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2011年2月 7日 (月)

フランク・マルタンのオラトリオ「ゴルゴタ」その2

Martin

Frank Martin
Golgotha
Oratorio d'après les Evangiles et des textes de Saint Augustin
Judith Gauthier, soprano
Marianne Beate Kielland, alto
Adrian Thompson, tenor
Mattijs van de Woerd, baritone
Konstantin Wolff, bass
Cappella Amsterdam
Estonian Philharmonic Chamber Choir
Estonian National Symphony Orchestra
Daniel Reuss, conductor
Recoered: 2009

この作品は、4つの福音書から、テキストが取られている。

第2曲 枝の主日(エルサレム入場) マルコ 11: 9, 10 ヨハネ 12: 27 - 32
第3曲 神殿での説教 マタイ 23: 1 - 4, 13, 27 - 39
第4曲 最後の晩餐 ルカ 22: 14 - 16 ヨハネ 13: 1 - 2, 21 - 30 ルカ 22: 19, 20, 39
第5曲 ゲッセマネの園 マルコ 14: 32 - 43, 45, 46, 48 - 50 ルカ 22: 53
第7曲 最高法院で裁判を受ける マルコ 14: 53, 55 - 65
第8曲 ピラトから尋問される ヨハネ 18: 28 - 31, 33 - 40, 19: 1 - 7, 15, 16
第9曲 カルバリの丘(ゴルゴタの丘) ヨハネ 19: 17 - 19, 23 - 30

私は、前の記事で、この作品におけるピラトの扱い方はなんとなく作為的で気に入らないと書いたが、それでもやはり、この作品のクライマックスは第8曲「ピラトの尋問」だと私は思う。また、第9曲「カルバリの丘」も、ヨハネから取られており、この作品は「ヨハネ」のカラーが強いと思う。この作品が、特定の福音書に基づく受難曲ではないというのは、この作品の特徴であり、また、この作品は、受難曲というジャンルとは一線を画すると言ってもいいかも知れない。

バッハの受難曲が、イエスの死の予告や捕縛に近いところから始まるのに対し、この「ゴルゴタ」は、イエスのエルサレム入場、すなわち華々しい場面から始まる。この作品は、本当に受難曲なのだろうか。第2曲「枝の主日」で、イエスは死を予告するが(ヨハネ 12: 27 - 32)、その前の部分で、ホサナが歌われイエスは、エルサレムの人々に熱烈に歓迎されている(マルコ 11: 9, 10)。マルタンは「ヴァイオリンと2つの弦楽合唱のための6つの受難のイメージ Six images of the Passion of Christ for violin and two string orchestras」というのを書いているが、ここでも、第1曲は「枝の主日のイメージ(I. Image des Rameaux)」である。

しかし、イエスがエルサレムに入場したとき(第2曲 枝の主日)、イエスは「死ぬために」エルサレムに来たと捉えるのは難しい。彼はエルサレムに何かをしに来たはずだ(宣教・福音をするために来た)。

マルタンの「ゴルゴタ」において、第3曲「神殿での説教」で、イエスは、痛烈に律法学者たちやファリサイ派の人々を批判している(マタイ 23: 1 - 4, 13, 27 - 39)。これは説教というより、律法学者たちやファリサイ派の人々に対する猛烈な非難であり強烈な攻撃であり、また挑発でもある(蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか)。

この第3曲は、私は好きな場面である。このイエスの長い演説は、マルタンの音楽によって説得力があり、迫力があり、聴き応えがあり、全然退屈させない。私が「ゴルゴタ」第2部より第1部が好きなのは、この第3曲「神殿での説教」が、すばらしく、ユニークだからである。

たしかに、第3曲におけるイエスのメッセージを聴くと、彼があえて「死」を覚悟して律法学者たちを攻撃したとも受け取れる。その意味では、彼のこの説教は「受難」につながっている。しかし、なにより、第3曲「神殿での説教」は、この作品において、イエスの宗教改革者としてのメッセージ、思想を、歌手の肉声でリスナーに聴かせることに成功している。その過激なイエスの言動は、他の受難曲にはない。その「過激さ」は、第3曲「神殿での説教」の前の第2曲「枝の主日」にて歌われる:

Jusqu’où ton humilité te fait-elle descendre?
あなたは、いかにへりくだり、際限なく謙遜することか?
À quoi te porte ta bonté pour les hommes?
あなたの人への寛容を誰が測り得ようか?

における「寛容」「謙遜」に反するイエスのイメージであり、そのイエスの二面性がこの受難曲を盛り上げる。

以上、理屈っぽくなってしまった。

第2曲において、スーパー・スターとしてのイエスの栄光を表現し、第3曲でイエスの威厳を示し、最終曲 第 10 曲「復活」で、イエスの復活を祝すこのオラトリオは、受難曲というより、イエスの伝記を表したオラトリオであり、その意味では、ヘンデルのメサイアに近いかも知れない。

この作品はキリスト教の神秘を、美によって表した作品だと思う。独唱者によって歌われるアリアは、美しい(アウグスティヌスのテキストの部分)。こういう作品を聴く時、やはり、言葉(フランス語)を理解できれば、その美しさをもっと深く味わうことができると思わされる。

というわけで、私は、これを機会にフランス語の勉強をすることにした。

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