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2008年2月 6日 (水)

モーツァルト:協奏交響曲 K364 聴き比べ(3)ムター

13

ムター(Vn,指揮)/Yuri Bashmet(Va)/Lpo(05年)

1. Allegoro maestoso 12'37"
2. Andante 11'41"
3. Presto 6'11"

K364の第2楽章ハ短調は、マンハイム=パリ旅行(1777.9 - 1779.1)で就職活動に失敗し、失恋し、母を亡くしたモーツァルトの失意と喪失から生まれた悲しみの歌だということは、ときどき、ふれられる。モーツァルトは、マンハイム=パリ旅行で、人生において初めて「運命の一撃」といえるほどの危機を体験したのではなかろうか。その体験から、K364、特にその第2楽章が生まれたと考えるのは、不自然ではないであろう。

しかし、私はさらに踏み込んで「K364はアロイジア・ヴェーバーとの恋とその恋の終わりを音楽に表した作品」という推理を立ててみた。この作品の二つの独奏楽器はアロイジアとモーツァルト自身ではなかろうか。楽器と人物の対応を仮定するなら、それぞれの独奏楽器のうち、どっちがアロイジアで、どっちがモーツァルトかと問われれば、さしあたって、ヴァイオリンがアロイジアで、ヴィオラがモーツァルトとする。

第1楽章は、アロイジアとの恋の楽しい思い出。二人は仲睦まじく、語り合い、歌い、音楽を奏でる。
第2楽章は、破局。二人は、苦悩を分かち合う。
第3楽章は...これがよくわからん。

上の私の推理は「こじつけ、的外れ、外してる」と思われるかも知れないが、モーツァルトのファンとしてモーツァルトを聴くリスナーなら、ちょっとばかり自分勝手な解釈をして遊んでみるというのは、許される特権ということで..。

前置きが長くなったが、以上をもとにしてムターのヴァイオリンと指揮による演奏を聴いてみた。

ユーリ・バシュメット(Yuri Bashmet)という人は、どこかで聞いたことがある名前と思って、ネットで調べてみたら、アルゲリッチと共演している人だった。ヴィオラ奏者としても指揮者としてもなかなかの実力者とのこと。しかし、このムターとの共演のK364では、いまひとつ、ぴりっとしない感じがする。ただ、この演奏は、癖はあるがあっさりしていて聴きやすい。それと、この録音の指揮は、一応ムターということになっているが、ムターが指揮をするにあたって、バシュメットのサポートは、勿論あったと思う。

K364が、モーツァルトの生前にどのような機会に演奏されたか、その記録は存在しないようだが、もし、モーツァルト自身によって演奏されたなら、ヴァイオリンをレオポルト、ヴィオラをモーツァルト、指揮を二人でしたということが推測される。ムター、バシュメットの共演はそのシチュエーションを想像するための参考になる。

この二人の共演は、クレーメル&カシュカシャンの一体感に負けている。また、デュメイ&ハーゲンによる演奏の面白さにも、ほど遠く及ばず、下手な演奏である。しかし、(繰り返しになるが)あっさりした聴きやすい二人の共演は、この作品を、リスナーが自由に解釈する素材として適している。というわけで、上記の私の推理を検証してみた。

まず、女性がヴァイオリン、男性がヴィオラを担当しているのが、クレーメル&カシュカシャン、デュメイ&ハーゲンの場合と反対だが、私は、前者のほうが、この作品にはあってるように思う。今日、「性が演奏に反映する」という認識は古いとしても、独奏者がムター&バシュメットであることは、二人をアロイジア&モーツァルトに当てはめるのに都合がよい。

第1楽章
二人の演奏を、上記の通り、アロイジア&モーツァルトの愛の語り合いの音楽と捕らえて聴いてみると、これは良かった。

第2楽章
愛の破局の音楽...と思いながら聴いてみたら、まるでメロドラマのように聞こえてしまった。冒頭、ムターの弱音器をつけたような貧弱な弾き方は、この楽章のもつ切迫感や不安感にふさわしくない弾き方だと思う。バシュメットもそれにあわせるように呼応する。それが延々11分続く。三文芝居。

第3楽章
視点を変えるが、第3楽章において、なぜ、モーツァルトは、解決しない調性を展開させたのだろうか。聴きやすいムター&バシュメットの演奏にあっても、やはりこの第3楽章は後味悪い。聴き終えた後に、太田胃散を飲みたくなる...。

以上、中途半端な推論に終わったが、私の仮説は一つの仮説として成り立つと思う。皆さんはどう思われるだろうか。(つづく)


Aroisia_lange

Aroisia Lange




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コメント

第二楽章に関する推察、とても面白かったですけど、
さすがに深読みすぎるかと(^_^;)
ピアノ協奏曲9番「ジュナミ」K271のこともありますし。


K364の第三楽章はかなり諧謔性の強い音楽だと思います。
演奏にはある種の芝居気が必要なのかもしれないですね。

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