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2011年9月16日 (金)

ルカ・フランチェスコーニ作曲「Let me Bleed (2001)」「呵責の地 Terre del Rimorso (2000)」

Let_me__bleed

Luca Francesconi
Let me Bleed (2001) per Coro misto [23' 34]
quasi un Requiem per Carlo Giuliani
a production of the Swedish Radio / Berwaldhallen
Terre del Rimorso (2000) per Soli Coro e Orchestra [41' 31]
a production of the Südwestrundfunk (2001)
live recording
Swedish Radio Choir
Andreas Hanson, conductor
Radio - Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
SWR Vokalensemble Stuttgart
Peter Eötvös, conductor
Hans Kalafusz, violino solo
Françoise Kubler, soprano
Luciano Roman, voce recitante
Recording: 2003 / 2001
stradivarius

これは、2曲目の「呵責の地 Terre del Rimorso (2000)」におけるペーテル・エトヴェシュの指揮が良い。

無伴奏合唱曲「Let me Bleed (2001)」について
カルロ・ジュリアーニ(Carlo Giuliani 1978 - 2001)は、2001 年 7 月、イタリア、ジェノヴァで行われた先進国首脳会議に反対するデモに参加していたとき、「国家治安警察隊(カラビニエリ)」によって撃ち殺された。「Let me Bleed」は、カルロ・ジュリアーニのために書かれたレクイエムである。題材は、Attilio Bertolucci の Lasciami sanguinare という詩である。しかし、この詩はもともと、ジュリアーニの死とは関係がない。したがってその詩にも曲にもプロステストの意味はない。Lasciami sanguinare という詩は難解であり私はその良さが分らない。同様に、フランチェスコーニの「Let me Bleed」にも哀しみや痛切さより難解さを感じる。確かにこの音楽は哀しく悲痛だ。だが、詩・音楽が難しすぎると思う。

「呵責の地(Terre del Rimorso)」は、タランチュラ伝説(タランティズム)とエウリピデスの悲劇《バッコスの信女》を題材にした作品。これは、狂乱、狂気(集団催眠およびそれによるカタルシス)を題材にした作品だと思う。タランチュラに刺されたときその毒を抜くために踊りつづけなければならないという「タランテラの狂乱の踊り」は日本人には連想しにくい現象だと思ったが、そういえば、幕末の「ええじゃないか」はタランテラに似たある種の狂乱の踊りだったのではないかと思った。《バッコスの信女》については、ウィキペディアのペンテウスアガウエーおよびマイナス (ギリシア神話)を参照のこと。

マイナスは「わめきたてる者」を語源とし、狂暴で理性を失った女性として知られる。彼女らの信奉するディオニューソスはギリシア神話のワインと泥酔の神である。ディオニューソスの神秘によって、恍惚とした熱狂状態に陥った女性が、暴力、流血、性交、中毒、身体の切断に及んだ。彼女らは通常、キヅタ(常春藤)でできた冠をかぶり、子鹿の皮をまとい、テュルソス(en:thyrsus)を持ち運んでいる姿で描かれる。そこで未開時代に見合った粗野で奔放な踊りを踊る。

エウリピデースの悲劇、《バッコスの信女》の中で、テーバイのマイナデスが自分を崇拝しないということで、ペンテウスがディオニューソス崇拝を禁じた所、マイナデスに殺されてしまった。ディオニューソスはペンテウスの従兄弟だったのだが、彼をマイナデスの待つ森に誘き寄せた。そこでマイナデスはペンテウスを切り裂き、バラバラにした。マイナデスの中には母親アガウエーもまじっており、彼女がわが子の首を切り落とす場面がクライマックスである(その首はライオンのものと信じられていた)。マイナス (ギリシア神話)より

「呵責の地」は、バッコスの信女の狂乱と、タランチュラに刺された時に踊る女の狂乱を重ねている。以下、私の英語学力の限界の範囲で、ブックレットに載っているフランチェスコーニ自身の解説より。

「呵責の地」はストーリーが並行している。ひとつは、南イタリアに伝承されるタランティズムに基づく。それは、偉大な人類学者 Ernesto de Martino の大著に記述されている。この作品「呵責の地」は彼に献呈された。もうひとつは、ディオニソスが関係する。ディオニソスは作品が進行するなかで、最初は背景に、そして次第に前面に出る。ここに登場する「ディオニソス」は、エウリピデスの悲劇《バッコスの信女》のテキストである。

この作品のテキストは、Ernesto de Martino、アイスキュロスのプロメテウス、Ignazio Buttitta、Garcia Lorca の断片およびエウリピデスの悲劇《バッコスの信女》からなる。それらが絡み合い、大音量によって激しい狂乱になる。そして、それは「ダンス」においてクライマックスに達する(28' 15)。この「ダンス」は短いが、ストラヴィンスキーの春の祭典のダンスミュージックの迫力を持つ。その後は、ナレーターによって、エウリピデスの《バッコスの信女》のテキストが早口で語られる。それは物語を終わらせるためだけに語られるのではないかと思われるような早口だ。

まとめ
「呵責の地」は、オペラ、オラトリオ、音楽劇、声楽付交響曲のいずれでもなく、そのため、形式的に雑然としていてまとまりがないと思う(型にはまらない良さもないと思う)。フランチェスコーニは、この作品を定義していない(つまり彼は「per Soli Coro e Orchestra」としか書いてない)。この作品は何なんだ? 私が思うに、上にも書いたように、狂乱、狂気、集団催眠およびそれによるカタルシスを、非常に激しい音楽と、すごい大音響によってリスナーに体験させる音楽なのだろう。ペーテル・エトヴェシュは、そういう大編成の大曲がうまい。エトヴェシュはこの作品の欠点をカバーしていると思う。また、シュトゥットガルト放送交響楽団はジンマン指揮でベートーヴェンおよびマーラー交響曲全集を録音した実績を持つ。この演奏は指揮とオケと合唱に魅力があると思う。

追加
「呵責の地」
Hans Kalafusz(ヴァイオリン・ソロ)
Françoise Kubler(ソプラノ)
Luciano Roman(語り)
はうまい。

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