

BACH
6 SOLO SONATAS & PARTITAS
VIKTORIA MULLOVA
(1750 G. B.GUADAGNINI, GUT STRINGS; BAROQUE BOW W. BARBIERO) A=415
RECORDED 2007/8
ONYX

ヒラリー・ハーンを追っかける(5)でも書いた通り、私は、バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ」をあまり好まない。だいたい、この作品の日本における呼称が気に入らない。上記のムローヴァのジャケットに書いてあるように「ヴァイオリン・ソロのためのソナタと組曲、計6つ」でよい。「無伴奏」だの「パルティータ」だのという言葉が、この作品に難解なイメージを与えていると思う(無伴奏チェロ組曲も6チェロ組曲でいい。ついでに、平均律クラヴィーア曲集も「ちゃんと調律されたクラヴィーアのための24の前奏曲とフーガ」でよかろうに、平均律という難解な言葉が使われる。そのような難しい言い回しや呼称は、バッハのみならずクラシック音楽全般への親しみにくさ、また「クラシック音楽愛好家はお高くとまり排他的で特権階級の意識がある」という悪イメージにつながりかねない...考え過ぎか...)。
ムローヴァの 6 SOLO SONATAS & PARTITAS は、私にとって、とうとう見つけた決定盤だ。彼女の演奏は、私にとって SOLO SONATAS & PARTITAS 計6曲を一気に聴ける唯一の演奏だ。
彼女の 6 SOLO SONATAS & PARTITAS は、ヴァイオリンの起源を考えさせるほどの名演奏だと思う。そもそも、私がヴァイオリンという楽器を好きな理由は、たった4本の弦で、モダンピアノに劣らぬ表現力を持つこと(私は、20世紀最大のヴァイオリニストは、ダヴィッド・オイストラフだと思っているが、彼の演奏はヴァイオリンという楽器の表現力の極限だと思っている)。ヴァイオリンの弦が4本しかないというのは、弦の数が三味線より多くギターより少ないということしか意味しない。すなわち「弦が4本」は、むしろ「ヴァイオリンはちょうどいい弦の本数の楽器」と言えるだけかも知れない。しかしもうひとつ、私が驚嘆すること、私が昔から思っていたこと。それは、G より低い音が出せない楽器という大きな制限。それは、モダンピアノの音域に比すると、とてつもない制限だと思う。たとえヴァイオリンは高音域の美しさで、その音域の狭さをカバーしてるとしても、制限された音域というのは、聴く者に同じ音域を行ったり来たりしているという(単調で退屈な)印象を与えかねない。特にバッハの(使いたくない呼称だが)《無伴奏》の演奏に私はそれを感じる。
そのかわり、ヴァイオリンは音を持続させることができる。弓が無限に長ければ、無限に持続させることができる。ピアノ、チェンバロは、鍵盤を押している間は音を持続するが、発音後の音の物理量は減衰する。オルガンは、音の減衰はないが、発音した音を変化させることはできない。ピアノ、チェンバロも単純に考えて(原則的に)発音した音を変化させることはできない。すなわち、ピアノ、チェンバロ、オルガンは、鍵盤というスイッチを押すことで(操作することで)音を表現する楽器(ピアノの場合、それに打楽器的物理的効果が付加する)であるが、ヴァイオリンは違う。ヴァイオリンは発音後も鍵盤楽器より相対的に複雑な音の変化をさせることができる楽器だと思う。
話が面白くなくなってきた。
要は、ムローヴァの 6 SOLO SONATAS & PARTITAS は、むしろ「発音した音を変化させない」ことによって成功しているように私は思う。私は、バッハの《無伴奏》という作品を好まないので、どの曲のどの部分がそうであるかを指摘できないが、ムローヴァは音が発音された瞬間において勝負しているという感じがする。バロック奏法は、ヴィブラートしない。さらに、重音(和音)の効果もモダンヴァイオリンより弱く感じる。「弱い」というより「目立たない」「自然」と言う方が良いかも知れない(バロックヴァイオリンの弓は張りがゆるいからである)。私は彼女の無伴奏の単旋律的奏法が気に入っている【注】。さらにバロックヴァイオリンのガット弦の発音も金属弦に比べれば、強弱の表現に相対的に弱く繊細である(モダンヴァイオリンで、無伴奏を弾くと金属弦のキンキンした音がうるさい)。それらのバロックヴァイオリンの長所を生かすことによって、ムローヴァは、6 SOLO SONATAS & PARTITAS の持つ本来の面白さを聴かせていると思う。
