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2011年9月 2日 (金)

大野和士指揮 ルカ・フランチェスコーニ作曲 歌劇『バッラータ』(2)

http://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-fb9c.html の続き】

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Ballata

Luca Francesconi (*1956 )
Ballata (1996 - 1999)
Opera in due atti
Libretto di Umberto Fiori
dalla Rime of the Ancient Mariner di S. T. Coleridge
Ancient Mariner: Marco Beasley
Young Mariner: Anders Larsson
Life in Death: Ildiko Komlosi
Death: Eberhard Francesco Lorenz
Steerman: Woo - Kyung Kim
Page / Third wedding guest: Laure Delcampe
First wedding guest: Donal J. Byrne
Second wedding guest: Stephan Loges
Moon: Susanne Schimmack
First Siren: Silvia Weiss
Orchestre Symphonique et Choeurs de La Monnaie
Conductor: Kazushi Ono
Computer misic: IRCAM - Centre Pompidou, Paris
A co-production with Oper Leipzig
Première 29 Octobre 2002
La Monnaie, Bruxelles
Live recording
STRADIVARIUS

ルカ・フランチェスコーニ作曲
歌劇『バッラータ』
大野和士指揮
ベルギー王立歌劇場(モネ劇場)

このオペラは、第1幕は劇的効果に乏しく面白くない。

第1幕はストーリーの進行が遅く、漫然としていて、だらだらしている(出港、北半球から南半球への航海、南極海で船が氷に捕まる。アホウドリの出現により危機を脱する。老水夫がアホウドリを殺す。船が無風によって動かなくなる)。第1幕は何を歌っているのか分りにくい(もっとも、正確な日本語歌詞対訳がないので、そう聞こえるのかも知れない。ブックレットに載っている英語歌詞対訳は丁寧ではないと思う)。ウンベルト・フィオーリの台本を正確かつ丁寧に日本語に訳したものがあればいいのだが・・・

(どなたか、イタリア語に強い方、私の歌詞対訳の間違いを修正して頂けませんか?)

しかし第1幕の音響は素晴らしい。第1幕への前奏曲は弦のトレモロに乗った高周波数の音で始まる。それはヴァイオリンのフラジオレット、または、木管に聞こえるが、よく聞くと電子音のようである。次いで低い弦のような音が入るがこれも電子音で加工されているようだ。その後、トランペット同音連発がからむ強烈な打楽器がすごい。前奏曲は迫力ある金管で終わる(この前奏曲は高音から低音に移行するという意味でラインの黄金の前奏曲の逆のパターンのようにも聞こえる)。そして、音楽は一旦静かになり、その後、リュートのような弦の音(多分電子音)から、第1場の小姓の歌に入る。

第1場冒頭、小姓を歌う Laure Delcampe は、もっとまともな英語で歌って欲しかった。Laure Delcampe は、ベルギー人のようだが、この人の英語は下手だ。

第1楽章前奏曲開始の高周波音のきらめきは、海の精、青、緑、ビロードの黒い光を放つ海の生き物たち(スライム)、海蛇、月のきらめきなどを表すモチーフなのか、あるいは、海の神秘そのものを表すのか・・・大航海時代の海は神秘的で不気味であるだけでなく、非常に危険な世界だった。その危険な世界を、この前奏曲は表しているのだろうか・・・。このオペラのストーリーの背景には、北半球と南半球、南極海と赤道直下、氷の中の凍えと太陽の中の渇きなど極端な対比が多いが、その広大な世界を、ルカ・フランチェスコーニは、大オーケストラと電子音のミックスによってうまく表していると思う。

歌手の中で私が気に入ったのは、Ildiko Komlosi(死の中の生, Life in Death 役)と Marco Beasley(老水夫役)。あと、Anders Larsson(若い水夫役)、Eberhard Francesco Lorenz(死神役)が気に入った。

老水夫役(語りと歌)の Marco Beasley はオペラ歌手ではないが歌がうまい。ちなみに老水夫と若い水夫は脚本の上で同一人物である。この二つの役は、オペラ全体を概ね交互に、または同時に語り歌う。老水夫は狂言回しの役である。「若い水夫」は老水夫が物語る若い頃の自分である。この二つの人格にはギャップがあり面白い。

このオペラは、第2幕第3場「死(死神)」と「死の中の生」の登場から面白くなる。

正確に言えば、第2幕第3場、「死」が歌うアリア「È ora. Il mio lavoro non può aspettare」から、このオペラはオペラらしくなる。そこから大野の指揮もさらに冴えて来る。そこから音楽もさらによくなると思う。退屈な第1幕からこの第2幕第3場までの緊張感を切らせなかった大野はオペラ指揮がうまいと思う。「死」が歌うこのアリアは約5分のアリアであり、このオペラにおいて唯一のオペラ・アリアらしいアリアである(この悪魔的アリアは、アルバン・ベルクのヴォツェックを思わせる)。このオペラは、基本的に伝統的オペラの形式を持っていると思う。第1幕の終わりは、全員が歌うグランド・コンチェルタート様式をとってるらしい(それは、残念ながらあまりぱっとしない)。第2幕の終わりも全員が歌うフィナーレの形式をとっていると思う。

