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2014年3月31日 (月)

新垣隆作曲 交響曲第1番《HIROSHIMA》

Hiroshima

新垣隆作曲 交響曲第1番《HIROSHIMA》

【収録情報】

新垣隆作曲
交響曲第1番《HIROSHIMA》[81:34]

1. 第1楽章 [19:58]
2. 第2楽章 [34:33]
3. 第3楽章 [26:53]

東京交響楽団
指揮 大友直人

録音:2011年4月11-12日 パルテノン多摩(大ホール)

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【譜例】

Hiroshima_1
譜例1 第1楽章 第1主題「ペザンテ(重厚に)」トラック1の2分57秒(midi。midi をクリックすると音が出ます)

Hiroshima_2
譜例2 第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ(生き生きと)」7分23秒(midi

Hiroshima_3
譜例3 第1楽章 第2主題 クラリネットとファゴットに「コラール」と題された「レリジョーソ」10分27秒(midi

Hiroshima_4
譜例4 第1楽章「アンダンテ・グラーヴェ(おごそかに)」12分58秒(midi

Hiroshima_5
譜例5 第2楽章(midi

Hiroshima_6
譜例6 第2楽章「アンダンテ・センプリーチェ(素朴なアンダンテ)トラック2の3分15秒(midi

Hiroshima_7
譜例7 第2楽章「パティメント(苦悩)」10分27秒(midi

Hiroshima_8
譜例8 第2楽章「アレグロ・フェローチェ(凶暴なアレグロ)12分53秒(midi

Hiroshima_9
譜例9 第2楽章 27分13秒(midi

以上の譜例は、交響曲第1番《HIROSHIMA》リーフレットより

--

新垣隆作曲 交響曲第1番《HIROSHIMA》は下記のとおり、「広島」とは何の関係もない。したがって、それを前提に、私はこの作品の感想文を書く。

「交響曲第1番《HIROSHIMA》」は、最初「現代典礼」というタイトルで作曲者(新垣隆)が書いたものを、数年後に佐村河内が「HIROSHIMA」と名づけた。(ウィキペディアより)

結論から言えば、新垣隆作曲 交響曲第1番《HIROSHIMA》は魅力ない作品だと思う。何度も聞いていると、吐き気がしてくる。

・第1楽章
このアルバムは、大音量で聴くと、オケも指揮も熱演しているので迫力ある・・・音もいい(セッション録音)。

序奏は「嬰ヘ」のオスティナートで重々しく開始される。序奏における低い弦の持続音は、R.シュトラウスの《ツァラトストラ》を思わせるかも知れない。それは、リスナーに期待を抱かせる。第1楽章の序奏は悪くない。
オケのクラスターっぽい音で序奏が終わり、第1主題へ。

この交響曲の欠陥は「耳に残る音型、動機、主題、旋律がないこと」と言っていいと思う。それを示すために私は上に譜例を示した。しかし、読者の皆さんの中には、上記の「音」が、「面白そう」に聞こえる人があるかも知れない(midi をクリックすると音が出ます)。そして、それらの音型、動機、主題、旋律から、素晴らしい交響曲を「連想」するかも知れない。また、このアルバムをすでに持っている皆さんは、この交響曲において、上記の譜例の音たちが、巧みに展開されていることに好感を持つかも知れない。この交響曲の特徴は、多数の、シンプルなモチーフたちがそつがなくまとめられていることであり、リスナーはそのことに好感を持つかも知れない(新垣氏の対位法に対して・・・)。だが、その好感は、あなたがこの作品を聴けば聴くほど「吐き気」へと変わっていくだろう。

この交響曲に限って言えば、新垣氏はメロディーメイカーとしての素質、資質に欠けると思う。

勿論、世の中にはメロディアスな交響曲もあれば(例えばマーラーで言えば歌曲・歌謡に基づく交響曲や第5番のアダージェット)、メロディアスでない交響曲もある(マーラー6、7番は比較的メロディアスじゃないと思う)。しかし、世に残る交響曲は必ず、私たちの耳に「像」を残す・・・それは例えば、世に残る「名画」が、私たちの目に焼き付くように、である。しかし、新垣隆作曲「交響曲第1番」には、そのような「像」がない。

新垣氏の交響曲第1番において、私の主観では、上記の譜例4は、ストラヴィンスキーの「火の鳥」を思わせる。しかし、この交響曲において、「譜例4」は「面白い旋律や新しいサウンド」に発展しない。さらに・・・例えば、R.シュトラウスの場合・・・彼のジャンルは交響曲ではなく主に交響詩だが・・・R.シュトラウスの交響詩の像は、耳に残ると同時に、詩的・物語的・文学的意味を持つ。

新垣氏の交響曲第1番は標題やライトモチーフを持たない。したがって、詩的・物語的・文学的意味や素材を持たない。彼は、詩的なものやストーリーを排し、音楽の構造や論理だけで勝負している(言葉は適切でないが「絶対音楽」の構造や論理)。ところが、彼の交響曲第1番は、論理的に稚拙である。

21世紀の交響曲というのはどうあるべきか?
特に長大な交響曲を書くのは、今日、難しいのか?

