« 東日本大震災(“東電 賠償の免責はされず”) | トップページ | ヴァネッサ・ベネリ(ベネッリ)・モーゼル・デビュー(再掲) »

2011年4月29日 (金)

ハーゲン四重奏団 結成30周年記念アルバム

Hagen

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 ホ短調 作品 59 の 2
モーツァルト:弦楽四重奏曲 変ホ長調 K. 428 (421b)
ヴェーベルン:5つの楽章 作品5、6つのバガテル 作品9
ハーゲン四重奏団
2010 年録音
Myrios Classics

とりあえず、ルーカス・ハーゲンのインタビューを訳してみたが、多分半分ぐらいは誤訳だろう。

Q. この結成30周年CDは、ハーゲン四重奏団の進路を縮約したと言えますか?(直訳すると、何のために立っているかということを、くるみの殻の中で具現化しているか)

A. 勿論です。このCDは、私たちがいま重要と考えていることを具体的に表しています。それは、選曲だけでなく、音楽的解釈・アプローチにおいてもです。たとえば、モーツァルトの場合は、ドラマチックな効果を追求しました。それはある意味、いままで私たちがやらなかったことです。いまの私たちは、休符、フェルマータ、不協和音、そして演奏において情緒をできる限り生き生きと表現すること、そのようなことを非常に強く意識しています。それらを、すべからく、ウェーベルンにも当てはめて下さい。そもそも、ウェーベルンの場合は、激しい精神状態がはっきり音楽に表れています。そして、ベートーヴェンの場合も、重要なことは、彼に独特な非常に深い個人的感情を表すこと。ベートーヴェンは、実際に、第2楽章において、言わば「神」につながりたいという感情を表現しています。そういう感情が絶対温度として、モーツァルト、ベートーヴェン、ウェーベルンの3つの作品に貫かれています。ですから、それらの作曲家を組み合わせた選曲は、いまの私たちに適しているのです。

Q. 近年におけるハーゲン四重奏団の発展過程を、どのように言い表せばいいのでしょうか?

A. 原則的に、私たちは、大きな身振りで音楽を表わし、近年失われる傾向にあるコントラストを表そうとしています。多分、テンポ、休符などの時間感覚をこれまでとは異なった方法で創造しようと試みています。私たちにとって、非常に重要だったことは、ジェルジュ・クルターグとの出会いです。私たちは、彼と『ミハーイ・アンドラーシュへのオマージュ〜弦楽四重奏のための12のミクロリュード』Op.13 を共同で録音しました。その経験は、私たちを熱狂させ、ウェーベルンに、いままでとは違う光を当てさせ、いま一度、いままでと異なった解釈をしようというモチベーションを与えてくれました。そして、それは、私たちのベートーヴェンとモーツァルト解釈を再び実らせ、それがサイクルを生みました。そのサイクルの始まりが、最も新しい録音を含むこのアルバムです。クルターグとの経験を通して、私たちにとってのモーツァルトは、まさに現代的で人間味のあるものになりました。

Q. あなたがたの演奏は、近年、とりわけ、フレキシビリティを得ましたね。あなたがたの型にはまらないモーツァルトは、大いに議論の対象になっているようですが。

A. ひとたび、このフレキシブルな演奏に慣れてしまうと、従来の硬直した演奏に違和感を抱くでしょう。従来の硬直した演奏は、抽象的で、取って付けたような音楽に聞こえるでしょう。20 世紀の演奏には、リズムの厳格さや、その他の厳格さに基づいた伝統がありました。しかし、素晴らしいことに、結果的に、その他のアプローチも発展しました。より音楽言語に即したアプローチです。それが私たちの目的です。

Q. それは、ヒストリカリー・インフォームド・パフォーマンスと関係があるのでしょうか?

A. はい。ヒストリカリー・インフォームド・パフォーマンスの音楽的レトリックに関する知識は、私たちに影響を与えました。ニコラウス・アーノンクールとの共演は、クルターグとの共演と同様に、私たちにとって重要な体験でした。しかし、ヒストリカリー・インフォームド・パフォーマンスというカテゴリーに分類されることには、私たちは興味を持ちませんでした。私たちには、2010 年に、私たちが何を感じるかが問題であって、人々が、1780 年に、何を感じたかを推し量ることは問題ではありません。逆説的ですが、過去を顧みるという経験は、結果的には、現代的な帰結につながるのです。