私にとって、6 SOLO SONATAS & PARTITAS は聴いて楽しい音楽であれば良い。難解さはまったくいらない。265小節のシャコンヌは弾こうと思えば誰にでも弾けて「弾き手」さえ身近に存在すれば、聴きたいときに生演奏で聴けるお茶漬けのような音楽であっていいと思う。354小節(ソナタ第3番第2楽章)のフーガも同様である。
最後に、ムローヴァの 6 SOLO SONATAS & PARTITAS を聴きながら私が思い出した文章(ヴァイオリンの起源に関する)を引用する。
ヴァイオリンのような弓で弾く弦楽器は、ヨーロッパの民族楽器にもいろいろあります。たとえばアイルランドでは古くから(ケルト起源といわれます)ジグjigという複合拍子(三連符リズム)のダンスがありますが、これは現在ではヴァイオリンで伴奏されます。しかしおそらく古くは民族的な楽器を用いていたのであり、やがてヴァイオリンで代用されるようになったと考えられます。
このジグは現代アイルランドのバンド、アルタンAltanのCDなどで聴くことができます。
またこのダンスはアイルランド系アメリカ人の文化にも見られ、開拓時代を舞台としたドラマ『大草原の小さな家』でも、父親が弾くヴァイオリンに合わせてジグを踊るシーンがありました(ということはあの家族はアイルランドからの移民ということでしょうか)。
今回話題になったストリートヴァイオリニストがどういう背景の人かは知りませんが、民族音楽としてのヴァイオリン弾き(フィドラー)の伝統もあるわけです。
ちなみにヴァイオリンは1600年頃にイタリアで登場しますが、弓で弾く弦楽器は中近東のラバーブがスペイン経由でヨーロッパに伝わって中世のレベックとなったものや、クルタル、ヴィオール属などいくつかの系統があります。
またバッハの組曲のジーグgigueは前述のアイルランド系のジグがフランスの宮廷舞踏となり、さらにヨーロッパに広まったもののようです。
ドイツ語ではヴァイオリンのことをガイゲGeigeと呼ぶことがありますが、これもgigueとの関連が考えられる名称です。
さらにこのジグは、シーラ・ナ・ギグ Sheila-na-gigというケルト系の女神との関連も考えられそうです。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/sheila.html
ところでヴァイオリンといえば、最近は、よくモンティの《チャルダッシュ》の後半の速いところを耳にしますね。チャルダッシュはロマ系の舞曲で、どちらかというと東ヨーロッパの大衆的な伝統のようです。今ではヴァイオリンで演奏されますが、もともとはハンガリーのガドゥルカのような民族楽器で演奏していたのかもしれません。
http://www.youtube.com/watch?v=L3fYZDqb7qw&feature=PlayList&p=FECB20C058B1E459&index=0&playnext=1
osamu sakazaki 坂崎 紀
faculty of music, seitoku univ.
P.S. 私の第一印象で、ムローヴァのソナタ第1番第1楽章を聴いて、ロマ的だと思ったのは事実です。
【注】私は彼女の無伴奏の単旋律的奏法も気に入っている。単音と和音の発音のさせ方、ブレンドのさせ方が巧いので、和音がうるさくない。
【追記】同じバロックヴァイオリンによる《無伴奏》でも、Rachel Podger のは、モダン楽器の演奏とあまり変わらないという印象で、ピンと来ませんでした。
【HMV.co.jpへのリンク】
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲 ムローヴァ(2CD)
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