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2008年9月19日 (金)

ジークフリート第3幕聴き比べ(3)

Bayreuth

Wagner: The Great Operas from the Bayreuth Festival

「ジークフリート第3幕」から脱線するが、レヴァインの「ワルキューレ第1幕」を聴いてみると、私の「ジェイムズ・レヴァインのオペラ指揮に対する絶対的信頼」が崩れ去ってしまった。レヴァインの「ワルキューレ第1幕」は表現過剰。ジェシー・ノーマンを生かしたつもりか...。

ワルキューレ第1幕は、エロティシズムや官能性はいらない。この場面は、幼いときに離れ離れになった双子の兄妹の愛の表現であり、禁断の近親相姦の愛、それ故の悲劇へとつながる哀れさがあればよいと思う。その点では、上記に入っているベームの無骨だがストレートな表現が適切。特に、ジークムント役の James King とフンディング役の Gerd Nienstedt が良い。

「ワルキューレ第2幕」のフリッカの歌唱は、私の好きな場面なのだが、ここも、レヴァイン盤のクリスタ・ルートヴィヒはよくなかった。衰えがあるのか、ヒステリックにしか聞こえなかった。ベーム盤の Annelies Burmeister も同様にヒステリック。この場面のフリッカは、ブーレーズ盤のハンナ・シュヴァルツを、私は、以前から気に入っている。

それに続く、ヴォータンの苦悩のモノローグは、レヴァイン盤の James Morris もベーム盤の Theo Adam もブーレーズ盤の Donald Mcintyre もよくなかった。Mcintyre は早口すぎるし、Theo Adam は拙く表現力不足のように聞こえた。

ところで、フリッカの歌唱からヴォータンのモノローグまでの場面(ワルキューレ第2幕 第1場、第2場)は《指輪》全体を支配する重要な場面だと思う。すなわちここでは「フリッカが正しく、ヴォータンが間違っていること」を聴衆の深層心理にインプットしなければならない。下記 URL のレヴィ・ストロースの解釈が結果的に《指輪》という作品のストーリーに当てはまってしまうからである。

http://mitleid.cool.ne.jp/levi-strauss.htm

>「指環」とは、ヴォータンの子孫たちが(世界平和にとって望ましい)族外婚に到るまでの物語なのである。


ついでに、上記 URL で、

Q.『ワルキューレ』の第1幕の最後で、ジークムントとジークリンデの愛が成就するまさにそのとき、正反対の<愛の断念の動機>が歌われるのはどうしてなのですか?

という問いについて、レヴィ・ストロースほかが興味深い解釈を示している。

アルベリヒを打倒し権力奪還を狙うヴォータンの策略。その犠牲になり、ジークムントとジークリンデは幼い時、両親を失い、離れ離れに育った。二人は親兄弟の愛を知らないばかりか憎悪と苦悩しか知らない。すなわち、二人はすでに愛の断念を強いられた者である。その過酷な運命を、この<愛の断念の動機>は表している、というのが私の解釈である。

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