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2009年10月30日 (金)

ジェニー・リンのショスタコーヴィチ 作品87


Lin


Shostakovich
24 Preludes & Fugues, op. 87
Jenny Lin, piano
Recorded 2008
Hännsler

ショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ 作品87」

私はこの作品を、大昔、リヒテルによる抜粋盤(LP レコード)で聴いた。【注1】

私にとって、親しみ、想い出、思い入れがある作品87の全曲盤を、ニコラーエワ(1987年録音)、キース・ジャレット(1991年)、シチェルバコフ(1999年)、アシュケナージ(1996 - 1998年)の演奏で聴いたが、どれもピンと来なかった・・というか、途中で退屈する。そこで、米国アマゾンのカスタマーレビューで評判が良いジェニー・リン盤を買ってみたところ、これが良かった(米国アマゾンのカスタマーレビューは参考になることが多い)。

上記、ニコラーエワ、ジャレット、シチェルバコフ、アシュケナージを聴いた後、久しぶりに、リヒテルの作品87抜粋盤(LP レコード)を聴いてみると、リヒテルの演奏には民族性が聞こえるような気がした。そして私は、作品87に、ひたすら、リヒテルで聴いた素朴な民族性を求めた(私が、ニコラーエワ、シチェルバコフ、アシュケナージなどのロシア系のピアニストに民族性を感じなかったのは不思議だ)。

ジェニー・リンの演奏は「フーガ」がうまい。彼女のフーガにおける表現の豊かさは、最初、この作品の持つ民族性を、私に伝えるように思えた(だから気に入ったのだ)。だが、それは私の主観(あるいは間違い)だったのかも知れない。彼女の演奏を再度聴いてみると、私が求めていたロシア、ユダヤの民族性というものが、主観的・相対的なものに思えてきた。われわれ日本人が、ロシア、ユダヤの「深い民族性」を聴くのは難しいだろうし、また、ショスタコーヴィチが、この作品87において、どれほどの民族性を表したのかを知るのも難しいだろう。

それでも私は彼女の演奏が気に入っている。【注2】

なお、彼女の演奏において、第17番変イ長調のフーガの終わりのほうで(3分10秒あたり)、低音のテーマが消えかかるのは、彼女の演奏上のミスであろうか。あと、第24番ニ短調の大フーガのクライマックス(6分54秒あたり)で、この音盤は音が割れる。

【注1】リヒテルが演奏した作品87は、Richter the Master, Vol. 3: Scriabin, Prokofiev, Shostakovichに入っているが、Es-Dur, As-Dur, Des-Dur, e-Moll, gis-Moll, F-Dur の6曲のみ。おそらく、リヒテルは全曲録音をしていない。

【注2】キース・ジャレットのも悪くないが、20曲目あたりで退屈する。

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