「長大な交響曲を書くためには、3つの主題を持つ(第1〜3主題を持つ)ソナタ形式を用いてもいいんじゃないか」

と、私が言えば、あなたは、

「それは古い」

と、言うだろう。しかし、それなら、私は、あなたに、

「3つの主題を持つソナタ形式に取って代わる形式と美が欲しい」

と、言うだろう。

今日の交響曲の像と理論と形式と美と・・・それらについて、考える時、新垣氏の交響曲第1番は役に立たない。私は「アイヴズの交響曲のほうが良い。聴きたい!」と、この交響曲を聴きながら思った。

ただし、私は、池辺晋一郎の交響曲やその他の日本の作曲家の交響曲を聴いたことないので、私の考えと主張は、的を外しているかも知れない。

第1楽章、再現部前の15分50秒あたりにてオケがクラスターっぽい音を出す。そのあと、盛り上がる。そこは悪くない。17分10秒あたりで、再現部に行く。再現部は悪くない。
「再現部前〜再現部〜第1楽章の終わり」は、悪くない。最後は、持続音「ハ音」で閉められる(詳しくは下記リーフレットをご参照ください)。

・第2楽章
第2楽章は演奏時間34分もある長大な楽章。ホルンの短い導入のあと、譜例5が奏される。それは、ショスタコーヴィチ第7交響曲の第2楽章を思わせる(それもまたリスナーに期待を抱かせるのだが・・・)。
この交響曲は、第1楽章が、第2、3楽章の「序」ではないかと思われるぐらい、第1楽章において、ほとんどの素材が提示され、それが他の楽章にて再現される。
この長い第2楽章は、音楽、または、楽想が《だらだらして、弛緩して、リスナーを退屈させそうになると、「どこかで聞いたことあるような親しみやすい楽想」が始まり、ある種のノスタルジー(ワーグナーや19世紀末から20世紀の交響曲)に「逃げている」》ような気がする。または、《現代の作曲家ペンデレツキの「調性音楽」と「強烈で効果的響き」が借用され挿入される》。そうして、新垣氏は、自らの不完全、稚拙、未熟、非論理性を包み隠そうとしている。新垣氏の努力は虚しい。この長大な楽章に、ブルックナー第8番の第3楽章の美しさは見当たらない・・・というか・・・そもそも新垣氏のこの交響曲とブルックナーの8番を比べることに意味がない。
第2楽章において、23分00秒に出てくるコラール(譜例8)のあとは、なくても良い(削除しても良い)。
ついでに言えば、この交響曲には、「レリジョーソ」(譜例3)、そして、その他にも、宗教音楽のケーデンス(宗教曲の終止形。例えば、モンテヴェルディ、グレゴリオ聖歌の和声を思わせる)がある。一方、この交響曲は「調性のあやふやさ(ある種の無調性)」を持つ。しかし、両者は、「両立していない」と思える。つまり、新垣氏が、両者を用いたのは不自然に思える。上記の宗教的和声は「神聖にして犯すべからざるもの」を「顕示」しているだけに聞こえる。

・第3楽章
「欽ちゃんのどこまでやるの!?」を好きな人でも、このどんちゃん騒ぎは好きになれないだろう。
冒頭は激しく始まる。いまさら、そんなことしても無駄。
言うのが遅れたが、この交響曲の第1、2楽章は地味だ。第3楽章だけ派手に盛り上げても、つながらない(私の主観では、この交響曲には3つの楽章に起承転結がない。悪い意味で恣意的。不自然。不必然)。
そして、またも繰り返しばっかり・・・それは過去における巨匠たちの交響曲の「屍」に聞こえる。
環境にやさしいリサイクルの楽章。すなわち、この楽章もまた、使い回しの手法で書かれている。最終楽章で、かくも無意味に、前の楽章の旋律や主題を繰り返す作品を、私は初めて聴いた。
12分25秒あたりで、センチメンタルな、親しみやすい旋律が鳴るが、それもノスタルジーにしか聞こえない。

第3楽章の冒頭の「ターン・ターン・タタタ」はベートーヴェンの運命の動機を逆にしたもの?
1分58秒のトランペットは、最後の審判のラッパか?
「ターン・タタタ」と「最後の審判」は、適切というより、私には、やっぱり「わざとらしい」。

【まとめ】

この作品は、桐朋学園出身の新垣氏が卒業制作に作った交響曲を転用したか、書き直したのではなかろうか。
それは、新しくもなければ、昔の巨匠たちへのオマージュでもない・・・それは新垣氏の習作をリサイクルしたものだ。

【2014−3−31 追加】

大事なこと書き忘れてました。
この交響曲には、ブルックナーやマーラーなどの巨匠たちが書いた長大な交響曲が持つエクスタシーがない。

【参考】

Samuragochi_hiroshima_0_3

「佐村河内守:交響曲第1番《HIROSHIMA》」のリーフレットより(著作権者:長木誠司、2011 NIPPON COLUMBIA CO., LTD. )

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【参考】

2014年3月16日

佐村河内氏関連番組・調査報告書

日本放送協会

はじめに全聾の作曲家として知られていた佐村河内守(さむらごうち・まもる)氏について、NHKはこれまで、「NHKスペシャル」などの番組やニュースで取り上げてきた。しかし、本人が作曲していないことや、全聾ではなかったことに気づくことができなかった。
なぜこうした事態を防げなかったのか。NHKは、再発防止の観点から、調査チームを設け、佐村河内氏を最初に取り上げた「情報LIVEただイマ!」と、「NHKスペシャル」について、提案から放送に至るまでの経緯を調査した。調査では、制作にあたったディレクターやプロデューサー、カメラマンなどのほか、佐村河内氏や外部の関係者からも聞き取りを行った。また、当時の取材メモなどの資料も調べた。

