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2014年3月 8日 (土)

【じぇじぇじぇ〜あっと驚く】佐村河内守作曲「鎮魂のソナタ」(3)

Samuragochi

佐村河内守作曲「鎮魂のソナタ」 ソン・ヨルム(2CD)

【収録情報】
Disc1
佐村河内 守:
・ドレンテ〜子どものために〜
・ピアノ・ソナタ第1番

Disc2
・ピアノ・ソナタ第2番

ソン・ヨルム(ピアノ)

録音時期:2013年7月15-18日
録音場所:富山県、新川文化ホール
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

佐村河内守氏の作品は、HMV.co.jp で強力に宣伝されていたし(下記)、「ウィキペディア」も化けの皮がはがれる前の「佐村河内守」を、まるで偉人のように載せていた。それらを見るに、彼が本物の作曲家である信憑性は高かった・・・というより、誰もそれを疑わなかった。
それは、無理もないことだった。
なぜなら、
佐村河内守氏のウソが巧妙だったから。
そして(これは重要なことなのだが)「彼の名前で発表された作品」が、芸術的に「本物」だったからだ。
アルバム「佐村河内守:鎮魂のソナタ」に含まれている3つの作品は決して悪くない。それらを再度聴いてみると、それらは名作ではないが、駄作ではない【注】。そして、「ピアノ・ソナタ第1、2番」は、その形式において、今日、書くのが難しい(ソナタ形式の楽章を持つ)「長大なピアノ・ソナタ」という形式で書かれてある点、労作と言えるだろう。
重要なのは、
「作品が書かれた経緯」ではなく「作品そのものの良し悪し」だ。
私はこのアルバムに収められた楽曲を抹殺するのは惜しいと思っている(このアルバムは、ソン・ヨルムの代表作になったかも知れないのに・・・)。

【注】 私は以前、ピアノ・ソナタ第1番は私の好みに合うと書いたが、再度聴いてみると何が言いたいのか分からないという意味で芯が見えないと思った。

--

私は、佐村河内守氏がやったことに、とことん、こだわりたい。なぜなら、彼の「犯罪」は確信犯だからだ。いまでも、彼は人を欺いている。そして、これからも彼は、同じ罪を何度でも繰り返すだろう。
2014年3月7日の彼の記者会見を見て私はそう思った。

そして、そんな人間を生み出すのは、私たちだ。

なぜなら、

理由1
私たちの、障害者、被曝者、被災者、難病を抱えている人たちの苦しみや生を想像する想像力の欠如、理解する思考力の欠如。
その結果、私たちには、障害者等を騙(かた)るペテン師を見破る力も欠如したのではなかろうか。

理由2
さらに、
私たちは、英雄に弱い。英雄や英雄的行為が、それがたとえ悪であったとしても、それを見過ごす。
私たちは、臆することなく英雄の「悪」を告発し罰することが苦手。
たとえば、東條英機(靖国神社公人参拝の是非)。

(下記の画像をクリックして下さい。)
Hmv_online

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音楽」カテゴリの記事

コメント

この‘事件’、じつに面白いお話です。

私はこの件が報道された時、ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』のテーマ:ファンタジーの世界の存在が現実界にそのまま流れ込むと「虚偽」になる、という警告の、そのまんまの実例だと実感しました。

挙げられている 理由1、理由2、同感ですし、エンデの言う「虚偽」に、まことに共鳴・共振しやすい要素だと思います。

苦しみを抱く人たちへの想像力が豊かだからではなく、むしろ欠如するからこそこのような“虚偽の物語”(内容の真偽にか関わりなく)に陶酔する。
被災者への視線にも、オリンピックへの興奮にも、すべて、挙げられている2つの「理由」の臭気が鼻を突く思いがします。

そこには、為政者・支配層も一般市民もともに、国民全体がこの「虚偽」に酔っているほうがラクだ、と見なしているという暗黙の心理ファシズムを感じます。

へうたむさん

お久しぶりです。

へうたむさんのブログ「Bluegourd」の佐村河内物語、および、新井克弥氏の記事読ませて頂きました。

私は、ドイツ文学部出身ですが、エンデの小説「はてしない物語」は読んでいません。が、映画はテレビで見ました。

私が、2013年の12月に、佐村河内守作曲「鎮魂のソナタ」を手に入れた時のことを、正直に書きます。

「大したもんだ。耳が聞こえないのに、こんなに複雑で、要超絶技巧の作品を書くとは! しかも美しい! この作品を書いた作曲家は、非常に苦しんで、のたうち回りながら作曲したに違いない。この作曲家は、現在、私たちが失ったこと、すなわち、音楽はエンターテインメントである・・・音楽は楽しければそれでいい・・・ポール・マッカートニーの新曲の良し悪しより、彼を最前列で見ることができればそれでいい・・・音楽はビジネスである・・・に対立する『ド根性』を持っている。この人はヒ−ローだ。」

私は、クラシック音楽の良いCDをゲットしたときは、その良さをゆっくりじっくり味わうために、あえて一気に聴き込まずに、後回しにします。逆に、良くないものを先に聴きます。なぜなら、その良くないものを買ってしまったこと、つまり、良くない商品を買ってしまった失敗の原因・理由を追求すること・・・それを優先します。そうしないと、また同じような失敗を繰り返す。あれもこれも欲しくなり購入してしまい、その結果、私の財政は赤字になる・・・または赤字になったことがある。

佐村河内守の「鎮魂のソナタ」は前者でした。つまり、メインディッシュのように後回しにしました。

佐村河内守作曲「ピアノ・ソナタ第1番」は、作品よりソン・ヨルムの熱演が素晴らしかった。私は若い演奏者、新人アーティストが好きなので、そういう若手が、作品を完全に解釈し、その作品の良さを完全に表現し尽くす・・・そういう演奏の場合、作品もまた名作である場合が多い。

クラシック音楽鑑賞歴35年以上の私も、佐村さんのウソは見抜けませんでした。

「ピアノ・ソナタ第1、3番」(メッセージ全体)=「新垣」(メッセージ1)+「佐村河内」(メッセージ2)

という仕掛けを見破れませんでした。やっぱり、彼が全聾であること、そして、「常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が頭に鳴り止まない」という頭鳴症その他、様々な彼の苦しみが、ウィキペディアに書いてるからには、まずは、「新垣」(メッセージ1)より、「佐村河内」(メッセージ2)を、私は聴いたと思います。

私は、いま、つまり、再度、今度こそ、メッセージ2ではなくてメッセージ1を聴きたいと思います。

これは、今更言っても遅いですが、佐村さんのソナタ1、2番には、優れた作品・演奏が持つ「良い意味での危険性」「大作を何度も聴きたくさせる心地よい疲れ」がないような気がしました。演奏にも危なさがなかった。

最後に、

見破っていた人がいました。この人、なかなかです。正論!

>聴力がないのに、作曲できるわけないと直感的に考えてしまうのです。
>例えそれが本当だとしても、心のどこかで疑ってしまう。
>差別的な感覚からくるものかもしれないです。
>そして、佐村河内氏の音楽に熱狂する人のこともどこか冷めた目で見ていたのも事実です。
>インドの盲目の歌手を、絶賛する金持ちブルジョアを見てるかの如くでした。

http://magazine184.blog.fc2.com/blog-entry-147.html


追伸)「ファンタージエン:つくるくんものがたり」のご感想も、いつかお願いします。

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