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2012年1月26日 (木)

東日本大震災(避難放送の女性職員 教材に/防災無線の女性職員 遠藤未希さん 死亡確認)

避難放送の女性職員 教材に

埼玉県は東日本大震災が起きた際、防災無線で避難を呼びかけ続け津波の犠牲となった宮城県南三陸町職員の遠藤未希さんについて伝える独自の教材を作り、新年度から小中学校などの道徳の授業で使っていくことになりました。

南三陸町危機管理課の職員だった遠藤未希さん(当時24歳)は、東日本大震災が起きた際、役場にとどまって防災無線で住民に避難を呼びかけ続け、津波の犠牲となりました。これについて埼玉県は、東日本大震災にまつわるエピソードをまとめた独自の教材の中に、遠藤さんを紹介する文章を載せ、新年度から県内の小中学校や高校などの道徳の授業で使っていくことになりました。この文章は「天使の声」という題名で、震災の発生から、遠藤さんが防災無線で避難を呼びかける場面を経て、遠藤さんの葬儀が営まれるまでが描かれています。この中では、難を逃れた町民が「あのときの女性の声で無我夢中で高台に逃げた」と涙ながらに遠藤さんの遺影に手を合わせたというエピソードも紹介されています。県教育局生徒指導課の浅見哲也さんは「町職員としての使命を全うした遠藤さんを通じて、子どもたちに人を思いやる心を育んでほしい」と話していました。遠藤未希さんの父親の清喜さんは「時間が経過するなかで、亡くなった娘の存在はどうしても遠くなってしまいます。まだ、教材の詳細を把握しているわけではありませんが、取り上げられることで、娘が生きてきた証しになると思います」と話していました。(1月26日 18時23分 NHK ニュースより)

私が遠藤さんなら多分逃げてたと思う。
災害はこわい。私はそれを知っている。

彼女は、押し寄せる津波を目視し、一方では逃げ惑う人々を見て、そして自分が死ぬかも知れないことを認識しつつ、ひとりでも多くの人を救うために最後まで避難を呼びかけたのだと思う。

遠藤さんは自分が死ぬかも知れないことを認識していたと思う。なぜなら、2009年の私の家の火事の際、煙の中から命からがら脱出した私の父(当時80才)からその時の父の話を聞くと、人間は直感的にみずからの死の危険を知る本能を持つと思えるからだ。

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防災無線の女性職員 死亡確認

津波が町を襲うなかで、住民の命を救おうと防災無線で避難を呼びかけ続け、その後、行方が分からなくなっていた宮城県南三陸町の職員、遠藤未希さん(24)が亡くなったことが確認されました。父親は「やっと娘が見つかり、よかったという気持ちはある一方、寂しい思いが募ります」と話しています。

宮城県南三陸町の危機管理課の職員、遠藤未希さんは、東日本大震災の当日、役場の防災無線を使い、押し寄せる津波から避難するよう何度も住民に呼びかけました。この呼びかけを聞いた多くの住民が命を救われる一方、役場自体が津波にのみ込まれる大きな被害を受けて遠藤さんの行方は分からなくなり、家族などが捜し続けていました。父親の清喜さんによりますと、先月23日に南三陸町の湾内で未希さんとみられる遺体が見つかったということで、警察のDNA鑑定の結果、震災から50日余りたった2日になって未希さんだと確認されました。未希さんの左足には、去年7月に結婚したばかりの夫、正喜さんがプレゼントしたオレンジ色の「ミサンガ」が巻かれたままだったということです。父親の清喜さんは「ずっと捜してきたので、やっと娘が見つかってよかったという気持ちはありますが、もう戻ってこないと思うと寂しい思いが募ります」と話していました。(5月2日 15時28分 NHK ニュースより)

避難呼び掛けた女性職員か 南三陸町、遺体発見

 津波被害を受けた宮城県南三陸町で、津波到達の直前まで防災放送で町民に高台への避難を呼び掛け続け、自らは行方不明となっていた同町職員遠藤未希さん(24)とみられる遺体が2日までに、同町の沖合で見つかった。母親の美恵子さん(53)によると、遺体は4月23日、捜索隊が発見。昨年7月に結婚した夫(24)がプレゼントしたミサンガが左足首に巻かれ、右肩にあざがあったことなどを、夫が遺体の写真で確認した。警察が最終的な身元確認を進めている。遠藤さんは、昨年4月に危機管理課に配属。3階建ての防災対策庁舎の2階で地震発生直後から「6mの津波が来ます。避難してください」と防災放送で何度も呼び掛けた。庁舎に残った約30人の職員のうち助かったのは10人。遠藤さんは行方不明になっていた。(2011年5月2日 11時59分 (2011年5月2日 12時52分 更新) 共同通信より)

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コメント

この子に、どんな「天罰」が下ったんでしょうね。
所詮、今回の人災を引き起こした55年体制の戯言だと思いますが。
それにしても、そんな輩を再選する首都東京の民主主義はどうなっているのでしょうかね。

石原氏は、頭がおかしい人なので、無視するほうがいいと思います。
(石原氏の悪口を書いたら、また右翼から私のブログにアタックがあるかもしれませんが、それは大歓迎です)。

>55年体制

55年体制は、自民 vs. 社会の二者択一しかなかった。

自民 vs. 社会

そのイデオロギー対立の中で、社会党のイデオロギーを嫌った人は、原発を推進する自民に投票せざるを得なかった・・・たとえ、その人が原発に不安を抱いていたとしても。

今夜のニュースウォッチ9の高村薫さんが私に、そのことを気づかせてくれました

彼女は人を危険より救わんととして、身の人よりもなおさらに危難に瀕せるを忘れたり、否、彼女は自己の危難を念とするにはあまりに職務に忠実なり、あまりに人を救わんとすることに急なりしなり、皇天に謝す!彼女の最後の一声はついに一万の惨死救えたり。しかれども何事ぞ、彼女は遂に職務に斃れぬ。先行き長き遠藤美希さんはわずかに二十四年の生涯をもって その命を未来に移せり、彼女は南三陸町の 否 宮城県の 否 永遠に日本国民の誇りである。世に語られる総ての美しき物語も美希さんの死に比すべくもない 彼女の死はまさにこの真面目なる理想の死なり、正にその本務に斃れ、職務に殉ずるものならざるべからず、人必ずしも寿命ならずして死するを須いず、然れども死せば願わくば理想の死を死なむ(願わくば花のもとにて春死なんその如月の望月のころ)福岡日日新聞 菊竹記者明治時代 記憶のままに引用 関二郎

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