファットリ、フェッラチーニ=マラカルネ(ソプラノ)、シュヴァルツ(アルト)、タピー、キュエノー(テノール)、フッテンロッハー(バリトン)、フィッソーレ、ルー(バス)
ローザンヌ声楽&器楽アンサンブル
ミシェル・コルボ(指揮)
録音:1966年

Vespro_02

モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り
ジェニファー・スミス,オードリー・マイケル(S) ウィンフォード・エヴァンス,ジョン・エルウィス(T) フィリップ・フッテンロッハー(BR) ミシェル・ブロダール(BS)
ローザンヌ声楽&器楽アンサンブル
ミシェル・コルボ(指揮)
録音:1982年

Vespro_03

モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り
マイケル・チャンス(C-T)、ブリン・ターフェル(Bs)、他
モンテヴェルディ合唱団
ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)
録音:1989年

Kuijken

Claudio Monteverdi (1567-1643)
Vespro della Beata Vergine (1610)
La Petite Bande
Sigiswald Kuijken
Recording dates: 11-13 November 2007
Challenge Classics

・ミシェル・コルボ旧盤(1966年録音)
結論から先に言うと、コルボ旧盤が、一番、私の気に入った(私は、Apple Music でこれを試聴して購入)。コルボ旧盤は流れが良い。自然体。
私が生まれて初めて聴いた「Vespro」は、コルボ旧盤である。←私は、それに刷り込まれた。

(もう一つ。モーツァルトの「ミサ曲ハ短調 K427」の場合も、ヘルムート・コッホ盤が、私が生まれて初めて聴いた「K427」であり、私はそれにも刷り込まれた)

コルボ旧盤は、新盤よりあっさりしている。力みがない(たとえば、第11曲「Sonata sopra Sancta Maria」のコルネットが下手。力抜いている)。繰り返すが、コルボ旧盤は自然体。流れが良い。そして、素朴で明るい。ストレートな演奏であり、聴きやすい演奏と言っても良いだろう。

・ミシェル・コルボ新盤(1982年録音)
流れが悪いと思う。コルボ新盤は、旧盤に比べアクセントが強く、メリハリあるが、それが、ややねちっこく聞こえる。新盤は精緻である。が、その精緻の中、特に前半、すなわち第1曲から第8曲「Nisi Dominus」までは、あまり流れが良いとは、私には思えない(私の思い過ごしか?)。とにかく・・・第1曲から第8曲は退屈する。ところが、第9曲「Audi Coelum」第10曲「Lauda, Jerusalem」では《精緻さ》が生かされているかも知れない(!)。
第12曲「Ave maris stella」は美しいのだが、その「リトルネッロ」は、合唱部分より意図的にかなりテンポが《速い》。このアルバムは、意図、あるいは、恣意性において、もしかしたら、微妙に外しているのかも知れない。
コルボ新旧盤の録音年の違いによる「音質」の良し悪し(1966年、1982年録音)は、私は気にならならなかった。

・ガーディナー新盤(1989年録音)
良い演奏だと思います。
ある意味では、ガーディナーが「Vespro」という作品をヒットさせた(?)・・・その功績は認めるが、この音源は、そろそろ、賞味期限が切れたかも知れない。

・クイケン盤(2007年録音)
クイケン盤は「One Voice Per Part 形式」の聴きやすい演奏であるにもかかわらず、「Vespro」という作品の音楽的形式、宗教的文脈が、リスナーの頭の中に、スーッと入って来ないような気がする・・・ということは、クイケン盤は、分かり易い演奏に見えるが、その演奏は、実は、イレギュラなのか、否か(?)
細かく見ていくと:
・「OVPP」であるがゆえ、合唱が、大合唱団に比べ、比較的、混濁しないで、分離して聞こえる。
・おそらく「OVPP」であるがゆえ「発音」の美しさが聞こえる(たとえば、第2曲「Dixit Dominus」の3行目の「tuos scabellum pedum tuorum」の「tuos」の「u」、「tuorum」の「o」、4行目の「Virgam virtutis tuae emittet」の「tuae」の「u」などなどのメリスマが効いている)
・私の主観では、第6曲「Laetatus sum」までは、一本調子。情緒がないというか、感情の起伏(喜怒哀楽)があまり聞こえない。そして、詩編と雅歌のコントラストが弱いような気がする(第6曲「Laetatus sum」までは、退屈させられる)。ところが、私の主観では、第7曲「Duo Seraphim」から第10曲「Lauda, Jerusalem」までは、もしかすると、その一本調子が消えるような気がする。生き生きしてくる。
第12曲「Ave Maris Stella」は、カトリシズムの敬虔(聖母マリア崇敬)が聞こえる名曲だと思うが、クイケン盤においては、その静的敬虔は、動的演奏によって弱められていると思う。
第13曲「マニフィカト」は、男声が歌っている箇所が多い。クイケン盤のマニフィカトはバスが活躍する(やはり、コルボ盤、ガーディナー盤のソプラノの方が美しいかも知れない)。しかし、クイケンは、もしかしたら「Vespro」における女声(カストラート、ボーイソプラノ)と男声のバランスを考えて、あえて「マニフィカト」を男声に歌わせたのかも知れない(ただし「Suscepit Israel puerum suum その僕イスラエルを受け入れて」は、ソプラノに歌わせている)。
・まとめ
クイケンの「Vespro」は、合理性から成るということが、特長なのかも知れない。

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