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2007年7月 6日 (金)

マーラー:交響曲第1番 聴き比べ

シノーポリのマーラー:交響曲第1番ニ長調が不満だったので、同作品のCDを数種類購入し下記を聴き比べました。

ワルター NYP 54年モノラル録音
ワルター コロンビア交響楽団 61年ステレオ録音
バーンスタイン NYP 66年
バーンスタイン コンセルトヘボウ管弦楽団 87年
ハイティンク Bpo 87年
ブーレーズ Cso 98年
T.トーマス SFS 01年
ノリントン SWR 04年

まず、この作品に用いられら《さすらう若人の歌》の第2,4曲を訳してみました。






II
 
Ging heut' Morgen über's Feld,
Tau noch auf den Gräsern hing,
Sprach zu mir der lust'ge Fink:
Ei, du! Gelt?
Guten Morgen! Ei, gelt? Du!
Wird's nicht eine schöne Welt?
Zink! Zink! Schön und flink!
Wie mir doch die Welt gefällt!
 
Auch die Glockenblum' am Feld
Hat mir lustig, guter Ding'
Mit den Glöckchen, klinge, kling,
Klinge, kling,
Ihren Morgengruß geschellt:
Wird's nicht eine schöne Welt?
Klinge, kling!
Schönes Ding!
Heia!
 
Und da fing im Sonnenschein
Gleich die Welt zu funkeln an
Alles Ton und Farbe gewann
Im Sonnenschein!
Blum' und Vogel, Groß und Klein!
Guten Tag!
Ist's nicht eine schöne Welt?
Ei, du! Gelt?
Schöne Welt!
Nun fängt auch mein Glück wohl an?
Nein! Nein!
Das ich mein',
Mir nimmer, nimmer blühen kann!
 
IV
 
Die zwei blauen Augen von meinem Schatz,
Die haben mich in die weite Welt geschicht.
Da mußt' ich Abschied nehmen
Von allerliebsten Platz!
O Augen, blau!
Warum habt ihr mich angeblickt?
Nun hab' ich ewig Leid und Grämen!
 
Ich bin ausgegangen in stiller Nacht,
In stiller Nacht wohl über die dunkle Heide.
Hat mir niemand Ade gesagt,
Ade, Ade!
Mein Gesell war Lieb' und Leide!
Auf der Straße steht ein Lindenbaum,
Da hab' ich zum ersten Mal im Schlaf geruht!
 
Unter dem Lindenbaum, der hat
Seine Blüten über mich geschneit,
Da wußt' ich nicht, wie das Leben tut,
War alles, alles wieder gut!
Alles! Alles!
Lieb' und Leid!
Und Welt und Traum!

第2曲
 
けさ野原を歩いたとき
まだ露が草々に垂れていた
陽気なヒワが私に語りかけた
「ねえ あなた 違いますか?
おはよう ねえ 違いますか? あなた
美しい世界になりそうじゃないですか?
チュンチュン 世界は美しくピカピカです!
世界のなんと素晴らしいことか!」
 
野原の釣鐘草も
陽気で上機嫌
小さな鐘を カランコロン
カランコロン鳴らし
私に 朝の挨拶をして言った
「美しい世界になりそうじゃないですか?
カランコロン!
気分は上々!
ヤッホー!」
 
それから陽の光の中で
すぐに世界がきらめきはじめた
すべては音と色を帯びた
陽の光の中で!
花も鳥も 大きいのも小さいのも!
「こんにちは!
美しい世界になりそうじゃないですか?
ねえ あなた 違いますか?
美しい世界だ!」
ならば私の幸福も始まるのか?
いやいや!
私はそうは思わない
私には決して幸福の花は咲くことはない!
 
第4曲
 
私の愛しい人の二つの青い眼
それらが私を広い世界へと送り出した
だから私は別れを告げなければならなかった
最愛の土地に!
ああ 青い眼よ!
何故お前は私を見つめたのか?
いまや私には永遠に苦悩と悲痛こそあれ!
 
私は静かな夜に出て行った
静かな夜に そう 暗い荒野を越えて。
誰も私に さよならを言わなかった
さよなら さよなら!
私の供は愛と苦悩だった!
街道に菩提樹が立っている
そこで私は初めて眠り憩いを得た!
 
菩提樹の下
その花びらが私の上に雪のように舞い落ちた
そこで私は生の仕打ちを忘れた
すべてが すべてが ふたたびよくなった!
すべてが! すべてが! 愛も苦悩も!
そして 世界も夢も!

