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2007年8月28日 (火)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲聴き比べ(1)

・アルテュール・グリュミオー/コリン・デイヴィス指揮/Lso
第1番 変ロ長調 K207(62年録音)
(カデンツァ:アルテュール・グリュミオー)
1. Allegro moderato 6'31"
2. Adagio 6'55"
3. Presto 5'08"

・ギドン・クレーメル/アーノンクール指揮/Vpo
第1番 変ロ長調 K207(83年録音)
(カデンツァ:ロバート・D・レヴィン)
1. Allegro moderato 7'09"
2. Adagio 9'54"
3. Presto 6'18"

クレーメル盤は、音楽が「物語」になっている。上記タイムの比較から分かる通り、クレーメル盤のテンポは遅い。そのテンポの遅さが、整然たる形式を、いっそう分かりやすくしている。第1楽章は遅いテンポの中でデュナーミクとテンポ・ルバートが生きている。アーノンクールが遅めのテンポ、過度のデュナーミク、ルバートで演奏すると変なモーツァルトになることがあるが、この演奏は違う。

このブログの8月23日付「ユリア・フィッシャー(2)」で私が引用した文章においてフィッシャーとクライツベルクの指摘「ヴィオラとチェロパートの独立性の欠如(K207,211)」は、クレーメル、グリュミオー盤を聴く限りにおいては、補われなくていいように思える。クレーメル、グリュミオー盤いずれも第1楽章の低音リズムは、何の不満も感じさせない。必要かつ十分である。

技巧派クレーメル/アーノンクールとエレガントなグリュミオー。いずれも良いが、私は、第1番(K207)は、クレーメル盤がベストだと思う。

K207_2

上記は、K207第1楽章のオケによる提示部である。わずか24小節からなる簡潔な提示部である(音を聴きたい人はココをクリックして下さい)。青で示した躍動的で印象的な音型(第2主題前後の音型)は、この箇所(つまり第1楽章のオケによる提示部)にしか現れない。私はこの音型が好きである。この音型は私に強い印象を与え、残像となり、この作品全体の性格や形式を回顧するのに役立つ。そのような音型を「オケによる提示部」にしか現さない技法は、モーツァルトの協奏曲風ソナタ形式に、しばしば見られる特徴なのだろうか。

ヴァイオリンソロは、オケによる提示部の冒頭の後、下記(音を聴きたい人はココをクリックして下さい)のような経過句に引き継がれる。当ブログ8月23日付「ユリア・フィッシャー(2)」でフィッシャーとクライツベルクが言っている「イタリアバロック・ヴィルトゥオージティの顕著な影響」「ヴィルトゥオーゾ的8分音符16分音符のパッセージ」とは、このようなフレーズのことなのだろう。この華麗なヴィルトゥオージティはモーツァルトの父レオポルト、すなわちヴァイオリンのエキスパートだったレオポルト・モーツァルトを偲ばせる。モーツァルトはレオポルトから卓越したヴァイオリン奏法を学んだからこそ、このような華麗な旋律を書くことが出来たのだと私は思う(なおレオポルト・モーツァルトの「バイオリン奏法」は優れた著書であり、その日本語訳は今日でも入手可能)。ここはシンコペーションがカッコいい。

K207_1_2

この作品(K207)を聴くと、17才のモーツァルトが、すでにヨーロッパ中を旅し、多くを吸収した自信を感じさせる。それは他の4曲にも共通する。自信と野心。自己のスタイルの確立。それらが「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲(全5曲)」を形容する言葉であろうが、私は、この作品群には、のちのモーツァルトの円熟した作品の「大胆と美しさの両立と融合」は、まだ見られないと思う。それでも、この5曲のシリーズが、短期間に作曲されたにもかかわらず、それぞれが個性を持ち、面白いのは、まだ人生において本当の挫折を知らないモーツァルトの明るさと作曲技術の充実が、うまく溶けあい、それに、ヨーロッパ中を旅し多くを吸収した青年の自信、創作意欲、モチベーションが、これまた、うまくマッチしたからだろう。