1. 発覚の経緯
2014年2月2日、佐村河内守氏に関して、疑惑を指摘する情報がNHKに寄せられ、事実確認の調査を始めた。4日、佐村河内氏の自宅で本人に面会して質したところ、18年前から自分では作曲しておらず、桐朋学園大学非常勤講師・新垣隆(にいがき・たかし)氏に依頼していたことを認めた。翌5日朝の「おはよう日本」で放送することを決め、準備を進めていたところ、佐村河内氏は、5日未明、弁護士を通じて、別の人物に作曲させていたことを認める文書を報道機関にFAXで送付し、事実を公表した。

2. 訂正とお詫び
5日朝の「おはよう日本」7時台の2項目めのニュース(トップ項目は大雪関連)で、佐村河内氏が別の人物に曲を作らせていたことを伝えた。続いてスタジオのキャスターが次のように訂正とお詫びをした。

「NHKはこれまで、NHKスペシャルなどの番組やニュースで佐村河内氏を取り上げました。取材や制作の過程で、検討やチェックを行いましたが、本人が作曲していないことに気づくことができませんでした。視聴者の皆様や、番組の取材で協力していただいた方々などに、深くお詫びいたします。」

同日の「あさイチ」と「ニュースウオッチ9」の中でも訂正とお詫びを行った。2月9日放送の広報番組「とっておきサンデー」では、「情報LIVEただイマ!」、「あさイチ」、「NHKスペシャル」、「佐村河内守魂の旋律交響曲第1番“HIROSHIMA”」、「ニュースウオッチ9」、「サンデースポーツ」の番組タイトルを改めて紹介し、訂正とお詫びをした。「関西発ラジオ深夜便」についても、2月8日に訂正とお詫びを行った。NHKオンデマンドで配信していた「NHKスペシャル」など2番組については、5日までに配信を停止した。
視聴者からは、5日から12日までの1週間だけで、厳しい内容を中心に700件あまりの意見が寄せられた。

3. ご出演、ご協力いただいた方々への対応
NHKスペシャルで佐村河内氏との交流を描いた被災地の少女とそのご家族をはじめ、番組にご出演、ご協力をいただいた方々に、番組を制作した制作局生活・食料番組部の部長や番組責任者らが、直接お会いするなどして経緯を説明し、お詫びをした。

4. 番組で取り上げるまでの経緯、および番組の概要
NHKが佐村河内氏を初めて取り上げた番組は、2012年11月9日放送の「情報LIVEただイマ!」である。佐村河内氏については、すでにこの時期までに、著名な作曲家や評論家がその音楽性を高く評価していたほか、米TIME誌が、“現代のベートーベン”と評するなど、国内外のメディアが取り上げ、「全聾の作曲家」として知られるようになっていた。番組では、「交響曲第1番“HIROSHIMA”」が生まれた経緯や佐村河内氏の半生などを紹介した。
放送後、視聴者から大きな反響が寄せられたこともあり、「NHKスペシャル」で佐村河内氏を取り上げることとなった。「交響曲第1番“HIROSHIMA”」が、東日本大震災の被災地で、勇気を与える曲として共感を呼び、CDの売上が7万枚に達するなど、社会現象ともいえる状況になっていることを伝えるとともに、新曲「ピアノのためのレクイエム」の演奏会を被災地で開くまでを描き、2013年3月31日に放送した。

5. 番組のチェック体制
NHKスペシャルでは、制作局、報道局などから各部局のプロデューサーや責任者などが集まり、3段階の提案会議を経て、提案が正式に採択される(「情報LIVEただイマ!」は、制作局内の3段階の提案会議で審議される)。
これらの会議では、番組内容の審議とともに、疑問点や課題が議論され、事実関係についてもチェックが行われる。
また、編集・試写の段階では、NHKスペシャル事務局や制作部局の部長らが集まり、その都度内容のチェックを行い、疑問点や課題を解決するしくみになっている。
この番組も、上記の審議とチェックを経て制作・放送された。制作にあたっては、提案者である契約ディレクターに、職員ディレクターを加えて2名としたほか、制作を統括するプロデューサーも2名とし、体制を強化した。

6. なぜ気づくことができなかったのか

(1)本人が作曲していなかったことについて
●佐村河内氏は、番組の提案が出された段階で、すでに著名な音楽家、評論家から高い評価を受けていたが、音楽性に対する評価を改めて確かめるため、クラシック音楽番組の担当者が専門家に取材を行った。クラシック音楽界における佐村河内氏の評価は分かれているとのことであったが、本人が作曲していないのではないか、と疑わせるような情報はなかった。

