« シュトックハウゼンのシュティムング(再掲) | トップページ | Elise Båtnes の「バルトーク:無伴奏ヴァイリン・ソナタ」 »

2011年1月 9日 (日)

Meditations John Coltrane

Medetations

Meditations John Coltrane

1. The Father And The Son And The Holy Ghost [12' 50]
2. Compassion [6' 50]
3. Love [8' 11]
4. Consequences [9' 10]
5. Serenity [3' 31]

Personnel:
John Coltrane, tenor saxophone, percussion (left channel)
Pharoah Sanders, tenor saxophone, tambourine, bells (right channel)
McCoy Tyner, piano
Jimmy Garrison, bass
Elvin Jones, drums (right channel)
Rashied Ali, drums (left channel)
Recorded: 1965

コルトレーンの作品は、楽曲に標題がついているので聴きやすい。というか、その標題をヒントにして聴くことができる。第1曲の「父と子と聖霊」は、とても騒がしい音楽の中、コルトレーンのテナー・サックスにより穏やかなメロディが奏でられる。第1曲で私が連想するのは、新約聖書の使徒言行録 2 章 1 節以降の「聖霊降臨」の場面である。以下にそれを引用する。

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。(中略)彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』使徒言行録 / 2 章 1 - 13 節

聖霊が降りてきた時、そこはパニック状態だった。そこに集っていたのはイエスの弟子たち、すなわちガリラヤ(イスラエル北部の地方。キリストが福音を説いた地)の人々であった。彼らはガリラヤ語しか話せないはずなのに、聖霊に満たされ、突然、諸外国の言葉を話し始めた。だからその騒ぎを聞いて駆けつけた諸外国の人々は「なぜ、ガリラヤ人たちが諸外国の言葉(つまりガリラヤ人が話せるはずがない諸外国の言葉)を話せるのか」と驚いた。

「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。すなわち「聖霊降臨」のときの状況は、あたかも、酔っぱらいが意味の無い言葉を、変な言語でわめき散らしているような騒乱状態だったということだろう。第1曲の「父と子と聖霊」は、その騒乱の激しさを表していると思う。と同時に、コルトレーンが奏でる旋律は「聖霊に満たされた人々の霊的な高揚」を表しているのだろう。

第2曲の「慈悲」は、マッコイ・タイナーのピアノがフィーチャーされている。この曲の意味は、私には解らない。

第3曲の「愛」は、ジミー・ギャリソンのベースのソロに続いて、コルトレーンの美しいソロがフィーチャーされている。これは、言うまでもなく性的な愛「エロス」ではなく「アガペー」すなわち「キリストの愛」をコルトレーンが提示したのだと思う。

第4曲の「因果」で、このアルバムはまた激しくなる。コルトレーンは、愛がもたらす「因果」の表現をファロア・サンダースに任せた。しかし、第4曲の「因果」におけるファロア・サンダースの演奏を聴くと「愛」に続く「因果」が、どうしてこんなにすさまじいのか、正直言って私には解らない(もしかして、第3曲「愛」のコンセプトと第4曲「因果」のコンセプトはつながっていないのかも知れない)。

わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』ヨハネの手紙一 / 4章 16節

上記のようにヨハネは「神は愛です」と、あっさりと言い切っている。しかし、ここまで言い切るのは難しいことだと思う。

「神は愛です」ということは、理論的には「神=愛」ということだ。しかし「神=愛」というのは飛躍ではないかと私は思うことがある。その飛躍と、ファロア・サンダースの第4曲「因果」における激しい演奏は関係あるように思える。ファロア・サンダースは「神は愛です」というシンプルな言葉を、キリスト教の最も神秘的で難解な教義と捉え、第4曲「因果」において、それを問題提起したのではなかろうか。そしてサンダース自身が「神は愛」であることを悟れずに、もがいた。その結果、サンダースの第4曲は激しいのかも知れない。この第4曲は重要な曲である。しかし、私には理解不能である。

第5曲「静寂」は祈りのように聞こえる。キリスト教の祈りの中に「冷静さを求める祈り(The Serenity Prayer)」という祈りがある。第5曲で、コルトレーンは静かに、かつ情念をもって祈っている。
「静寂」と題された曲においてさえ、平安への希求は切実に聞こえる。

・最後に
以上、宗教臭いことばかり書いたが、このアルバムの魅力は、新旧メンバーの共演であること(エルヴィン・ジョーンズとマッコイ・タイナーはこのアルバムを最後に去る)、その後のコルトレーンのアルバムより、音楽もコンセプトも統一性、一貫性を持つことであろう。もう一つの魅力は、激しさの中の「美」だ。

【聖霊降臨(ペンテコステ)についてウィキペディアへのリンク】
ペンテコステ

Elgrecopentecost

エル・グレコ「聖霊降臨」

« シュトックハウゼンのシュティムング(再掲) | トップページ | Elise Båtnes の「バルトーク:無伴奏ヴァイリン・ソナタ」 »

ジャズ」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/276661/38394869

この記事へのトラックバック一覧です: Meditations John Coltrane:

« シュトックハウゼンのシュティムング(再掲) | トップページ | Elise Båtnes の「バルトーク:無伴奏ヴァイリン・ソナタ」 »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近の記事

カテゴリー

無料ブログはココログ