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2016年7月31日 (日)

【訃報】 九重親方死去 角界などから惜しむ声/元横綱・千代の富士の九重親方が死去/「北の湖に千代の富士、歴代の名横綱が次々と亡くなってしまうのは、寂しい気持ちです」←私も本当にそう思う(2016年7月31日)

九重親方死去 角界などから惜しむ声

相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した元横綱・千代の富士の九重親方が、亡くなったことについて、角界などから、悲しみや惜しむ声が寄せられています。(2016年7月31日 23時30分 NHK オンラインより)

(下に続く)

元横綱・千代の富士の九重親方が死去

大相撲で31回の優勝を果たし、相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した元横綱・千代の富士の九重親方が、31日午後4時ごろ、すい臓がんのため東京都内の病院で亡くなりました。61歳でした。(2016年7月31日 19時35分 NHK オンラインより)

(下に続く)

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「賞味期限」日付から月単位へ なぜ?/「632万トン」からの挑戦/鮮度って何?/「食品ロス」のない買物をしよう

「賞味期限」日付から月単位へ なぜ?

Timelimit
(C) NHK

『賞味期限 2016年7月』
あれ、メーカーの記載ミス?よく見ると日付が抜けていない?。こんな表示がこれから私たちの周りの食品に増えてくるかもしれません。今、賞味期限の表示のルールを見直そうという取り組みが国や業界団体で始まっているのです。背景には、本当なら食べられるはずの食品が大量に捨てられているという「食品ロス」の問題があります。日付単位から月単位でどう変わるのでしょうか。
(2016年7月29日 19時20分 NHK オンラインより)

(下に続く)

・・・

【参考】

「632万トン」からの挑戦

632万トン。なんの数字かご存じでしょうか。国内で売れ残りや食べ残しによって食品が捨てられる食品ロスの量です(平成25年度推計) 実に世界全体の食料援助量のおよそ2倍に相当します。食品ロスの削減は、単に食べ物がもったいないということにとどまらず、企業にとってはコスト削減、家庭にとってはむだな支出を抑えることにつながる大事な問題です。(2016年6月14日 20時10分 NHK オンラインより)

(下に続く)

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オットー・フリードリック著「グレン・グールドの生涯」に書いてある、私の好きな逸話など(3)聞こえない音(音楽)が、いちばん素晴らしく聞こえる(?)

Gould_friedrich

オットー・フリードリック著「グレン・グールドの生涯」


グールドが自分の奇妙な能力に気づいたのは、十三歳くらいの頃だった。モーツァルトのハ長調フーガ(K三九四)を練習していたとき、不機嫌な家政婦が電気掃除機のスイッチを入れて練習を邪魔することにした。
「さて、次のような結果になりました。」一九六四年、トロント音楽院の卒業式での式辞でグールドはその思い出を語っている。「……このきらめくような全音階的な音楽は、ヴィブラートの暈(ぼかし)がかかったようになりました。いやむしろ、浴槽で、両耳に水がいっぱいに詰まった状態で歌をうたい、一気に頭を左右に振ったときに得られる効果とでも言いましょうか。そして柔らかいパッセージでは、自分の創り出している響きがまったく聞こえませんでした。もちろん感覚はありました。鍵盤に対する触感はあったのです。……自分がやっていることのイメージはつかめましたが、実際には音は聞こえませんでした。しかし奇妙なことは、電気掃除機が介在しなかったときよりも、急に素晴らしく聞こえるようになったことです。それも、実際に聞こえなかった部分がいちばん素晴らしく聞こえたのです。」(「音楽院卒業生に贈る言葉」)
 偶然性の音楽あるいはチャンス・オペレーションに没頭していた頃のジョン・ケージについて、こんな話がある。よく馴染んだブラームスの交響曲の録音を聴いて退屈の表情を浮かべていたときのこと、突然ドアの呼び鈴が鳴って鑑賞を邪魔されたその瞬間、ケージは喜びに顔をほころばせてしまったのである。これは客が来たらしいので喜んだのではない。ブラームスの交響曲と鳴り響く呼び鈴という偶然の取り合わせを初めて聞くことができたのを喜んだのである。モーツァルトと電気掃除機からグールドが理解したのは、音の奇妙な取り合わせを単に受け入れるということではなく、音楽を知覚する力を聴覚からほぼ完全に分離することだった。

(「グレン・グールドの生涯」42ページより)

2016年7月30日 (土)

突然ですが「モーツァルト:ミサ曲ハ短調 K427」私の一番のお気に入り

C_moll

Mozart
Missa in C Minor K427
Solistenvereinigung des Berliner Rundfunks
Berliner Rundfunk-Sinfonie-Orchester
Helmut Koch, conductor
録音:1964年

モーツァルト:ミサ曲ハ短調 K427
イングリット・チェルニー(ソプラノ)
インゲボルク・ヴェングロール(ソプラノ)
ロルフ・アプレック(テノール)
テーオ・アーダム(バス)
ベルリン放送合唱団
ベルリン放送交響楽団
ヘルムート・コッホ(指揮)、
録音:1964年4月 東ベルリン

イングリット・チェルニー(Ingrid Czerny, soprano)と、インゲボルク・ヴェングロール(Ingeborg Wenglor, soprano)の声の明るさは、他の演奏では聴けない。
これは、私が高校生のとき、ラジオで初めて聴いた「ミサ曲ハ短調」です。しかし、私が、大人になっとき、かつて、ラジオで聴いた演奏が誰の演奏だったか記憶が定かではなかったので、それが、ヘルムート・コッホ盤であったことは、長くわからなかった。

・・・

【Apple Music】

Koch

(C) Apple Music Mozart Helmut Koch

2016年7月29日 (金)

【Apple Music】 ジョン・カークパトリックのチャールズ・アイヴズ:コンコード・ソナタ (mono)

【注】以下、岡林リョウ氏より、リンク、快諾頂きました。ありがとうございました。

--

【2016年7月27日のコメント欄より転記】

(ねこらぶっこさんへ)

>20世紀ウラ・クラシック<まとめ>α版
>Author:岡林リョウ氏
 http://20urakura.blog67.fc2.com/

この方のブログを紹介して頂いたことに感謝します。参考すべきことが多いです。

その一例としては、ジョン・カークパトリック(チェンバロ奏者のラルフ・カークパトリックではありません)のコンコード・ソナタです(←廃盤のようです)。
http://20urakura.blog67.fc2.com/blog-entry-5201.html
ソノ演奏を、Apple Music で試聴しました。非常にうまいと思います。
しかし、私はコレを初めて聴きました。
つまり、私のコンコード・ソナタ聴き比べの際に、ジョン・カークパトリックのコンコード・ソナタを購入しなかった←それは、完全に私の落ち度でした。あるいは、売ってなかったから、買えなかった。聴けなかった(?)

