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2011年1月18日 (火)

フライ/ヨーコ・オノ

Fly

フライ/ヨーコ・オノ(紙ジャケット仕様)

私は、平山美智子の声と小野洋子の声を比較したが、それは間違いだった。両者が似ているとしても、それは偶然だろう。

久しぶりに小野洋子の「フライ」というアルバムを聴いてみると、これは評価するにも値しないアルバムだと感じた。

「前衛、アヴァンギャルド、新しいもの、それらはすべて、シンプルなものであり、発想の転換さえあれば一朝一夕に創作可能である」

小野洋子には、上記のような安易な考えがあったのではないだろうか。彼女の代表作の一つ「フライ」を聴く限り私はそう感じる。「フライ」というアルバムの中身は、すべてがモノマネであると私は感じる。スタイル、コンセプトが借り物なのだ。

彼女は、少なくとも一つの作品を10年もかけて作るという発想は持っていなかっただろう。芸術作品を苦労して作るということは、ばかげたことだと思っていたかも知れない。彼女は、アマチュアとプロの違いも分からない人だったと思う。

歴史上、すぐれたアマチュアの芸術家は多数存在する。カフカだってアマチュアだった。しかし、世の中には命がけで作品を作る芸術家が存在することを、彼女は知っていたのだろうか。カフカはアマチュアだったが、長時間の執筆による無理がたたって結核を悪化させた。

また、小野洋子は、彼女のパフォーマンスにおいて観衆の面前で聖書のページを破り、それを観衆に配ったことがあった。彼女はそのことで非難された。彼女はその後、プレスでそのことを謝罪しながらも「それは聖書を理解してもらうためのパフォーマンスであった」と主張した。しかし、前衛とは、何をやっていいということではない。

彼女には、芸術家に必要なハングリー精神がない。彼女の創作はレディーメードであり、彼女は目の前にある素材しか使わない。貧困や苦悩の中、長い年月をかけて芸術家が手に入れるべき素地がない。彼女は元来、芸術家としてズレてる、ハズしている。彼女の発想は安易である。いや、それ以前に幼稚だ。この「フライ」という作品は、お嬢様の学習発表会にとどまると思う。

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