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2008年1月21日 (月)

グールドとテクノロジー

Gould_friedrich

これは以前から書こうと思っていたことだが、私は、CDをヘッドフォンで聴くとき、小型のヘッドフォンアンプを手元に置き、そのヴォリュームつまみを、いじりながら聴く。このことはグレン・グールドのいう「クラシック音楽のリスニングにおける積極的参加」を私に連想させる。彼は「レコーディングの将来」というの論文(1966年)のなかで次のように述べている。

「四十年前、聴き手の選択の自由は『オン』や『オフ』の印のついたスイッチを入れたり切ったりすることに限られ、最新の機器でも、ヴォリュームを少し調整するくらいだったかもしれない。だが今日、さまざまなコントロールが可能となり、聴き手は分析的な判断が求められている。だが、これらのコントロールはごく初歩的で、微調整をしているにすぎない。というのは、現在研究段階にある技術がひとたび家庭の再生装置に組み込まれたならば、聴き手の参加度はいっそう拡大するからだ。(中略)たとえば、ベートーヴェンの第五交響曲第一楽章は、呈示部と再現部はブルーノ・ワルターの演奏が好きで、展開部はテンポの大きく異なるクレンペラーの指揮がいいとする。(中略)ピッチと速度の相互関係はひとまず置いておくが、クレンペラーの録音から該当個所の小節を切り取って、ワルターの演奏の途中にスプライシング(テープを切り貼りすること)によってはさみ込めるのである。その際に、テンポが変わったり、ピッチが上下することもない。(中略)究極的には、聴き手は自分自身のための作曲家になるのである。」オットー・フリードリック著「グレン・グールドの生涯」204ページより

クラシック音楽の愛好家が未来のテクノロジーを使って、購入した音源を自分好みの音に編集することは「許されること」であるばかりか、「演奏家」という立場にあったグールドにとって、それは、彼の「夢」であった。

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