岡林リョウ氏のブログの特長は、作曲家を聴くというより《演奏、演奏者を聴く》《演奏、演奏者への嗜好》にあるかと思います。

>グラズノフ率が高い

高いですね。

・・・

あっ、もう一つ、書き忘れがありました

アイヴズという作曲家は、作品に、あれだけ多くの、アメリカの民謡、愛国歌、讃美歌等の引用があるのに、ナショナリズムを私に感じさせません。

( http://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-e767.html#comment-113565078 より)

・・・

Ives

(C) Apple Music: Ives Concord Sonata John Kirkpatrick (mono)

・・・

>ステレオの薄盤による新録(1968)が知られているが、旧録のほうが壮年なりの力感があり、揺れも小気味よく、アイヴズを前衛と捉えた、もしくは「真面目な音楽」と捉えた後発他盤には絶対に聴かれない世界観が私は好きだ。モノラル。( http://20urakura.blog67.fc2.com/blog-entry-5201.html より)

Apple Music で、ジョン・カークパトリックのコンコード・ソナタ新盤(下記)も聴きましたが、旧盤(上記)の方が、確かに、面白かったと思う。

Ives_02

(C) Apple Music: Ives Concord Sonata John Kirkpatrick (stereo)

2016年7月27日 (水)

プルトニウム保有量:過去最多47.9トン 昨年末時点/“トイレなきマンション”/原子力発電という発電手段の限界

プルトニウム保有量:過去最多47.9トン 昨年末時点

 内閣府は27日、原発で使用した核燃料から再処理で取り出し、国内外で保有するプルトニウムは昨年末時点で47.9トン(前年末比0.1トン増)と発表し、同日、原子力委員会に報告した。発表を始めた1994年以降、最多。

 今年は関西電力高浜原発3、4号機(福井県)でプルサーマル発電が一時再開され、研究用プルトニウム331キロを米国に返還したため総量としては約1.2トン減る見通しで、昨年末が保有量のピークになる見通し。

 47.9トンのうち、国内保有分は前年末と同じ10.8トンで、海外保有分は仏16.2トン、英20.9トンの計37.1トン。英では委託した使用済み核燃料に約1トンのプルトニウムが残っており、同国の工場が操業を終える2018年ごろまでに取り出される予定だ。【岡田英】(2016年07月27日 18時03分 毎日新聞より)

核のゴミ 白紙に戻す覚悟で見直しを

原子力発電所から発生する高レベル放射性廃棄物を捨てる場所が決まらない問題を巡り、日本学術会議は、国が進める地下深くに数万年以上埋めて処分する計画は、根源的な課題で行き詰まっているとして、今の枠組みを白紙に戻す覚悟で見直すべきだとする提案をまとめたことが分かりました。
(中略)
原発は高レベル放射性廃棄物を捨てる場所がないことから、“トイレなきマンション”と批判されてきましたが、この提案は、これまでの国の方針に転換を迫る一方、問題の解決を先送りする内容ともいえ、今後、論議を呼びそうです。(2012年8月23日 18時54分 NHK ニュースより)

2016年7月26日 (火)

ニコラ・ベネデッティのショスタコーヴィチ&グラズノフ

Benedetti

Shostakovich / Glazunov
Shostakovich Violin Concerto No. 1, Op. 99
Glazunov Violin Concerto, Op. 82
Nicola Benedetti, violin
Bournemouth Symphony Orchestra
Kirill Karabits, conductor
2015年録音
DECCA


【収録情報】

● ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 Op.99
● グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲イ短調 Op.82

 ニコラ・ベネデッティ(ヴァイオリン)
 ボーンマス交響楽団
 キリル・カラビツ(指揮)

 録音時期:2015年4月
 録音場所:ボーンマス、ライトハウス
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)


ショスタコ1番の私の一番のお気に入りは「悪寒と熱」が混じっている庄司紗矢香盤である。ただし、ショスタコ1番のパフォーマンスにおいて、その非献呈者であり初演者であるオイストラフのパフォーマンス(1956年録音)を超えることは、未来永劫できないと私は思っている(←そうではないことを祈っている)。その理由は、そもそも、この作品が、オイストラフの技巧や特長に合わせて書かれた作品であること。そのユダヤ(音楽)性(池辺晋一郎先生がこの作品はユダヤ音楽の影響があると言ってました)。古典的な第3楽章「パッサカリア」。カデンツァのおける「バロック時代の無伴奏ソナタのおもむき」(作曲家別名曲解説ライブラリー ショスタコーヴィチより)など。

ベネデッティは、ジョン・タブナーを美しく弾くことができるヴァイオリニストである。しかし、彼女は、タブナーにおいて歌ってはいない。他方、このアルバムにおいて、ベネデッティは、ショスタコーヴィチを、半ば歌っている。だが、彼女のショスタコが、ユダヤ的なのかどうかは、分からない。このアルバムは、音のディテールが、よく録音されている。←第1楽章で、タムタム(どら)が鳴る音を、私は初めて聴いた(9分00秒あたり。←多分、どらの音だと思う)。その第1楽章のディテールの中で、ベネデッティは、三部形式(弱音器なし、弱音器あり、弱音器なし)を、明示できていないような気がする。

しかし、オケと指揮者とベネデッティの相性は良いようである。彼らは、ショスタコーヴィチにおいて、息が合っているし、彼らの(ある意味)アグレッシヴで激しい解釈は、上記(第1楽章への私の不満)と矛盾するが、悪くない・・・それどころか、なかなか聴き応えがある。
ベネデッティの芸風は、ショスタコーヴィチよりもグラズノフに合っていると思う。彼女は、グラズノフを、よく歌っていると思う。自然体。
とにかく、このアルバムは期待はずれではなかった(もしかしたら、ベネデッティが、これまで発表したアルバム中、ベストではなかろうか)。

近況報告(2016年7月26日)

私の世帯は、私の父(86才)と私(56才)の二人暮らしです。私の父も私も無職です(私は、若年退職しました)。私の父と私の(私の父の持ち家である)『自宅』における同居生活(共同生活)は破綻しています。すなわち、私の父(現在要介護1)の衰えによって彼が引き起こすトラブルによるストレスにより、私は心身ともに押しつぶされています(私は慢性のストレスによる慢性不眠、慢性便秘、そして、失禁に苦しめられています)。

私は、私のガールフレンドのボロアパート(12kmも離れている)に週に平均3〜4日泊ることで、私の父から逃げています。私が『自宅』に泊る日は、週に平均3〜4日です(ちなみに、私のインターネット環境、および、オデオ環境は『自宅』に在ります)。
私のガールフレンドのアパートにはインターネット環境はなく、私はモバイル環境を持ちません。よって、彼女のアパートに泊る日は、インターネットはできません。
彼女のアパートにはオデオ環境ありません。ただし、私は、必要に応じて、CD, DVD, Blu-ray Disc を、彼女のアパートに持っていって、彼女のラジカセや、Blu-ray Player で、それらを視聴します。

以上。

なお、私の「近況報告」は、今後も続けるつもりです。

2016年7月22日 (金)

「ポケモンGO」日本でも配信開始 経済効果も期待(2016年7月22日)/小学生はねられ死亡 運転手「ポケモンGOしていた」/ひどいことだ。やっぱり、死亡事故が起きてしまった。ポケモンGOは、なくすべきだと思う(2016年10月27日)

小学生はねられ死亡 運転手「ポケモンGOしていた」

26日、愛知県一宮市の交差点で小学4年生の男の子をトラックではねて死亡させたとして警察に逮捕された男が、調べに対し、「ゲームアプリの『ポケモンGO』をしていた」と供述していることが警察への取材で分かりました。(2016年10月27日 12時27分 NHK オンラインより)

==

(下に続く)

「ポケモンGO」日本でも配信開始 経済効果も期待

世界中で人気を集めているスマートフォン向けのゲームアプリ「ポケモンGO」が日本でも22日から配信が始まりました。店舗や観光地などでは来客が増えるといった経済効果も期待されています。(2016年7月22日 17時56分 NHK オンラインより)

(下に続く)

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クイケンの「モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り(1610)」(その1)

このエントリーは、http://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/1610-6442.htmlに続きます。