a)「記譜シーン」
●耳が聞こえない佐村河内氏が、どうやって作曲するのかを描くためには、譜面を書くシーンの撮影が重要だと考えられていた。プロデューサーからの指示もあり、ディレクターは再三記譜シーンの撮影を交渉したが、佐村河内氏から「譜面を書くのは神聖な作業である」として、拒否され続けた。ロケの後半、「ピアノのためのレクイエム」が完成する日、撮影にあたったカメラマンは、どうしても記譜シーンを撮りたいと考え、音楽室に入ろうとした佐村河内氏に対し、「最後まで撮影させてほしい。少しだけでもいいから撮らせてほしい」と申し出たが、結局拒否された。撮影スタッフはいったん佐村河内氏の自宅を離れ、12時間後再び訪れた。音楽室に入室を許可されると、音符が書き込まれている楽譜が机の上に置かれていた。記譜シーンが撮影できなかったことについては、ロケにあたったディレクターがプロデューサーに連絡した。プロデューサーは、これ以上交渉すると関係が悪化して放送が難しくなる恐れがあったことや、芸術家や作家の取材では創作現場を撮影できないことも少なくないことから、記譜シーンの撮影を断念したスタッフの判断を了承した。
●NHKが2014年3月10日に、改めて佐村河内氏からの聞き取り調査を行ったところ、「ピアノのためのレクイエム」が完成したとされる2013年2月19日の前日、新垣隆氏に依頼した楽譜が宅配便で自宅に届き、それを撮影に備えて音楽室にある机の引き出しの中に入れ、撮影当日、一晩かけて書き上げたかのように見せかけた、という。
撮影スタッフの一人は、「完成した譜面の音符は丁寧な丸みのある字体で書かれていた。楽譜の表紙にサインした名前は文字が角張っていたので、今思えば、ちょっと違う感じがした。しかし、別人が書いたとは思いもよらなかった。」と話している。

b)「全体構成図」
●記譜シーンは撮影できなかったが、それに代わるものとして、ロケの最中に「ピアノのためのレクイエム」の「全体構成図」を撮影している。この図が、「本人が作曲している」と撮影スタッフが疑わなかった理由の一つである。
曲が完成する前、佐村河内氏の自宅で、「現段階の曲のイメージを教えてくれないか」とディレクターが頼んだところ、佐村河内氏はカメラの前で、一枚の紙の上に線を引き、曲の全体構成をスラスラと書き始めた。そこには「序奏」「主題バロック」「変奏バロック」「アレグロ」「ロマン的」「長調、短調」「超絶技巧」など、曲の全体像が示されており、これを見たディレクターは、「これだけ具体的なイメージがあるのだから、本人が作曲しているに違いない」と感じたという。完成した曲は、ほぼ、この時書かれた「全体構成図」の通りになっていた。

(2)聴力について
●提案審議の過程において、「耳が聞こえないのに、どのようにして作曲しているのか」という質問がたびたび出された。しかし、佐村河内氏の聴力そのものに関しては、耳が聞こえないとの医師の診断書と、「聴覚障害」(2級)の障害者手帳を確認していたので、それ以上疑問の声は出なかった。
●撮影段階では、佐村河内氏とのやり取りは、ほとんどすべての場合、手話通訳者を介して行われたため、耳が聞こえないことを疑うスタッフは一人もいなかった。
新たに加わった職員ディレクターによると、佐村河内氏はとても流暢に話すので、最初は、「耳が聞こえないのに、あんなに話せるものなのか」と思ったが、手話通訳の人から、中途失聴者はこれくらい話せると聞いたので、「そうなのか」と納得していた。
このディレクターが「本当に耳が聞こえない」と思ったのは、新幹線での移動中、通路を挟んで席が隣同士になったときだった。手話通訳を介して会話をしている途中でトンネルに入り、ゴーッという音で声が聞き取りにくくなったが、それでも佐村河内氏は同じ声の大きさで話し続けていたからだ、と話している。
また、契約ディレクターが、石巻市の被災現場で「今日、どんなことを感じたか」をインタビューした際、佐村河内氏は車道に背を向けていたが、車が近くを走っても気づかなかった。ところがその後、車が視界に入ったらしく、突然驚いた素振りでインタビューをさえぎり、「(耳が)聞こえないので、車が急に来る感じがする」と言った。このときの様子は撮影素材に残っている。
さらに、編集・試写段階において、全ての撮影素材を見た映像編集の担当者は「耳が聞こえるかもしれない、と思うようなカットは、ワンカットもなかった」と述べている。
●撮影スタッフの一人は、佐村河内氏が、テレビのスピーカーに指をあてて「音の強弱が分かる」と言って説明した場面や、石巻でのコンサートのあとピアニストに演奏についての感想を言う場面を目にして、「不思議に思った」と言うが、「特別な感性を持っている人にはわかるのかな」と、それ以上疑うことはなかったと話している。
●佐村河内氏は、記者会見(2014年3月7日)で、自ら聴力検査の結果を明らかにした。それによると、「聴覚障害」(2級)には該当しないことがわかった。本人は、「音がするのはわかるが、言葉としては聞き取れないレベル(言葉が歪んで聞こえる)」「耳元でゆっくりはっきり話してもらえれば、わかる時もある」という。また、3年ほど前から聴力は少しずつ回復してきているが、手話通訳がなければ、今も生活に支障があると話している。

