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2011年2月24日 (木)

ショスタコーヴィチ:ヴァオリン協奏曲 第1番 作品 99(作品 77)聴き比べ

Oistrakh

オイストラフ(1956年録音モノラル)

Mullova

ムローヴァ(1988年録音)

Hahn

ヒラリー・ハーン(2002年録音)

Skride

Baiba Skride
Violin Concertos
Dmitrij Shostakovich
Violin Concerto Nr. 1 Op.77
Münchner Philharmoniker
Mikko Franck, conductor
Leos Janacek
Violin Concerto "Wanderung einer Seele"
Rundfunk - Sinfonieorchester Berlin
Marek Janowski, conductor
(2004 年録音)

Chang

サラ・チャン

Batiashvili

Shostakovich
Violin Concerto no. 1 in A minor op. 77
Giya Kancheri (*1935 )
V & V
for violin and taped voice with string orchestra
Shostakovich
Lyrical Waltz
from Seven Dolls' Dances
Arvo Pärt (*1935 )
Spiegel im Spiegel
Rachmaninov
Vocaklise op. 34 no. 14
Lisa Batiashvili, violin
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
Esa - Pekka Salonen
Hélène Grimaud, piano
Recording: 2010

これは、オイストラフのとムローヴァのが良いと思う。理由は、第3楽章のパッサカリアが良いから。

ショスタコーヴィチが、この作品に、パッサカリアという古い形式を持ち込んだのは、オイストラフのスタイルに合わせたからではないか。と思えるぐらい、パッサカリアにおけるオイストラフの演奏は「ユダヤ的泣きの旋律」が生きている。むかし、N 響アワーで池辺晋一郎氏が、この作品はユダヤ音楽の影響があると言って、第2楽章スケルツォを流していたが、第3楽章の哀愁帯びた旋律もユダヤ的ではないかと思う。

「トロンボーン吹きによるクラシックの嗜好」さんで紹介されているショスタコーヴィチ/プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番/チャン/ラトル [EMI]を、私は火事で焼失してしまったが、買い戻さないことにする。理由は、トロンボーン吹きによるクラシックの嗜好さんのレビューで、パッサカリアが良くないと書いてあるからだ:

「しかし録音の関係もありますが、伴奏が混沌としており、それに伴い音楽的な明瞭度も落ち、感動できるほどの体験には至りません」(サラ・チャンの演奏につきましては、トロンボーン吹きによるクラシックの嗜好をご参照下さい)

「トロンボーン吹きによるクラシックの嗜好」にも「(第 3 楽章は)この作品の核心部分でもあります」とある。このパッサカリアの旋律は最終楽章でも再現するし。

カデンツァから最終楽章にかけては、ヒラリー・ハーンの激しい演奏、ヴァイオリンの弦が2、3本切れるんじゃないか思わせるほどヴァイオリンを痛めつける演奏(あるいはヴァイオリンそのものが壊れるんじゃないかと思わせるほどの演奏)を大音量で聴くと気持ちよい。それにハーンの演奏は第2楽章スケルツォも気持ちよい。したがって、ハーンのショスタコーヴィチ:Vn 協奏曲のスケルツォ、カデンツァ、最終楽章は、オイストラフの権威ある演奏を、技巧と力でねじ伏せる迫力があり意義ある演奏だと思う。しかし、ハーンの第1楽章とパッサカリアには、私はゾクゾクしない。それに対し、ムローヴァの演奏は、全楽章を通して良いと思う。その理由は指揮者がうまいからだと思う(アンドレ・プレヴィン)。ムローヴァ盤の第2楽章スケルツォのリズムの乗りが良いのも、やはり指揮者がうまいからだろう。

ハーンのクールな演奏を好む人は、彼女の第1楽章とパッサカリアは問題なし、と思うかも知れない。私も、バティアシヴィリ(Lisa Batiashvili)の第1楽章を聴くまではそう思っていた。しかし、バティアシヴィリの第1楽章を聴いて考えが変わった。この第1楽章は、3部形式であり、中間部は弱音器をつけたトランクイロなのだが、ここはやはりコントラストをつけた方が良いと思う。ハーンの第1楽章はコントラストが希薄なのに対し、バティアシヴィリの第1楽章にはきれいなコントラストがありゾクゾクする。

ところが、バティアシヴィリの第2楽章は良くない。今度は、ハーンのスケルツォにおける3拍子と2拍子系の対比、躍動が、バティアシヴィリにはないと思う。第1楽章で、サロネン(Esa - Pekka Salonen)は、バティアシヴィリをうまくサポートしているのに、第2楽章で、彼はもたもたしていると感じるのは私だけだろうか。サロネンのサポートは、第3、4楽章も冴えないと思うし、バティアシヴィリの演奏もハーンほどのインパクトはないと思う(カデンツァは悪くないが)。

スクリデは、もともとよく泣くヴァイオリニストであり、リズム感も良い演奏者なのだが、指揮者が悪いのか、面白さはあるが支離滅裂な演奏だ。

主観的な感想文になってしまった。

【2月26日 追記】
よく聴くとバティアシヴィリは、パッサカリアもよく弾いているようだ。結局、テンポの速い楽章におけるサロネンの指揮が私の好みに合わないのかも知れない。

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