==

Kuijken

Claudio Monteverdi (1567-1643)
Vespro della Beata Vergine (1610)
La Petite Bande
Sigiswald Kuijken
Recording dates: 11-13 November 2007
Challenge Classics

【演奏者】

LA PETITE BANDE
Sigiswald Kuijken, direction / Leitung / direction

Singer / Sänger / Chanteurs
Soprani : Gerlinde Sämann, Marie Kuijken
Alti : Alessandro Carmignani, Paolo Costa
Tenori : Giuseppe Maletto, Fabio Furnari, Jean-François Lombard
Bassi : Marco Scavazza, Fulvio Bettini, Valter Testolin

Instruments / Instrumenten / Instruments
Violino da brazzo: Sigiswald Kuijken, Katharina Wulf
Viola da brazzo: Mika Akiha, Marleen Thiers, Ann Cnop
Basso da brazzo: Samantha Montgomery
Contrabasso da gamba: Benoît Vanden Bemden
Organo: Ewald Demeyere
Recorders/traverso: Morgane Eouzan, Stefanie Troffaes
Cornetti: Gebhard David, Frithjof Smith, Josue Melendez
Tromboni: Simen Vanmechelen, Harry Ries, Wim Becu

【演奏情報】

CD 1 53:43

[1]
I Domine ad adjuvandum me 2:11
tutti

[2]
II Dixit Dominus: (Psalm 109) 7:59
Cantus Gerlinde Sämann - Sextus Marie Kuijken - Altus Alessandro Carmignani - Tenor Fabio Furnari
Quintus Jean François Lombard - Bassus Fulvio Bettini

[3]
III Nigra sum 3:03
Tenor - Fabio Furnari

[4]
IV Laudate Pueri à 8 (Psalm 112) 6:33
Cantus Gerlinde Sämann - Altus Alessandro Carmignani - Tenor Giuseppe Maletto - Bassus I Marco Scavazza
Sextus Marie Kuijken - Septimus Paolo Costa - Quintus Jean François Lombard - Bassus II Valter Testolin

[5]
V Pulchra es 3:24
Cantus Gerlinde Sämann - Sextus Marie Kuijken

[6]
VI Laetatus sum (Psalm 121) 7:37
Cantus Gerlinde Sämann - Sextus Marie Kuijken - Altus Jean François Lombard
Tenor Giuseppe Maletto - Quintus Fabio Furnari - Bassus Valter Testolin

[7]
VII Duo Seraphim 5:46
Tenor Giuseppe Maletto - Quintus Fabio Furnari - Altus Jean François Lombard

[8]
VIII Nisi Dominus à 10 (Psalm 126) 4:45
I Cantus Gerlinde Sämann - Altus Alessandro Carmignani
Tenor Marco Scavazza - Quintus Giuseppe Maletto
Bassus Fulvio Bettini
II Cantus Marie Kuijken - Altus Paolo Costa - Tenor Jean François Lombard - Quintus Fabio Furnari
Bassus Valter Testolin

[9]
IX Audi Coelum à 6 7:37
Tenor Marco Scavazza - Quintus Fabio Furnari - Cantus Gerlinde Sämann - Sextus Marie Kuijken
Altus Giuseppe Maletto - Bassus Valter Testolin

[10]
X Lauda Jerusalem (Psalm 147) 4:42
Cantus Gerlinde Sämann - Altus Giuseppe Maletto - Quintus Fulvio Bettini - Tenor Marco Scavazza
Sextus Marie Kuijken - Septimus Fabio Furnari - Bassus Valter Testolin

CD 2 32:22

[1]
XI Sonata sopra Sancta Maria 6:33
Cantus Gerlinde Sämann

[2]
XII Ave Maris Stella à 8 6:53
I Cantus Alessandro Carmignani - Altus Giuseppe Maletto - Tenor Fabio Furnari
Bassus Fulvio Bettini
II Sextus Paolo Costa / Giuseppe Maletto (solo’s)
Septimus I Jean François Lombard - Quintus Marco Scavazza - Septimus II Valter Testolin

XIII Magnificat à 7

[3]
Magnificat 0:44
Cantus Alessandro Carmignani - Sextus Paolo Costa
Altus Jean François Lombard - Tenor Marco Scavazza
Quintus Fabio Furnari - Bassus Fulvio Bettini - Septimus Valter Testolin

[4]
Et exultabit 1:19
Altus Jean François Lombard - Tenor Fabio Furnari - Quintus Giuseppe Maletto

[5]
Quia respexit 1:52
Quintus Fulvio Bettini

[6]
Quia fecit 1:19
Altus Jean François Lombard - Bassus Fulvio Bettini - Septimus Valter Testolin

[7]
Et misericordia à 6 2:12
Cantus Alessandro Carmignani - Sextus Paolo Costa - Altus Giuseppe Maletto - Tenor Marco Scavazza
Bassus Valter Testolin - Septimus Fulvio Bettini

[8]
Fecit potentiam 1:02
Altus Jean François Lombard

[9]
Deposuit 1:54
Quintus Fulvio Bettini

[10]
Esurientes 1:32
Cantus Alessandro Carmignani - Sextus Paolo Costa

[11]
Suscepit Israel 1:26
Cantus Gerlinde Sämann - Sextus Marie Kuijken - Tenor Giuseppe Maletto

[12]
Sicut locutus 1:10
Altus Fabio Furnari

[13]
Gloria Patri 2:10
Tenor Marco Scavazza - Quintus Fabio Furnari - Cantus Alessandro Carmignani

[14]
Sicut erat 2:05
tutti

【収録情報】

クラウディオ・モンテヴェルディ:『聖母マリアの夕べの祈り』全曲
ゲルリンデ・ゼーマン(ソプラノ)
マリー・クイケン(ソプラノ:ジギスヴァルト・クイケンの娘)
アレッサンドロ・カルミニャーニ(カウンターテナー)
パオロ・コスタ(カウンターテナー)
ジュゼッペ・マレット(テノール)
ファビオ・フルナリ(テノール)
ジャン・フランソワ・ロンバール(テノール)
マルコ・スカヴァッツァ(バス)
フルヴィオ・ベッティーニ(バス)
ヴァルテル・テストリン(バス)
ラ・プティット・バンド
シギスヴァルト・クイケン(指揮)

録音時期:2007年11月11-13日
録音場所:ベルギー、ルーヴェン、ドミニコ修道会教会
録音方式:デジタル(セッション)

・・・・・・・・・・

以下、クラウディオ・モンテヴェルディ作曲:「聖母マリアの夕べの祈り(以下、Vespro と略す)」について、私が私の日記帳に書いたメモ(走り書き)に基づき、この「Vespro」という作品の解釈等を箇条書きします。
とても読みにくいと思いますが、ご了承下さい。

【前置き1】

モンテヴェルディの「Vespro」入門者へ、最も参考になるサイトが在るので、まず、それを紹介する。是非お読み下さい:

クラシカリストさんの日記

クラシカリストさんには、上記ページ「クラシカリストさんの日記」からの引用と、そのページへのリンク、快諾頂きました。ありがとうございますm(._.)m

>クラシカリストさんのページからの引用:

(Vespro クイケン盤は)最後の3曲になってようやく管弦楽が加わり、ラ・プティット・バンドのもつ典雅で柔らかなアンサンブルに。素晴らしい音をもつ団体だと思う。(中略)管弦楽の加わった最後の3曲は完璧と呼びたいもので、ここまで聴いてきた中でベストと言える内容かもしれない。
(中略)
オススメ盤をざっくりまとめると、
・初めて触れる人にオススメ:ガーディナー新、鈴木雅明
・2枚目以降にオススメ:アレッサンドリーニ、ガーディナー旧
・さらに色々聴いてみたい人にオススメ:パロット、マクリーシュ、クイケン
・個人的に好き:サヴァール

【前置き2】

私は「Vespro」を理解するために、その歌詞対訳をしました。
ちなみに、私は、大学1年のとき、1年間だけ、ラテン語を履修しました。でも、たった1年学んだだけではラテン語は読めません・・・それにラテン語忘れた・・・ラテン語入門の教科書も火事で燃えました。

歌詞対訳に際して。
「Vespro」のテキストは、そのほとんどが、聖書から取ってますから、その部分は、聖書を丸写しした。

(※なお、私は、本ブログにおける『新共同訳 聖書』からのテキスト引用について財団法人日本聖書協会から許可を得ております。)

その他の楽章(聖書のテキスト以外の楽章)、すなわち、第9曲「Audi Coelum à 6 Motetus(作者不詳)」および第12曲「アヴェ・マリス・ステラ」は後藤暢子さんの訳を転載しました(無断転載ごめんなさい!)