(話は脱線するが「死(死神)」と「死の中の生」は、サイコロの賭け事をやっているのに、トランプのクイーンとかジャックとかが出てくるのはどういうわけだろうか)

しかし、このオペラの最高の聞き所は第2幕第4場である。そこは「死の中の生」が若い水夫をいたぶる場面であるが、その演奏時間は 25 分に及ぶ。結局、台本作者ウンベルト・フィオーリ及び作曲者ルカ・フランチェスコーニが言いたかったことは、この場面ではないかと思う(この場面は台本作者ウンベルト・フィオーリの創作であり、原作にはない)。YouTube で見ると、その場面の「死の中の生」に性的ニュアンス、エロティックな表現がある。この「死の中の生」は老水夫を死から生へと向かわしめる救済者である。死神がタナトスであるとすれば「死の中の生」はエロスである。

この「死の中の生」は、ワーグナーの「オランダ人」や「タンホイザー」の救済者とは違う。この救済者は女性的なものではあっても自らは死なない。ワーグナーの「オランダ人」や「タンホイザー」においては救済者も救済される者も死んでしまうが、歌劇「バッラータ」においては救済者も救済される者も死なないという点でワーグナーとは違う。その点で、このオペラは現代的であると思う。現代人は自ら命を絶たない限り、なかなか死ねない。現代人は救済者も救済される者も生きなければならない。現代において自己犠牲は自殺に過ぎない。その意味でこのオペラは、ワーグナーに対するアンチテーゼではないかと思う。

このオペラにおいて、救済は明確に示されていない。

原作では、アホウドリが老水夫の首から取れる:






Within the shadow of the ship
I watched their rich attire:,
Blue, glossy green, and velvet black
They coiled and swam; and every track
Was a flash of golden fire.

O happy living things! no tongue
Their beauty might declare:
A spring of love gushed from my heart,
And I blessed them unaware:
Sure my kind saint took pity on me,
And I blessed them unaware.

The self-same moment I could pray;
And from my neck so free
The Albatross fell off, and sank
Like lead into the sea.

小暗い船の影に入ると
海蛇たちは豪華な衣装を見せた。
青に、つややかな緑に、ビロードの黒に、
とぐろを巻いたり泳いだりして通った跡は
どこも金色の光がひらめいて消えた。

ああ幸せな生きものたちよ。どんな言葉も
その美しさを言いつくせはしない。
愛の泉が心から溢れ出し
思わずわしは彼らを讃えた。
情け深い守護聖者の思いやりのなか、
わしは思わず知らず彼らを讃えた。

まさにその時わしは祈ることができた。
すると首からアホウドリが
すらりと落ちて、鉛のように
海のなかへと沈んで行った。
第4部 277 行目 上島建吉訳




このオペラでは、海蛇、ぬるぬるした生き物スライムなど気持ち悪い生き物のきらめきと、夜の象徴である月の光を、老水夫が見ている場面で終わる。しかし、はっきりした救済のしるしはない。最後にささやかれるのは、相変わらず、海の精たちの「Vieni, vieni(おいで)」であり、それはあの世ともこの世とも知れない世界への誘(いざな)いである。サディスティックな「死の中の生」が与えてくれたマゾヒスティックな「Gioia crudele 残酷な喜び」が、老水夫を生に向かわしめる。

そもそも、コールリッジの「老水夫行」においても、このオペラにおいても、なぜ老水夫が吉兆のアホウドリを殺したかは、まったく語られていない。老水夫がアホウドリを殺した行為は、あたかもただの気まぐれのように書かれている(描かれている)。アホウドリを殺めるという老水夫の行為は「さまよえるオランダ人」の神に逆う行為のような明確な意味はないようだ。その点においてこの詩の寓意は不明確だ。老水夫がアホウドリを殺したのが気まぐれであるように、救済もまた気まぐれであるように思える。

【最後に】
この作品もまた、大音量で聴くと非常に気持ちがよい。
そして、この作品は、映像で見てみたい。
ミカエル・ジャレルとルカ・フランチェスコーニが、オペラに向かった理由は、やはりオペラがクラシック音楽の得意とするジャンルであるからだろう。他の現代作曲家も劇音楽に向かうのではないだろうか。

【歌詞対訳】
ルカ・フランチェスコーニ作曲 歌劇『バッラータ』第1幕 歌詞対訳
ルカ・フランチェスコーニ作曲 歌劇『バッラータ』第2幕 歌詞対訳

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