« ヴァネッサ・ベネリ・モーゼル plays スクリャービン:「24の前奏曲 作品11」「3つの小品 作品2」「練習曲 嬰ニ短調 作品8の12」 シュトックハウゼン:「クラヴィーア曲 XII 『試験』(歌劇『光の木曜日』より)」 | トップページ | 【Apple Music にて試聴】 オーガスタ・リード・トーマスの新しいアルバム。面白そうだけど、パワーがないので、買わない。 »

2016年6月13日 (月)

オットー・フリードリック著「グレン・グールドの生涯」に書いてある、私の好きな逸話など(2)「音楽こそが僕のエクスタシーなんだ」

Gould_friedrich

オットー・フリードリック著「グレン・グールドの生涯」


「音楽こそが僕のエクスタシーなんだ」

(「グレン・グールドの生涯」464ページより)

というのは、よく知られたグールドの言葉だが・・・「グールドにとっては、音楽を聴いたり演奏したりすることこそ性的エクスタシーであった」というのは、嘘である:

グールドは、多くの人から、「性」について、しつこく問われたので、彼は面倒臭くなって、思わず「音楽こそが僕のエクスタシー」と口走ってしまった・・・というのが、グールドの「エクスタシー発言」に対する私の解釈。すなわち、それは意味のない発言であり、グールドの音楽と「性的エクスタシー」は、まったく関係ない・・・上記の本を読んで私はそう感じたが(?)

【2017−1−24 追加】

【参考】

ジョンズ・ホプキンズ大学の精神科医ドクター・ジョゼフ・スティーヴンズによれば、彼がトロントを訪問する度に、グールドはオランダ人のマッサージ師をいつも決まったように呼んでいたという。「グレンがマッサージを受けている間、私は傍らに座っていたのです」とスティーヴンズは語る。「私は考えました。いったいこれはどういうことなのか、と。というのも、私の理論によれば --- これは絶対的な理論なのですが --- 人間は誰でも他人との身体的な接触に飢えているというものです。私の知る限り、グールドの他人との身体的接触は、これ以外にまったくありませんでしたから、彼は身体的接触をこのマッサージ師ともったことになるのです。そしてこのマッサージは延々と繰り返されました。」やはりその頃のグールドを知っていたバスーン奏者ニコラス・キルバーンは、一度グールドとセックスについて話し合ったことを思い出す。そのときグールドはこう言ったという。「音楽こそが僕のエクスタシーなんだ。」(「グレン・グールドの生涯」464ページより)

« ヴァネッサ・ベネリ・モーゼル plays スクリャービン:「24の前奏曲 作品11」「3つの小品 作品2」「練習曲 嬰ニ短調 作品8の12」 シュトックハウゼン:「クラヴィーア曲 XII 『試験』(歌劇『光の木曜日』より)」 | トップページ | 【Apple Music にて試聴】 オーガスタ・リード・トーマスの新しいアルバム。面白そうだけど、パワーがないので、買わない。 »

グールド, グレン」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/276661/65960719

この記事へのトラックバック一覧です: オットー・フリードリック著「グレン・グールドの生涯」に書いてある、私の好きな逸話など(2)「音楽こそが僕のエクスタシーなんだ」:

« ヴァネッサ・ベネリ・モーゼル plays スクリャービン:「24の前奏曲 作品11」「3つの小品 作品2」「練習曲 嬰ニ短調 作品8の12」 シュトックハウゼン:「クラヴィーア曲 XII 『試験』(歌劇『光の木曜日』より)」 | トップページ | 【Apple Music にて試聴】 オーガスタ・リード・トーマスの新しいアルバム。面白そうだけど、パワーがないので、買わない。 »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近の記事

カテゴリー

無料ブログはココログ