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2010年12月26日 (日)

クルターグの「カフカ断章」前書き

Kurtag

György Kurtág
Kafka - Fragmente op. 24
Juliane Banse, soprano
András Keller, violin
Recorded September 2005
Produced by Manfred Eicher

私は大学で、2年間、カフカを研究した。よって、カフカを題材にしたクルターグの「カフカ断章」をもっと早く購入すべきだった。しかし、シノーポリの新ウィーン楽派録音集成におけるユリアーネ・バンゼ(Juliane Banse)によるアルバン・ベルク(7つの初期の歌)・・・これは、私はあまりうまいと思わなかったので、バンゼが歌う「カフカ断章」を買うのを躊躇していた。

ところが、クラウディオ・アバド指揮の「Grabstein für Stephan, Stelle」でクルターグの作品を聴いて、クルターグが気に入った私は、それをきっかけに、クルターグの「カフカ断章」を購入した。その結果は以下のとおりだ。このアルバムにおけるユリアーネ・バンゼは、まったく期待していなかったにもかかわらず、とてつもなく見事である。ユリアーネ・バンゼ&アンドラーシュ・ケラー(András Keller)による「カフカ断章」に、私は、100 %満足だ。出来が良過ぎると言ってもいい。このアルバムはカフカの作品の愛読者であった私、しかも、カフカを原文で読んだことがある私にとって美味し過ぎる(それ以外の人、つまりカフカを知らない人は、これを、如何に評価するのだろうか)。

カフカについては、何も書かないことにする。書き始めたらきりがないからだ(ウィキペディアのカフカの記事を読めば、私の下手な解説よりもずっと正確で詳細な情報が得られる)。ただ、一言だけ。クルターグの「カフカ断章」は箴言集とか格言集ではない。すなわち「カフカ断章」は、カフカが残した日記や手紙からアトランダムにピックアップされた短い文の集まりに過ぎない。それは文学的・哲学的意味を持たない。また、カフカの日記や手紙における前後の文脈無しに、それらの断章を読んでも無意味だと私は思う。ところが、クルターグという人は、カフカの膨大なテキストから、上手に断章を抜き出し、そして、それを音楽と同化し、カフカの魅力を引き出すことに完璧に成功している。クルターグのカフカに対する理解は相当なもんである。クルターグのセンスは、カフカの言語明瞭・意味不明(正確には「カフカの言語明瞭・意味明瞭しかし理解不能」というべきか)と完全にマッチしているのかも知れない。

私は、バンゼが「Ruhelos(眠れない)」と歌うのを聴くと「あ、これは自分のことだ」と思ってうれしくなるし、「Nichts dergleichen(そんなことはない、または、そんなものはない、または、そんなはずはない)」でバンゼが「Nein! Nein!」と小野洋子のようにわめき散らすのを聴くと元気になる・・・というか、クルターグの「カフカ断章」は私にとって、とても懐かしい作品に思える。これは、憂鬱な気分に落ち込んだ私にとって、よきクリスマス・プレゼントだ。

【HMV.co.jp へのリンク】
クルターグ:カフカ断章 バンゼ、ケラー

以下に、歌詞を試訳してみたので、良かったら参照下さい。誤訳もあると思いますが。

クルターグの「カフカ断章」試訳

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