話が前後するが、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲全5曲は下記の年に書かれている。

第1番 変ロ長調 K207(1773年)17才の時
第2番 ニ長調 K211(1775年6月14日完成、ザルツブルク)19才
第3番 ト長調 K216(1775年9月12日完成、ザルツブルク)19才
第4番 ニ長調 K218(1775年10月完成、ザルツブルク)19才
第5番 イ長調 K219(1775年12月20日完成、ザルツブルク)19才

この時期、モーツァルトは父親と一緒に、ミラノ、ウィーン、ミュンヘンを旅し、ミラノでは歌劇《ルーチョ・シッラ》の成功にもかかわらず就職活動に失敗。ウィーンではハイドンに触発され弦楽四重奏曲6曲を作曲。ミュンヘンでは《偽の女庭師》を成功させている。この時期の有名曲は、1773年の《エクスルターテ・ユビラーテ》と交響曲第25番ト短調。1775年のピアノソナタ第1-6番がある。

話を「聴き比べ」に戻すと、グリュミオーの演奏における第1楽章のカデンツァは陳腐であるのに対し、クレーメル盤は、ロバート・D・レヴィン作曲のカデンツァであり、これがいい。ロバート・D・レヴィンは、ミサ曲ハ短調 K427を校訂し完全版を作ったあのレヴィンである(これはリリングの最新録音で聴けますね)。

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲には、モーツァルトによるカデンツァが一つも残されていないので、各演奏者によるカデンツァ演奏の聴き比べもまた、面白い。

・ヨゼフ・スーク/プラハ室内管弦楽団
第1番 変ロ長調 K207(72年録音)
(Kadenzen nach Allard, Rondinov, Mostras von Josef Suk)
1. Allegro moderato 7'27"
2. Adagio 8'05"
3. Presto 5'30"

ス−クの演奏は、端正できまじめな印象、古い臭い印象を受けるが、これがなかなか聴き応えがある。この盤の指揮者は明記されていない。ただ「プラハ室内管弦楽団(リーダー:リボル・フラヴァーチェク)」とある。しかし、この盤の管弦楽は充実していると思う。

K207は第3楽章がソナタ形式であることに特徴がある(他の4曲の第3楽章はロンドである)。しかも、プレスト。しかし、このプレストは速く演奏すれば、その特徴が際だつわけでは勿論ない。端正で手堅い演奏でも、スリリングな演奏が聴かれる。スークの演奏は、その一つであろう。何故、スークの演奏がそうなのか。下記(音はココ)は第3楽章のオケによる提示部

K207_3

下記がヴァイオリンソロの出だし(音はココ)。上記、下記の青のトゥッティは、この楽章の要である。

K207_3_2

そして、下記(音はココ)の経過句も印象的である

K207_3_3_2

展開部の転調は、第1楽章の展開部を思わせる(それは、第3楽章はやはりソナタ形式なのだということを思い出させる)。スークは、これらの音楽的素材を「生意気なモーツァルトの荒技」と捕らえずに、隙のない傑作として捕らえ「堂々」と演奏しているのが良いのではないだろうか。スークの演奏は、全楽章に堂々たる力強さを感じさせる。カデンツァ(他の作者によるカデンツァにスークが手を加えたものと思われる)もまた逸品である。

・アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン、指揮)Lpo(05年録音)
第1番 変ロ長調 K207
(カデンツァ:Hans Sitt)
1. Allegro moderato 6'48"
2. Adagio 7'58"
3. Presto 5'43"

ムターのモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲は、ただ聴き比べのためだけに購入した。つまり、この盤は人気商品であるようなので、この盤を外すと「聴き比べ」を期待した読者から「何故、ムター盤はないのか?」と思われるのではないかという危惧から購入した。そんな理由で購入するというのは、お金がもったいし、本来、欲しくないCDを購入するというのは愚行に思えた。しかし、買って良かった。期待はずれではなかった。品のないムターが「怪我の功名」で名演している。彼女自身による指揮について言えば、たしかに下手ではあるが、他の盤では聞けない解釈と音が聞ける。そして彼女のヴァイオリン演奏は、例のなまめかしい品のなさが、モーツァルトの若々しさにマッチしている。

ムターについて「怪我の功名」とか「品がない」とか書くとファンは怒るだろうが、彼女の個性に対する評価は、リスナーの嗜好に大きく依存すると思う。「美しい音色と秀でた技巧」「品格のかけらもない」という賛否が存在すると思う。