クラウディオ・モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り (1610)/ラ・プティット・バンド/ジギスヴァルト・クイケン(指揮)歌詞対訳(pdf ファイル)

(※上記「Vespro」歌詞対訳は、各楽章の題名の上に「歌手名(Vespro クイケン盤)」を記入した。)

【2016−7−24 追加】 声部の呼称について(序数の意味:以下、ある人から教えてもらった事です)

<--- ココから --->

>>>「Tenor」はグレゴリオ聖歌を歌う声部で「tenere=保持する」=「グレゴリオ聖歌を保持する」に由来すると考えられているとのこと。

この意味で、「Tenor」が基準となって、上に追加される声部が「第2声部 Duplum」「第3声部 Triplum」と呼ばれた時代がある(「Tenor」を第1声部と考えると声部の呼称はもともと序数であったか?)。

>>>たとえば、13世紀のレオニヌス、ペロテイヌスのオルガヌムでは、

Triplum
Duplum
Tenor

という例があるとのこと。

時代を遡ると、Alto = contralto(コントラルト) = contratenor altus(略して、altus)
ラテン語の「altus」は高いを意味する。したがって「contratenor altus」は「tenor に対して(contra)高い(altus)」という意味(英語のカウンターテナー countertennor は「contratenor altus」の略だろう)。

>>>14世紀の有名なマショーの《ノートルダム・ミサ》では、4声部が以下のように名付けられています。ここでも、Tenorはグレゴリオ聖歌を担います。

Triplum
Motetus <=== コレがよく分からないが(汗;;
Tenor
Contratenor

これが後に

Cantus(ドイツ語で歌、メロディ、高音声部の意味あり)
Contratenor altus
Tenor
Contratenor bassus

となっていきます。
つまり、「Altus」というのは、もともとは「テノールより高い声部」という意味で、「Bassus」は「テノールの土台」という意味だったと考えられます。これが短縮されて、クイケン盤の声部の表示:

Cantus
Altus
Tenor
Bassus

になったと考えられます、とのこと。序数:Quintus(5番目、テノール2)、Sextus(6番目、ソプラノ2)、Septimus(7番目、カウンターテナー2)は、上記4声に、更に追加された声部のことだろう(←しかし、コレはあくまで便宜的であって、厳密ではないような気がする)。

【2016−10−20 追加】

なお、独々辞典(Duden)によると、ドイツ語女性名詞「Basis(読み:バージス。基礎、土台)」は、ラテン語(basis) < ギリシャ語(básis)、が語源であり、その意味は、gehen(歩く)、treten(歩む) であった。よって、ドイツ語女性名詞「Basis」は、本来「人がその上を歩むことができる物(Gegenstand, auf den jemand treten kann)」という意味であり、それが転じて「(踏み固められた)基礎、土台」というい意味になったらしい。

Basis, die |Basis|
die Basis; Genitiv: der Basis, Basen
HERKUNFT lateinisch basis < griechisch básis, zu: baínein = gehen, treten, also eigtl.(eigentlich) = Gegenstand, auf den jmd.(jemand) treten kann

(以上、Mac OS X に付属の独々辞典「Duden-Wissensnetz deutsche Sprache」より)

<--- ココまで --->

【前置き3】

実は、私は、ルター派のクリスチャンです。ですから、自分で言うのは何ですが、バッハのカンタータには強い。しかし、カトリック音楽には弱い。そもそも私は晩課(Vespro)というものを知らない。私は、それに参加したこともないし、見たこともないし、歌ったこともない。晩課というのは、要するに、夕方のミサのことだろう。が、ルーテル派では「受苦日(イースターの2日前の金曜日)」「クリスマス・イヴ」以外に、私は「夕方〜夜の礼拝」に出席したことないと思う。
私が「Vespro」の歌詞対訳をしたのも(上記前置き2)、そもそも、挽課では、何を歌うのか知るためであった。

【前置き4】

私が、「Vespro」を、どのように受容したか、その経緯について。
私が、初めて、「Vespro」を聴いたのは、高校生のとき、FM放送でこの作品を、モノラル・ラジカセでエアチェックした時だと思う。その時は、第11曲「Sancta Maria, ora pro nobis」第12曲「アヴェ・マリス・ステラ」および「マニフィカト」しか聴かなかったと思う(記憶は定かではないが、ミシェル・コルボ盤)。
その後、社会人になって、私は、ガーディナーの「Vespro」を購入したが、やっぱり、第11曲、第12曲、および、マニフィカトしか聴かなかった(ガーディナーの「Vespro」は火事で燃えたので、再取得した。←2016年7月19日到着。値段:725円。盤面に少し汚れ・傷ありましたが水で拭いたらきれいになった。再生に問題なし)。
そして、クイケンの「Vespro」は、2016年7月4日に取得した。それによって、私は、このモンテヴェルディの「Vespro」を、初めて、真剣にじっくり聴いた。

以下ランダムに。


結論から言うと、そして正直に言うと・・・ヘンデル・バッハ以前には、「Vespro」のような巨大な宗教曲はないと思うが・・・私は「Vespro」という作品について「それが巨大な作品であるという事」以外は、分からない。

「Vespro」という作品は、謎が多い作品と言われるが、確かに、コレは「Vespro」という名を借りた巨大な「化け物的作品」であり、正直言って、この作品は私には訳が分からない・・・それは奇妙・・・とまでは言わないが「変わった作品やなぁ〜」「こんな変な曲は初めて聴いた」というのが、今の私の「Vespro」に対する印象である。

「Vespro」は、オラトリオに近いが、ストーリーを持たない。(これは多分外していると思うが)Vespro はある種『組曲』のような感じがする。なぜなら、たとえば、複数のモテット OR コンチェルトが組み合わされているから。


また、たとえば、ヘンデルの「メサイア」、バッハの「マタイ受難曲」が、チャールズ・ジェネンズ、ピカンダーという優れた台本作家のコンセプトに基づいて(そのコンセプトに忠実に)作曲された作品であるのに対して、「Vespro」は、その台本を誰が書いたか不詳(?)。そして、その台本に対して、私は、「多様性」より「不統一」を覚える。繰り返すが、「Vespro」のコンセプトが、今の私には分からない。
ただ一つ分かることは、「Vespro」は、ヘンデルの「メサイア」やバッハの「マタイ受難曲」が大作だが見通しが良いのに比べ、多様の集合であり見通しがあまり良くないということ。繰り返すが、「Vespro」は、独立した作品であるというより、寄せ集めに聞こえる。


たとえば、「Vespro」は、その第9曲「Audi Coelum」より前の楽章では、聖母マリア崇拝をしていない。と言うか、聖母マリアは出て来ない(それは当たり前です。なぜなら、第8曲までの歌詞は、ほとんど旧約聖書から取られているから)。
ちなみに、私は、クリスチャン・・・なので、聖書を読むのが好き・・・なので、この作品の歌詞を《深く》読むことに抵抗を感じない。が、クリスチャンでない人は、この作品の歌詞に興味ないだろうし、それを読むことに退屈するかもね(!)。


ただし、英語版ウィキペディアによると、モンテヴェルディの「Vespro」は、「Vespers(挽課)」に由来し、それは、カトリック教会において、1500年間その構造が変わらなかった「聖務日課」に基づく「挽課」なのである、ということが書いてあるようだ(The term "Vespers" (evening prayers) is taken from the Hours of the Divine Office, a set of daily prayers of the Catholic Church which have remained structurally unchanged for 1500 years.)


