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2010年8月23日 (月)

アバドのマーラー全集(1)

Abbado

「jpc.de」に注文していたGustav Mahler Symphonien Nr. 1-10 Claudio Abbadoが届いた。

CD 盤を傷つける「恐怖の iMac スロットローディング SuperDrive」にて(盤に傷が入るのを怖れつつも)下の3つを聴いてみた。

・交響曲第1番ニ長調『巨人』
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音:1989年12月、フィルハーモニー、ベルリン(ライヴ)

・交響曲第5番嬰ハ短調
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音:1993年5月、フィルハーモニー、ベルリン(ライヴ)

・交響曲第4番ト長調
 フレデリカ・フォン・シュターデ(S)
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音:1977年5月、ムジークフェラインザール、ウィーン

以下に、他人のレビューを借用して、私の印象を述べる。

http://www.hmv.co.jp/product/detail/413750のレビューに、

>アバドは青年壮年期には、若々しい自己主張あふれる演奏だったが、晩年になり、自らの主張は消し去り(良きも悪しきも)作品に語らしめるかのような枯れた境地に変貌を遂げている。ここではその中間期に当たる80年代後半から90年代前半のものが多い。

とあるが、上記の3曲の中では、第 1, 5 番に、私はアバドの自己主張を感じた。第 4 番は「作品に語らしめる」安定感があると感じた。第 4 番には確信をもった自己主張、第 1, 5 番は、変な自己主張が聞こえるような気がする。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000001GY5/の「CDジャーナル データベースより」に、

>アバドが70年代に行なった録音は,マーラー演奏に新しい光を与えた。楽譜そのものに立ち返ることで,複雑な音の構造をみごとに描き出し,その本来の美しさを導き出したからだ。いわゆるマーラー的な感傷性や曖昧な要素はまるでない。じつに新鮮な音楽。

とある。この文章が、交響曲第 4 番(1977年)に当てはまると思う。アバドの第 4 番は、作品の雄弁さが(ありきたりな表現だが)自然で、新鮮である。第 3 楽章は、実にすばらしい。これは、バーンスタイン新盤に匹敵するんじゃないかな。第 4 楽章のフォン・シュターデも非常に丁寧に歌っており(非常に丁寧にアバドによって歌わされており)好感持てる。

アバドのマーラー第 4 番には「必要な恣意」があり、第 1, 5 番には「不必要な恣意」がある。(すべての録音に当てはまるわけではないと思うが)90 年代のアバドの演奏は、彼が「衰え」を隠そうとし --- そのために余計な音楽が聞こえるような気がする。

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