私が感じる「ムターのモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集」の良いところは、作品の性格の違いを、よく捕らえていること。その解釈の面白さが成功している。であれば「怪我の功名」ではなく、アンドレ・プレヴィンとの結婚が、彼女の音楽性を向上させたのかも知れない。

ムターの演奏は、第2番が素晴らしいと思う。第1番も悪くないが、第1番は、彼女の持ち前である饒舌な表現があまり生きない作品だと思う。

・ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン、指揮)Bpo
第1番 変ロ長調 K207(71年録音)
(カデンツァ:モストラス)
1. Allegro moderato 8'00"
2. Adagio 8'34"
3. Presto 5'56"

私が20世紀最大のヴァイオリニストと思うオイストラフのモーツァルトには、大いに期待したが、第1番に関しては期待はずれ。クレーメルの演奏が良かったので、師匠オイストラフの演奏はもっと良いのかと思ったら、そうではなかった。私が好きなオイストラフの演奏はショスタコーヴィチ1番における圧倒的演奏(56年)、ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタの風格(62年)。しかしオイストラフのモーツァルトには、それらのいずれもない。凡演である。技巧の衰えではなく、気力、感性の衰えを感じさせる。

・イツァーク・パールマン/ジェイムズ・レヴァイン指揮/Vpo
第1番 変ロ長調 K207(85年録音)
(カデンツァ:イツァーク・パールマン)
1. Allegro moderato 6'52"
2. Adagio 8'16"
3. Presto 5'32"

正直いって私はイツァーク・パールマンというヴァイオリニストは初めて聴くので期待半分不安半分だった。結論を言うと、評判通りの美しい音色と優れた技巧。しかし、あまり面白くない。指揮者レヴァインは確かにうまいが、パールマンのヴァイオリンにつけるだけの指揮をしているように思う。ソリストと指揮者の良い意味での個性の衝突というものがない。それが、クレーメル/アーノンクールとの違い。音色と技巧だけのモーツァルトに聞こえる。「モーツァルトは、こんなに面白いんだよ」という主張を感じられなかった。妙なる演奏ではあるが、スリリングの妙がない。第3楽章はテンポが速く超絶技巧なのだが...。ただ一つ面白かったのは、第3楽章、オケによる提示部冒頭をうまく使った自作のカデンツァ。それだけは面白かった。

・ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン、指揮)Bpo(68年頃録音)
(カデンツァ:ヴォルフガング・シュナイダーハン)
第1番 変ロ長調 K207
1. Allegro moderato 7'09"
2. Adagio 6'51"
3. Presto 5'26"

シュナイダーハンは、ウィーンの人なので、このモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲はウィーン風という先入観を持ってはいけなんだろうけど、なんとなく、田舎都市ザルツブルクより、大都市の雰囲気はある。ヴァイオリンソロ、指揮ともに悪くないのだが、シュナイダーハンの色に染まったモーツァルトという感じがするから、賛否ある演奏かも知れない。シュナイダーハンは、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全曲に自らカデンツァを書いているが、これがド派手、何でもありという感じ。最初、K207第1楽章のカデンツァを聴いたときは、ビックリしてしまった。

・アイザック・スターン/ジョージ・セル指揮/コロンビア交響楽団
第1番 変ロ長調 K207(61年録音)
(カデンツァ:不明)
1. Allegro moderato 6'42"
2. Adagio 8'28"
3. Presto 5'34"

まず、ジョージ・セルの指揮がうまい。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を論ずるとき、私が何故、最初に指揮のことに言及するかというと、その理由は、勿論、モーツァルトの協奏曲は最初にオケによる提示部があるからではあるが、それだけではない。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を聴き比べをしていると、この作品群は(モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は特に!)あたかも指揮者の上手下手が「ヴァイオリンソロのできばえ」を左右するかのように感じる。ヴァイオリンソロに対して指揮が如何につけるか、オケが如何にサポートするか、ソロとオケの掛け合いの妙、コラボ、サウンドの絡み合い、どういう言い方をして良いか分からないが、このセルの指揮は心地よい。