Q. あなたがたの解釈の変化は、無意識的なプロセスですか、それとも意識的なものでしょうか?

A. 勿論、コンサートで、聴衆が頭を悩ませなければならないとすれば、それは喜ばしいことではないでしょう。しかし、同時に、解釈というものは、単純に、一つの作品を、一定期間放置しておくことだけでも変わるのです。それから、再び、その作品を取り出すだけで、多くのことが発見されます。それは、まったく、意図されたものではないですね。それは個々の個人的発展・発達のプロセスです。音譜を見るだけでも、無数の選択肢があります。アーキテクチャーを強調するか? 和声を強調するか? そして、音楽以外の要素に目を移し、音符が、音符以外のメッセージを担っているということ受け入れれば、たちまち、作品に対する私たちの認識は、完全に変わるのです。聴衆が、たとえば、シューマンの弦楽四重奏曲のひとつに、詩的な世界の全体が反映されていることを受け入れれば、シューマンに対するイメージは変わるのです。そうすれば、聴衆はすぐに、記譜法が何かの終わりではなく始まりであることを知るでしょう。まさにそのようなことを、近年、私たちは多く経験しました。その場合、私たちは、私たち独自のスタイルを持とうとしませんでした。そうではなくて、私たちは、作曲家が、外見上、私たち演奏家に何を課しているのかを、できるだけ真摯に追求しました。もし、そのことから独自のものが発展すれば、それは歓迎すべき副産物です。

【このアルバムについて】
ウェーベルンを、SACD の高音質で聴けるということ以外は、私は良くないと思う。恣意的なモーツァルトは聴くのが疲れる。ベートーヴェンも、なんだか恣意的で面白くない。ウェーベルンは、非常に良いというわけではないが、音が良いので、これだけは良かった。ただし、私は、ウェーベルンはあまり得意じゃないので、この演奏が本当に良いのか悪いのかは分かりません。
録音は良いと思う。ただし、つややかな弦の音は聴けない。むしろ、きつい音、つまり、高周波数の金属的な音が目立つ(偏っている)。しかし、この録音は私の気に入った。

【モーツァルト:弦楽四重奏曲 変ホ長調 K. 428(421b) について】
・全体的に遅い演奏だと思う。
・第1楽章の第4小節目から、いきなり、四分休符が長い。
・いわゆる「溜め」が多い。
・ノンヴィブラートはうまいと思う。
・メヌエットは遅く、トリオは速い。
・スフォルツァンド、フォルテ、テヌートを強調しすぎる。
・デフルメしているというより、品がない。
・第4楽章(4分の2拍子)の第1主題の四分休符が長いのは、やめて欲しい。
・しかし、ハーゲン四重奏団のハイドンセット(旧録音)は、全然、面白くなかったが、こっちのほうが面白いと思った。
・久しぶりに、モーツァルトの楽譜をダウンロードして、楽譜を見ながら音楽を聴く機会を得たのは良かった。
・第3楽章のメヌエットは、2部形式になっているということはいままで気がつかなかったが、このアルバムを聴いて初めて気づいた。【注】

【注】「メヌエット(2部形式)」+「トリオ」という意味です。

【まとめ】
このアルバムは、全部を通して聴くのが疲れる。このアルバムは、評価が二つに分かれるだろう。「しつこくて品がない。ハーゲンは衰えた」という評価と「新境地に達したハーゲン健在なり」という評価。

« 東日本大震災(“東電 賠償の免責はされず”) | トップページ | ヴァネッサ・ベネリ(ベネッリ)・モーゼル・デビュー(再掲) »

ベートーヴェン」カテゴリの記事

モーツァルト」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/276661/39799510

この記事へのトラックバック一覧です: ハーゲン四重奏団 結成30周年記念アルバム:

« 東日本大震災(“東電 賠償の免責はされず”) | トップページ | ヴァネッサ・ベネリ(ベネッリ)・モーゼル・デビュー(再掲) »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近の記事

カテゴリー

無料ブログはココログ