とにかく、「Vespro」は、その中身は盛り沢山・・・フランス料理のフルコースみたいで、お腹一杯になる。こんな長い音楽を、実際に全曲演奏する機会が、その当時あったのか(?)と、思わせられる。そして、私は上記で「Vespro」は「巨大な化け物的作品」と言ったが、それにもかかわらず、「Vespro」は(聴き応えがあるだけでなく)親しみやすい。たとえば、第3曲「Nigra sum」。これは、可愛らしい女性アイドルが歌っても良いような、軽い歌詞(第3曲「Nigra sum」は、女が歌うべき歌詞なのに、それをテノール独唱が歌う)。第5曲「Pulchra es」はラブソングである(これは男が歌うべき歌詞なのに女性が歌う)。


なお、第3曲「Nigra sum」第5曲「Pulchra es」第7曲「Duo Seraphim」第9曲「Audi Coelum」は、モテット、または、コンチェルトである。


「Vespro」は、モンテヴェルディの宗教音楽作曲家としての腕の良さを感じさせる。繰り返すが、それは聴き応えがあり面白い。
すなわち、拍子・テンポ・調性の変化・交替。
たとえば、第11曲「Sancta Maria, ora pro nobis」では、拍子とテンポが、どんどん、変わるのは、前衛的だ。←コレの53分31秒を見れば分かります。

このソナタでは、単旋律聖歌を11回唱えることで、一種のリタニア(ひとまとまりの嘆願)を形成している。9回目のカントゥス・フィルムスは分断され、短く、涙にむせぶ言葉となっている。(モンテヴェルディ 「聖母マリアの夕べの祈り」より)


私は、上で、「Vespro」は「組曲」のような感じがすると、書いたが、更に言えば、「Vespro」は短編小説を寄せ集めた長編小説あるいは小説集(大袈裟に言えば、源氏物語や、川端康成の「掌の小説」みたいに、私には思えた)。


この作品のソプラノ・パートは(そして、アルト・パートも)、おそらく、カストラートが歌ったと思う(ボーイ・ソプラノが「Vespro」のソプラノ・パートを歌うのは難しいと思う。ただし、ガーディナー盤で第11曲「Sancta Maria, ora pro nobis」を、ボーイ・ソプラノに歌わせているのは美しい。

10
「Vespro」という作品は、男性歌手が歌う部分が多いと思う。第3曲「Nigra sum」は、女性が歌うべき歌詞であるのに、男性、テノールが歌っている(マニフィカトも)。
そして、バッハのカンタータと違って独唱曲が少ない(独唱曲は、第3曲「Nigra sum」第11曲「Laetatus sum」および「マニフィカト」の一部のみ。その他は、二重唱以上の合唱曲)。
そして、形式的には、「Vespro」は、バッハのカンタータと違って「レチタティーヴォ(あるいは、アリオーゾ)とアリア」という形をとっていない・・・というか、「Vespro」は、言わば、合唱がメインであるところの『合唱曲』であるのか(?)

11
「Vespro」の合唱はある意味大胆であり技巧的であり、歌うのが難しいのではないかと思う。たとえば、バッハの合唱曲は、アマチュアでも比較的容易に歌うことができると思うが、「Vespro」の合唱は、ポリフォニーが複雑であり、かつ、古風であり(古臭いメリスマなど)、アマチュアが歌うにはレベルが高いと思う。

例えば、第7曲「Duo Seraphim」は、多分、易しい合唱ではないだろう。英語版ウィキペディアによると、第7曲「二人のセラフィム (Isaiah 6:2-3; 1 John 5:7)」:二重唱から三重唱へ/二人のセラフィムの二重唱(二人は互いに呼び交す)で始まる。三位一体が歌われるところで(イザヤ書とヨハネの手紙一のテキストが混ざるところで)テノールが加わる。その3人はユニゾンで「この三つは一致します」と歌う Duo Seraphim (Isaiah 6:2-3; 1 John 5:7): Vocal duet leading into trio / The text Duo Seraphim ("Two angels were calling one to the other...") begins as a duet. When the text (which melds lines from Isaiah and the First Letter of John) mentions the Trinity, a third tenor joins. All three sing in unison at the words, "these three are one."」

12
「Vespro」は、「詩編」からの引用が多い。また「(ソロモンの)雅歌(英: Song of Songs)」からの引用もあり。
ダビデ、ソロモン。さらに、エルサレム、シオンなど、つまり、ユダヤ人、ユダヤ教の聖地を歌った曲が多く、そのテーマは、現在で言えば、シオニズムである(それが、なぜ、聖母マリアための挽課にて歌われるのか?)。

13
つまり、上で、私が「(この作品の台本および音楽に)不統一を覚える」「Vespro のコンセプトが、今の私には分からない」と書いた理由は、分かりやすく言うと(乱暴な言い方だが)「旧約」と「マリア信仰」が上手くつながっていないと言うこと(ヘンデルのメサイアは、「旧約」「新約」が、スムースにつながっている)。
第9曲「Audi Coelum」で聖母マリアへの祝福が歌われ、第10曲「Lauda, Jerusalem」【注】で、一旦「旧約」に戻る(詩編 147編)。それから、再び「マリア信仰」のための3つの楽曲、すなわち、第11曲「Sancta Maria, ora pro nobis」第12曲「めでたし、海の星」第13曲「マニフィカト」が、取って付けられているように思える(不連続性を感じる)。

【注】 第10曲「Lauda, Jerusalem」は、生き生きした、しかも、堂々たる合唱曲である(テンポが速いガーディナー盤のが良いと思う)。

14
日本語で「光栄讃詞(こうえいさんし。ラテン語で、グロリア・パトリ。ウィキペディアより)」と呼ばれるもの、すなわち「Gloria Patri, et Filio, et Spiritui Sancto. / Sicut erat in principio, et nunc et semper, / et in saecula saeculorum. Amen. 父、み子、み霊にみ栄え / 初めも今も後も / 世々に絶えず / アーメン。(三位一体を讃える詠唱。これは、ルター派でも歌われるので私にとって馴染みがある)」それが、各楽章の「終止(あるいは後唱)」として歌われるが、それは、それぞれの楽章において「異なる趣」を持っているようだ。しかし、この「光栄讃詞」は音楽的には効果的だが、神学的(?)には効果的でないと私は思う(つまり「Gloria Patri... 」は「Vespro」の統一性に関与していないと私は思う)。すなわち、その「Gloria Patri, et Filio, et Spiritui Sancto...」もまた取って付けられているように思える。

