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2009年5月29日 (金)

クナッパーツブッシュの《バラの騎士》


Rosenkavalier


RICHARD STRAUSS
DER ROSENKAVALIER
Hans Knappertsbusch
Wiener Staatsoper
Die Feldmarschallin: Maria Reining
Der Baron Ochs: Kurt Böhme
Octavian: Sena Jurinac
Faninal: Alfred Poell
Sophie: Hilde Güden
Recorded on 16 November 1955
RCA

いまはもうないが、以前《バラの騎士》の音源について詳しく比較し論じたサイトが存在した。そのサイトで、クナッパーツブッシュの《バラの騎士》が絶賛されていた。私は随分前にクナの《バラの騎士》を聴いたときに、第2幕で、ゾフィーがオックスからいじめられて、べそをかいている場面や、幕切れでオックスが酔いつぶれている場面が、リアルで味があるという印象しかなかったが、久しぶりに聴き直してみると、この《バラの騎士》はポイント高いと思う。

Wikipedia に、うそかまことか下記の記述がある


「クナッパーツブッシュは大変な練習嫌いで通っていたが、たとえ練習なしの本番でも、自分の意のままにオーケストラを操ることができる類稀なる指揮者であった。(中略)1955年に再建されたウィーン国立歌劇場の再開記念公演で、リヒャルト・シュトラウスの楽劇『薔薇の騎士』を上演することになった時には、練習場所のアン・デア・ウィーン劇場でメンバーに向かって「あなたがたはこの作品をよく知っています。私もよく知っています。それでは何のために練習しますか」と言って帰ってしまった。この本番のライヴ録音はCD化されているが、『薔薇の騎士』の名盤の一つに数えられている。」


この録音が、一発録りの無編集録音だとすれば、クナッパーツブッシュという人は、劇場という空間、環境のみならず、本当に「演劇」を「よく知っていた」人だと思う。《バラの騎士》は、多様な解釈を許す演劇だと思う。たとえば、マルシャリンの夫は性的不能者だったのではないか...とか、それとも反対に夫が精力絶倫だったがゆえに、彼女はセックスの下手なオクタヴィアンをつばめにしているのかな...とか...マルシャリンの夫はもしかして(いまの年齢で言えば)80才ぐらいのご老人...とか、その他諸々...。クナの《バラの騎士》のスタイルは、そんな、自由な解釈を許す演奏だと思う。そして、それは彼の人柄のあらわれだろう。その点にこの録音の価値があると思う。

【HMV.co.jpへのリンク】
Der Rosenkavalier: Knappertsbusch / Vienna State Opera('55.11.16)

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2009年5月25日 (月)

クリスティーネ・シェーファーの冬の旅


FRANZ SCHUBERT
WINTERREISE D911
CHRISTINE SCHÄFER soprano
ERIC SCHNEIDER piano
7 - 9 / 11 / 2003
Onyx

クリスティーネ・シェーファーという歌手は、前から好きだったので、彼女が《冬の旅》を、どういうふうに歌っているか興味があって購入してみたが、これは、とても気に入ってしまった。先入観を与えないように、簡単に書くが、これは本来、男性歌手が歌う歌詞を女性が歌っているわけだが、言葉や詩の意味を少し比喩的に捕らえ直すことができてよかった。そして、おそらくシェーファーが意図したのとは違って「人生旅のごとし」「行きつくところは死」というテーマがぼやけて「明日のことは明日考えよう」という楽天的な気分にさせてくれた。つまり、彼女の歌唱は本来、この歌曲の持つ暗さを和らげていると思う。あと、F. ディースカウのは、途中で退屈するが、シェーファーのは、後半が良くて最後まで退屈しないのが良い。

ERIC SCHNEIDER のピアノ伴奏はうまいし、シェーファーの歌唱によくあっている。

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2009年5月14日 (木)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(8)


Frank

"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK373(1961,62,64,67年)",Arthur Grumiaux,コリン・デイヴィス

"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK373、2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ ハ長調K190(1961-76年)",スターン,ジョージ・セルほか

"ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK269,373(1968年)",シュナイダーハン,Bpo

"ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、ロンドK373(1970-71年)",オイストラフ,Bpo

"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-7、アダージョK261、ロンドK269,373、2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ ハ長調K190(1972-73年)",スーク,プラハ室内

"ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK269,373(1982,85年)",パールマン,レヴァイン,Vpo

"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5(1983,84,87年)",クレーメル,Nikolaus Harnoncourt,Vpo

"ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK269,373(1997年)",Giuliano Carmignola,Carlo de Martini,Il Quartettone

"ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、From the Serenade K.250(1997,99年)",Pamela Frank,David Zinman,Tonhalle Orchestra Zurich

