
"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK373(1961,62,64,67年)",Arthur Grumiaux,コリン・デイヴィス
"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK373、2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ ハ長調K190(1961-76年)",スターン,ジョージ・セルほか
"ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK269,373(1968年)",シュナイダーハン,Bpo
"ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、ロンドK373(1970-71年)",オイストラフ,Bpo
"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-7、アダージョK261、ロンドK269,373、2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ ハ長調K190(1972-73年)",スーク,プラハ室内
"ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK269,373(1982,85年)",パールマン,レヴァイン,Vpo
"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5(1983,84,87年)",クレーメル,Nikolaus Harnoncourt,Vpo
"ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、アダージョK261、ロンドK269,373(1997年)",Giuliano Carmignola,Carlo de Martini,Il Quartettone
"ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5、From the Serenade K.250(1997,99年)",Pamela Frank,David Zinman,Tonhalle Orchestra Zurich
"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5(2000-05年)",Thomas Zehetmair,Frans Brüggen,Orchestra of the Eighteenth Century
"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5(2005年)",ムター,Lpo
"協奏交響曲K364、ヴァイオリン協奏曲Nos.1-5(2007年)",Giuliano Carmignola,Abbado,Orchestra Mozart
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(5)で私は、
「1番はスターン、スーク、クレーメル。2番はムター。3番はスターン、パールマン。4番はムター、スターン。5番はデュメイがよい。平均的にはグリュミオーがよい。したがって今回聴き比べた11種の中でお薦めは、無難なグリュミオー。新しい録音では、ムター盤を薦めることができる(ただし、第3番に違和感を感じなければ)」
という中途半端な結論しか出せなかったので、さらに、
Pamela Frank,David Zinman,Tonhalle Orchestra Zurich
Thomas Zehetmair,Frans Brüggen,Orchestra of the Eighteenth Century
Giuliano Carmignola,Abbado,Orchestra Mozart
の3種類を買い、聴き比べ、上記12種類のモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全曲集の BEST を見つけようとしたところ、
Pamela Frank,David Zinman & Tonhalle Orchestra Zurich
が一番良かった。
Pamela Frank,David Zinman のどこが良いかというと、それはもう「安いので買って聴いて下さい」としか言いようがない。かようなコメントはまったく無意味であり、読者に「こんなブログ、二度と読むか!」と叱られそう。だが私は、パメラの良さを、スコアを示しながら指摘しようとしたが、できなかったのだ。すなわち彼女の演奏は、これまで聴いたモーツァルトのなかで最も私の嗜好に合っているし、すべからく私の嗜好に合っているのに、それをうまく説明できないのだ。
この人は技巧は持たない。美音も持たない。HMV のレビューにあるとおり「線はやや細目ですが厚い化粧に頼らずさわやかな演奏」
パメラとジンマンの間には、ある種の緊張感があると思う。これは私の憶測(というより半ば創作)だが、二人の間に以下のような取引があったのではなかろうか。
パメラ・フランクというヴァイオリニストは、意外に個性的だ。ジンマンは、このじゃじゃ馬をうまく馴らしていると思う。すなわち二人の個性は違う方向を向いていると思う。この二人は互いに譲歩しあっていると思う。ジンマンは、自らのカデンツァを弾いてもらう代わりに、全面的に音楽的にパメラのモーツァルトの解釈を受け入れ、あるいはそれに合わせた。他方パメラは、ジンマンが書いたカデンツァを演奏することで、ジンマンのペースに、うまく乗せられているという気がする(モーツァルトのVn協奏曲において、カデンツァは極めて重要であり作品を支配する)。
パメラが、カデンツァを弾く間、オケが沈黙する。その沈黙は、単なる休止ではなく、パメラに「音楽の流れを壊すなよ」と、無言の圧力に思える。Tonhalle Orchestra にとっては、ジンマンとパメラの取引は、指揮者と独奏者の勝手な取引であり「我関せず」と、この二人の取引の結果が、うまく行こうが行くまいが責任ない。Tonhalle Orchestra の演奏は「そんな取引は勝手にやってくれ、おれたちも勝手にやる」という演奏に聞こえる。Tonhalle Orchestra の演奏に、ジンマンの個性が聴けない。ところが、Tonhalle Orchestra は、もしかしたら自主的に、主体的に、パメラに、合わせている。Tonhalle Orchestra は、ジンマンよりも、パメラに指揮(?)されている...とも思える。
パメラのカンタービレの美しさ、間の取り方、おかずの入れ方【注】は、Tonhalle の演奏と絶妙に調和している。それは「完璧である」とは断言できないが私には心地よい。
誰が誰を操っているのかわからない。指揮者、独奏者、オーケストラの隠された駆け引きが、この演奏の魅力だと思う。
それに対し、Giuliano Carmignola,Abbado,Orchestra Mozart の演奏には、上記の緊張感はまったくない。あろうはずがない。アバドが創設しカルミニョーラをコンサートマスターに置くユースオーケストラに、上記のような見えない駆け引きなど聴けようはずがない。すでに指摘したことだが、モーツァルトのVn協奏曲全5曲は(モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(1)で指摘したとおり)集中的に書かれた作品群であるにもかかわらず、それぞれの個性が際立ち、各曲のオーケストレーションに深化が見える。それなのに、カルミニョーラ&アバド盤では、オケの主体性は存在しない。オケの弱さは、モーツァルトのVn協奏曲を演奏する際、致命的だ。
【注】一箇所スコアを示し指摘する。第5番(K219)第1楽章、ヴァイオリンソロによる提示部の序奏(midi)終わりのパメラの弾き方に注意。

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