15
繰り返すが、私はルター派のクリスチャンである。そして、ルター派は「マリア信仰」をしない。よって、「マリア信仰」について、私はまったく知らない。ただ、ウィキペディアの以下の2つの項が参考になるかも知れない:

マリア崇拝(マリアすうはい、Mariolatry、Marianismo)とは、聖母マリアを崇拝する宗教的行為。キリスト教では禁じられている。これは、カトリック教会でもマリア崇敬とは区別し、禁じている。しかし、一部のプロテスタントの教派は、カトリック教会におけるマリア崇敬を「崇拝」していると捉え、批判している(以下略)(ウィキペディア「マリア崇拝」より)

ローマ・カトリック教会のマリア崇敬(マリアすうけい)とは、聖母マリアに「神への取り次ぎを願う」聖母マリアが「人々と共に祈る」ということであり、三位一体の神に捧げられる礼拝とは、本質的に違うものである。聖母マリアや諸聖人への祈りは、「礼拝」では無く「尊敬・崇敬」、「信仰」では無く「信心」。「マリア崇拝」ではない(以下略)(ウィキペディア「マリア崇敬」より)

聖母マリアに「神への取り次ぎを願う」という事に関しては、第9曲の「Audi Coelum」の中に「Medium(なかだち)」という語で出てきますね。

♪そはつねに人と神との間にありて 全き媒介(なかだち)となれり 罪を癒さんとて

・・・しかし「マリア信仰」について、これ以上、書くと、神学論争みたいな議論になり、不毛な議論になりそうなので、この「マリア信仰」というトピックについての議論はやめます。

16
第11曲「Ave maris stella」は、リトルネッロが効果的であるので、あるいは、協奏的か(?)
この曲は、さすがにモンテヴェルディの名を冠した合唱団だけあって、モンテヴェルディ合唱団&ガーディナーの演奏が、ストレートに美しいと思った。アーメン。

17
「マニフィカト(7声)」は、聖母が言った言葉なのに、何故、「Vespro(クイケン盤)」では、男性が、その多くを歌っているのか?
「マニフィカト(7声)」も、若干、協奏的に聞こえるか(?)・・・というか、ガーディナー盤の「マニフィカト」の最後の曲「Sicut erat in principio」は大音量で演奏されている。それを聴くと、あるいは、「Vespro」という作品は一部交響的だと見ても良いかも知れない。

18
第3曲「Nigra sum」において「tempus putationis advenit」を、新共同訳聖書等で、「刈り入れの時が来た」と訳してある。「putationis」というラテン語には「剪定」という意味があるらしいし、また、その単語の英語訳は「pruning:〈木〉を刈り込む(back);〈枝など〉を切り下ろす, 枝打ちをする(down)」とある。「刈り入れ」と言うと、普通、麦や稲を鍬で刈ることをイメージするので、私は、この「putationis」が分からなかった。が、この「刈り入れ」は、ぶどうの刈り入れだった(ブドウの木の枝を切る)。

19
ペンデレツキの作品に『ウトレンニャ』という作品がある。以下、HMV.co.jp の商品説明にあるように:

1962年に発表された『スターバト・マーテル』、そして1963年の『ルカ受難曲』に連なるペンデレツキ(1933-)の宗教的合唱作品である『ウトレンニャ』の登場です。始めてこの曲を聴いた人は、地の底から響くような合唱に身震いすることでしょう。しかし用いられた詩は、ロシア正教の早朝礼拝の典礼文だというから驚きです。(この曲を朝から聴くのは少々勇気がいることでしょう)
 第1部(名指揮者オーマンディに捧げられた)でキリストの埋葬を描き、第2部ではその復活を描いています。衝撃的な大音量に圧倒される部分も多いのですが根底を貫いているのは静かな神への祈り。聴き終わった時の脱力感がたまりません。(ナクソス)
(HMV.co.jp より)

ペンデレツキによって「早朝礼拝」のために70分を超える作品が書かれた。そして、モンテヴェルディによって「夕方のミサ」のために80分を超える作品が書かれた。・・・ということは、宗教曲、教会音楽において、ヘビーな作品が書かれるのはフツーのことかも知れない。
それにしても、とにかく「Vespro」は、ヘビーな作品だと思う。

【2016−7−30 追加】

第6曲「Laetatus sum」は、通奏低音が、バッハのようにリズムを刻む。

(続く)

2016年7月14日 (木)

レイチェル・バートン・パインの「ヨアヒム&ブラームス:ヴァイオリン協奏曲」

Pine

Joseph Joachim and Johannes Brahms
Violin Concertos
Rachel Barton Pine, violin
Carlos Kalmar, conductor
Chicago Symphony Orchestra
Recorded: July 2 & 3, 2002 in Orchestra Hall, Chicago
Violin: “ex-Soldat” Guarneri del Gesu, Cremona, 1742
CEDILLE

・・・

[CD 1]

Joseph Joachim (1831-1907)
Violin Concerto No. 2 in D minor, Op. 11 “In the Hungarian Style” (1857) (47:15)
1. I. Allegro un poco maestoso (26:36)
2. II. Romanze: Andante (9:29)
3. III. Finale alla Zingara: Allegro con spirito (11:00)

[CD 2]

Johannes Brahms (1833-1897)
Violin Concerto in D major, Op. 77 (1878) (43:20)
1. I. Allegro non troppo (24:36)
2. Cadenza by Joseph Joachim - end of first movement (5:25)
3. II. Adagio (10:16)
4. III. Allegro giocoso, ma non troppo vivace (8:20)

5. Bonus Track: Cadenza by Rachel Barton Pine - end of first movement (6:18)

Total Time: 97:15

・・・

私の評価:このアルバムは、企画も演奏も良いし、聴き応えもあるが、万人にすすめられるものではないので、星4.5。

・・・

- ヨーゼフ・ヨアヒム:ヴァイオリン協奏曲 第2番 ニ短調 作品11《ハンガリー風》
《ハンガリー風》←ヨアヒムはハンガリー出身。技巧的(第3楽章)。饒舌か(第3楽章)。そして、確かに長い。ロマン的。美しい。いかにも、ヴァイオリニストの作品らしく、当然ながらヴァイオリン・ソロが自然(オーケストレーションも特に悪くない)。
ヨアヒムの(やや長くて技巧的な)カデンツァに「ベートーヴェン:Vn 協奏曲」の第1楽章第1主題に似た旋律が聞こえる。
他方、この作品が、1857年に書かれたとすれば、この作品は、むしろ、1878年に書かれた、ブラームスやチャイコフスキーの Vn 協奏曲のお手本になったかも知れない。
レイチェル・バートン・パインの演奏は、この協奏曲の性格を上手く捕まえており、名演・・・気に入った。
レイチェル・バートンというヴァイオリニストは、このヨアヒムの、自己顕示が強い作品を通して、彼女の自己主張の強さを表わしているような気がする。彼女のバッハ:《無伴奏》は、テンション控えめに聞こえたが、このヨアヒムにおいて、彼女は技巧をひけらかしているようだ(第3楽章)。
なお、英語版ウィキペディアによると、この作品は、めったに演奏されない、とある(面白い曲なのでもっと演奏されても良いと、私は思う)。また、英語版ウィキには「This is a very long work (with a playing time over 45 minutes) and thus is a very difficult piece for the soloist. Practicing it has been likened by the violinist Rachel Barton Pine to "training to run a marathon". この作品は非常に長く(演奏時間:45分以上)、演奏するのが非常に難しい作品。レイチェル・バートン・パインは、この作品を練習することを、マラソンを走るためのトレーニングに例えている」とある。