以上のテキストおよび《さすらう若人の歌》全4曲が、この作品のストーリーの鍵になっているのでしょう。

上記CD盤の聴き比べを書く前に、ますこの作品の特色について書きます。といっても、大したことではなく、また、マーラーをお好きな方なら誰でもご存じのことだと思いますが..。

この交響曲は第4楽章の主な音楽は第1楽章の素材からできていること。私は第4楽章の第1主題が、第1楽章に登場することは知りませんでした。

それぞれの楽章は、4度の下降動機によって統一されていること。

それから私見では、この作品は第1,4楽章の重要性の度合いが2,3楽章に比べ大きいこと。

以上の観点から、以下主に第1,4楽章について聴き比べを書きます(正直いって全楽章を細かに聴き比べるのはきついです)。

・ワルター コロンビア交響楽団 61年ステレオ録音

ワルター/NYP/54年モノラル録音に比して「すわり」がいい(特に第1楽章)。それから録音がよいので、細かいニュアンスがよく伝わる。ただワルター盤は、勿論ワルターの音楽には仕上がってはいますが、スコア通りに指揮されているという感じがします。それは、ワルターが、師の残した遺産を後世に忠実に伝えたいという意図を持っていたからでしょうか。

私は下記譜例1、第1楽章の提示部第128章節以下の部分が何故か好きなんです(音を聴くならココをクリックして下さい)。

 Mahler_1_128_2

私はこの部分を聴くと、何故かモーツァルトの交響曲第38番ニ長調《プラハ》第1楽章の提示部第1主題の冒頭にファゴットとホルンで《もう飛ぶまいぞ、この蝶々》の旋律が出てくるところを思い出します。《プラハ》の場合とマーラーの場合を比べると旋律も手法も違うんですが、雰囲気的に、こういうのはモーツァルト的に私には聞こえるのです。

思うに、この第1楽章はもともとハイドン、モーツァルト的要素があるのではないでしょうか。上で書き忘れましたが、この楽章はカノンが多いですね。そのカノンを含めた第1楽章のポリフォニーがハイドン、モーツァルト的に聞こえるのです。もしそうであれば、ハイドン、モーツァルトを得意としたワルターが、この第1楽章を「ハイドン、モーツァルト的」にうまく演奏していると聴いても変じゃないのではないかと私は思います。ただワルター盤の第2楽章以降は、現代的解釈を聞き慣れているリスナーには平凡に思われるかも知れません。

Titan_bernstein_nyp

・バーンスタイン NYP 66年(上図)
 バーンスタイン コンセルトヘボウ管弦楽団 87年

結論からいうと私はバーンスタイン/66年盤が決定盤だと思います。前者(66年盤)は後者(87年盤)よりストレートでスリリングだと思います。また、前者は若々しさだけではなくて語り口も後者より、よいと思いますし、密度も濃いかも知れません。前者の第4楽章は、気負わず、はやらず、爆発してます。前者と後者を比較すると後者のバーンスタインには衰えが感じられるようにも思えます。

私はNYP時代のバースタインが好きなのです。たとえばショスタコーヴィチの第1,6番も旧盤の方が好きです(第1番は71年録音、第6番は63年録音)。バーンスタインのショスタコーヴィチ旧盤は、交響曲第1楽章の冒頭の音から、最終楽章の最後の音まで、一本の線でつながっているように感じます。特に、第5番の旧盤(59年録音)に私はそれを感じました。ただ、ショスタコーヴィチ7番は新盤のほうがいいです。「バーンスタインが残した新旧録音のどちらをとるか」についてはケースバイケースだと思います。

・ハイティンク Bpo 87年

これはトロンボーン吹きによるクラシックの嗜好の渡辺さんがご指摘の如く第1楽章がうまいです。以下、渡辺さんのページから引用させて頂きます。

「1 楽章では最後の最後まで表現が抑圧され、緊張感に耐えに耐え、耐えきれなくなったときに一気に開花する金管による大ファンファーレと圧倒的な再現部の醍醐味」

http://www.musicking.co.jp/mt/trb_cla/archives/02_cd/mtt_mahler1.php

ハイティンクの演奏は、私に、初めて「この作品はこういう構造になっているのか」と気づかせてくれた演奏です。

・ブーレーズ Cso 98年

一言でいえば能天気(のうてんき)。

ブーレーズという人は、理論的な作品より、こういう能天気な作品の方があってるのかも知れませんね。私は、ブーレーズのウェーベルンはピンと来ません。ブーレーズが作曲家として強く影響を受けたウェーベルンなのだから、彼のウェーベルンはうまいはずなんですけど..。また、彼の指揮のマーラーの第5,6,7番もピンと来ませんでした。それに対して、この第1番は、魅力的です。