(3)3月10日の聞き取りで佐村河内氏が語ったこと
●NHKスペシャルでは、佐村河内氏への取材を元にナレーション台本を作ったが、その中で、別人が作曲していた、全聾ではなかった、という点のほかに、「事実と異なる部分はないか」と、本人に質した。

a)「音楽的経歴」について
・幼い頃からピアノやバイオリンの英才教育を受け、交響曲の作曲家になる夢を抱いていた、という事実はなく、ピアノの赤バイエルと黄バイエルを4年練習した程度であり、交響曲の作曲家になる夢までは描いていない、と話した。
b)「創作ノート」について
・かつて思い浮かんだメロディーなどを書きためたとされる創作ノートについて、新垣氏に作らせた曲を手書きで写したもので、将来、自分が作曲したという証拠にするためにねつ造した、と話した。
c)「どのように作曲するのか」について
・音が聞こえない中での作曲を可能にしたのが絶対音感であり、頭の中のノイズの中から旋律が浮かんでくる、と説明していたが、絶対音感はなく、ノイズはあるものの、旋律は降りてこない、と語った。

なお、本人が激しい耳鳴りで苦しむ場面や、それを避けるために部屋を暗くしている場面については、実際にそうした症状があると本人は語っている。

7. 今回の問題に関する報道について
●今回の問題をめぐっては様々な報道がされている。このうち、「情報LIVEただイマ!」と「NHKスペシャル」を担当した契約ディレクターに関し、あたかも佐村河内氏の虚偽を知っていたかのような報道があるが、本人は全面的に否定している。撮影で行動をともにした他のスタッフからのヒアリングでも、そのような事実は認められない。
●この契約ディレクターは、今回の問題が表面化する前、週刊誌の取材を受け、佐村河内氏にメールで問い合わせた。佐村河内氏からは、「自分はシロだ」と疑惑を否定する返信があったが、2月2日、一転して、別の人物に作曲させていたことを認めるメールが送られてきた。この中で、「償いきれないほどの裏切りをした」と契約ディレクターに謝罪している。
また、佐村河内氏は、NHKが2月4日に面会(筆談)した際、「彼(契約ディレクター)は、ゴーストのことはまったく知らない。それは事実です。やらせとか、知っていたなどということは絶対ないです」と述べた。さらに3月7日の会見でも「Nスペでゴーストライターとの関係を知っている人はいない。明らかに私がディレクターたちをだました」と発言している。
●佐村河内氏との交流を描いた被災地の少女について、複数の週刊誌が「NHKのスタッフが探し出し、佐村河内氏に引き合わせた」との記事を掲載しているが、そのような事実はない。佐村河内氏が知人を通じて被災地のピアノ教室に連絡を取り、紹介を受けたもので、その過程にNHKのスタッフは関与していない。佐村河内氏から、少女のことを聞かされたのは後日のことである。
佐村河内氏本人への聞き取りでも、「私が知人にメールし、少女を探すように頼んだ。インターネットで検索して被災地のピアノ教室を探し、そこから見つけた。NHKは一切関わっていない」と発言している。
●佐村河内氏が「曲を完成させた日」について、あらかじめNHKとの間で設定されていたかのような記事が一部週刊誌に掲載されているが、そのような事実はない。佐村河内氏が、曲を演奏してくれることになったピアニストと、レコード会社の関係者を通じてやりとりした結果、ピアニストから求めのあった練習に要する日数を演奏会の日から逆算して、佐村河内氏自身が設定したものである。
●NHKスペシャルが、「フリーランスの持ち込み企画であった」との指摘があるが、これも事実ではない。提案者の契約ディレクターは、当時、NHKが番組制作業務を委託していたディレクターである(契約期間は2010年4月~2013年12月)。このディレクターは、日頃から職員のディレクターと同じ職場で仕事をし、自分の企画を提案する場合も、職員と同様の審議を経て採択される仕組みになっている。今回のNHKスペシャルの提案に関しても同様である。

8. 再発防止に向けて
今回の問題に関して、NHKには視聴者から極めて厳しい意見が寄せられた。番組制作にあたり、企画から放送までのそれぞれの段階でチェックと検討を重ねてきたが、別の人物が作曲していたことや、全聾ではなかったことに気づくことができなかった。番組制作者として深刻に受け止めている。
佐村河内氏に関しては、そもそも、別の人物が作曲しているかもしれない、という想定はまったく持っておらず、疑念を抱かせるような情報も入っていなかった。作曲するときの「記譜シーン」の撮影は、耳の聞こえない人がどうやって作曲するのかを描くねらいであって、本人が作曲していることの証拠を得ることを目的とするものではなかったため、番組制作の段階では、そのシーンが不可欠であるという判断は難しかったと考える。しかし、結果として虚偽を見抜けなかったことは、今後のこうした取材をする場合の教訓として制作現場で共有しなければならない。
聴覚障害については、通常行わない障害者手帳や医師の診断書の確認までしていた。取材の現場では、佐村河内氏の障害を裏付けるような場面に多く遭遇したことや、人道上の観点から、それ以上の確認作業は行わなかった。
佐村河内氏の「音楽的経歴」については、両親への取材を申し入れたが、拒否された。友人にも話を聞いたが、佐村河内氏の経歴を疑わせる発言はなかった。もっと取材範囲を広げて裏付け取材を行えば、経歴が虚偽であったことを見抜けたかもしれない。
社会的に一定の評価が定着している人物を番組で取り上げるとき、その経歴や評価についてどこまで確認をとるべきなのか、番組制作の教訓として重くとらえている。
以上のように、番組を制作した時点では、当時必要と思われた検討や確認は行ってきたと考えるが、結果として、事実とは異なる内容を放送したことを真摯に受け止め、反省しなければならない。
これからは、今回のようなケースもありうることを、制作現場のすべての職員・スタッフがしっかりと認識し、取材から放送に至るまでのあらゆる過程で、真偽を見極めるチェックの精度を高めていく必要がある。NHKは、今回の問題を、様々な研修会や勉強会で取り上げ、再発防止の取り組みを進めていく。