"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5(2000-05年)",Thomas Zehetmair,Frans Brüggen,Orchestra of the Eighteenth Century

"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5(2005年)",ムター,Lpo

"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5(2007年)",Giuliano Carmignola,Abbado,Orchestra Mozart

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(5)で私は、

「1番はスターン、スーク、クレーメル。2番はムター。3番はスターン、パールマン。4番はムター、スターン。5番はデュメイがよい。平均的にはグリュミオーがよい。したがって今回聴き比べた11種の中でお薦めは、無難なグリュミオー。新しい録音では、ムター盤を薦めることができる(ただし、第3番に違和感を感じなければ)」

という中途半端な結論しか出せなかったので、さらに、

Pamela Frank,David Zinman,Tonhalle Orchestra Zurich
Thomas Zehetmair,Frans Brüggen,Orchestra of the Eighteenth Century
Giuliano Carmignola,Abbado,Orchestra Mozart

の3種類を買い、聴き比べ、上記12種類のモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全曲集の BEST を見つけようとしたところ、

Pamela Frank,David Zinman & Tonhalle Orchestra Zurich

が一番良かった。

Pamela Frank,David Zinman のどこが良いかというと、それはもう「安いので買って聴いて下さい」としか言いようがない。かようなコメントはまったく無意味であり、読者に「こんなブログ、二度と読むか!」と叱られそう。だが私は、パメラの良さを、スコアを示しながら指摘しようとしたが、できなかったのだ。すなわち彼女の演奏は、これまで聴いたモーツァルトのなかで最も私の嗜好に合っているし、すべからく私の嗜好に合っているのに、それをうまく説明できないのだ。

この人は技巧は持たない。美音も持たない。HMV のレビューにあるとおり「線はやや細目ですが厚い化粧に頼らずさわやかな演奏」

パメラとジンマンの間には、ある種の緊張感があると思う。これは私の憶測(というより半ば創作)だが、二人の間に以下のような取引があったのではなかろうか。

パメラ・フランクというヴァイオリニストは、意外に個性的だ。ジンマンは、このじゃじゃ馬をうまく馴らしていると思う。すなわち二人の個性は違う方向を向いていると思う。この二人は互いに譲歩しあっていると思う。ジンマンは、自らのカデンツァを弾いてもらう代わりに、全面的に音楽的にパメラのモーツァルトの解釈を受け入れ、あるいはそれに合わせた。他方パメラは、ジンマンが書いたカデンツァを演奏することで、ジンマンのペースに、うまく乗せられているという気がする(モーツァルトのVn協奏曲において、カデンツァは極めて重要であり作品を支配する)。

パメラが、カデンツァを弾く間、オケが沈黙する。その沈黙は、単なる休止ではなく、パメラに「音楽の流れを壊すなよ」と、無言の圧力に思える。Tonhalle Orchestra にとっては、ジンマンとパメラの取引は、指揮者と独奏者の勝手な取引であり「我関せず」と、この二人の取引の結果が、うまく行こうが行くまいが責任ない。Tonhalle Orchestra の演奏は「そんな取引は勝手にやってくれ、おれたちも勝手にやる」という演奏に聞こえる。Tonhalle Orchestra の演奏に、ジンマンの個性が聴けない。ところが、Tonhalle Orchestra は、もしかしたら自主的に、主体的に、パメラに、合わせている。Tonhalle Orchestra は、ジンマンよりも、パメラに指揮(?)されている...とも思える。

パメラのカンタービレの美しさ、間の取り方、おかずの入れ方【注】は、Tonhalle の演奏と絶妙に調和している。それは「完璧である」とは断言できないが私には心地よい。

誰が誰を操っているのかわからない。指揮者、独奏者、オーケストラの隠された駆け引きが、この演奏の魅力だと思う。

それに対し、Giuliano Carmignola,Abbado,Orchestra Mozart の演奏には、上記の緊張感はまったくない。あろうはずがない。アバドが創設しカルミニョーラをコンサートマスターに置くユースオーケストラに、上記のような見えない駆け引きなど聴けようはずがない。すでに指摘したことだが、モーツァルトのVn協奏曲全5曲は(モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(1)で指摘したとおり)集中的に書かれた作品群であるにもかかわらず、それぞれの個性が際立ち、各曲のオーケストレーションに深化が見える。それなのに、カルミニョーラ&アバド盤では、オケの主体性は存在しない。オケの弱さは、モーツァルトのVn協奏曲を演奏する際、致命的だ。

【注】一箇所スコアを示し指摘する。第5番(K219)第1楽章、ヴァイオリンソロによる提示部の序奏(midi)終わりのパメラの弾き方に注意。

K219_1_2

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