・T.トーマス SFS 01年

第1,2,3楽章までは「これぞ決定盤」と思わせましたが、第4楽章がよくないと思います。

すなわち第4楽章のストーリーがうまく語られていないと思います。

T.トーマスの第1,2,3楽章を聴くと、変な例えですが野球に例えると、まるでキャッチャーが構えたミットにピッチャーが投げた球が全球ピシャリと投げ込まれているようです。しかも球のコースもスピードも正確にコントロールされているようです。つまり指揮者が指示した音をオケが正確に出している。そしてそれはリスナーの求める音でもあります。そしてアゴーギクもお見事です。

ところが、第4楽章で突如バッテリー間の配球が乱れT.トーマスに失敗があると私は感じます。具体的にいうと第4楽章第2主題に当たる部分(譜例2)の解釈です(音を聴くならココをクリックして下さい)。

Mahler_1_2

この第2主題のテーマはマーラー:第5交響曲の《アダージエット》を思わせる音楽ですね。すなわち「愛の官能」の音楽です。第4楽章において主人公は、愛の官能を回想していると思われます。第4楽章の冒頭は「嵐(Stürmisch bewegt)」の音楽であります。そして多くの人が指摘しているように、この愛は破綻したのです。たとえばノリントン盤のリーフレットにノリントン自身が簡潔に解説していますので長くなりますが、コンテキストの関係上、以下にそれを引用します

「第1楽章(春、終わりのない)は、英雄の若き日と、その故郷からの旅立ちを描いている。第2楽章(花の章)は、彼の初恋の結実である。第3楽章(満帆のもと)は我々に多忙な音楽生活を想起させる。第4楽章(カロ風の葬送行進曲)は、初恋の痛手を癒す休息として置かれている。第5楽章(地獄から天国へ)は人生の英雄的闘争であり、若き日々、恋の追憶によって奮い立ったものである。そして英雄は、戦いが決する前に悲劇的に死を迎えるのだ。」

譜例2は、門馬直美氏が「作曲別名曲解説ライブラリー」で第2主題としていますので、それにならって第4楽章「第2主題」と呼ぶことにします。

この第2主題は、上記ノリントンの文章からも、また、音楽の流れからみても愛の官能の「追憶の主題」です。第4楽章の冒頭の「嵐」は、主人公の負った深い傷が痛みをともなって爆発して血を吹いている様子だと思います。第2主題は、その後、その痛みの原因である愛の「姿」がこの作品において(花の章を除くと)初めて現れる場面だと思います。

第4楽章において最初に(提示部に)第2主題が表れるとき、主人公は、その官能を過去のものとして回想しながらも、それを現在進行形で五感に感じ追体験しているのかも知れません。しかし、展開部において再度出てくるときは、もはや、その官能は、過ぎ去った追憶でしかなく彼はそれを断念し克服しなければならない、というのがこの楽章のプロットだと思います。

第4楽章はマーラーのシュトゥルム・ウント・ドラングであり特に展開部は楽想の変化が激しく、めまぐるしく、複雑です。この複雑な感情や情景描写の音楽の中、第2主題は重要なポイントだと思います。

提示部から展開部へはいるところでちょっとだけ第1楽章の序奏が再現するのは、主人公が再び「自然に帰ろう」としているのを意味するのでしょうか、それとも「この悲劇の原因はそもそも主人公が故郷を捨てたことにある」といっているのでしょうか。その後展開部の冒頭は次々と様々な音型が展開します。それらの中に第2主題後半の印象的音型(譜例3)もあります(音を聴くならココをクリックして下さい)。

Mahler_1_3

そして第374章節でルフトパウゼが入り転調し一応解決し、その後、第4楽章の大団円のホルン主題(4度下降)が奏され、その後本格的に第1楽章が再現されます。ここに第2主題すなわち「追憶の主題」が再度現れます。この部分は第1楽章の序奏と第2主題が交互に演奏されます。その第2主題が私のいう「再度出てくる」追憶の主題です。これは提示部における第2主題とは上記の意味で違うと思うのです。繰り返せば、再度出てくる「追憶の主題」は、たとえ「再度」回想されてはいても「克服」すべきものとして扱われなければならないということです【注】。「回想」の対象と「克服」の対象という微妙な違い。T.トーマス盤では、その「語り」が不十分または不明瞭または下手だと私は感じます。そもそもT.トーマス盤は第4楽章全体が拙速で平板に聞こえます。T.トーマスの第4楽章は、テンポはバーンスタイン盤より遅いです。しかし(拙速という語は「拙速をとうとぶ」というように良い意味で使うことが多いですけど)この場合悪い意味で拙速に感じます。そして再現部以降が死んでます。ある種の消化不良です。