- ヨハネス・ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
レイチェル・バートンは(「ヨアヒム:Vn 協奏曲」をよく歌っているが)ブラームスは、もっとよく歌っている・・・もしかしたら、レイチェルのブラームスは、それに尽きるかも知れない(!)
カデンツァは、ヨアヒムによるものとレイチェル・バートンによるものと、二つ録音されてある(後者が意外に良いので驚いた!)
第1楽章は、ゆったりした遅いテンポ。指揮者が上手い。レイチェル・バートンも、おおらかな演奏で応えている。彼女は第1楽章の第2主題以降をよく歌っている。第1楽章の展開部・再現部も技巧的、且つ、よく歌う。カデンツァも、技巧が生きており、全然悪くない。カデンツァの後も、懲りずに歌っている。
第2、3楽章については、特につけ加えることはない、あるいは、ノーコメント。

この商品は、私の嗜好に合う。だが「ブラームス:Vn 協奏曲」にクセがあり、恣意的だと思う人もあるかも知れない。

2016年7月11日放送◇ドキュメンタリー 知られざるピアニスト シュ・シャオメイの音楽と素顔(2016年 ドイツ)◇シュ・シャオメイ ピアノ・リサイタル in 北京/ゴールトベルク変奏曲/トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV 564からアダージョ(←わたしこの番組録画するの忘れた)再放送ないかな

7月11日(月)【7月10日(日)深夜】午前0時20分〜4時20分

◇本日の番組紹介
◇ドキュメンタリー
知られざるピアニスト シュ・シャオメイの音楽と素顔(2016年 ドイツ)
◇シュ・シャオメイ ピアノ・リサイタル in北京
◇コンスタンチン・リフシッツ ピアノ・リサイタル
◇本日の番組紹介(0:20:00〜0:23:30)
ナレーション: 水落幸子(みずおち ゆきこ)

◇ドキュメンタリー
知られざるピアニスト シュ・シャオメイの音楽と素顔(0:23:30〜1:22:30)
<キャスト&スタッフ>
ピアニスト:シュ・シャオメイ
エッセイスト:ミシェル・モラール
コンサート・プロモーター:張克新
ピアニスト:殷承宗
ラン・ジア

<字 幕>米沢啓子

◇シュ・シャオメイ ピアノ・リサイタル in北京(1:22:30〜2:26:30)
<曲 目>
1.ゴールトベルク変奏曲 BWV 988 バッハ 作曲
2.トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV 564から
アダージョ バッハ 作曲/ブゾーニ 編曲

<出 演>
シュ・シャオメイ

収録:2014年11月15日 北京コンサートホール(中国)

◇コンスタンチン・リフシッツ ピアノ・リサイタル(2:30:30〜4:20:00)
<曲 目>
前奏曲 嬰ハ短調 作品3第2
10の前奏曲 作品23
13の前奏曲 作品32
前奏曲 ニ短調(1971)
以上、ラフマニノフ 作曲
前奏曲 変ニ長調 作品28第15 「雨だれ」
前奏曲 ト長調 作品28第3
以上、ショパン 作曲

<出 演>
コンスタンチン・リフシッツ

収録:2016年2月23日 紀尾井ホール

(NHK オンラインより)


【追伸】

今度から、良いテレビ番組を録画したい時は、録音を忘れないために、このブログに、その予告を書いておこう。

2016年7月13日 (水)

「生前退位」意向示されたのは5年ほど前 【解説】/天皇陛下 「生前退位」の意向示される(2016年7月13日)

「生前退位」意向示されたのは5年ほど前 【解説】

天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。担当記者が解説します。(2016年7月13日 20時33分 NHK オンラインより)

(下に続く)

天皇陛下 「生前退位」の意向示される

天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。数年内の譲位を望まれているということで、天皇陛下自身が広く内外にお気持ちを表わす方向で調整が進められています。(2016年7月13日 19時00分 NHK オンラインより)

(下に続く)

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2016年7月12日 (火)

南シナ海で中国主張の管轄権認めず 国際仲裁裁判(2016年7月12日)

南シナ海で中国主張の管轄権認めず 国際仲裁裁判

南シナ海を巡り、フィリピンが申し立てた国際的な仲裁裁判で、裁判所は中国が主張する南シナ海のほぼ全域にわたる管轄権について、「中国が歴史的な権利を主張する法的な根拠はない」などと判断し、中国の主張を認めませんでした。(2016年7月12日 18時16分 NHK オンラインより)

(下に続く)

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2016年7月11日 (月)

改憲勢力、「3分の2」超す 4党に非改選の無所属含め/これを機会に、日本国憲法改正草案(現行憲法対照)自由民主党(平成二十四年(2012年)四月二十七日決定)を、読もう(2016年7月11日)

改憲勢力、「3分の2」超す 4党に非改選の無所属含め

 第24回参議院選挙の議席が11日午前、確定した。非改選議員を含めた参院全体では、自民、公明、おおさか維新の会、日本のこころを大切にする党の4党に、憲法改正に前向きな非改選の無所属議員を加えた「改憲勢力」が3分の2を超えた。改憲を持論とする安倍晋三首相(自民党総裁)のもと、国会での議論が加速しそうだ。

 参院は3年に1度、定数242の半数の121議席を改選する。

 今回の改選対象の議席のうち、与党の自民、公明両党と早期の改憲に前向きなおおさか維新の3党が77議席を確保した。

 一方、非改選議席では、こころを含めた4党で84議席を持っている。さらに、無所属の井上義行議員が自民党会派に所属して同党と国会での活動を共にしており、国会の枠組みでみると、憲法改正の国会発議に必要な3分の2以上の162議席に達する。また、11日までの朝日新聞の取材では、改憲に積極的な無所属議員が少なくとも3人いる。

 菅義偉官房長官は11日の記者会見で「憲法のどこをどのように改正するかは、憲法審査会があるので落ち着いた関係で、精緻(せいち)に議論が行われるべきだ」と述べた。

 今回の改選議席では、自民党は56議席、公明党は14議席を獲得。計70議席となり、首相が目標とした与党で「改選議席の過半数」の61議席を上回った。

 一方、自民党は27年ぶりの単独過半数には届かなかった。また、沖縄選挙区で島尻安伊子沖縄・北方担当相、福島選挙区で岩城光英法相が敗れた。両氏について菅長官は11日の記者会見で、参院議員の任期が切れる7月25日以降も閣僚を続投させる考えを明らかにした。

 おおさか維新は7議席を得たが、こころは議席をとれなかった。

 野党共闘を組んだ民進、共産、社民、生活の党と山本太郎となかまたちの野党4党は32の1人区全てで候補者を一本化。前回2勝にとどまった1人区で11勝と一定の成果をあげた。ただ、民進は比例区も合わせて32議席で、2010年に獲得した44議席からは減らした。共産は6議席、社民と生活はそれぞれ1議席を得た。(2016年7月11日13時17分 朝日新聞 DIGITAL より)

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「4党(自民121、公明25、おおさか維新12、日本の心を大切3)+非改選無所属議員(121+25+12+3+α=161+α)で、3分の2超え。

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【日本国憲法改正草案(現行憲法対照)自由民主党(平成二十四年(2012年)四月二十七日決定)(以下、草案と略す)を読んで(感想)】

