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2014年2月11日 (火)

【じぇじぇじぇ〜あっと驚く】佐村河内守作曲「鎮魂のソナタ」(2)

Samuragochi

佐村河内守作曲「鎮魂のソナタ」 ソン・ヨルム(2CD)

【収録情報】
Disc1
佐村河内 守:
・ドレンテ〜子どものために〜
・ピアノ・ソナタ第1番

Disc2
・ピアノ・ソナタ第2番

ソン・ヨルム(ピアノ)

録音時期:2013年7月15-18日
録音場所:富山県、新川文化ホール
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

==

私は、クラシック音楽は高尚な音楽だとは思っていない。
すべての音楽は、平等だ。
音楽は慰めであり、人に安らぎや喜びを与える。
音楽は、趣味であり、人の楽しみである。そして、私にとって、音楽は「生きる糧」と言ってもいい。
佐村河内守氏は、音楽を冒涜した。そして罪を犯した。
彼がやったことは、
日本全国の障害者が、不正をしているのではないかと、疑われることにつながる
許せない罪だ。
彼は、死ぬまでその罪を負い償わなければならない!

==

佐村河内守さんの謝罪文(全文)

 12日未明に出された佐村河内守さんの自筆の謝罪文の全文は、以下の通り(原文は縦書き)。

お詫び

今まで私の起こしたことについて深く謝罪したいと思いペンをとりました。

そして、すぐに説明が出来なくて申し訳ありませんでした。

弁護士さんにも本当のことが言えなくて、決断するのに時間がかかってしまったのです。

また、私のせいで、多くの方々に大変な迷惑をかけてしまったことも心からお詫びしたいと思っています。

私のCDを買った方々、応援して下さった方々、音楽関係の方々、私の噓によって番組を作った方々、本やインタビュー記事を出して下さった方々、大切な本番の直前に騒動に巻き込んでしまった高橋大輔選手、被爆者の人たち、被災者の人たち、障害者の人たち、広島市の関係者、友人、家族等、本当に多くの人たちを裏切り、傷つけてしまったことを、心から深くお詫びいたします。

私がついた噓は、新垣さんのことだけではありません。

もちろん、新垣さんとの関係については、新垣さんが話しておられるとおりです。他にも、私の音楽経歴についても、大体新垣さんが話されたとおりです。

今は、自分を偽って生きて来たことを深く恥じています。

そして、私の要求に18年もの間応じて来たことから、人生が狂ってしまった新垣さんに対しても、お詫びしたいと思います。

ただ、耳のことについては、新垣さんが、出会った初めころから聞こえていたはずだと言われていることは事実とちがいます。

耳が聞こえなくなって手話サークルに参加して、それから聴覚障害2級で手帳をもっていることはまちがいありません。

そして、耳が聞こえなくて、ひどい耳鳴りに悩まされ続けていたことは本当です。

しかし耳のことでは、最初弁護士さんにも正直にお話しできなかったので、そのことについて説明します。

実は最近になって、前よりは、少し耳が聞こえるようになっています。

三年前くらいから、耳元で、はっきり、ゆっくりしゃべってもらうと、こもってゆがむ感じはありますが言葉が聞き取れる時もあるまでに回復していました。但し、それはかなり体調に左右されるので、体調が悪い時は耳元ではっきりゆっくり話してもらっても聞き取れないこともあります。しかし2月4日に初めて弁護士さんに会った時は、今も全く聞こえないと言ってしまいました。

私としては、新垣さんに作曲してもらったことがバレることによって起きることで頭がいっぱいで、耳のことも聞かれたのですが、怖くて本当のことを言えませんでした。音楽的経歴のこともそうですが、他の噓のことを話すと、引き受けてもらえないと思ったのです。

もう、週刊文春が出る直前でしたから、すがる思いで相談していました。

新垣さんの会見自体は見ていませんでしたが、知人からも、耳のことが問題になっていると聞き、本当のことを言わなくてはと思い、2月7日に少し聞こえるようになっていると話しました。

ただ、この時は、人の言葉は聞き分けられないと説明したのですが、色々な情報が出ていると聞き、もうこれ以上は噓はつけないと思い、2月9日になって、耳のそばではっきり話してもらえば人の言葉も聞き分けられる時があることを告白しました。そうすると、弁護士さんからは、最初から聞こえていたのではないかとも質問されましたが、それだけはちがいます。