私が、聴き比べたモーツァルトのヴァイオリン協奏曲の音源の指揮者たちをあげると、ソリスト自らの指揮を除くと以下。

コリン・デイヴィス、ジョージ・セル、ジェイムズ・レヴァイン、アーノンクール、Carlo de Martini、クライツベルク

この中で、K207におけるセルの指揮は、出色である。私は、最初、スターンのK207は、あまり気に入らなかった。しかし、これは隠れた名盤だろう。そう思えるようになったのはセルの指揮のうまさに私の耳が引きつけられたからだ。スターンには悪いが、ジョージ・セルの指揮なくして「スターンの演奏はココまで魅力的に聞こえたか?」と感じる。

・ジュリアーノ・カルミニョーラ/Carlo de Martini/Il Quartettone(97年録音)
第1番 変ロ長調 K207
1. Allegro moderato 7'00"
2. Adagio 7'35"
3. Presto 5'27"

HMV.co.jpの25%割引キャンペーンで976円と安かったので買ってみた。HMVのレビューでは賛否両論だが、私はソロ、オケともに好きな演奏だ。廉価盤なのでデータは録音年と使用楽器が「ピエトロ・グァルネリ・ディ・ヴェネツィア、1733」ということしか書いていないが、要するにソロ、オケともにピリオド楽器、ピリオド奏法によるモーツァルト。であれば、少々の瑕疵はあるだろう。HMVの宣伝文によるとオケ「イル・クァルテットーネは、バロック・ヴァイオリン奏者カルロ・デ・マルティーニによって1987年にミラノで創設された、古楽器による20数名の室内オーケストラです」とある。ということはこの音源は、オケの結成後10年経って録音された演奏だが、その割には、まだオケのアンサンブルは粗い。

K207は、もともと独奏ヴァイオリン、オーボエ2、ホルン2、バイオリン2部、ヴィオラ、バスの編成となっているのであるから、独奏者1、オーボエ2、ホルン2、ヴィオリン2、ヴィオラ1、チェロ1、コントラバス1、合計10人で演奏可能。おそらく、ザルツブルクの小さいオケの編成で演奏されたとき、10人ちょっとの人数で演奏されたであろう。このイル・クァルテットーネの録音も、そのぐらいの人数で演奏されているようだ。したがって、この音源には、この作品が演奏された当時の音に近い音を聞けるという良さがある。カルミニョーラの奏法は、勿論ピリオド奏法だが第2楽章において、ほどよくヴィブラートをかけている。上述レオポルト・モーツァルトの「バイオリン奏法」を読んでみないと分からないが、モーツァルト当時の独奏ヴァイオリン奏法は、まったくのノンヴィブラートということはなかったんじゃないかと思う。カルミニョーラの奏法は、本当にモーツァルトが演奏した奏法を再現しているかも知れない。第2楽章のノンヴィブラート気味のヴィブラートを聴いて私はそう思う。

カルミニョーラの演奏を恣意的ととるか否かは主観によるだろう。ただ、K207に関しては、彼の演奏は作品の性格に合致した演奏と私は見る。スコアを見ながらこの演奏を聴くと、スコアが読みやすい。ということは、スコアの音がよく見えるサウンドなのだろう。

まとめ
以上、長い割には雑駁な文章になってしまった。K207は、のちの作品に比べ、まだ、モーツァルトの個性が、目を見張るほどのものではないように思う。なので、どの演奏も、ひどく聞き苦しいというものはないと思う。K207という作品は、形式明快で無駄がない。音楽的には質において(これまた、のちの作品に比べ)若干未熟で物足りない印象を受けるが「音楽の流れ」に淀みはない。そして、この作品は、そんなに難しい作品とは思えない。

私は、モーツァルトが、この作品において、先人のどのような遺産を取り入れて、それを如何に自己のものとしたか、その巧みを知らない。けれども、なんとなくこの作品は折衷的という印象を受けなくもない。したがって、上でも書いたとおり、この作品の音源のベストとしては「聴いて分かりやすい」クレーメル/アーノンクール盤をとる。あと、スーク盤が良い。前の記事では貶したけれどもユリア・フィッシャー盤も悪くない。そして、カルミニョーラのピリオド奏法は、この作品にあっていると思う。

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