その1

私の間違いかも知れませんので、具体的には言えませんが、「草案」には、ほのめかしっぽい条文が多いと思う(あるいは、何を言っているのか分からない)。

その2

「草案」には書かなくても良いような条文があって冗漫。現行憲法の方が、スッキリしている。

その3

(表現の自由)
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。

↑たとえば、この第2項は、暴力団などを根絶するためには、有効だろう。しかし、それは普通の法律で間に合うと思う。

その4

私は「現行日本国憲法」には、日本に住む外国籍の人の人権について、書いてないと思っていたが、前文にちゃんと書いてあった:「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
しかし、「草案」ではそれが削除されている。

その5

第十章 最高法規
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

↑あらら、「草案」では全文削除されている。

その6

第一章 天皇
(天皇)
第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。(草案より)

私は、現行日本国憲法の第一条に「天皇制」をうたっているのは、明確さ・明快さ・その意義:すなわち、ある意味一番重要なことを一番最初に書いたという点において、素晴らしいことであると思う。そして『象徴』という言葉は良い言葉だと、私は思う。
しかし、「草案」では、天皇陛下は、ある時は『(もしかしたら、明治憲法下の)元首』であり、またある時は『(現行憲法下の)象徴』であり・・・しかしてその実体は何なのであろうか。
天皇陛下は、「旧憲法を思い起こさせる元首」であるより「象徴」である方が、多くの日本国民、否、すべての日本国民に慕われるだろうと、私は思う。また、天皇陛下御自身も、それを御望みだろうと、私は思う。

【参考】

<----- 参考 ココから ----->

げんしゅ 【元首】
一国を代表する資格をもった首長。君主国では君主、共和国では大統領あるいは最高機関の長など。(広辞苑より)

げんしゅ 【元首】
① 一国の首長。
② 国際法上,外部に向かって国家を代表する資格をもつ国家機関。君主国では君主,共和国では大統領。日本では明治憲法下の天皇。〔日本国憲法には規定がないため,学説上見解が分かれているが,国際慣行上は,天皇が元首として扱われている〕(スーパー大辞林より)

元首
元首(げんしゅ)または国家元首(こっかげんしゅ、英:head of state)は、
・行政の長として対外的代表権を持つ存在
・(行政の長かそうでないかを問わず、単に)対外的代表権を持つ存在
を指す。
(中略)
オリンピックの開会式の開催宣言は誰が行うか
オリンピック憲章では近代オリンピックの開会宣言は開催国の国家元首によっておこなわれるものと規定されている[22]。
日本で開かれた近代オリンピック(1964年東京・1972年札幌・1998年長野)ではいずれも天皇が開会宣言を行っている。
(以下略)
(ウィキペディア参照のこと)

日本の元首
(中略)
公式見解
日本の公的機関の見解を以下に記述する。
内閣法制局は、天皇を元首と呼びうるかは定義によると述べ[4]、定義次第で、「天皇は元首と言って差し支えないと考える」とし[5]、「天皇は国の象徴であり、さらにはごく一部では…外交関係において国を代表する面」もあるという限定された意味における「元首」である[6]とする。
(以下略)
(ウィキペディア参照のこと)

大日本帝国憲法第4条
(中略)
条文
天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬(ソウラン)シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
(ウィキペディア参照のこと)

そうらん【総攬】(名)スル
(政治・人心などを)掌握して治めること。「国政を−する」

<----- 参考 ココまで ----->

・・・・・・・・・・

【日本国憲法改正草案(全文)PDF 形式(767.9KB)、および、日本国憲法改正草案 Q&A(増補版)PDFファイル(3408KB)へのリンク】

https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html

・・・・・・・・・・

【2016−7−12 追加 補足】

現行憲法をじっくり読んだことない人・読んだけど忘れてしまった人(←たとえば、私のような人)は、勿論、自民党の「憲法改正草案」を読む前に、現行憲法を読まなければなりません。私の場合、アマゾンJPの私のカスタマーレビューに、書いたように、現行憲法を、つい最近読んだ。
高校生の時に現行憲法を読んだときの私の記憶は「これ(日本国憲法)は長い」だったが、いま改めて読むと、長くなかった(一日で読めた)。
さて、現行憲法が頭に入っていると、自民党の「憲法改正草案」は、簡単に読める。なぜなら、後者(憲法改正草案)は前者(現行憲法)を加除修正したものなので、その「加除修正」されてある部分だけを読めば良いから・・・。自民党の「憲法草案」に、現行憲法対照がついているのは読みやすい。

2016年7月10日 (日)

クイケンのヨハネ受難曲

Johannes

Johann Sebastian Bach
Johannes-Passion
La Petite Bande
Sigiswald Kuijken
2011年録音
Challenge Classics

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Sigiswald Kuijken direction

SOLOISTS 独唱群
Gerlinde Sämann soprano
Petra Noskaiová alto
Christoph Genz tenor, Evangelist
Jens Hamann bass, Jesus

RIPIENI 合唱群
Marie Kuijken soprano
Patrizia Hardt alto
Knut Schoch tenor
Walter Testolin bass

ORCHESTRA
Sigiswald Kuijken violin, gamba, viola d’amore
Sara Kuijken violin, viola d’amore
Makoto Akatsu violin
Ann Cnop violin
Marleen Thiers viola
Marian Minnen basse de violin
Ronan Kernoa basse de violin
Sien Huybrechts flute
Yifen Chen flute
Patrick Beaugiraud oboe
Vinciane Baudhuin oboe
Benjamin Alard organ
Nicolas Achten lute

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クイケンの「ヨハネ受難曲」に対するアプローチについては、HMV.co.jp の商品説明【クイケンが語る、ヨハネ受難曲の謎】を参照のこと。

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私が、アマゾンJPに書いた、ジギスヴァルト・クイケン指揮「マタイ受難曲」へのカスタマーレビューは「21人中、20人の方が、このレビューが参考になった」なので(つまり私を支持しているので)、この、クイケン指揮「ヨハネ受難曲」にも、私が書いた上記クイケン指揮「マタイ受難曲」へのレビュー(「ルポルタージュのようなマタイ」)が、当てはまるかも知れない。

クイケン指揮「ヨハネ受難曲」を聴いて、私の耳に留ったのは:第6曲:レチタティーヴォ(福音史家):

「Es war aber Kaiphas, der den Jüden riet, es wäre gut, daß ein Mensch würde umbracht für das Volk. 一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイファであった」

「一人の人間(イエス)が民(ユダヤの民)の代わりに死ぬが好都合」←その言葉を聴いて私が思いついたことは以下の通り:

大祭司カイファの考え:「イエスを指導者として受け入れれば、イエスはユダヤの民をローマ帝国から解放してくれるかも知れない(つまり、カイファは、イエスがユダヤの民を解放するためにエルサレムにやって来たと思った)。しかし、イエスのローマに対する抵抗運動が失敗すれば、ユダヤの民は滅ぼされる。」

ちなみに、大まかに言うと、歴史上、イエスの死後、紀元66年、ユダヤ人は、ローマ帝国に対し反乱を起こすが(ユダヤ戦争、66年〜74年)、紀元70年、エルサレム神殿は炎上し、エルサレムは陥落。ユダヤ人の反乱は鎮圧されて、その後、ユダヤ人による自治は完全に廃止され、厳しい民族的弾圧を受けた。

バッハの宗教曲は、宗教的視点から聴かなければならない。そして「クイケンのヨハネ受難曲」は、バッハを宗教的に受容するのに適した演奏の一つだと思う。

【歌詞対訳】

J. S. バッハ作曲「ヨハネ受難曲 BWV 245」第1部(pdf ファイル)

J. S. バッハ作曲「ヨハネ受難曲 BWV 245」第2部(pdf ファイル)

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