NHKで佐村河内氏を取り上げた番組の一覧
【テレビ】
○「情報LIVEただイマ!」(総合22:00~22:48)※すでに番組終了放送日:2012年11月9日(金)企画:22:20~22:48時間:28分間
内容:両耳の聴力を失いながら交響曲の創作にあたったとされた佐村河内守氏の「交響曲第1番“HIROSHIMA”」を紹介。2012年10月に大阪で行われたコンサートの様子のほか、交響曲が生まれた経緯などを紹介。音楽業界での評価やネットでの反響についても紹介。19分間のVTRの後、スタジオでゲストが感想を語る。

○「あさイチ」(総合8:15~9:54)※3回放送
1. 放送日:2012年12月12日(水)企画:9:06~9:31 時間:25分間 内容:「情報LIVEただイマ!」の放送後の反響をまとめたVTRと佐村河内氏を紹介するVTRを見たあと、スタジオでゲストが感想を語る。
2. 放送日:2013年5月1日(水)企画:9:05~9:26 時間:21分間 内容:3月31日放送のNHKスペシャル「魂の旋律」でも紹介したレクイエムの創作過程を中心に構成。VTRを受け、スタジオで感想を語る。
3. 放送日:2013年12月27日(金)企画:9:30~9:45 時間:15分間 内容:NHKスペシャルの一部分を紹介し、佐村河内氏や「交響曲第1番“HIROSHIMA”」をVTRで紹介。スタジオでは、「バイオリンのためのソナチネ」の演奏に合わせて、華道家が花と音楽のコラボレーションを披露。

○NHKスペシャル「魂の旋律~音を失った作曲家~」(総合21:00~21:49)放送日:2013年3月31日(日)時間:49分間(全てVTR)内容:両耳の聴力を失いながら交響曲の創作にあたったとされた佐村河内守氏を取材。「交響曲第1番“HIROSHIMA”」が東日本大震災以降、注目を集め、クラシックとしては異例のヒットを記録していることなどを紹介。専門家による音楽的な評価も伝えた。番組の後半では、新曲「ピアノのためのレクイエム」の演奏会を被災地で開くまでの活動を紹介した。

○コンサート「佐村河内守魂の旋律交響曲第1番“HIROSHIMA”」(Eテレ15:00~16:20)
放送日:2013年4月27日(土)時間:80分間
内容:日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートを放送。曲は「交響曲第1番“HIROSHIMA”」。番組内で佐村河内氏をVTRで約2分間紹介。

○「ニュースウオッチ9」(総合21:00~22:00)放送日:2013年6月13日(木)企画:21:29~21:41
時間:12分間内容:キャスターによる佐村河内氏本人へのインタビューを中心に構成。
発表された新曲「ピアノ・ソナタ第2番」への思いなどを聞いた。また、インタビューの間に、聴力を失いながら楽曲を作り続けてきたとされた佐村河内氏の活動などをVTRで紹介した。

○「サンデースポーツ」(総合22:00~22:49)※10分遅れの開始放送日:2013年10月13日(日)企画:22:28~22:40
時間:12分間内容:男子フィギュア髙橋大輔選手を特集。ショートプログラムに選んだ曲が佐村河内氏作曲とされていた「バイオリンのためのソナチネ」。この曲に合わせた練習の様子を取材するとともに、髙橋選手に曲への思いなどをインタビュー。また、アイスショーに訪れた佐村河内氏と髙橋選手との対面の場面などを伝えた。

【ラジオ】
○「関西発ラジオ深夜便」(R1・FM23:20~5:00)※全国放送放送日:2013年8月24日(土)曲紹介:2:16~2:38
時間:22分間内容:最近話題のインストゥルメンタルとして紹介した曲の中の一つとして、「交響曲第1番“HIROSHIMA”」の第1楽章のみを放送。曲の後に、CDの解説文を引用する形で、佐村河内氏のプロフィールを1分50秒ほど紹介した。
(NHK オンラインより)

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コメント

おずおずと‥‥書き込ませていただきます…。

>・第3楽章
>「欽ちゃんのどこまでやるの!?」を好きな人でも、このどんちゃん騒ぎは好きになれないだろう。
ここのうるささは尋常でなく、かつ最も稚拙に感じた ― YouTubeで聴いたのですが、たぶんここだと… ― ところです。

いつか、中古盤で108円くらいで見つけたら買って聴いてもいいですが、私にはもっと聴きたい音源が手許にいっぱいあります。

ブルックナーやマーラーと比較するとさすがに気の毒な気がします。
それと、佐村河内氏の‘注文’がどれほど影響しているのか、完成までのプロセスにまだ未解明な部分があるということもありましょう。

比較するとしたら、スラヴ圏のマイナーな現代作曲家とかの交響曲と較べてみる、とか。

追記で掲載された、NHKの報告書が興味ぶかいですが、ある面予想どおりかも、です。
「契約ディレクター」という雇用関係の人が制作に当たっていたんですねえ。

すみません、お粗末なコメントで。

なお、旋律の魅力というと、近現代の作曲家で、無調を採らない人たちでも、ウォルトン、ブリテンやティペットなど、とくにブリテンは旋律の魅力が皆無に近く(それゆえか、パーセルやロッシーニを借用)、個人的にまだティペットのほうが好きです。

ストラヴィンスキーも、《ペトルーシュカ》や《詩篇交響曲》以外は旋律的魅力は乏しいと思います ― それでチャイコフスキーやペルゴレージを借用?