バーンスタイン旧盤は、第4楽章第2主題を実に絶妙に表現していると思います。バーンスタイン旧盤の第4楽章はテンポが速く激しいです。バーンスタインの第4楽章は確かに爆発してますが、上述のように「気負わず、はやらず」冷静であり決して拙速ではありません。バーンスタイン盤では最初に出てくる第2主題より、むしろ展開部で「再度出てくる」第2主題の方が、より官能的に聞こえるような気がしました。それは「忘れなければならない過去」に名残を惜しむ気持ちの表れであるかのようです。これがうまく表現され生きないと再現部以降も生きません。T.トーマス盤はそれがうまくいってないように思います。したがって再現部と、ホルン奏者が立ち上がって演奏する大団円が生きないのです。

ついでに書けば、展開部後半にて第1楽章と第2主題が交互に出てきてくるのは以下のことを表しているのかも知れません。すなわち主人公にとって「忘れなければならない過去」は恋愛体験ですが、故郷(自然)を捨て旅に出たことも(さすらいの歌も)主人公は忘れたい。そういう意味で、両者は主人公にとって「捨て去るべき過去として同じ意味を持つ」ということを表しているのかも知れません。

それにしても、この第4楽章は、最後どうなるのでしょうか。展開部、再現部、コーダと筋は通っているとしても、答えはない音楽のようです。映画で言えばエンドマークではなく"To be continued"で終わる映画のような気がします。この主人公は、恋に破れ座礁し、自然に帰ろうとしたが、一人前になった大人が母の胎内(自然)に帰るわけにもいかず、再びさすらいの旅に出るということでしょうね。「母の胎内」とは第1楽章の序奏が赤ん坊の誕生のようなイメージがあるからです。

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・ノリントン SWR 04年

ノリントン自身がCDのリーフレットで《花の章》の意義を説いてるにもかかわらず、この録音において《花の章》はあってもなくてもいいような気がします。むしろ、この録音の聴き所は上記の意味での第4楽章だと思います。これは、バーンスタイン旧盤に劣らず説得力あります。失われた過去の恋への惜別。その断念に努力する主人公の心情が、よく伝わってきます。意外とノリントンは、センチメンタリストなんでしょうか、第4楽章は情熱的で切なる演奏してますね。ノリントンのマーラーにおけるピリオド奏法の是非については分かりませんが、この第4楽章はバーンスタイン旧盤同様気に入りました。このノリで他の交響曲も演奏しているのなら、ノリントンのマーラーは面白いのかも知れません。

まとめ

門馬直美氏が「作曲別名曲解説ライブラリー」で第4楽章の展開部について(彼は展開部ではなく第2部といってますが)「マーラーは、巧妙な管弦楽法を用いてこういうものをつぎつぎと処理する」と書いてます。第4楽章はマーラーの瞑想から生まれたゆえ、その迷走は名奏が期待されます...と、くだらんシャレはやめにして、まじめにいって、この作品は特に第4楽章において感情のおもむくまま、起伏の激しさが魅力でもあり、難しさでもありますが、それは巧みに処理された充実なのか未熟な稚拙なのか。その音楽を聴いていて気持ちよいのは、マーラーの作曲技法が巧みだからでしょうか。それとも、この楽章、さらにいえば、この作品自体、若きマーラーの未熟さ、拙なさが、怪我の功名でシュトゥルム・ウント・ドラング的成功をもたらし聴いて気持ちよいのでしょうか。ゲーテ、シラーを見ても分かるように、シュトゥルム・ウント・ドラングというのは、ロマン的な性格のみならず芸術的充実なくして成立しませんでした。マーラーの交響曲第1番もまた、そうなのか。私、まだ、それを判断できるほどマーラーを聴き込んでいないので分かりません。ちなみにジャン・パウル(1763-1825)の《巨人》はページ数も値段もとてつもないので私は読んでませんが「ドイツ文学史」をひもとくと、この作品はシュトゥルム・ウント・ドラングの影響を受けてるようです。他方、この作家はゲーテに接近しながらも、その古典主義と対決した。また彼は当時のロマン派に対して批判的で、それと一線を画すとのこと。詳しいことは省略しますが、ジャン・パウルの《巨人》は確かにマーラーの交響曲第1番に似てるようです。

【注】スコアでは2度目に出て来る第2主題は「Sehr zurückhaltend Sehr langsam u. immer noch zurückhaltend(非常に減速して、非常にゆっくり、そしてなおも減速して)で強調されている。(第442小節)

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マーラー:交響曲第1番/バーンスタイン&NYP

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