全然聞こえなくなって聴覚障害の認定を受けていたことと、3年前くらいまでは、聞こえていなかったことは、真実です。

もうこれ以上、噓に噓を重ねるのはやめると決めました。

ですので、今日は、ここに書いていることは、天地神明に誓って真実です。

耳のことについては、専門家によるきちんとした検査を受けてもいいです。その結果二級ではないと判定されたのなら手帳は必ずお返しいたします。

それと、いくつかご説明もさせて下さい。

もちろん、すべて真実をお話すると決めたので、この後に書くことに噓はありません。

まず、私と新垣さんとの関係は二人きりの秘密でした。

この噓がバレてしまうと、身の破滅になると恐れていたので、妻にも誰にも話していません。

妻も新垣さんのことは知っていますが、現代音楽の専門家なので作曲の仕方などを教えてもらっているとしか説明していませんでした。

また新垣さんへの指示書を書いたのは私です。

お義母さんに妻の筆跡だと言われていると聞いて驚きましたが、誤解です。

何かの一部を妻に書いてもらったことはあるかもしれませんが、そのくらいです。

私の実家にピアノがあったのは引っ越す前のことだったので、お義母さんの知らない時期のことです。

もちろん、お義母さんの言われるとおり、私のせいで、妻にも辛い思いをさせています。

妻が望むなら、離婚してもいいと思っています。

そのことは妻の判断に任せます。

それと私が被爆二世であることも真実です。

私の両親は共に広島で被爆しています。

二人とも被爆者手帳を持っておりますし、弁護士さんにも、写真で確認してもらっています。

私がやってきたことは売名行為と見られても仕方のないことです。

私自身、そういう気持ちが一方にあったことはまちがいありません。

しかし、ある時期からは被爆者や震災の被災者の人たち、障害を持った人たちの助けになればという気持ちもまちがいなくありました。

もちろん、今となってはそのような事を言っても信じてもらえないかもしれませんが、心の中には、いくつもの思いがあったことも確かなのです。

しかし、私の気持ちを信じてくださった方々に、もっと大きなショックを与えてしまったことになります。

本当に取り返しのつかないことをしてしまったと思っています。

もう一つ、弁護士さんにはじめにお願いしたことなのですが、私が新垣さんに作ってもらった楽曲は、私のことさえなければ、きっと後世に残るはずのものですし、今はこの楽曲が生かされ、少しでも周りの方々の被害が少なくなるようにしてもらいたいと思います。

最後になりますが、やっと気持ちが整理できましたので、近い内に必ず公の場で謝罪をさせていただきます。

本当に申し訳ありませんでした。

平成二六年 二月十一日

佐村河内 守

Samuragochi_comm

代理人の弁護士を通じて報道各社にファクスされた佐村河内守さん直筆の謝罪文。便箋8枚につづられていた

(2014年2月12日03時19分 朝日新聞 DIGITAL より)

==

2013年3月31日(日)午後9時00分〜9時49分放送 NHK スペシャル「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」

“現代のベートーベン”と呼ばれる日本人がいる。佐村河内守(サムラゴウチ マモル)、49歳。14年前に原因不明の病で両耳の聴力を失いながら、クラシック作品の中で最も困難とされる交響曲を書き上げた。現存作曲家の交響曲が演奏される事がほとんどない中、彼の「交響曲第一番“HIROSHIMA”」は、広島、東京、京都、大阪など5回も演奏されただけでなく、一昨年発売されたCDは、音楽チャートでTOP10入りを果たしJ-POPと上位を競うなど、“偉業”とも言える空前のヒットを記録した。
そんな彼が、今取り組んでいるのは、東日本大震災の被災者へ向けたピアノ曲「レクイエム」。彼の曲に勇気づけられたと、多くの被災者から声が届いたことを受け、“鎮魂”の思いを強く願うようになったのだ。しかし、震災を体験した訳でもない自分に、納得できる鎮魂曲が作れるのか…。被災地を訪ね、被災した人たちとの交流を深めるなど、佐村河内の格闘の日々が続いている。
番組では、音のない世界の住人、佐村河内がいかにしてレクイエムを完成させるのか。3月上旬に予定されている宮城での演奏会に向けた制作現場に密着。さらに、彼の交響曲に救いを見いだした被災者たちの取材も加え、“命を削り、音を紡ぐ”作曲家・佐村河内守の実像に迫る。

放送を終えて

私が佐村河内さんと出会ったのは5年前。以来、激しい耳鳴りや偏頭痛に苦しみながら作品を生み出し続ける佐村河内さんをずっと見続けてきました。大量の薬を服用し、生きていくだけでも困難な中、なぜ、作曲を続けるのか。この問いに対し、佐村河内さんは「人生は苦である。苦難、闇の中にいるからこそ、真実の音をつかむことができる」と、折に触れお話されてきました。同じ“ものを作る人間”として、その姿にいつも勇気をもらい、そのことを視聴者の方にも届けたいとの思いで、今回の番組を制作しました。
佐村河内さんは、「自分の作品を聴くことができない悔しさとみじめさは、今も乗り越えられていない」と語ります。それでもコンサート会場には、足を運ばれています。理由は、お客さんの拍手の振動を感じることができ、それが唯一の救いだからとのことです。私はこの先も佐村河内さんの音楽に、拍手を送りたいと思います。

ディレクター 古賀淳也

「自分にできることは、まずは彼女の、そして彼女のママの魂を救うこと。僕は1人しか救えませんよ。」 東日本大震災で、母親をなくした少女にささげるレクイエムの作曲にあたり、佐村河内さんが発したことばが、特に印象に残ったという声を、放送後、多くの方からいただきました。
佐村河内さんは言葉通り、膨大なメールのやりとりや、石巻に何度も足を運ぶなかで、少女の喪失感と対じし、レクイエムを作曲されました。そして完成後も、交流を続けています。
まだ10歳の少女は、ふだん悲しみを口に出したり、泣いたりすることはほとんどありません。ただ、夜、祖母の精子さんと手首をひもでつなぎ合わないと眠ることができない姿を見ると、その悲しみの深さを突きつけられます。
取材中、震災で失われたすべての命の背後に、こうした深い悲しみが横たわっていることに、改めて身がすくむ思いでいました。佐村河内さんが、たった1人のために生み出した音楽が、今も悲しみのうちにある多くの方々に届くよう願っています。

ディレクター 木下千種

(Internet Archive Way Back Machine より)

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