余談ですが、マイクル・ティペットは、音楽の世界では珍しい‘ユング派’、というか、C.G.ユングが好きだったようです。

>おずおずと‥‥書き込ませていただきます…。

よかったら、どんどん書き込んで下さい。
(この記事に限らず、です。)

>中古盤で108円くらいで見つけたら買って聴いてもいい
(中略)
>聴きたい音源が手許にいっぱいあります。

聴かないほうがいいと思います。時間がもったいない。
いや、時間があれば聴いてもいいかな・・・・私が、この作品をボロクソけなしたのは、実は、「期待が大きかったから」「期待はずれだったから」です。私の評価は、過小評価かも知れません。

>「契約ディレクター」

ディレクター 古賀淳也

ディレクター 木下千種

のいずれかでしょう。

http://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-d102.html#more

>とくにブリテンは旋律の魅力が皆無に近く

私は、ブリテンの作品は「戦争レクイエム」以外、聴きませんが(というか、ブリテンの作品は戦争レクイエム以外には、ヴィオリン協奏曲しか持ってない)、「戦争レクイエム」の最後の「Requiescant in pace. Amen.(安らかに眠れ、アーメン)」<ーーーパロディーか、引用かも知れませんが、美しいです(思わず合掌します)。

それから、私は「春の祭典」オープニングはメロディアスだと思うのですが・・・つまり、佐村河内氏が、会見で、「過去70年のクラシック音楽は調性を失った。調性がある音楽を復活させることを目的に云々」と言ったのは、彼の錯誤か、ごまかしだと思います。
なぜなら、たとえば、シェーンベルクの「グレの歌」は、無調じゃないと思う<多分。
ベルクのVn協奏曲も旋律が美しい。

私は、21世紀のクラシック音楽を好んで聴きますが、それらは20世紀のものより、メロディーや調性を復活させようとする傾向があると思いますよ。

グバイドゥーリナ(1931-)は、ロシア系またはスラブ系宗教音楽を用いていると思いますが、どちらかというと彼女は旋律を、重視しようとしてると思います。

前後しますが、

>>このどんちゃん騒ぎは好きになれないだろう。
>ここのうるささは尋常でなく、かつ最も稚拙に感じた

http://bluegourd.jugem.jp/?eid=421#comments

に書きました。

>私は、21世紀のクラシック音楽を好んで聴きますが、それらは20世紀のものより、
>メロディーや調性を復活させようとする傾向があると思いますよ。
そうなのですか。

交響曲だけでなく、「調性」の問題は20世紀以降のクラシックの課題ですね。

神田神保町に洋書ペーパーバックを専門にする古書店があり(今はありません)、ペリカン・ブックの音楽関係書を、読めもしないのに見つけては買っていました。
その中、2巻本の《The Symphony》の、第2巻〈2: Elgar to the Present Day〉の序文に、作曲家でもある編者:ロバート・シンプソン(シムスン)が、Tonalityについて語っているのをパラっと読んで、この人、イギリスの作曲家だけあって保守的だな、と思うと同時に、なるほど、とも思いました。

片言隻語を引用しても意味がないのですが、‘交響曲の必須条件’論のような件りで、
「The human sense of tonality has many times been modified, but cannot be abolished. To attempt to abolish it is to cease to be comprehensive, to be narrowly exclusive.」
と書いています。調性を捨てることは、理解されなくなることだ、と…。

そのあと、シェーンベルクの無調に(批判的に?)触れたあと、
「The fact that it is tonality that is the deepest current in the river of true symphony, means that the flow of the whole depends upon it.」
と。

>私は、池辺晋一郎の交響曲やその他の日本の作曲家の交響曲を聴いたことないので、
私は、小倉 朗氏の『現代音楽を語る』(岩波新書、1970年)を人から勧められ、ヒッジョーに感銘したこともあり(理解は「?」)、小倉氏の交響曲を、2種(たしか岩城宏之指揮と芥川也寸志指揮)のCDで聴きましたが、ある種バルトークの模倣的な感じを出ず、手放しています。

岩波新書のほうは、今もって名著だと思います。これまた部分引用は意味を成しませんが、‘前衛’の限界をまっとうに指摘している、と読めました。

日本の交響曲では、個人的に大好きなのが伊福部 昭《シンフォニア・タプカーラ》です。
これはもう、生理的快感というような次元の喜びがあります。広上淳一指揮のキング盤、音質も最高です♪
日本人の作曲家のCDは、けっきょく伊福部さんのものだけが手許に残っています ― もちろん買って聴いたのはわずかなのですが…。

KMです

へうたむさん

英語引用、ありがとうございます。

--

私が、現在、持っているクラシック音楽CDをリストアップした「CDライブラリー・リスト(エクセルのファイル)」から、
私より年下の作曲家を、単純に、以下にコピペします。面倒くさいので、同じ作曲家の重複はそのまま(重複のまま)です。

陳銀淑 1961
陳銀淑 1961
マルカンドレ・ダルバヴィ 1961
ジェニファー・ヒグドン 1962
ファウスト・ロミテッリ 1963 2004
佐村河内守 1963
佐村河内守 1963
オーガスタ・リード・トーマス 1964
オーガスタ・リード・トーマス 1964
オーガスタ・リード・トーマス 1964
ハウシュカ 1966
ピエール・ジョドロフスキ 1971
フランク・ベドロシアン 1971
ブルーノ・マントヴァーニ 1974
ブルーノ・マントヴァーニ 1974
ブルーノ・マントヴァーニ 1974
ウルヤス・プルッキス 1975

上から、
・陳銀淑<多分、無調とはいえないと思う
・マルカンドレ・ダルバヴィ<この人は記憶にない(汗
・ジェニファー・ヒグドン<普通の音楽。ハーンがコンチェルトを初演している
・ファウスト・ロミテッリ<大音量聴くとスピーカが壊れる。つまり、ものすごい。 http://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-993a.html
・オーガスタ・リード・トーマス<概ね普通
・ハウシュカ<ヒラリー・ハーンとコラボレーションしたけど。良くないと思いました。
・ピエール・ジョドロフスキ<好きな作曲家<私が気に入ったのは、「Dialog / No Dialog」である。この曲は、冒頭「Ecoute!(聞いて!)」という女性の声がある。音楽を難しく聞かないでくれと言っているのだろう。 http://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-a4de.html
・フランク・ベドロシアン<嫌い
・ブルーノ・マントヴァーニ<特に好きじゃない・・・というより、私は嫌いだが、若手の中では無視できない作曲家の一人だろう。満40才。「2010年8月2日より、36歳と言う異例の若さでパリ国立高等音楽・舞踊学校院長に就任した(ウィキペディアより)」
・ウルヤス・プルッキス<記憶にない

結局、佐村河内と同世代がすでに、佐村河内が目指した「調性への回帰」をしているか、ないしは、調性の問題は解決したのではないかと思います(たとえば、ジョドロフスキの作品は無調だが聞きやすい・・・というか、ジャズっぽいし、国籍不明音楽)。

*国籍不明で思い出しましたが、新垣氏の交響曲第1番は、借り物だらけの無国籍音楽だと思います。

佐村河内が嫌いなのは、ピエール・ブーレーズでしょうね。私も嫌いです。佐村河内が反発したのは、結局、ブーレーズ一人じゃないかと思ったりします。それが、佐村河内の弱いところだと思います。ブーレーズ指揮のオーガスタ・リード・トーマス作曲「...Words of the Sea..., In My Sky at Twilight」というアルバム持ってますが、それは、確かに調性が危ない部分もありますが、明快で、きれいな曲でしたよ。

音楽を、「調性」「無調」で考えるのは、私はやめています。20〜21世紀のクラシック音楽において、ブーレーズの権威が強すぎたということは、認めますが、
現在、未来において、ブーレーズ作曲の作品は、忘れ去られていくでしょう。ただし、ブーレーズの功績は残ると思います(バイロイト、アンサンブル・アンテルコンタンポラン)。

それより、私が注目するのは、上に並べた作曲家10名(佐村河内を除く)のうち、女性が、陳銀淑、ジェニファー・ヒグドン、オーガスタ・リード・トーマスの3名、あとの7名が男性。これはいつ逆転してもおかしくないと思います。つまり、現代(21世紀)の作曲家の色んな意味での「逆転現象」や、その多様性(特に性別、世代交代)こそ、私が、追っかけていることです。コンセプトや理論も大事ですが、新しさが必須。新垣氏は、新しくなかった。

最後に、

とはいえ、交響曲というジャンルには、すぐれた無調音楽の作曲家たち、そして現代21世紀の作曲家も、たしかに切り込めなかったと思います(交響曲書いた20世紀の作曲家は、プロコフィエフ、スクリャービン、シベリウス、私の好きなチャールズ・アイヴズなど)。

新垣氏は、目の付けどころは良かったと思います(すなわち長大な交響曲を書いたこと)。
そう言えば・・・ペンデレツキがいますが、ペンデレツキの交響曲に大作はないですね。

以上、最近私が書く文章は、支離滅裂という点で、新垣氏の音楽に似ているかも・・・あしからず。

小倉朗氏著「現代音楽を語る」が、いかなる回答を持っているか楽しみです・・・

>小倉 朗氏の『現代音楽を語る』(岩波新書、1970年)
早速注文しました。1円でした。

誰か新垣がマーラーをパクったといってたけど「自分がマーラーをパクったと思うやつ一列に並べ」と世界に叫んだらその人数何百メートルに及ぶだろうか?当のマーラーでさえ先行作曲家に多くを負っている。芸術の世界で、文学でも美術でも、勿論音楽でも元の作者を問題にするのは貧しい者のすること。

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南無阿弥陀仏、新垣隆さん。

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